九月の組香
源氏物語の「鈴虫」の帖をモチーフにした組香です。
構造全体に表れる登場人物の相関と背景を意識して聞きましょう。
説明 |
香木は5種用意します。
要素名は、「月」「琴」「松虫」「ウ」と「鈴虫」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「月」は2包、「琴」と「松虫」は3包ずつ作り、そのうち1包を試香として焚き 出します。
また、残った「松虫」2包のうち1包は引き去って保管して置きます。
試香が焚き終わった時点で残っている「月」1包、「琴」2包、「松虫」1包に「ウ」1包を加えて計5包を打ち交ぜて、任意に1包引き去ります。(引き去った1包は、総包みに戻します。)さらに手元に残った4包を2包ずつ2組に分けて置きます。(A,B)
「鈴虫」3包に先ほど保管しておいた「松虫」1包を加えて打ち交ぜ、4包2包ずつ2組に分けます。(C,D)
「6.」で作った2組のうち1組を「7.」で作った2組のうちの1組と入れ替えます。(A,C)(B,D)
「8.」で出来た2包×2(A,C)を打ち交ぜてA段を焚き出します。 (計4包)
「8.」で出来た2包×2(B,D)を打ち交ぜてB段を焚き出します。 (計4包)
本香は、A段、B段それぞれ4炉廻ります。(計8炉)
答えは、出た順に聞の名目で書きます。
下附は、全部正解したときは「皆」、その他は点数で記載します。
A段、B段のどちらに「鈴虫」が多いかによって香記に書き記す歌が変化します。
立秋を過ぎて、ひところの猛暑が嘘のように涼しくなりました。この頃は、夜風もそれほど冷たくはないので、次第に冴えていく秋の月を見上げることが多くなります。そのようなときは、決まって草叢の虫たちがBGMを奏でています。彼らにとっては、妻恋の調べなのでしょうが、私にはそんなふうには聞こえません。雪がしんしんと降るときの
「シンシン・・・」を想い出して、とても心が落着きます。思えば、初夏には鳥の声がして、それが夏の盛りから虫の音に変わりますが、秋になるにつれて虫の音の周波数成分が全体的に高くなるような気がします。これは、微妙に鳴く虫の種類が変わっているからなのだと思います。昔、鄙のあばら家で緑の絨毯に草の香りをつけて寝ていたことがあります。するとある日突然ベッドの下でコオロギが鳴き始めて・・・不眠の日々が続きました。秋の虫は、やはり少し離れた庭先から「リーン リ〜ン」とか「チンチロリン」とか聞こえて来るのが良いですね。今月は、
「鈴虫香」をご紹介いたしましょう。この組香は、源氏物語の38帖
「鈴虫」に描かれた物語をモチーフにしています。なかでも、8月15日に源氏と女三宮の間で唱和される2つの歌が組香に用いられており、「秋頃、西の渡殿の前栽に虫を放つ→8月15夜、源氏秋の虫について女三宮と話す→六条院で鈴虫の宴が開催される」あたりが最も中心的な舞台となっているものと思われます。まず、この組香には
2つの歌が用いられています。「おほかたの・・・」の歌は、女三宮が「秋という季節は大抵辛いものとは分かっておりますがやはり鈴虫の声だけは飽きずに聴き続けていたいものです」というものです。これに対して、源氏が思いがけないお言葉だと「心もて・・・」の歌で「ご自分からこの家をお捨てになったのですがやはりそのお声は鈴虫と同じように今も変わりません」と返しています。女三宮と源氏の関係式は、鈴虫の帖を彩る大きな要素であることは間違いありません。しかし、これらは厳密な意味での「証歌」ではないと思われます。2つの歌は、テーマが源氏物語の「鈴虫」の帖にある事を端的に示してはいますが、組香の景色は、より複雑で源氏と女三宮の関係のみで成り立っているわけではありません。組香のテーマは、鈴虫の帖からイメージされる登場人物の人間関係や背景であり、2つの歌は、どちらかといえば「できあがった組香の景色を彩る演出の一部」ではないかと思われます。次に、この組香は
