香人雑記

1999−2000

つれづれなるままに、ぼんやり書いてます。

[不定期更新]

*

2000/12/12

銀葉のこと

「銀葉は、昔は銀だった筈なのに、いつからどういう訳で雲母の板になったの?」という質問をいただきました。

質問者は、銀細工屋で銀葉を見たとのこと。現在でも銀の銀葉は販売しているようですが、ほとんどの香舗では雲母板しか販売していませんね。私の知る限りでは、大正頃の香書には「銀葉即ち銀の薄葉」というくだりが出てきます。また、明治後期の香書には銀葉は「雲母板」として登場していますし、さらに時代を遡った江戸時代には「銀」と「雲母」の両方が展示資料として出てきます。

その後、調べを進めますと、尾崎左永子著の「源氏の薫り」(求龍堂)の中に「雲母板」の方が先に出現していたと見られる記述がありました。

p50 中国で火敷が用いられるようになったのは、宗・元の時代以降といわれ、日本の記録では、「体源抄」(応仁のころ1394〜1427)の記載がはじめとされています・・・

p167 なお、「薫聚雑要抄」には、「故納言歴記」からの引用として、たまたま長元八年(1035)7月24日・・・小野宮実資が「第一の香壺箱の四つの小箱には、梅花、荷葉、黒方、侍従の四種の薫物を納める。第二の箱には、一つには雲母(きらら)、一つには散薫物(ちらしたきもの)、一説には薫衣香を入れるので、香壺とは言わず雲母と号している、これは古人の陳べているところである。」と答えています。

引用:尾崎左永子著の「源氏の薫り」(求龍堂)

この記述から推測しますと、雲母板は練香の時代からあったようです。

そうなると新たに「銀の薄葉はいつから香道で使われたの?」という疑問も現われることとなりますね。

室町時代の香道黎明期のことは、当時の香書にあたるしかないでしょうが、香道に取り入れられた時点で、既に銀葉は「銀」と「雲母」が並存していたのではないかというのが私の意見です。少なくとも「銀」のみがオリジナルで、その後「雲母」に簡略化されていったのではないような気がします。

現在、「銀の薄葉」を用いることは、個人の美意識如何になっていて、格式として「真・行」といった違いは無いようです。「銀」の消滅は、使い勝手や維持管理の難しさから来る自然淘汰だったのではないでしょうか。

皆さんはどう思われますか?

 

2000/9/11

続:けいことなまぶ

前回の書き込みについて「921は、真理探求を捨てたのか?弱虫!プンプン!!」みたいな御意見を賜りましたので、もう一筆補足させていただきます。私は「稽古さん」を離れて「学ぶくん」を3年やっていますが、その間いろいろな書物を勉強するにつけ、「無知の知」というものを思い知らされました。今では半ば快感となっています。(-.-)

香道は、もともと遊びの文化であったものに所作の決まりごとを付け、作法と式法を秘伝・口伝として世に伝えていますが、同じ流派と思しき書物でも著者(宗匠)や時代によって、かなり違うものになっていることは事実です。香道人の時代には、定説と思っていたことに意外と異論が多かったり、道具の呼称ですら諸説あったり・・・「万世一系」を誇る芸道の寄る辺は、意外に「伝言ゲーム?」のようなものだったのかもしれません。

しかし、私はこの「伝言ゲームに混じって一時代を遊ぶ」ことによって、香道という文化のおおらかさに浸り、むしろ「遊びの文化の真意」を知ったと言えましょう。私の香席での口癖は「どうぞお心のままにお聞き下さい。」です。「決まりごとは、決まりごとを守ることに喜びを覚える人々のためにあるもの。無知であることに威厳があればそれもよし。威厳が無くとも心が自由に遊べばそれでよし。」っなところでしょうか。(他流の茶席に出て、正客譲りバトルに負けて正客となり、ひたすら無知を詫びて味も香りもわからなくなるほど恐縮しているなんてナンセンス)

最近、私自身も「香木の香気そのものが、香道を教えてくれる師である」と思えるようになりました。今は「稽古さん」にも「学ぶくん」にも「学びの迷宮に足を踏み入れても、遊びはおもしろくならないよ〜。まず、師匠を信ずることとして、枝葉末節な作法や名称の論議は、早めに終止符を打ちましょう。」と言いたいです。

