四月の組香

香筵に居ながらにして潮干狩り気分を味わう組香です。

聞き当てた貝は自分の手篭に入れて漁を競うという趣向です。

 

 ※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は、5種用意します。

  2. 要素名は、「姫貝(ひめがい)」「簾貝(すだれがい)」「帆立貝 (ほたてがい)」「忘貝(わすれがい)」「花貝(はながい)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「姫貝」「簾貝」「帆立貝」「忘貝」それぞれ2包ずつと「花貝」を1包作ります 。(計9包)

  5. そのうち「姫貝」「簾貝」「帆立貝」「忘貝」をそれぞれ1包を試香として焚き出します。

  6. 残った「姫貝」「簾貝」「帆立貝」「忘貝」それぞれ1包ずつと「花貝」を1包打ち交ぜて焚き出します。 (計5包)

  7. 本香は、「一柱開」(いっちゅうびらき)として5炉回ります。

  8. 下附は、全部当たると「家づと」、三つ当たると「磯遊び」、全部外れると「満汐」となり、その他 は点数で表します。

【一柱開の聞き方】

※ 潮干香は、この「一柱開」の遊び方に特徴があります。(後述)

 

今年の桜は早かったですね。

 花見が終わると、なんとなく近場でのお祭り騒ぎは終わりという感じ・・・ちょっと遠出もしたくなります。晴れた日には都会の喧騒を離れて、まだ訪れる人の少ない長閑な春の海を見たくなるものです。当地でも3月中旬から、海岸や離島での「潮干狩り」が始まりますが、本格的なシーズンは5月以降になるでしょう。私も昔は、花見に合わせて、まず海に潮干狩りに行き、その獲物を肴にして山で花見酒を飲む・・・なんて乙なこともしたものです。しかし、4月の潮干狩りは滅法寒く、吹きっさらしの中で長靴を履いて、鼻をすすりながらの「無言の行」のようなものだったという印象が残っています。もう、無理はやめて香筵で潮騒を聞くことにしましょう。

 今月は、畳の上でも潮干狩りが楽しめる「潮干香」をご紹介しましょう。

 まず、この組香には証歌がなく、あらかじめ念頭に置くべき「組香の舞台」というものは特定されていないことになっています。そこで、いつもの私ならば「要素名から『海』『渚』といった連想をもとに自分なりの風景を思い浮かべでお遊びください。」と言うところですが、今回ばかりは違います。その理由は、この組香が香筵そのものを舞台として「香筵を渚に見立てて潮干狩りをする」ことを意図して作られていると観るからです。

 「潮干香」は、一種の「盤物」(ばんもの:専用のゲーム盤を使用する組香)であり、精神性よりはゲーム性が強い組香であろうと思います。凡そ「盤物」というものは、小さな盤面の中に実相感入して遊ぶものですが、盤上の小さな人形や小道具等を動かすのは、「盤者」と呼ばれる専任者がいて、連衆が直接動かすことはできません。そのため、何となく組香そのものの景色に包込まれるような感じまでには至らない方が多いようです。しかし、「潮干香」の場合は、扱う道具が香札のように連衆に手渡され、当った場合、今度は「獲物」として戻ってきますので、それぞれが渚に出て貝を見つけて拾い、お互いの漁獲を目で確かめながら競うことができるようになっています。ですから、今回ばかりは思いっきり、海に足を突っ込んだつもりで、潮干狩りに没頭していただきたいと思います。

 それでは「今回の獲物」をご紹介いたしましょう。

 貝類は地方名(俗名)も多いばかりか、ここに取り上げられている要素名が創作当時の「古称」である可能性も高いので、固体を特定するのは困難かもしれません。しかし、肝心の貝のイメージがはっきりしないまま潮干狩りを始めるわけにもいきませんので、私なりに国語大辞典と貝の図鑑、貝にまつわる文化史等を参考書に、それらしいものを上げて説明を加えてみました。

姫貝

(ひめがい)

イガイ科の二枚貝。「いがい(貽貝)」の異名

ほぼ日本全国に分布する最も地方名が多い貝です。形は、三角形または長卵形で、岩礁に足糸という細い糸をだして付着して生息しています。長さ約13センチメートル、外面は黒褐色、内面は真珠色をしています。

「貽」とは「赤いもの」の意味で、その赤い肉は春に甘味をまして美味しくなります。「貽貝」が「姫貝」と呼ばれるようになったのは、古来中国から渡ってきた当時の「(い)」の字が「姫」と言う字と似ていたので、いつのまにか日本の字にすり替わったものだと言われています。

簾貝

(すだれがい)

マルスダレガイ科の二枚貝

殻は長卵形で、長さ約9センチメートル。表面にすだれ状の太い輪脈があることから「スダレガイ」と呼ばれています。また、淡褐色の地に栗色をした四条の放射帯があるもの特徴です。内面は白色、足は朱赤色で食用とされています。

帆立貝

(ほたてがい)

イタヤガイ科の二枚貝

ご存知の「ホタテガイ」です。石ころの多い海底に生息し、青森県陸奥湾をはじめ養殖も盛んです。中には殻長約20センチメートルになるものもあり多くは貝柱を食用としています。殻は、ほぼ開扇状で、海面に面した左殻は紫褐色で平たく、海底に面した右殻は黄白色です。右殻を「船」に左殻を「帆」として、海上を走るという俗説からこの名が付けられたと言われています。

忘貝

(わすれがい)

