十二月の組香

いろいろな場所に初雪で雪山を作るという組香です。

雪山が時間的経過によって変化するところが特徴です。

 

説明

  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名は、「藤壺(ふじつぼ)、滝口(たきぐち)、御願寺(ごがんじ)、雪山(ゆきやま)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「藤壺、滝口、御願寺」はそれぞれ2包(計6包)作り、そのうち1包ずつを試香として焚き出します。

  5. 残った「藤壺、滝口、御願寺」の各1包(計3包)に「雪山」3包を加えて計6包を打ち交ぜます

  6. 本香は、全部で6炉焚き出します。

  7. 答えは、要素名を出た順序に6個書きますが、「雪山」だけは出た順に「初雪」→「深雪」→「淡雪」と書き換えて答えます。

  8. 下附は、点数で記します。ただし、初雪の当りは3点、深雪の当りは2点、淡雪の当りは1点、その他の要素の当りは1点と換算します。(9点満点です。)

 

今年も雪の季節がやって参りました。

昨年の冬、東北は未曾有の大雪に見舞われました。青森では、歩道に踏み固められた雪が自動車の屋根の高さを越えましたし、公園や空き地は、排雪された雪のピラミッドができ、そのどれもが家屋の屋根を越える高さとなりました。仙台でも積雪は50cmを越え、庭先の「雪かき」などをしている私にとっても「排雪しないと除雪が出来ないという事態は生まれて初めての経験でした。お陰様で北側の空き地には大きな雪の山が出来て、子供達は「かまくら」を作ったり「滑り台」を作ったりで大はしゃぎ・・・1週間ほど雪遊びができたものですから、「今年も大雪にならないかなぁ。」などと申しております。

中世の都、京都の気候がどんなものであったかはよく知りませんが、雪は貴重な風物であったようです。今月は、「初雪香」をご紹介いたしましょう。

さて、この組香には、テーマを推察するための証歌がありません。「初雪香」というくらいですから、雪の景色を表す組香のはずです。確かに聞きの名目も「雪」に関連していますし、下附もそのように見えます。しかし、普通ならばテーマを探る第2の手がかりであるはずの要素名が「藤壺」「滝口」「御願寺」「雪山」となっています。これらにはいったいどのような関連性があるのでしょうか?とりあえず、インスピレーションで思いつくところを書き記してみましょう。

「藤壺(ふじつぼ)・・・と言えば、私のみならず「源氏物語の藤壺」を思い出されるかと思います。光源氏の義母であり生涯伏したる不倫の相手です。また、一般的には平安京内裏五舎の一で、后、女御、更衣が清涼殿内にたまわる局(部屋)の一つのことです。別名「飛香舎(ひごうしゃ)」とも言い、母屋(もや)の北端、萩の戸の西に位置していました。「つぼ」は中庭のことで、そこに藤が植えてあるところから「ふじつぼ」と呼ばれ、そこに住まう女性も「藤壺(の御局)」と言われていました。因みに内裏には、「梨壺」「桐壺」「梅壺」「雷鳴壺(かんなりつぼ)」もありました。

「滝口(たきぐち)・・・と言えば、私は、高山樗牛の「滝口入道」を思い出しました。「滝口入道」は、滝口の武士斎藤時頼が建礼門院の雑仕横笛に恋して、父の怒りをかい、嵯峨往生院に入って剃髪した後に高野山に入り、高僧となるという「平家物語」に基づく物語です。また、一般的には、清涼殿の東北方にある御溝水(みかわみず)の落ちる所を示しており、ここに内裏警護の武士の詰所がありました。

「御願寺(ごがんじ)・・・とは、天皇、皇太子など高貴な人の願によって建立された寺のことです。平家物語にも源氏物語にも記述がありますが数も多く物語上では、それほど大きな要素としては取り上げられていません。

ここまで説明を加えても、それぞれの時間的、空間的なギャップが大き過ぎて、全く脈絡がとれません。浅学の私では、すべての要素を包含する物語を古典の中から探し出すことはできませんでした。