「要素名」と「聞の名目」を同じ物語から取り入れているので、解釈を同時にしなければならないと思います。要素名は、どちらかというと物理的景色の形成に利用され、聞の名目は、登場人物の相関等、心情的景色を表すことに利用されていると思います。そのため、ともすると組香の結ぶ景色が2層に分離してしまう可能性がありますが、「試香までは要素名により組香の舞台を形成し、本香からは聞の名目で役者を登場させ、相関図や背景描写によって物語を形作る。」と考える景色が二重写りするのを防ぐことができます。ここでは、要素名と登場人物の結びつきを解明して置きたいと思います。「月」は秋の月
です。景色としての月は、秋の物語ですから必須のものと思います。月は、8月15日「源氏が月が出てとても明るくなったのを見てしみじみと心を打たれる」という記述をはじめ、この帖の随所に登場します。聞の名目で「月・・・柏木」としているのは、「虫の宴」で合奏をしている際に、源氏らが月を見て、亡き大納言(柏木)を思い出す。という記述があったからでと思います。「横笛」の帖にもあるとおり、柏木は楽器(特に横笛)の名手でしたから、こういった管弦の場では、無くてはならない人だったのでしょう。皆が、月を見て柏木を思い出し、「ものの華やかさが失せたような寂しい気がする」と恋しがったようです。「琴」は、源氏が好きな琴
です。一般にこの時代の「琴」は、「琴の琴(きんのこと)」「筝の琴(そうのこと)」「和琴(わきん)」と三種が用いられていますが、この場合「和琴」であろうと言われています。8月15日にも源氏は女三宮の傍らで月を見ながらしみじみしと琴を弾いていますし、虫の宴では参列者達と琴を爪弾いて合奏をしています。聞の名目の「琴・・・源氏」はこの記述からくるものと思われます。「松虫」と「鈴虫」は、庭に放たれた虫
です。景色としての「虫」は、この物語の主役です。この段の冒頭に源氏が「秋頃、(六条院:女三宮の居所の近く)西の渡殿の前、中の塀の東側辺り一帯を野原のように造園し、虫を放った」とあります。これは、源氏が女三宮の出家姿にかえって気持ちが引かれることもあり、虫の音を聴くふりをして女三宮宅に訪れるための口実だったと思われます。8月15日に二人が歌を交す前に、源氏は「秋の虫の声は、どれも素晴らしい中で、秋好中宮が、『松虫が特に優れている』と言って、遠い野原から、特別に探して来ては放たれているが、宮中ではっきり鳴いているものは少ないようだ。名前とは違って、寿命の短い虫のようだし、誰も聞かない山奥や遠い野原の松原だと声を惜しまず鳴いているというように、分け隔てをする虫のようだ。その点、鈴虫は、今風に親しみやすく賑やかに鳴くのがなんともかわいらしい。」と虫の論を述べ、暗に松虫を可愛がる秋好中宮よりも、鈴虫を可愛がる女三宮の方が好きだとアプローチしています。その後、源氏は女三宮を鈴虫にみたて「なお鈴虫の声ぞふりせぬ」と歌を送ります。聞の名目の「鈴虫・・・女三宮」「松虫・・・秋好中宮」については、源氏がそれぞれの女性をどのように比喩していたかによるものと思われます。「ウ」は、何故要素名として、そのまま使用されることになったのか解りません。
もしかすると、もともとは古来の組香の構造(「一」「二」「三」「ウ」「客」)に則って、香を組んで遊んでいましたが、後世それに「要素名を当てはめて情趣性を増そう」と試みたところ、「どうしても要素名とすべき景色と人物が思いつかず」、「4番目の試香の無い香として『ウ』だけが、そのまま残った」のかもしれません。(作者に大変失礼な憶測です。)聞の名目としては「ウ・・・虫の宴」であり、六条院の宴そのものを表す舞台として扱われています。または、「松虫」と「鈴虫」との中を取り持つ「匿名化された虫たち」の意味もあるかもしれません。もし仮に、聞の名目に敢えて人名を当てはめるとすれば、「虫の宴」には「蛍兵部卿」や「夕霧」が登場しているはずです。特に「夕霧」は、「柏木」の親友であり、「源氏」の実子です。更に柏木の妻である「女二宮」との関係において、続く「夕霧」の帖では主役となる人物です。また、組香の景色を「鈴虫」の帖全体として捉えると、「月の宴」の「冷泉院」を加えることも可能でしょう。そうすることで、「鈴虫」の相関図の中では端に置かれている「秋好中宮」(冷泉院の妻)と他の登場人物との強力な橋渡しにもなるものと思います。さて、この組香は、
