香道濫觴書(こうどうらんしょうしょ)

松田保吉撰 伊與田勝由補 細谷松男校訂 1冊 写本

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香道濫觴伝書 写

「御家流」と称する開祖は、三條西内大臣實隆公、姓は「藤原」、号「逍遙院」、法名「堯空」。後柏原院御宇、文亀年間の御香所、天文六年十月三日薨去にて、御廟所、嵯峨二尊院にあり。

宝暦九己卯に至りて、凡そ二百三拾五年、御香所という事は人皇五拾四代「任明帝」の承和年間に始まる。・・・(以下、御家流、志野流、米川流、風早流の系譜等)

発端大意

師曰く、香を焚くに先ず三つ名目あり。「供香」「空香」「翫香」これなり。これを三つの香という。

「供香」は神仏へ香を供する事にして、焚香の濫觴なり。その餘裔、「空焚」となれり。これ香を敬うの本なり。

「空焚」は、銀葉を鋪(敷)かず、香炉を盆卓等の上に置きて、間を隔ててこれを聞く。

しかるに希なる香はケ限に多く、空焚きにはなりがたき故、その程を定め、雲母を敷きて香気の早くつきざる手だてとし、鼻先にあてて、これを聞く。これを「一炷聞き」とも「名香聞き」ともいう。これ「翫香」の初めなり。…(以下、真行草の式法等)

組香稽古目録

一 八十八ヶ條の中より、組香にのみ用いる香を抄出してここに挙げ、組香は初心の人の学ぶ処なれば、先ずこれをしらしむ。

香事稽古の目録、凡そ八十八ヶ條。右、その中に初二拾七ヶ條中、二拾五ヶ条、後三十六ヶ條と三段に分けて初二拾七ヶ條は組香の稽古にて、即ち、この目録なり。

前にも記せる如く、組香は翫香の中、尤も下品なるものにして元稽古のに用いし物なり。・・・(中略)

いにしえ、東山殿の頃、相阿弥作に『香乗』の五百ヶ條等有り。これ、初心を導くのなり。これに擬して件の故を以て、條目を集めしものなり。皆これその事を委細に教えんがためなり。この組香目録に付きたる書、ほかに六部有り。これは、その入用のヶ條の下に拾うて相伝あるなり。

 

享保十九甲寅年三月

 

  

明治三十年六月日 一校了

おなじ年かさねて  一校了

細谷松男

 

御家流香掟伝授する者なり。

伊与田宗茂勝由 

 

細谷助左衛門 殿

 

細谷氏印

 

明治二十年一月 此家書写了       至善庵

 

※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。

 

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