五月の組香
香道発祥以前から楽しまれていた基本的な組香です。
香りの違いを聞き取ることに集中すればどなたでも遊ぶことができます。
※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と標記しています。
説明 |
要素名
香名(香木の固有名詞)と木所(きどころ:香木の種類)は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
※ この組香では、要素名(一、二、三、ウ)や木所の記号(二、ウ、花一、一)はあまり意識しない方が、誤解が少ないようです。
「一、二、三」は各3包
この組香には試香(こころみこう:あらかじめ要素名を宣言して出す香)はありません。
本香は、
答えは、
答えは、香の出によっていろいろな組み合せになりますが、その
正解と完全に一致しなくとも、
下附
仙台は「杜の都」。
この季節、街路樹のケアキ並木には若葉が茂り、さわやかな涼風に枝が揺れると、薄緑色の木漏れ日が道行く人に降り注ぎます。街を流れる広瀬川の川面も絹のような細かな漣が立って、初夏の光を金や銀に変えて照り返します。私は、本当にこの季節が好きです。人間というものは、季節が良いとどうも心が内省的に向かない傾向がありますので、お香の精進は疎かになってしまい勝ちなのですが、こんなときこそ原点に帰って「十柱香」を聞き、香の味も分からなかった時のことを思い出して見るのもいいでしょう。「十種香」(じゅっちゅうこう)
は、桃山時代初期、香道が芸道として確立される以前から、貴人や武人の間で親しまれていた聞き当てゲームでした。「十種香会」の記録は「看聞御記」(1416)、「親長郷記」(1473)、「実隆公記」(1501)などの日記類に見ることができ、その後、雅を尽くした組香が創出される江戸初期に至ってもなお、最もポピュラーな組香として行われていたようです。「十種香」の起源は、中国の陸羽(りくう)が撰した
『茶経』(唐代:西暦760年頃)中の「陸羽四茶」ではないかと言われています。残念ながら、今回は「陸羽四茶」について茶経中の記述を辿ることはできなかったのですが、それは「一、二、三」と試みのある茶を点て、名前を明かさない「客茶」をその中に入れて聞き当てるという「四種十服」の構造を設けていたということです。これは、現在の香道で言う「有試十柱香(十種香)」、茶道で言う「闘茶(十種茶)」と形式を同じくしており、江戸時代初期に編み出された七事式の「茶カブキ」(三種五服)にも通ずるものを持っていました。日本においては、鎌倉時代初期の栄西禅師によるお茶の再来以降、「茶」は薬や嗜好品として宮中から武家にまで広まっていました。かの
婆沙羅大名佐々木道誉も当時生粋の文化人を集めては一昼夜に及ぶ「闘茶」の宴を行ったということです。「十種香」の発生を文書で辿れば、室町時代以降ということになってしまいますが、おそらく、名香を聞き比べて遊ぶ「名香合わせ」に飽き足らなくなった彼は、お茶でお腹が一杯になった後、自らの蒐集した香木を素材にして「十種茶」ならぬ「十種香」を楽しんだとの推測も自然と成り立つのではないでしょうか?香道における組香というものは、この
「十種香」(有試十柱香)を基礎にアレンジされ、発達継承されてきたと言えましょう。試香を無くしたり(無試十柱香:むしじゅっちゅうこう)、投票札を用い(札打:ふだうち)、1つ聞いたら即座に答えを投票するようにしたり(一柱開:いっちゅうびらき)、2つの香木を一緒に焚いたり(焚合:たきあわせ)、人形や建物を点数分だけ盤の上で進めてみたり(盤物:ばんもの:名所香、芳野香)とやっているうち、次第に和歌に因んだ要素に当てはめて風景を楽しんだり(鶯香、逍遥香、雄鹿香、松風香、龍田香、冬月香、名橋香、三教香、万歳香、袖雪香、御祓香、驪山恩寵香、暮秋香・・・)するようになったのではないかと思います。このように「一、二、三」に試香を焚き、試みの無い「ウ香」を取り混ぜて本香10炉という構造式を持つ組香は、枚挙に暇がありません。また、要素の「一、二、三、ウ」は変えずに聞き方のルールを違えた「替十柱香」(かえじゅっちゅうこう)という異体も数多く存在しています。さて、今回ご紹介する「十柱香」は、
厳密には「無試十柱香」というものです。私自身は、試香の無いものを基本にして「十柱香」(じゅっちゅうこう)と呼び、試みの有るものを「十種香」(じゅっしゅこう)または、「有試十柱香」(ゆうしじゅっちゅうこう)と区別して用いています。(しかし、「十柱香」の「」の時は、もともと「シュ」と発音されていたため、字体が変化しただけで実際は区別の必要がないとの説もあります。)この組香の特徴は、
試香を聞かずにいきなり10包の本香が焚かれることです。そのため、連衆は「これは一の香り…」などと予見を持つことはできません。ただ、香の数が3+3+3+1で10包出ていることを頼りに、同じ香りのグループが全体で3、3、3、1となるように答えを書き記すのです。これは、一見難しいような気がしますが、香りの聞き分けのみに集中すれば、香木を初めて聞く方でも当てられるのでご安心下さい。香の焚き方は単純なのですが、聞き方や答えの書き方に少し難解なところがありますので説明します。
