三月の組香
源氏物語「若紫」をモチーフにした組香です。
登場人物の役割や段組による場面転換を意識して聞いてみましょう。
説明 |
香木は5種
要素名は、
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「僧都」「尼君」はそれぞれ2包
試香を聞き終わったら、残った
残った
続いて、引き去られた
答えは、
この組香の下附は、7炉
関西では、3月12日の東大寺二月堂の「お水取り」がすむと、「いよいよ春本番!」という感じになるそうですね。
お水取りは、東大寺の
「若狭井(わかさい)」から「香水」を汲んで本尊に供える儀式です。「若狭井」には、「昔々、若狭国(福井県)小浜の白石という村で、鷹にさらわれた子供が東大寺の僧に拾われて出世し、子探しの旅に出ていた両親と対面したとき『産湯に使った白石の水が飲みたい』と言ったので、その子を授けた小浜の高僧が法力によって、白石の水を東大寺に湧き出させた。」という逸話があります。いまでも、福井県側では、お水取りに先だって3月2日に「お水送り」の行事をするのだそうです。水が温めば、草も芽吹く・・・今月は
「若草香」を御紹介したいと思います。若草香は、源氏物語
「若紫」の帖に因んだ比較的新しい組香で、昭和20年代後半に新作組香の気風があった時代に東京の有数な香匠たちによって創案されています。当時の新作組香が香の聞き方(構造)の上で複雑なものが多かったのに対し、若草香は簡潔で、初心者向けにも取り上げやすい組香です。源氏物語に因む組香は、まずそのあらすじを理解しなくては始まりませんので、「若紫」の帖について簡単に意訳します。
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第1章 源氏が若紫を見初める
源氏
は、瘧病を患い、三月晦日、加持祈祷のため北山に出向き、そこで尼君と若紫を発見します。 源氏は、なんとなく「心惹かれる人を見たなあ」と若紫の君の素性を聞きますが、尼君は僧都の妹、若紫はその孫にあたり、なんと藤壺の兄兵部卿宮の娘だったのでした。その翌日、源氏は、迎えの人々と共に帰京してしまいますが、その後、諦めきれずに 北山へ「若紫をひきとらせてくれ」手紙を贈ります。しかし、まだお情けを受けるのには若すぎます。」と体良く断られてしまいます。第2章 藤壷の物語
(夏の密通と妊娠の苦悩物語)は組香では捨象されています。第3章 若紫が源氏の二条院邸に盗み出される
若紫は、六条京極の邸に戻りますが、その間も源氏は尼君に対して、いろいろと尼君に若紫貰い受けを懇願します。尼君が死去し、若紫は寂寥と孤独の日々を送っていますが、父兵部卿宮に引きられることと決まり、迎えがくるという当日の朝に、
源氏は車を乗りつけ若紫を盗み取ります。二条院に若紫を引き取った源氏は、二、三日、宮中へも参内しないで、若紫を手懐けようと手習いや絵など、いろいろと書いて見せては相手をします。その甲斐あって、若紫は、親しく話したり、胸の中に入っても少しも嫌がったり恥ずかしいとは思わないほど源氏に馴れ親しみます。――――――――――――
「若草香」の証歌は、尼君との童女貰い受けの交渉が不調に終わり、一人恋焦がれる場面で源氏が詠ったものとして記述されています。その意味は、
「紫草(藤壺)にゆかりのある野辺の若草を手に取って早く見たいものだ」ということです。源氏物語に因む新組香は大抵その帖の名前をそのまま冠して「桐壺香」「箒木香」・・・となっていますが、この組香はなぜか「若紫香」ではありません。それは、証歌そのものの語句に因んだという単純な解釈も成り立ちますが、私は、まだ紫草(若紫や紫の上)になる前の童女の愛らしさを「若草」のまま組香に表したかったからではないかと思っています。この組香は、段組形式をとって構成されています。段組とは、本香を複数(ここでは2つ)のまとまりに分けて聞く方式で、多くは時間や空間などの大きな場面転換を示す場合にを使用します。
