十月の組香
小春日和の清々しさやうれしさを味わう組香です。
晩秋の晴間にふと訪れたの穏やかな一日が小さな組香に表現されています。
※ 唯一の定期更新を続けているこのコラムも4年目を迎えましたので、「初心者にはチンプンカンプン?」ということにないように、今月は、「豪華解説付き」で初心者向けの簡単な組香をご紹介したいと思います。
説明 |
香木は3種用意します。
要素名は、「神無月(かんなづき)」「晴天(せいてん)」と「小春(こはる)」です。
※ 「要素名」とは、組香の景色を構成する名前で、この組香をはじめ大抵の組香ではこれを答えとして書き記します。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節感や趣旨に合うものを自由に組んでください。(今回は、「似春華」という詩の主旨に合わせて、春の香名も加えてみました。)
※ 「香名」とは、香木そのものにつけられた固有名詞で、要素名とは区別されます。組香の景色をつくるために、香木の名前もそれに因んだものを使うことが多く、香人の美意識の現われやすい所です。
「神無月」「晴天」はそれぞれ3包作り、そのうち1包ずつを試香(こころみこう)として焚き出します。
※ 「試香」とは、香木の印象を連衆に覚えてもらうために「神無月でございます。」「晴天でございます。」とあらかじめ宣言して廻すお香です。
残った、「神無月」の2包、「晴天」の2包と「小春」1包(計5包)を打ち交ぜます。
※ 「打ち交ぜ」とは、シャッフルのことで、香包を順序不同に混ぜ合わせることです。
本香(ほんこう)は5炉廻ります。
※ 「本香」とは、当ててもらうために匿名で焚くお香です。連衆は、このお香と試香の異同を判別して、答えを導きます。
答えは、要素名を香の出た順番に書き記します。
※ 答えは、あらかじめ配られている手記録紙の所定の位置に書き記します。
下附(したづけ)は、全部当たると「似春」、全部外れると「木枯」(こがらし)となり、その他は点数となります。答えの当たりは、赤点で記されます。
※ 「下附」とは、組香の景色に彩りを添えるために、点数に代わって付けられる成績を表す言葉です。
私は個人的に「10月の空は最高だ〜っ!」と思っています。5月の清々しい「快晴!」も好きですが、夕景にはあまり味わいが無く思えます。その点、10月の「晴天」は、澄みきった青い空あり、白い雲あり、夕方は鰯雲にかかる複雑な夕映えの景色があります。そして、アキアカネという登場人物もその景色に楽しい動きを加えてくれます。
「小春香」は、皆さんもすぐ連想ができるように「小春日和」をテーマにしています。さて、「小春日和」という言葉は、本来「旧暦10月の晴れた穏やかな日」のことです。「旧暦10月」と言えば現在の11月(初冬)ですから、本当は季節か早いのかもしれませんね。しかし、この組香の詩には「十月」とあり、要素名にも「神無月」とあるものですから、「旧暦ですよ」とあらかじめ断わって11月に催したとしても現代人の感覚からすると無理のあることのように思います。そのような考えもあり、このコラムでは新暦準拠を基本として「五月雨香」は(本来梅雨のことですが)5月に、「七夕香」は(本来秋八月の組香ですが)7月に掲載することしておりましたので、知識人の皆様方にはあしからずご了承ください。(~τ~;)
亭主がこの組香を組む(香りや名前から自分のイメージした景色にふさわしい香木を選んだり、演出を工夫すること)に当たっては「秋冷の中にあっても心和む穏やかな日の気持ち・・・」をお香で表現し、連衆が「霜枯れに向かいつつある季節の一日を暖かく楽しく過ごせるように・・・」と心を配ることが重要だと思います。香木は、「春は華やか、秋は枯淡」というイメージが繋がりやすいですが、組香に使う香木の中にわざと春の香(ここでは「花笑み(伽羅)」)を取り入れて、香気の上でも春を思い起こさせるというのも演出の妙でしょう。
この組香の要素は、神無月、晴天、そして小春です。構造(お香の出し方=ゲームの遊び方)も単純ですし「神無月の晴天が小春(日和)」とそれぞれが密接に連関し説明しあっているので、組香の風景は必然的に集約されて連衆の心の風景も縛られてしまいがちだろうと思います。(おそらくそれが正当だろうと思います・・・。)
しかし、これに敢えて
「本香の数の解釈」という観点から異論を差し挟んでみようと思います。この組香では、本香が5包となっていますが、「神無月の晴天が小春(日和)」とそれだけをイメージさせるだけならば、本香は、神無月、晴天、小春の各1包(計3包)で済むのではないかと思うのです。それをわざわざ5包にするのは、「神無月」や「晴天」を聞くことによって、あらかじめ形成された景色の中に「小春」を据えて、一層「春めいた景色(似春)」を際立たせるための作者の意図だと解釈できるのではないでしょうか?そうだとすると「神無月」も「晴天」も「小春」のような陽気ではいけない訳で、「神無月」は神渡しの風が吹く寒い日、「晴天」は晴れても空気が冷々としている日、そして「小春」だけが暖かく穏やかに晴れた日というイメージになるのではないかという仮説が成り立ちます。このように解釈すれば、本香に登場する神無月、晴天の各2包もそれぞれに意味を持ち、心に現われる風景にもバリエーションが出てくるでしょう。そして、その中に織り交ぜて登場する「小春」も暖かく華やかに際立つのではないかと思われます。また、「今日は・・」「今日は・・」と日を追って小春日和を待つことにより、時間的経過という深みを景色に加えることができます。
(
ここで私が、「神渡し」→真南蛮→陰香、「枯野見」→羅国→軽い陽香、「花笑み」→伽羅→春の陽香と組んだのも、このような解釈の上に立っています。)下附は全部当たると、「(神無月の晴天の)小春を味わった」という意味で
「似春」と表記されます。この読みが「じしゅん」でいいのか、詩を訓読して「春に似たり」となるのかはわかりませんでした。全部外れだ場合は、「(神無月も晴天も)小春も見えず」ということで「木枯」と表記されますが、こちらは「こがらし」と読み仮名が振ってありました。どちらも「全部」の場合だけなので、前述の要素の解釈が「神無月の晴天が小春」の場合でも「小春だけが暖かく穏やかに晴れた日」の場合でも、下附の意味合いは変わりません。詩については、その内容が組香のテーマを端的に表しており、普通は証歌(詩)として取り扱ってもおかしくないのですが、書物には
「奥に書き附す。」と書かれており、証歌と全く同じ扱いにはなっていないようです。この漢詩を読み下しますと「十月江南天気好し(ことむなし)憐れむべし冬の景(かげ)の春の華(みやび)かなるに似たることを」となり、更に訳しますと「季節は十月で冬に入ったけれど、江南の天気が良くて好もしく、冬の空が春のように麗しいのが実におもしろい」となります。私は、後半の「可憐」という表現に機微を感じます。「冬景可憐にして春の華に似たり」と読み下すことで「春のそれとは違ったつつましやかな微笑みが初冬の景色にあらわれる様子」が心に浮かびました。白居易も組香の作者も私と同じ心象を結んだのではないかと思います。皆さんの心にも「可憐な春華」が咲きますように・・・。
小春日和は秋の草花の見納めに枯野見にでも出掛けましょう。
でも、夜遊びは冷えますからご注意を・・・
「放射冷却」というやつです。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。