「さあ!お香で遊びましょう」

 

2000/9/1

けいことなまぶ

この頃は、インターネットで芸道を論ずる場合に、どんなジャンルにおいても運営者は、実社会の芸道との軋轢に悩まされるようですね。かく言う私もご多分に漏れず・・・でした。(~_~;)「顔も知らない人から簡単にものを教えられてしまう世界」「情報を小出しに切り売りしている世界」(批判御容赦!)とは、自ずから相反するものがあるのでしょう。そしてインターネットは、その開放感と流布伝播性によって影響力に勝り、いつのまにか権威付けられてしまったような気がします。しかし、私自身はこのことに一抹の不安を感じざるを得ません。インターネットは、「稽古さん」への誘いの道となりこそすれ、「学ぶ君」による稽古不用論を助長して芸道を生業としている方々の妨げになってはならないと考えます。

芸道において「稽古と学ぶ」は不可分な関係にあると思われます。特に「香」の世界は、まず最初に香木をたくさん聞いて、自分なりの「香気スケール」を確立することが一番大切で、これは秘伝も口伝も入り込む余地はありません。また、香席という座の文化もマニュアルには馴染まない深層情報をたくさん含んでおり「稽古」無しには「学ぶ」ことすら出来ないものが多いと思います。

その点、昔の伝書とはよくしたもので、雑駁に聞き方等を書いた後に「なお、能々(よくよく)工夫あるべし」などと結んであります。「あとはご勝手にぃ〜・・・」みたいなものですね。すると「稽古」という臨場感が無い「学ぶ君」は、「何が何だかチンプンカンプン??」ということになってしまいます。伝書はそう言う意味で「稽古さんにだけ読み解くことができる秘書」という居心地の良い位地をキープしながら世に君臨しているわけです。

私のところにも、よく「○○流のこれと○○流のこれは何処が違うの?」「うちの先生は○○って言ってるけど、どうしてここでは○○ってなってるの?」といろいろなご質問をいただきます。インターネットは「情報のパトロネージュ」ですから、質問された以上、私も経験や出典に基づき、なるべく独断を避けてそれなりの答えは用意します。しかし、私は、単なる田舎香人ですから「香道」または「流派」等の代弁者には決してなり得ないことは明白です。ですから、「これっていったい、どれがホントなの?」と究極の質問をしてくる方には、私はいつもこう答えます。

「良い師匠にお付きなさい。」

「真実は、きっと師匠を信ずる心の中にあります。」

 

2000/5/10

香木の薬効

りんさんから「香木の香りを聞くと眠くなるけど、もしかして香木は睡眠薬?」との質問をいただきました。

当たらずと言えども遠からず・・・「落ち着く」ことだけは確かですね。「香の十徳」では、「能覚睡眠(よく睡眠を覚まし)とありますが、これは、「リラックスしていても意識が覚醒し集中している状態」を表しているのだと思います。アロマテラピーの世界では、香木も香りの成分が樹脂に含まれる芳香属化合物ですから、他のウッディー系の香りと同様、鎮静効果のあるものとして取り扱われます。あの有名な「蘭奢侍」も元々は生薬として正倉院に入ってきたことは、よく知られていますね。

さて、香木の薬効はと言うと「沈静」「解毒」「健胃」が代表的です。漢方薬では、「沈香降気湯」(気血をめぐらし腹部膨満、食欲不振、胃アトニー、肢体浮腫などに効くとされています。)「沈香天麻湯」(てんかん、ひきつけ、顔面神経麻痺などに効くとされています。)等に配合されているそうです。日本では、強心薬の「六神丸」「感応丸」、疳の虫に効く「奇応丸」「救命丸」などの生薬製剤として用いられています。

また、その薬利作用を確かめるために沈香の香りを投与して、自律神経への作用を体表面微細振動計で計測し、数値化する実験もなされています。それによれば、沈静作用に類する「催眠延長効果」「体温降下」「自発運動量抑制」などの所見が確認されています。