ただし、最後の要素である「雪山」については、とても珍しい風物であるために「枕草子」の一段を思い出しました。

「さて、師走の十余日のほどに雪いみじうふりたるを・・・」で始まるこの段には、初雪が降って、正月あたりまで残そうと考えた中宮の命令で女官をはじめ宮司、主殿司などが総出で庭に雪山を作り、「いつまで消えないで残るか」について言い合ったりしている様子が書かれています。「この雪山はどのぐらい残っているものだろう?」との中宮の問いに「正月の十余日までは消えませんでしょう。」と清少納言が口を滑らせてしまい、皆が「それはあまりに長過ぎる。」と言うものですから、つい意地になって「賭け」などをしてしまいます。その後、雨が降ったり、雪が降ったりするのに一喜一憂しながら正月を過ぎ、不寝番まで付けて雪山を守り、いよいよ満貫の十五日の前夜というときに雪が消えてしまいます。清少納言は「誰かがこっそり捨ててしまったのです」と歌を詠んで献上しようとしますが、実は中宮がこっそり、残った雪を捨てるよう命じて、賭けに負けた清少納言がどのような応答をするか試して喜んでいたのでした。

私自身は、「雪山」にまつわる他の物語を知りませんので、おそらく作者はこのような風習をテーマに香を組んだのではないかと思っています。特に式部丞忠隆という人がこの雪山を見て「今日は雪山を作らせていないところはありませんよ。このような雪山は、東宮でも弘徽殿でも京極殿でも作られていますよ。」という下りが印象にあり、初雪が降るといろいろなところで、雪山が作られるのが慣習であったのだろうと想像しました。

そのようなわけで、「藤壺」「滝口」「御願寺」についても、ある物語中の特定の人物や事物を現すのではなく、「東宮」「弘徽殿」「京極殿」と同じように「単なる場所」として使われ、その場所が「藤壺」は「宮人の世界」を、「滝口」は「武人の世界」をそして「御願寺」は「僧侶の世界」を象徴しており、「山も野原も綿帽子かぶり♪」のように貴賎の隔てなく、いろいろな場所に初雪が降り雪山が出来て行く様子を表しているのではないかと思います。(ただし、この解釈については、異論もあることと思われます。「藤壺」「滝口」「御願寺」「雪山」が一場面に網羅されているような出典をご存知の方は、是非ともご連絡賜れればと思います。)

次に香の数についてですが、これは雪のことを「六華(りっか)」というのに因んで「6」としていると思われます。宮人、武人、僧侶の世界を織り交ぜて、それぞれに初雪を降らせ「雪山」を作らせるという趣向です。身分制度からすると「地下人の世界」も重要で「里」などと言う要素もも付け加えたいところですが、それでは総数が「8」となってしまいますし、当時の地下人が雪山を作る風習を持っていたかは定かではありませんので、省略も已む無しといたしましょう。

更に聞きの名目では、それぞれの「雪山」が「初雪(1番目の雪山)」「深雪(2番目の雪山)」」「淡雪(3番目の雪山)」」という名に変わります。単に初雪の景色を愛でる「初雪香」であれば、初雪で「雪山」を作ればそれで事足りるのですが、作者はさらにその景色に時間的経過を加えています。「初雪」で作った雪山に、また雪が降り積もって「深雪」となり、今度は雨が降って解けかかり「淡雪」となって春を迎えるという連綿を作って、雪山の変遷を思い起こさせ組香の景色を広げています。これは、「蕾が花と咲いて散る」といった和歌的な美意識を醸し出しており、「初雪」だからと言って、初冬のみのイメージではなく、実は冬という季節の「生まれ・盛り・衰え」を表現していると思われます。

最後に下附では、「初雪(3点)」「深雪(2点)」「淡雪(1点)」のように点数に格差を設けています。これは、雪に対する人々の思い入れを素直に表していると思います。やはり初雪は印象が鮮烈ですし、人々に与える感銘も深いものがあります。次に深雪は冬の盛りですから、ある一面主役とも言えます。最後に淡雪は冬の終わりで少し物寂しい感じもあり、春待つ淡い期待感ともなるでしょう。

本によっては、この組香を複雑化するだめに「雪山3包を別香で組み、6種6香で遊ぶ」という趣向も提案されていますが、私としては賛成できかねます。枕草子の中で、元旦に初雪の山に新雪が降って清小納言が「また降り積もるわ!」と喜んでいると、中宮が「掻き捨てよ!」と言って払い退けさせたように、雪山は飽くまでも「初雪の保存」でなければなりません。私としては「雪山」には同香を用い、時間的経過の中で薄れ消えていく「もののあはれ」のようなものを感じとってもらいたいと思います。

※ 2016.12 薬師寺「汲霞会」から要素名の出典は一条兼良の「公事根源」の“初雪見参”との情報提供あり。=京大附属図書館蔵平松文庫「公事根源(十月)参照=

 

「雪」の銘のついた香木には清しい香りのものが多いように思います。

部屋を暖かくして食べるアイスクリームの美味しさを味わってください。

今年もホワイトクリスマスになりますように。

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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