非常に複雑な手順で本香を焚き出します。まず、最初に「月」「琴」「琴」「松虫」「ウ」5包を打ち交ぜてから1包引き去ります。この「1包引き去る」という作業は、景色に偶発的な変化をつける意味で用いられます。こうしてできた4包は、鈴虫の帖に描かれた秋景色を示します。(後に2包ずつ2組に分けます。)各要素を1包ずつ配すれば最初から4包で足りるものを「琴」のみ2包用いるということは、「源氏」を必ず1包は残すための工夫でしょう。「松虫」は、ここで引き去られても後でもう1度加えられます。「月」は、引き去られて本香で焚かれない可能性もありますが、試香で聞いているので、鈴虫の帖にはもはや登場しない「柏木」を偲ぶことはできます。しかし、「ウ」が引き去られてしまうと試香も無いので、本香にも焚かれない「虫の宴」は雲隠れという場合も出てきます。続いて、「松虫」「鈴虫」「鈴虫」「鈴虫」の
4包を打ち交ぜて2包ずつ2組に分け、前段で分けておいた1組と入れ替えます。この作業は、「秋景色に虫を放した」という物語の始まりを表し、1組の景色には「松虫」と「鈴虫」が、もう1組には「鈴虫」と「鈴虫」が放たれたことになります。この組香が2包ずつの入れ替えを行う理由は、テーマである「鈴虫」を必ず両段に配するためと考えられます。こうして焚かれる本香数は4×2=8で、このことは全体香数が12カ月を表す12であることから「八月」を表すものと思われます。また、4包の組み合わせによっては、例えば「月」「ウ」「松虫」「鈴虫」のように試みの無いお香が2つ出ることがあります。その際は、あらかじめ木所の表示が無いと判別できないとお考えかと思いますが、別の組に必ず「鈴虫」は2つ出るので「全体で3つある客香」を頼りに判別することができます。一方、香書の中では、2包ずつの入れ替えを行わず
「最初の4包から2包引き去り《4−2=2》、後の4包からも2包引き去り《4−2=2》、残ったもの同士を打ち交ぜてA段で焚き《2+2=4》、引き去ったもの同士を打ち交ぜてB段で焚く《(−2)+(−2)=4》」という構造式を取るものもありますが結果は同じです。また、別のものには「入替えを行った後、全部を打ち交ぜて4×2=8」と書いているものもありますが、これならば、面倒な入れ替えの点前を外して最初から「試み終わりて、残る9包を打ち交ぜて1包引き去る」で足りるはずです。また、この場合、組み合わせによっては、各段に「松虫」「松虫」「鈴虫」「鈴虫」や「松虫」「鈴虫」「鈴虫」「鈴虫」といった「虫ばかりの景色」となり、情趣性が失わる可能性も高くなりますので採用しませんでした。この時点までは、
各要素は単に物理的景色として用いられていると考えて良いでしょう。要素を配して組香の舞台が出来あがったら、そろそろ役者の登場となります。ここからは、聞の名目を中心に登場人物の相関や背景を考えて聞きましょう。「鈴虫」の帖は、比較的短時間での出来事を各場面毎に淡々と記述しています。各場面に共通の登場人物は、源氏のみであり、基本的には源氏を中心に、各登場人物が放射状に相関しています。更に「若菜(下)」以降の物語を背景に