さらに、香木の沈静作用を利用した「聞香療法」という試みもあります。ここでは、聞香によって「弛緩」→「注意集中」→「統合」というステップを心身に体験させ、心身症等神経症の治療に役立てています。

香人にとって一番の朗報は、これらの試みによって「不快」や「副作用」の報告所見が一切無いということ・・・「常用無障(常に用いて障り無し)」は、やはり本当のようです。

「香薬」という側面からも聞香文化が見直されていいのかも知れませんね。

 

2000/2/29

降真香の謎

先日、Nakazatoさんから海南島の「降香」について質問がありました。友人が「降香?」を材料にして作った壺を輸入したいのだそうです。

「降香」は、私自身全く知らない語彙だったので、インターネットの友人に聞き回りましたところ、帰って来た第1のヒントは、『日本風俗史講座(5)』に今泉雄作宗匠が書かれた「佐曽羅という香木は一種の木ではない。種々の木を佐曽羅と称しているのである。(略)又、紫藤香、降香香などもまた佐曽羅に入れてある。」との記述でした。

これで、香道における「降香」の存在に確信をもった私は、産地中国での情報を探しました。

すると、人づてに…

1.『中国語大辞典』によれば、「降香」【jiang xiang】「ラカ;香木の一種=降真香。」と出ています。

2.中国で出版されている『辞海』では、「降香 中薬名。即“降真香”。」と出ているのみです。

3.中国語のサイトを探したところ、『本草綱目』を検索できるサイトに「降香」の項目があり、漢方薬としての降香の効能だけが記載されていました。

4.『中国分省市県大辞典』の海南省の項目に、瓊(簡体字では[王京])山県、白沙黎族自治県で、降香を生産しているとの記述がありました。

…といろいろな情報をいただきました。

最近、『日本香料史』という本を読んでいたのですが、中国海南島は沈香も産出していたことがわかりました。それも上質な伽羅もあったようです。確かに緯度からすると、ベトナム・カンボジアの近くですから、気候や植生は同じかもしれません。ましてや、ベトナム戦争の枯葉剤の影響を受けていないとすれば、宝の山かも・・・とイメージは膨らみました。

その後、Nakazatoさんからのレポートが「木の粉」とともに送られてきました。

『証類本草』「降真香」【jiang zhen xiang】

【異名】紫藤香(衝済宝書)、降真(真臘風土記)、降香(本草綱目)。

【基原】マメ科の植物、降香檀のの芯材。

【原植物】花序及び子房が短い毛にやや覆われている他は、無毛。小枝には蒼白色の皮目が密集している。奇数羽状複葉、長さ12〜25cm、小葉は9〜13枚ある。高さ10〜15mの高木、開花期は、4〜6月。分布は中国の海南島。

【採集】一年中。根を掘り出したのち、外皮を削り去り、鋸で、50cmの長さに切りそろえ日乾しにする。

【薬材】主に弱い抗凝結作用による冠動脈閉塞等の緩和

【性味】辛、温、無毒。

また、降真香の削りくずであるという「木の粉」のほうを聞いてみると、確かにターメリックやショウガの干したもののような根っ子に共通した香りで、樹脂は全くありませんでした。檀香の一種としても、常温での香りが全く無く、やはり、漢方や香料の香りとの印象を受けましたので、「香木ではなさそう」と返事を出してしまいましたが、まだなんとなくすっきりしていません。「海南島の沈香あってしかるべき」という考えもありますし、徳川美術館所蔵の「降真香」も確かに「根」ではなく「木」の様相を呈しています。これを単に「香銘」と考えるべきなんでしょうか?「降香」の原材を見てみたくなりました。

よ〜し!こうなったら、海南島行くしかないぞ!!

