七月の組香

星合の空に行き交う牽牛・織姫の姿が目に浮かぶ組香です。

二人の情景がそれぞれにイメージできるところが特徴です。

 

説明

  1. 香木は、7種用意します。

  2. 要素名は、「銀河 (ぎんが)」「鵲橋(かささぎのはし)」「初秋(しょしゅう)」「積思(つもるおもい)」「逢夜(おうや)」と「牽牛(けんぎゅう)」「織女(しょくじょ)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「銀河」「鵲橋」「初秋」「積思」「逢夜」は、それぞれ2包(計10包)作り、そのうち1包ずつを試香として焚き出します。 (計5包)

  5. 「牽牛」「織女」は1包ずつ作り、別々に分けておきます。これらには、試香がありません。

  6. ここで、「銀河」「鵲橋」「初秋」「積思」「逢夜」各1包を打ち交ぜ、任意に2包引き去り、残った3包に「牽牛」1包を加えて更に打ち交ぜます。 (5−2+1=4包)

  7. 本香A段は、4炉廻ります。

  8. 次ぎに、引き去られた2包に「織女」1包を加えて打ち交ぜます。 (2+1=3包)

  9. 本香B段は、3炉廻ります。

  10. 答えは、要素名を出た順序に7個書き記します。

  11. 下附は、「牽牛」「織女」の当たりはずれによって、詩歌を書き附します。更に「逢夜」の当り外れによって、その下に「星合 (ほしあい)」や「雨夜(あまよ)」を書き加えます。

 

 今年の梅雨は、前半に夏日のような天気が続いて「このまま梅雨が来ないで終わるのだろうか」などと思っておりましたら、最近は立派に梅雨前線が停滞するようになりました。東北の梅雨明けは例年今月の中旬以降ですので、「仙台七夕祭り」は旧暦を踏襲して8月に行われます。日本中には、平塚をはじめ7月開催の七夕祭りもたくさんありますから、雲行きも気になるところでしょう。そうして見ると牽牛と織女は、新暦と旧暦の7月7日に年2回、場所を変えて逢っていることになりますね。今月も昨年に引き続き七夕の故事に因んだ組香「七夕香」(別組)をご紹介いたしましょう。

 「七夕」は、陰暦7月7日に「牽牛」(けんぎゅう)星と「織女」(しょくじょ)星を祭る行事で、この夜、天の川の両岸に現れる牽牛星と織女星が、鵲(かささぎ)の翼を橋とし、織女が橋を渡って相逢うという伝説から来ています。日本における『七夕伝説』とは、雑駁に述べますと「天帝の孫である織女は機織をするのが仕事ですが、身だしなみも気にせず仕事ばかりしているのを心配した天帝は、娘を天の川の向かいに住んでいる牛飼いの牽牛と引き合わせました。すると二人は恋に夢中になってしまい、仕事をしなくなったので天帝は怒り、二人を両岸に引き離してしまいました。毎日泣き暮らす二人を哀れに思った天帝は1年に1度7月7日にだけ逢うことを許しました。また、この日に雨が降ると天の川が増水して渡ることができないので、鵲が二人の橋渡しをするということです。」というものですが、この物語のピッタリ符合する原典は見つかっていません。古代中国の『詩経』に始めて「織女」「牽牛」という「星の名前」が現れて以来、数々の書物に「牽牛は牛飼い」「織女は天帝の孫」、「二人は天の川の両岸に隔てられて話をすることができない」、「牽牛と織女は夫婦」、「1年に1度7月7日に逢う」「この日織女が東に向かう」「鵲が橋の役割をして二人の手助けをする」等の断片的な記述が散見され、それらが長い歴史の中で民間伝承を交えながら統合し、次第に成立して行ったようです。