まず、要素名や木所に書いてある漢数字「一、二、三」とは全く切り離して考えてください。実際に「要素名」と「木所」と「答え」の漢数字を無理に関連付けようとして戸惑われるケースが1番多いものです。
次に答えは、
最初に聞いた香りを必ず「一」としてください。そして、2炉目が同じ香りだったら「一」とし、違う香りだったら「二」とします。3炉目も同じく前出のいずれかと同じ香りだった場合は、その番号(一か二)を記載し、前のどれとも違う香りならば「三」とします。4炉目以降も同じようにし、最後に出た前のどれとも違う香りは「ウ」としてメモしてください。それでも間違いそうな場合は、漢数字を使わずに香りの印象によって「○、△、□、☆」「赤、青、黄、緑」などとメモしておいて、後で「一、二、三、ウ」に書き換えるというのも良いでしょう。「無試十柱香」は、「札打ち」でないかぎり
香を焚き終えてからの答えの数合わせや訂正が可能です。ただし、香の数は必ず「3、3、3、1」のグループになりますので調整の際に気をつけてください。また、香人のマナーとして話をすれば、答えの数は最初が3+3+3+1=10だったことを思い出して、必ず「同じ香りが3つあるものが3種」+「どれとも違うものが1つ」の10包となるように書いてください。(いくら悩んで調整が付かなくとも、敢えて同香を4つ(4、3、2、1)として当たる確率を増すなどという行為は、ハシタナイこととご承知おきください。)更に、この組香では記録の加点方法にも特徴があります。それは、各自の答えが正解と完全に一致しなくとも、
正解との対応の上で2つ以上「同香」と聞いていれば当たりとなり、ウ香との対応は答えが1つだけと聞いていれば当たりとなることです。これは記録者の注意点であり、連衆が気にする必要はありません。炉 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
点数 |
香の出 |
三 |
三 |
一 |
二 |
二 |
一 |
ウ |
三 |
一 |
二 |
--- |
正解 |
一 |
一 |
二 |
三 |
三 |
二 |
ウ |
一 |
二 |
三 |
--- |
答A |
一 |
一 |
二 |
三 |
三 |
二 |
ウ |
一 |
二 |
三 |
10 |
答B |
一 |
二 |
一 |
三 |
三 |
ウ |
ウ |
三 |
一 |
ウ |
4 |
答C |
一 |
一 |
一 |
二 |
二 |
三 |
ウ |
一 |
三 |
二 |
7 |
答D |
一 |
二 |
一 |
二 |
一 |
二 |
三 |
ウ |
ウ |
ウ |
1 |
※
赤字部分が当たりです。上表のように
「香の出(要素名で記載)」を整理して「正解」を導き出します。すると、「香の出→正解」の対応は「三」→「一」、「一」→「二」、「二」→「三」、「ウ」→「ウ」となっていることが分かります。答Aでは、正解表と答えが完全に一致します。この場合は全問正解の10点(皆)です。
答Bの人は、本来ならば、3炉目の正解「二」を「一」と聞いてしましましたが、9炉目の同香も「一」と聞いていたので2点。正解の「三」2点に加えて4点となります。
答Cの人は、4炉目の正解「三」を「二」と聞いてしましましたが、5炉目、10炉目の同香も「二」と聞いていたので3点。正解の「一」3点と「ウ」1点に加えて7点となります。
答Dは、正解の「ウ」と対応している答えが「三」となっていますが、「三」は答えの中に1つだけしかありませんので客香「ウ」を聞き当てたこととなり1点となります。
以上が、簡単そうでいてなかなか書きものではご理解いただけない「十柱香のルール」です。(-.-)?
今年、開府四百年を迎えた仙台城主伊達政宗は、1626年7月24日に京都三条の仙台屋敷で「十柱香」を行っています。このことは、「貞山公治家記録」に掲載されており、この文書とは別に香記(香席の記録紙)も個人の所蔵として残っています。この日の連衆は関白近衛信尋を正客に総勢13名、当時一流の文化人から藩士、息子の忠宗まで列席しています。結果は、西洞院宰相の「6点」に続いて、近衛信尋と伊達政宗が「5点」と並んでいました。なお、一条右大臣兼遐は「無」(0点)であったようです。この香記には、香組(出された香木の銘と木所)が書かれていないのが残念ですが、後に近衛信尋が「仙台に帰るならちょっと僕の分だけでも置いてって」と手紙を書かせた名香「柴舟」(しばふね)等、さぞかし現代香人垂涎の名木が使われていたことだろうと推測されます。
私もあと25年間、勉強と蓄財の猶予をいただいて、2026年7月24日に「寛永三年京都伊達屋敷の十柱香」を四百年記念イベントで復元!なんていうところまで、登り詰めてみたいと思います。
生きてるかなぁ・・・
「杜の都」仙台は開府400年を迎え今が美しい盛りです。
青葉城恋歌の「あの情景」を見に是非いらっしゃってください。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
※ 文中「十柱」の「柱」の字は、本来「火へん」に「主」と書きますが、フォントが無いので、一番形の近い当て字にしました。
※ 文中の「焚く」も本当は、この字に「く」をおくるのが、香道では一般語です。
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