(でも、国外持出禁止(-_-;))

お付き合い下さった皆さん本当にありがとうございました。

 

1999/12/28

新組のこと

新しい組香の創作に腐心されている香人から「組香の鑑賞には実作してみるのが一番、批評する力なくしてこの世の美しいもの、よきものの賞翫はできないと思っています。」とのメールをいただきました。

許状を伝授される際に宗匠を前にして読み上げる「起請文」(きしょうもん)というのがあります。この中に「皆伝を受けない間は、新しい組香をつくってはダメ。」という1条がありまして、何故か香道界を去った今でもこのことに囚われていました。

「香道人が山の頂上に達するまでには、各自いろいろな道を経て、道々の楽しみを突き詰める」という話は以前書きましたが、その究極は、「組香の解釈」だと思っていました。私のページの「今月の組香」は正にその楽しみの一つなのですが、香道秘伝書に掲載されている組香にも数に限度があり、この楽しみにも自ずと限界が来るということを意識はしていました。ところが、その先にも「新組の創作」という事象の地平線があることをこのメールで教えられました。

昭和の香道復興期には、往時の巨匠達が一生を懸けて創作した組香にはどんな意味があるかを解き明かすことをした上で、「香道を日本の崇高な精神文化として永遠に発展させていくべきだとすれば、往時の作品のみを保存して行くだけでは、既に過去の遺産に止まってしまう。昭和の組香が出現してこそ、組香は今を生きているのである。今日の組香は、私達が創作する以外にどこに求められようか。」(引用:三條西公正著「組香の鑑賞」)との考えがあり、道に達した香人が数々の新組を創作し、それが、今日まで継承されています。

新組の創作は、作り手の美意識や組香のストーリー性が正しく受け手に伝わるように「表現」できるかどうかが大変重要ですし、その表現に行きつくための作者への「高い素養」も要求されます。それでいて理論や形式でガチガチにならず、受け手が自由な心象風景を形成できるような冗長性も大切だと思います。

全人格をさらけ出すようで、荷が勝ちすぎる楽しみとなるかもしれませんが、これからは、発心に基づいて新組も創作していきたいと思います。

 

1999/10/21

練香のこと

「香道というのは、一木聞きが本文だからミックスは邪道!」なんて、「香道人」のときは思っていました。でも、良く考えてみれば、香水の調香からこの世界に入ったのですから、滑稽な思い違いでした。

この頃、いろいろな方から、練香に関するお問い合わせをたくさん頂いているうちに、「アロマテラピーの爛熟期の後には、必ず和物が流行る法則」というのを思い出しました。更に「個」の文化が進展している現代では、「自分だけの香り」を作る「練香」がこれからはイケるのではないかと思いました。

早速、香舗から香料のセットを買い込んで、乳鉢と乳棒を揃え、貯め込んでいた香木の轢き粉をベースにまずは「菊花」から・・・薫集類抄のレシピを頼りに合わせて見ました。調合そのものは、調香ほど微妙ではなく、香りも逐次確認しながら進められるので、失敗は少ないと思われましたが、出来あがりは今一つ物足りないものでした。やはり「秘伝」があり、レシピには記述されていない材料が何種類かは有るものと思われました。

作業そのものは、カレー粉を作るのと同様な上、香りも(ターメリックやクローブ等)どちらかという「それらしい」ので、家人は、「今夜はカレーだ!」と思い込んだようです。蜂蜜を入れて練りあがった練香(様の団子?)は、烏灰を入れていないので、正にカレールウでした。これを半年から一年冷暗所で寝かすのですが、その間はバイオ頼み、仕上がりは「神のみぞ知る」です。

そこで、思い直しました。「結果が出るのに時間がかかって、成果に不確定要素の多いもの(練香)は、現代では流行らない」と・・・(-_-;)

中世では、宮廷人のアイデンティティとなっていた練香ですが、現代人のアイデンティティとしてもけっこうイケると思います。お部屋焚きはもとより、焚かずに服、ハンカチ、名刺等への移り香を楽しむのも「艶」ですし、気の長〜い方はどうぞお試しを・・・

 

1999/9/6

お香のフリマ

仙台の地域のお祭りでお香のフリマ「香筵堂」を出店しました。

日頃、「香人」とか吹聴しているものですから、あるお坊さんから、「預かったお香を処分して欲しい」と頼まれ、僕なりの絶対価値で値札をつけて出店することとしました。

注目の結果はと言うと・・・予想外の大盛況でした。

やはり、「薀蓄(うんちく)商売」はいいですね!!テイストの合いそうな人しか声をかけないから疲れないし、声をかけた人は必ず買っていくし、薀蓄をタレていると人が寄ってくるし・・・・