 一方、行事としての「七夕」は、7月7日の夜に織姫星を眺め、祭壇に針などを供えて技芸の上達を願うために行われていた古代中国の宮廷行事「乞巧奠」(きっこうでん)を源流にしています。その後、乞巧奠は日本に渡り、宮中の節会(せちえ)として行われるようになり、これが民間に下って7月7日に棚機津女(たなばたつめ)という巫女が水辺で神の降臨を待つという民間信仰の行事「棚機津女」と結びつき、次第に庭前の葉竹に五色の短冊などを飾りつけ、供え物をし、子女が裁縫や書道など技芸の上達を願う祭として庶民に広まったものとされています。

 さて、この組香は、以前このコラムでご紹介した「星合香」や「七夕香」に比べて、心理的な要素が加わり、ストーリー展開も巧妙で、最も文学的に評価できる組香だと思います

 まず、要素名は「銀河、鵲橋、初秋、積思、逢夜」となっており、1つ1つが七夕のイメージやストーリーに直結しています。組香上の役割もわかり易いので、この要素が順不同に並んだだけでも容易に「七夕」を連想できると思います。ここで、要素名について若干の説明を加えますが、旧暦の7月7日は、もう「初秋」ですので、要素名に秋の季語が多いことにも注意してください。「七夕香」は「秋の組香」です。

 これに主役である「牽牛」「織女」が加わって、7つの要素となっています。7つの要素が七夕の「七」になぞらえであるということは、「星合香」等と同様だと思います。その中から「牽牛」と「織女」、そして「逢夜」という、(ある意味なまめかしい)要素を聞き当てて、「行合の空」の景色を楽しむ趣向となっています。

 次に、この組香の構造的特徴は、「2つの客香」と「段組」を用いていることです。前回の「七夕香」でも「牽牛」と「織女」の2つの客香を用いていましたが、全部打ち交ぜ手焚くので、どちらか先に出た方を「牽牛」とし、後から出たものを「織女」と、一種の聞きの名目にような答え方をさせていたために、香組者の意図がぼやけてしまう可能性もありました。その点、今回の組香では段組によって第1場を「牽牛」、第2場を「織女」に分け、2つの客香をそれぞれ主役として立てることで、「牽牛」「織女」の個性が香気によって表現できることとなります。

 段組は、組香の景色に大きな場面転換を表す意味で用いられますが、おそらくこの組香は、「牽牛側」と「織女側」の2つのストーリーをあらかじめ並立させて連衆に景色を結んでもらい、香炉が廻り終わった後、香記の中でその2つのストーリーを融合して全体の景色を改めて見せるという構成をとったのではないかと思います。要素名をランダムに組み合わせてストーリーを作り上げる場合、「銀河、鵲橋」は風景的要素であり、「初秋」「逢夜」は時間的要素ですから、基本的にはどちら側の景色であっても構わないものですが、「積思」は心理的要素なのでどちらに行くかによっては、恋愛の力関係も変わってくると思います。また、「逢夜」は単に「七夕の夜」と解釈すれば、時間的要素としてニュートラルな意味合いとなりますが、「二人の逢瀬の成就」を表す要素と考えれば、この組香の成就をも左右する重要な要素と言えると思います。

 香の出をイメージし易いように例示すると、A段「初秋」「銀河」「牽牛」「積思」、B段「逢夜」「鵲橋」「織女」が最も美しい組み合わせではないかと思います。巨視的な時間と風景を牽牛側に配し、微視的な要素を織女側に配し、「何時、何処で、誰が、何を」と序列するとこのようになります。皆さんはこの配列でどのような物語を想像されるでしょうか?このほかにも組み合わせによって、いろいろな背景や物語をイメージすることができるところが、この組香の評価すべきところです。

 全体の香数を7炉としたことに異論はありませんが、A段(牽牛側)を4炉、B段(織女側)を3炉とした意味は何かあるのでしょうか?これについては、伝説の中から納得のいく理由や法則は得られませんでした。(・・・タダの男尊女卑的な配分でしょうか?)

