九月の組香

菊の花を比べる遊びから生まれた組香です。

菊と波と砂の「白」を遠くから眺めるような気持ちで聞きましょう。

 

説明

  1. 香木は2種用意します。

  2. 要素名は、「秋風」と「白菊」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「秋風」は4包作り、そのうち1包を試香として焚きます。

  5. 残った「秋風」3包に「白菊」3包(計6包)を加えて打ち交ぜ、そのうち2包を任意に引き去ります。

  6. 本香は4炉廻ります。

  7. 答えは、出た順に要素名で書きます。

  8. 全部正解したときのみ要素の出方によって下附が変化します。その他は、点数で記載します。

※ この組香では、記録を書く上でも証歌や正解の書き方に特徴があります。(後述)

 

今年の夏は後半が涼しかったせいか、秋の訪れはいつもより早めに来たようです。秋風の涼しさも一段と増し、虫の声も冴え、草木が深い色味を増す季節となりました。

川原を散歩していますと、この時期は露草犬蓼、白萩、赤水引矢筈芒山杜鵑草河原撫子などを見つけることが出来ます。秋の草花は色とりどりに咲き誇りますが、「どれか一つ」ということなくそれぞれに取り混ぜて野にあるように活ける方が似合う気がします。そのなかで、「ポン!と投げ入れ」ても自然に主役を張ることのできる役者は、やはり「菊」ではないでしょうか?

今月は、「菊合香」をご紹介いたしましょう。

「菊合」(きくあわせ)とは、人数を左右に分け、互いに菊の花を持ち寄って、花輪の美、作柄などを品評して優劣を争う催しのことで、いわゆる「物合せ」の一種です。菊は当時から人々に大切に栽培されていたようで、現在でもの「菊作り品評会」が盛んに行われて大輪の厚物や平物、小菊の懸崖作り等の出来映えを競っています。

さて、「菊合香」と言うとなんとなく、「色とりどりの菊の花が咲き誇って、組香の景色を飾る」というふうにイメージするのが一般的だと思います。しかし、この組香には「菊の花を比べている」ようなところは全くありません。では、どうして「菊合香」と命名されたのでしょうか?

その秘密は、証歌の出典に隠されていました。この歌は、古今和歌集に掲載されていますが、「寛平御時后宮(かんぴょうおんとききさいのみや)の歌合の歌」と書かれた大江千里の歌に続き、「同じ御時せられける菊合に、州浜(すはま)をつくりて菊の花植ゑたりけるに、くはへたりける歌 吹上の浜のかたに菊植ゑたりけるをよめる 菅原朝臣」と詞書(ことばがき)があり「秋風の・・・」と続きます。つまりこの歌は宮廷の菊合の時に詠ぜられたものだったのです。

「寛平の御時」とは、宇多・醍醐両天皇の在位期間にあたりますが、この歌が詠まれたのは「寛平御時后宮歌合」の開催されていた宇多天皇の時代、寛平1年〜5年(889〜893)頃でしょう。「寛平御時の菊合」は現存最古の史料として記録が残っている催事ですが、この歌は、「菊合」の際に「菊」のみではなく「歌」を付けて優劣を争う遊戯の中から生まれたもののようです。

「吹上の浜」とは、和歌山市紀ノ川口右岸の湊から左岸の雑賀(さいか)の西浜に至る一帯の地で歌枕ともなっています。おそらくは、宮廷の庭にこれを模した州浜を作らせ、そこに「波と見紛うばかりに白い菊」を植えたのだと思います。歌の中に詠まれた「白菊」は一旦抽象化されて、「花か?」「波か?」と問い直されます。この時の、白波、白砂、白菊の取り合わせが、晩秋を代表する「初霜香」「おきまどわせる・・・」と似た手法になっていることにお気づきのことと思います。

詠み手の「菅原朝臣」は、菅原道真(849-903)のことです。彼は、宇多天皇の「侍読」(じどく)を勤め、信任厚く出世します。この証歌と同じく古今和歌集に掲載され、百人一首でも有名な「このたびは幣もとりあえず手向山・・・」は醍醐天皇の時代、宇多天皇が上皇となってから、吉野宮滝の御幸にお供した際(898)に詠われたものです。その後、醍醐天皇の昌泰2年(899)に右大臣となりますが、藤原時平の謗りを受け、太宰権師(だざいごんのそち)として、大宰府(福岡県)に左遷されます。しかし、道真は辺境の地においても書をはじめ詩歌、学問に優れた才能を発揮し、没後「学問の神様」と祭られるようになります。合格祈願で名高い京都市上京区の「北野天満宮」は道真を祭ったお社ですし、福岡県の大宰府神社(天満宮)も道真を葬った安楽寺の跡に建立された社と言われています。