特に面白かったのは、★「練香ってこんなんだよ。」って出していた見本を「香りと入れ物が好きだから、これじゃなくちゃだめ!」というので、「100円でいいよ。」と渡したら、「それじゃ悪いから・・・」と200円くれた顔黒のオネぇちゃん。★三度通りすぎた後に、「自分の座右用に・・・」と言い出したものの、すでに在庫が無くなっていて、見本用の伽羅線香を買っていった住職さん。(その見本!僕用だったのに・・・・(-_-;))★店作りが印象に残っていたらしく、閉店後出会った人にも「後で行こうと思ってたのにもう終わっちゃったの?」と言われ、駐車上にもどって、また在庫整理の無店舗販売を開始したり・・・もう大好評でした。

僕にとっては最初で最後の「お香屋遊び」でしたが、40の齢を過ぎて夢も叶い、とても楽しく、思い出深い一日となりました。

 

1999/7/24

香木と香道

「香木は、貴重な天然資源であり歴史的遺物でもあることから、茶のように生産できない。故に香人も生産されるものではない。」とは、私の聞き及んだ先人の言葉です。

昔の香道は「完全相伝制」をとっていましたから、師匠は、自分の後継者となるものに蘭奢侍を切って渡し皆伝の証としたといいます。つまり、自分の貴重な香木を譲り渡すに足る人間でないと皆伝は受けられなかったという訳です。そうしてみると、元来香道は「香人を生産するシステム」ではなかったような気がします。

現在、日本に輸入されている香木は年間約6tと言われていますが、そのほとんどが線香等の材料で「聞香」に使えるような香木は一握り、そのうち「伽羅」と呼べるものは、万に一つ有るか無いかの状況だそうです。

香道は、鑑賞の対象となる香木そのものが希少であるので、香道人口が増えると、その対象物が枯渇し、必然的に香木の質が落ちるというジレンマがあるのではないでしょうか?香木の香気そのものが権威であり、精神であり、真髄であるとすれば、駄木によって香道の精神を具現化することは困難なのではないかと思います。私は、香道人口の増大と香木資源の枯渇によって、香道が次第に作法や道具に傾倒し、精神文化から遊離したものとなるのではないかという危惧を感じています。

このHPを開設した当初は、私も「香道人」でしたから、香道の発展継承のためにより多くの人々に知ってもらおうと心がけました。しかし、HPの思惑どおりに実社会での香道人口が増えたとしても、果たして、本当に伝えたかった「香道の求める精神文化」や「聞香の真髄」が体感してもらえるのかどうか・・・?

今では、ちょっと不安になってしまいます。

「入門当時は先生の持香を稽古に使用していたのに、この頃は先生が稽古用の香木を買って来て使っている。持香と稽古用の香木とは何処が違うの?」という質問があり、香木資源の現況について、ちょっと考えてしまいました。

 

1999/7/7

香人と香道人

私は、日頃から「香人」と「香道人」という用語を区別して使っています。

香人とは、「香的生活」が生活の基本となっている個人で、「自分のために悟りの香を焚き、他人のためにもてなしの香を焚くこと」を生活の本則として生きている人のことと個人的に定義しています。先生と呼ばれる人間になってから流派を辞し、香人となる人もいますし、私のように中途で「香色一代男」自称してしまう者もいます。また、(人工香料には否定的な私ですが)アロマテラピーやハーブ、練香や線香を嗜む香人もいて良いと思います。

香道人とは、香道界に身を置くことを主目的としている組織人で、「香道界における何らかの目的のために香に関わり続けること」を生活の本則としていいる人と定義しています。目的とは、「作法や識見の習得」を含みますから、いわゆる「社中」に属する人は香道人です。また、「皆伝までは石にかじりついても…」「これで食っていこう!」「他の師匠より上の役職へ」という方は生粋の香道人と言えます。\( ^o^ )/

もう一つ、社中には属しているものの、「全く私的楽しみとして座に参加している」香道人で有りながら香人的という人もいると思います。

甲乙の論は別として、香道人から香人になることとは、「香道界での野心を捨てること」「それでも香を捨てないこと」によって、以外と簡単にシフトしてしまえるような気がします。

私は、香人の特権とは「気楽に納得のいく香を聞けること」だと思います。自分のために焚くお香に嘘はつけませんから、必然的に身体の求めるときに、良い香木のみを小さく切ってゆっくりと聞くスタイルになりました。それに、香木は所持人を選ぶということでしょうか?自然に良いものが集まり、もてなしに使うお香にも事欠かなくなりました。香席という座の文化の臨場感を失うことは悲しいことでしたが、そこから「香の悟道」としての新たな展開も見えてきました。

「香道とはただ香を焚いて聞くことのみと覚えうべし、真髄は香気の中に有り」ってとこでしょうか?