 更に、この組香の第2の特徴は、下附の多彩さにあります。この組香には証歌がありませんが、詩歌や熟語の下附が2段に渡って付され、組香の文学的支柱となるテーマや情景描写を厚く支えています。

 @「牽牛」が当った場合は、「天の川・・・」の歌を書き記します。この歌は、古く萬葉集に歌われた歌です。萬葉集では作者不詳となっており、「天河遠度者 無友 公之舟出者 年尓社候」(あまのがわ とほきわたりは なけれども きみがふなでは としにこそまて)と書いてあります。意訳すると「天の川はそれほど遠い舟渡しではないのですけれど、貴女の船出は、もう1年程もお待ちしていますよ。」ということだと思います。これは、柿本人麻呂の作で、後の歌集にもたくさん掲載されている有名な歌です。「和漢朗詠集」でいうところの「人丸(人麻呂)」も自分を「牽牛」に見立てるほど、恋に身をやつし女性の来るのを待ったことがあったのでしょうか?

 冒頭の小記録を見て気が付いた方もいらっしゃるでしょうが、萬葉集では上の句の最後は「なけれども」となっていますが、「和漢朗詠集」は「あらねども」となっていました。

・「あらねども」(和漢朗詠集、井蛙抄、源氏物語古注釈書引用和歌、古今和歌集六帖)

・「なけれども」(萬葉集、人丸集、麗花集)

 私は、下附に使われている詩歌が全て「和漢朗詠集」の「秋 七夕」に掲載されていることから、作者は和漢朗詠集からこの歌を引用しているのであろうと考え「あらねども」を採用しました。また、本来の意味が通じるように、一部の香書に引用されていた「兩手」を「舟出」に「としにこすまで」を「としにこそまて」と「和漢朗詠集」の記述に則って、書き改めました。

 A「織女」が当った場合は、菅三品(かんさんぼん:菅原文時)の詩が書き記されます。下附に引用のあるのは、去衣曳浪霞應濕(きよいなみにひいてかすみうるうべし)だけですが、その後に行燭侵流月欲消(かうしょくながれにひたしてつききえなむとす)と続いています。意訳すれば「(織女が天の川を渡るとき)霞の衣は浪に曳きずってしっとりと濡れ、道を照らす月の灯火は流れに浸されて消えようとしている。」というところでしょう。何故この詩の主語が「織女」なのかということは、七夕伝説「織女が東へ向かう」から推察しています。

 B牽牛と織女がいずれも当った場合は、「ひと年に・・・」の歌を書き記します。これは、紀貫之(きのつらゆき)の歌で拾遺集「右衛門督源清蔭家の屏風に」と詞書がありにも掲載されています。意味は「二人が逢うのは、たった一晩だけだが、その秋は限りなく繰り返される。儚い契りのようだがかえって頼もしいことだ。」ということです。また、一部香書に「ひとよとおもへ」と記述のあるものもありましたが、「拾遺集」をはじめ全ての原典で「おもへど」となっており、この「ど」が大変重要な意味を持ちますので、「和漢朗詠集」の記述にに則って、書き改めました。

 最後に、先程重要な要素だと説明した「逢夜」が当った場合は「星合」となり、逢瀬は成就し我々も星合の空を楽しむことができます。外れた場合は「雨夜」となり、二人は逢えなかったことになります。または、二人は鵲の手助けで増水した川を渡り、逢瀬は遂げているだろうものの我々には見えないことを表します。

 今回は、段組がありますので、香組は、「これは牽牛だから渋くて辛い伽羅」「これは織女だから華やかで甘い伽羅」などと個性をイメージして香木を出すことができます。どうぞ皆さんなりの「牽牛」「織女」を七夕の夜に登場させてみてください。

 

※ 実際の織姫星は、こと座の0等星「べガ」で、牽牛星は、わし座の1等星「アルタイル」です。お互いの距離は約16光年もあり、絶対速度(光速)レベルの物理学では、1年に1度は逢うことはできない勘定になりますね。(^^ゞ

 

1年に1度でも千秋萬歳に渡って、お互いを思い続け

めぐり合える関係というのはうらやましいものです。

天帝も粋な罰を二人に下されたものだと感心します。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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