A段は第1章の「若紫見初め(春)」の場面、B段は第3章「若紫盗み出し(秋)」の場面と対応しているものと考えられ、それを裏付けているのが、各段の要素名です。要素名は組香の
「登場人物(事物)」と考えてよろしいと思います。この組香のA段の要素は「僧都」「尼君」「童女」「源氏」と第1章の登場人物です。B段では、(ほどなく「尼君」は死んで)「源氏」と「童女」それに略奪のために用意された「車」が加わり、誰にでも第3章を連想させます。他にも「北山の聖」「小納言」「藤壺」「兵部卿宮」等いろいろな登場人物が出てきますが、源氏との関わりを重視して大胆に捨象し、簡潔な構造としたことに好感が持てます。香の数は、
各場面での登場人物が一人ずつですので香木も1包ずつ使用し、これも分かりやすくまとまっています。「源氏」と「童女」については、どちらの場面にも登場しますので、それぞれ1包ずつ分けて使うようになっています。試香で「僧都」「尼君」「童女」を聞くのは、北山の出会いを表すのでしょう。また、「車」という無機的な略奪道具が「客香」として取り上げられているのも「突然!」を意識させて面白いと思います。なお、「童女」に関しては、北山の童女達から1包取り出すことで源氏が傑出の「若紫」を見初めたことを表すという説もあります。下附は、
全部当たったものを「草のゆかり」と書き記します。これは、二条院に引き取った源氏が手習いを教える場面で「まだ一緒に寝てはみませんが、武蔵野の露に難儀する紫のゆかりの草を愛しく思われます」と書いて見せたのに対して若紫が「恨み言を言われる理由が分かりませんわたしはどのような方のゆかりなのでしょう」と返してみせたことに由来しています。二人が読み交わした「草のゆかり」とは、藤壺の縁者である「若紫」そのもののことなのでしょう。このことは、証歌の「根に通ひける」で源氏が既に認めており、若紫のみが知らないことなのです。次に
A段のみ全部当ったものには「薫籠の雀」と書き記します。これは、北山での若紫が「雀の子を、犬君が逃がしちゃったの。伏籠の中に、閉じ籠めていたのに」という印象的な登場の場面の台詞に由来するものと思われます。私自身もこのフレーズは、「源氏物語で一番かわいらしい情景」として昔から印象に残っていました。更に
B段のみ全部当ったものには「傅きぐさ」と書き記します。これは、若紫の帖の結びの文にあたる「いと様変わりたる傅きぐさなり。」から引用されています。「女の子というものは、これほどの年になったら、気安く振る舞ったり、一緒に寝起きなどは、とてもできないものなのに、この人(若紫)は、とても風変わりな大事な子だと、(源氏が)お思いのようである。」と若紫の慣れ親しみ様を指す言葉として使われています。最後に
その他は、すべて「瘧病」となります。これは、春の「瘧病」という事件が源氏と若紫の出会いの原因となったことに因んで、物語の「振り出しに戻る」というような意味ではないかと思います。または、「当たったり、当たらなかったり、まるで上がり下がりする瘧病の熱のようだ」と言っているのかもしれませんね。このように、
下附の引用も第1章と第3章からそれぞれ2つずつ、それも対照的な位置関係からなされているところに作者の美意識を感じます。もともと、「若紫」の帖は春から秋までという長い期間を描写した物語ですが、若紫の鮮烈なデビューの逸話が印象深いので、やはり、春に行うのが最もふさわしい組香だと思います。源氏物語を題材にした新組香は、未だ全巻(54帖)に及んで創案されてはいません。次世代を担う志のある方が先達の偉業を受け継がれていくことを期待しています。
私は、雛人形を見ると源氏と若紫を思い出します。
幼い頃から睦み育てて晴れて夫婦となったニコニコ顔の源氏
ちょっとうらやましいですね。
‡∂。∂‡組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
参考文献:三條西尭山著「源氏物語新組香(上)」(S29.5.20)
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