マルスダレガイ科の二枚貝

浅海の砂底に棲む殻長約7センチメートルの貝です。殻は扁平でやや丸く、厚くて堅いのが特徴です。色は変化に富んでいますが表面は淡紫色の地に美しい紫色の放射彩や輪脈模様のあるものが多いようです。食用については、「肉は硬くてまずいため一般には食用とせず、殻が細工物に利用される」「食べられるので土産物として売られている」と諸説ありました。忘貝は、恋にまつわる歌材として、萬葉集に10首も詠まれています。これは、「二枚貝の離れた一片の殻」という意味から「拾えば恋しい思いを忘れることができる」と考えられていたからのようです。

花貝

(はながい)

 

【桜貝】ニッコウガイ科の二枚貝

干潟や浅い海に棲む長さ2〜3センチメートルの貝です。殻は薄く、扁平な楕円形で、表面に輪脈があります。殻の内外とも桜色で光沢があって美しいため貝殻細工に利用されています。古くからよく知られ、歌などにも詠まれています。古名が「はながい(花貝)」で あることから、要素名となっているのはこちらの貝だと思います。

【花貝】マルスダレガイ科の二枚貝

浅い海に棲む長さ約2センチメートルの円形に近い殻を持つ貝です。表面は灰白色や淡黄色で、約十条の輪状の隆起が特徴です。現代の海洋生物分類上の「花貝」はこちらの貝です。

 さて、小記録をご覧になって既にピンと来た方もいらっしゃると思いますが、この組香の構造式は「紅葉香」に酷似しています。「紅葉香」の要素名は「秋に紅葉する木々」だったのに対して、「潮干香」の要素名は全て「海辺の二枚貝」です。また、各要素のうち「姫貝、簾貝、帆立貝、忘貝」を試み香として焚き出し、これらの特徴を良く知り、それぞれ色や形といったものをイメージすることが大切な点も紅葉香の同様です。更に「紅葉香」では秋の紅葉の主役として「楓」が客香となっていましたが、「潮干香」では「花貝」が客香となっています。これは、やはり「花貝(桜貝)」が海辺の花だからでしょう。波打ち際で貝殻を拾い集める少女たちもピンク色の「花貝」を見つけると、まるで宝物を見つけたように喜ぶものです。やはり、秋の「楓」と同じように特別なものとして扱うべきなのでしょう。ここまでは構造式も各要素の関係式も「紅葉香」とまったく同じ扱いです。

 次に、獲物と獲り方がわかったところで、そろそろ渚に出て潮干狩りをしていただきましょう。ここから先は、「潮干香」独自の世界に入ります。

 この組香の遊び方は次ぎのとおりです。

 どうでしょう?「当った香の数だけ自分の手篭に貝が入ってくる」という趣向は、なかなか臨場感のあるものだと思いませんか?

 更に、下附で全部当った場合は、潮干狩りで獲れた貝をどっさりと持ち帰れるということで「家づと」(「お土産」のこと)と記します。三つ当てますと漁獲高としては物足りず、磯遊びのついでに獲った程度ということで「磯遊び」と記します。全部外れて、全く貝が取れなかったときは潮間(しおま)が悪かったということで「満潮」と記します。本当の潮干狩りも干潮時刻をあらかじめ知ることが肝心ですね。

 このように、構造的には取るに足らない香遊びを比較的手軽に用意できる「手篭」「貝」「潟板」を用いただけで、漁獲の喜びを実感できるように工夫した組香は他に例を見ません。香席を終えてからの話も弾みそうな楽しい組香だと思います。この道具についても、他の盤物のように「職人が精魂込めて作り上げた精緻を極めたもの」である必要はないので、手持ちの素材で手作りして、是非お気軽に楽しんでいただきたいと思います、

 最後に、蛇足ながら道具の調達方法について書き添えておきます。まず、「手篭」は身近にあるお菓子等の小籠を集めておけばいいでしょう。次ぎに「潟板」は花器の敷板にするようなもので、杉や欅の木目を引潮が砂に残した波紋に見立てるのも良し、渚を思わせる金散しや澪標の蒔絵などが入っていれば尚結構です。ただし、「貝」だけはちょっと手間がかかります。@材料の蛤は中程度の大きさをお奨めします。(貝合せのように大きいと収納に困ります。)この頃は中国産の蛤も出回っていますが、日本のもののほうが、貝殻自体も放射帯の縞模様も綺麗です。(三重県桑名産のものがやはり良いらしいです。)Aこれを半年ほど真水に浸して塩抜きし、塩分と外套膜や靭帯等が完全に除去されたものを乾燥させます。B表の絵付け(花柄等)は顔料に膠を交ぜて行い、裏は漆を拭いたところに金箔か金粉を蒔いて定着させ、金地が出来あがったところで「姫貝」等の文字を朱色で書き入れます。C必要に応じて貝の表裏に上塗りを施します。1要素につき2枚一組として使いますので、左貝・右貝とも同じものを2枚作ります。

 以上、私流の作り方でした。

 潮干香は秘蔵七組に属する珍しい組香なので、道具はどこを探しても販売されていないと思います。「無いものは作る!」これは現代香人の条理です。是非チャレンジしてみてください。

 

アサリやハマグリといった縄文時代から馴染みのある貝

これが中古の歌に詠まれなかったのは何故でしょうか?

それは・・・

二枚貝の貝殻が一括りに「忘貝」と詠まれていたからではないかと思います。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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