次に、この組香の要素は、「秋風」と「白菊」となっており、どらも証歌の上の句から採用された要素です。「白菊」はこの景色の主役ですので、客香として扱われて当然だと思いますが、道真は「あの浜に立つ白菊は、花か?違うか?寄せる波か?」と詠っており、ストレートに引用すれば「秋風」は、「白波」とか「波涛」とか言う名称にして、香の出に「波」と「花」のどちらが多いかで下附が決まるという構造になることが当然でしょう。

しかし、作者は敢えてその答えを「秋風」という中立的な立場の事物に決めさせることとし、州浜に咲く白菊は、「秋風の吹き様によっては、波にも花にもまたそのどちらにもなる」としたのです。この組香は、本香4炉、要素名2つの大変簡素な組香でありながら、「秋風」という1つの要素を用いて、3通りの展開を組みたてたということに作者の力量が伺えます。

下附は、基本的には点数で記載され、全部当った場合のみ正解の香の出によって変化します。4つのお香のうち「秋風」が「白菊」よりも多かった場合は、「風が強かったので、あれば『波』だった。」ということになり、「波」と記載します。反対に「白菊」が多ければ「風もないのに白波が立つ訳もない。やはりあれは『花』だった。」ということになり「花」と記載します。また、「秋風」と「白菊」が同数の場合は、「う〜ん。『花』も『波』どちらもあるのじゃないかな。」「兼」と記載します。

東北の三陸沿岸では、9月中旬になると「浜菊」という花が咲きます。マーガレットに似た一重の白菊ですが、海岸の切り立った岩場に一斉に咲きますと、本当に砕ける波しぶきと一体となって見えることがあります。そんなこともあって、私としては心象風景を結びやすい組香でした。

最後に、この組香は記録の書き方に特徴があります。通常の場合、証歌は連衆の答えを書き終わってからその左側に書くのですが、ここでは、連衆の答えの右に香の出(正解)と一括して書くこととなっています。また、香の出(正解)は証歌の「秋風」と「白菊」の文字の横に番号で何炉目に出たかを添え書きします。更に、香の出によって、先ほど説明した下附を付記して「白きもの」の正体を示します。

EX:香の出が「@秋風 A白菊 B白菊 C白菊」と出た場合

 

 

 

 

 

 

 

 

菊合香

 

名前

名前

 

 

秋風の

 

 

秋風

白菊

秋風

白菊

 

花かあらぬか

吹上に立てる

 

 

 

白菊

白菊

白菊

秋風

 

波のよするか

白菊は

 

香組

このように証歌と香の出の両方を兼ねて記録します。

菊のことを調べていましたら、「菊作りは、土作り」という言葉を何度も目にしました。菊の出来映えの60%は培養土の良し悪しによって決まるそうで、培養土の製法には油粕や腐葉土、時には秘法「魚の頭」などを混ぜ込んだ特有のレシピがあるそうです。(閑院左大臣秘法?)それに加えて施肥と水やりと日照の調整にも秘訣があるとか・・・寝食を忘れ、時には家族からも見放されて品評会に常勝する名人が育てた苗は、たいそうな値段で取引されるとも聞きました。

「菊合香」には、こう言った品評会的な要素はありませんので、物足りないと感じる方もいるかもしれません。そのような場合は、後座を設けて「自作の練香」などを持ち寄ったり「『菊』と銘のつく香木」を出し合って「菊尽くしの香合せ」などいかがでしょうか?しかし、「優雅」や「豪奢」に命を掛ける時代ではないので、優劣はつけない方が奥ゆかしいですね。「唐物くらべ」のような昔の「香くらべ」は、現代ではかえって人を遠ざけるような気がします。

 

菊作りをテーマにした「あつもの」という映画がありましたね。

64歳のジイサンと19歳のコムスメの生き様を描いたこの作品は

地味でしたが、妙に心に残りました。

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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