香道をリタイアしちゃった人、リタイアしそうな人、休養中の人も「個人として本当に香が好きか?」を自問してみて、好きならば、もう一度香に関わり続けてみたらいかがでしょうか?

 

1999/5/7

サソリの怪?

先日、Shidaさんから「佐曾羅の産地のサソリー島ってどこですか???個人的にすっごく悩んでいます。」という質問メールが届きました。僕は「そんなものインドネシアのあたりの島を探せばあるだろう。」と「ブリタニカのワールドアトラス」を取り出して検索をかけましたが、ヒットがありません。「神輿万国全図」も調べましたが、SumatoraやMarakaはあっても旧地名で音の似通ったものはありませんでした。そう、僕は、「佐曾羅はサソリー島」とサラリと書いてある香道教科書の記述を15年間信じて疑わなかったのです。そのまま、古文書を紐解いてみると「産地不明」の記述が多く、また謎は深まりました。

一般的には@インドのデッカン州のブーナ地方にあるサッソール、サスバール、サスバードのどれかの音 A現在の佐曾羅であるサンダルウッドの主産地、インドネシアのチモール島と2説に行きあたりますが、「六国の制定当時は、すべてが沈香であった」との記述から昔の佐曾羅がサンダルウッドであった可能性は少なく、さらに、B大唐西域記の「室利差咀羅(むりさそら)国」の記述からビルマのインドの境目あたりとの推測もあり、地域の推定すらままならない状況に陥ってしまいました。

そんなわけで、五味六国のコラムを「佐曾羅は産地不明」とこっそり書き改めることにしました。テヘヘッ。(~_~;)

1999/4/17

インターネット香人ネットワークをつくりたいですね。

先日、ゆーいちさんの「真ML茶の湯Community」に参加しました。一日数十件の書きこみがドット送られてきて、びっくりしました。それもその筈、会員数数百の大組織ですもんね。この2年間にいろんな方からメールをいただきましたが、「香道やってます。」という方は、非常に少なかったです。アロマテラピーなどの香り文化が流行となる中、つくづく「乙」な世界だと痛感しました。もともと「マイナーな超文化系」の世界ですから、この中でコンピュータをいじくれる「ちょっと理系」の人というのは、「相当に乙」なんでしょうか?

しかし、希少であるからこそ、一度出会ってしまえば知己の如く強い結びつきとなりますよね。

私は、このページを「この指と〜まれ。」の最初の人差し指にして、流派を超えた「インターネット香人ネットワーク」ができたらいいなと思っています。

1999/1/4

大阪の茶パツゆーいちさんからさんから声援メールをいただきました。

「香筵雅遊」のHPの復活おめでとうございます。

香道の素晴らしさを伝えることが出来るHPだと思っており、一時は停止されておりましたので、とても残念だと感じておりましたが、再び復活されたこと嬉しく思います。”香を純粋に愛する人”がこちらまで伝わってくる、すばらしい内容のHPですので、今後もHPの発展を心より祈っております。

心強い声援ありがとうございました。「復活」といっても、「ほとぼりが冷めたかな?」っと思って、アーカイブ程度にネットワーク上に引っかけて置いてるだけですよ。現在は、検索サイトへの登録もしておらず、メール友達か、僕の名刺の裏を見た人だけが覗きに来るといった程度です。

機器の不具合で、HTMLファイルが壊れたりして、その後のアップはあまりしていないんです。でも、源氏香之図を自前のものにしたり、「香炉の作り方」を作成中と・・・少しずつ充実させていくつもりですので、よろしくお願いします。

 

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