四月の組香

桜を探してそぞろ歩く春の山遊び気分を味わう組香です。

試香が本香の後に焚かれるところが特徴です。

 

 

説明

  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名は、「山、谷、川、花」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「山、谷、川」をそれぞれ3包ずつと「花」を1包(計10包)作ります

  5. そのうち「山、谷、川」は、B段(試香)とするため各1包を引き去り、所定の位置に置きます。

  6. 残った「山、谷、川」それぞれ2包ずつと「花」を1包(計7包)打ち交ぜて焚き出します。

  7. 本香A段は、7炉回ります。

  8. 本香A段が焚き終わったら、先ほど引き去って置いたB段「山、谷、川」各1包(計3包)を要素名を宣言して順に焚き出します。

  9. 答えは、B段で聞いた要素と香気を手がかりにしてA段の7炉に当てはめて要素名で7つ答えます。

  10. 下附は、点数で表します。

 

春になりますと、野山のそぞろ歩きが恋しくなりますね。日だまりの中に芽吹いたばかり草木や膨らみかけた花の蕾を見つけますと忙しい通勤の途上でも心和みます。しかし、何年も同じ所に居を構えておりますと、休日の散歩などは、なんとなく同じ道を辿って四季折々の「定点観測」ばかりになってしまうものです。

「栞香(しおりこう)」は、そんな「マンネリを打ち破って、思いっきり迷い道をしてみよう」という組香です。

「栞」とは「枝折り(しおり)」から来る言葉で、「山道などで木の枝を折って道標とすること」または「道しるべ」そのもののことです。この証歌の作者である西行法師も毎年有名な吉野桜を見に行っていたのでしょうが、ちょっとマンネリを感じて「こぞ(昨年)のしをりの道かへて…」「敢えて別の道を辿って未だ見ぬ桜を見に行ってみよう!」と思い立ったようです。

さて、証歌についてこの組香の出典である「百種香之記」では、「吉野山こぞのしりのみちかへてまた見ぬの花をたずねん」と表記されているのですが、私は「吉野山こぞのしりのみちかへてまた見ぬかたの花をたずねん」という新古今集の表記を採用しました。それは、「栞」の語源が「枝折り」ならば「しをり」と当てた方がしっくり来ますし、前者は「吉野山」と「山の花」が重複していてクドイので「かた(方)」とした方がすっきりと景色も広く感じられると思ったからです。新古今集をはじめとするたくさんの出典にも異文は無いことからみて、今回私が取り上げた歌が正当と解釈しています。

次に、この組香の特徴は、試香を本香のあとから焚くということです。普通の組香は、試香によって「これは○○」「これは○○」というふうに要素名と香気を記憶してから、打ち交ぜられた匿名の本香を聞き、試香の印象に当てはめて答えを出します。しかし、この組香では、なんだかわからない本香A段をとりあえず聞き、そのあとで要素名を宣言したB段(後付けの試香)を聞いて、答えを当てはめていくという作業をします。これは、正に「しるべなき山道のそぞろ歩き」であり、この組香の根幹を成す演出と言えましょう。

実際の聞き方としては、A段7炉を香りの違いによって仮に「一、二、一、三、三、二、ウ」とか「○、×、○、△、△、×、□」などと順にメモしておき、要素名の宣言されたB段を聞いて「一(○)→谷」「二(×)→山」「三(△)→川」と判明すれば、自然に「ウ(□)→花」ということになります。この時点で要素名に置き換え谷、山、谷、川、川、山、と答えを記すという訳です。

この組香では、香木の数はあまり問題視されていないと思います。「山」「谷」「川」の数(2包)は客香の「花」(1包)に対比させるための最小限の数ということで用いられていると思われます。また、全体では、客香の「花」以外を3包ずつ作り「3+3+3+1=10」と香組し、「A段7+B段3=10」と本香の総数を「10」としているところなど、十柱香の派生としての特徴を色濃く残していと思われます。

ちょっとお香をかじったことのある方は、何の説明もなしに「一、二、一、三、三、二、ウ」とメモを取ることだろうと思いますが、同じ要素名の「山」「谷」「川」が2つとも同じ風景を持つということではおもしろくないと思います。「谷、山、谷、川、川、山、花」と香が出た場合、最初の「谷」と二番目の「谷」は、道のりの上では別の場所である訳ですから、別個の印象を結ばなくては、変化に富んだ山歩きの情景となりません。「心のお土産」である心象風景を大きく重くして持ち帰るためには、是非、同じ要素のお香も深く聞き分けた上で心象を結んで欲しいものです。

栞香と同じ構造を持つ組香に「四季三景香」という組香があり、ここでは、先程の仮メモに替えてA段で聞いた香は、同香、異香に関らず出た順に自動的に「春、夏、秋、冬、雪、月、花」という「本座の名目(ほんざのみょうもく)」という仮名を付けてB段の答えを引き出します。この方式では、同香であっても全く違う印象として取り扱うことが、自然に要求されています。

最後に、この組香のストーリー性に着目するとこのような解釈が成り立ちます。

@「花」を求めて山道に入った貴方は、そぞろ歩く道すがらに7本の枝を折って「栞」を残していきます。

Aそれは、山歩きをしている時点では「山、谷、川」の何処に残した「栞」なのか貴方自身もわかりません。

Bましてや、お目当ての「花」がどれなのかも当て推量でしか分らない状態で歩き続けます。

Cそして、山道を抜けて、振り返った時に「栞」の謎が解かれ、その日に歩いた道程と風景の流れが心の中に現れます。

D更に言えば、その時見つけた「花」は、いつもの名木とは違った「こんな所にもあったのか」というような「未だ見ぬ花」である訳です。

日常のマンネリから抜け出して「曲がったことの無い角を曲がって路地に入ればそれはもう旅・・・」その中から発見する「未知の何か」は、どんなにちっぽけなものでも心躍らせるものがあります。貴方は、どんな迷い道の中から「未だ見ぬ花」を見つけるのでしょうか?また、見つけた花は、どんな花なのでしょうか?楚々とした「山桜」でしょうか? 流麗な「枝垂桜」でしょうか? それともゴージャスな「染井吉野」でしょうか?

 

以前「事始香」のコラムで究道のことを山歩きに喩えたことがあります。

人はいろいろな経路を辿って頂上にある花を目指して行きます。

迷う人あり、挫折する人もあり、脇道で見つけた小さな花で満足する人あり…

しかし、高みに登れば道は尚更遠く見えるもの・・・。

1つ1つ栞を残して登り続けたいものです。

登り詰めて初めて、残した栞の意味を知ることもありますからね。

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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