「源氏・柏木・女三宮・秋好中宮」それぞれの相関図を描くことができます。もっとも重要なものは「女三宮は、源氏の妻で柏木と不倫、源氏はそれを知って柏木に飲めない酒を無理強いし、それが元で柏木は病気になって死に、不倫への後悔と柏木の死を悼んで女三宮は出家、源氏は柏木の子である薫を育てる」ということだろうと思います。「秋好中宮」については、源氏の弟(隠れた息子)「冷泉院帝」の妻であり、源氏の養女である以外、他の登場人物との直接関係は薄いのですが、母である「六条御息所」の怨念が女三宮を出家に追いこんだという背景もあります。また、「鈴虫」の帖には現在彼らが置かれている
「心の孤独」について書かれていることも見逃してはなりません。「柏木」は源氏との関係も修復できず、女三宮に出家され、生まれてきた子供(薫)とも会えぬまま悶死しています。「女三宮」は、柏木とのことは思い切れたとしても、源氏の日常的な気遣いに後ろめたいところがあって出家してしまいます。「秋好中宮」は冷泉院が退位してからは、人の出入りも少ない山の上皇院に閑居しており、実方の六条院に帰る機会もないことを寂しく思っています。「源氏」ですら五十歳となって、腹心の部下であった柏木の不義や死別、妻として未練の残る女三宮の出家等に遭い「おいさき短い自分こそ出家すべきだが、家族や一門のことを考えると一寸延ばしにして、その日暮らしをしている」と悩んでいます。そうしてみると「鈴虫香」は、単に楽しげな「虫の宴」の景色を作る組香ではなくなり、登場人物の相関関係のみならず各自の孤独をちりばめた景色をも形作ることとなります。このような中に緩衝地帯としての「虫の宴」も加えて、香記に表れた聞の名目を組み合わせて、A段、B段の2つの物語りを作っていくと大変面白いと思いますなお、香記に書き記される歌は、
「鈴虫がどちらの段に多く出たか」、つまり「鈴虫」「鈴虫」の組がA段に入ったか、B段に入ったかで決まることになります。段組の解釈にはなんらかの場面転換が必要だと思いますが、基本的には、物語を「女三宮方(A段)」、「源氏方(B段)」それぞれから見た景色と解釈するのが順当でしょう。そう考えれば、A段に「鈴虫」が多い場合は「女三宮方」からの鈴虫観として「おほかたの・・・」の歌を採用し、B段に「鈴虫」が多い場合は「源氏方」からの鈴虫観として「心もて・・・」の歌を採用することは、納得の行くことだと思います。最後に、「鈴虫」といえば、ミレニアム紙幣の2000円札の裏に源氏物語絵巻(五島美術館)の絵と詞書が引用されていることで一時期有名になりました。絵は
「冷泉院の月の宴」の場面から切り取り、冷泉院と源氏の対面の場面になっています。「男女の絵になると逢瀬に関するものが多く、国の発行する紙幣としてはマズかろう」との配慮があったそうですが、かえって源氏物語の最も忌むべき隠し事である「表向きは兄弟。実は親子」という関係の二人を配したのも、国文好きからすれば面白い趣向でした。また、詞書については、鈴虫の書出し「女三宮の持仏開眼供養」の部分から引用されているので、印刷された絵と字は、同じ「鈴虫」でも直接的な関係は薄いものとなっています。さらに、絵巻に書かれた詞書は「十五夜のゆふ(くれに仏のおまへ)に宮おはしは(しちかくなかめ)たまいつつ念珠(したまふわかき)あまきたみたち二(三人はなたてま)つるとてならす・・・・」と上半分だけを物理的に引用しているので、印刷された字を読み通しただけでは、文としての意味は通じません。「ミレニアム」という熱に浮かされた時代に思わぬかたちで翻弄された「鈴虫」も、今年はかわいらしく鳴いているでしょうか?
※「鈴虫」と「松虫」の名は、いずれも平安時代の作品から現れますが、現在のように「リーン、リーン」と鳴く虫を「鈴虫」に、「チンチロリン」と鳴く虫を「松虫」にというように、鳴き声によって区別することができる文献は江戸時代に入るまで見当たらないそうです。また、同じ江戸の文献の中でも「鈴虫」と「松虫」は混同されて使われており、どちらとも決め難いというのが本当のところのようです。現在の通説では、平安時代の作品中に現われるものは
「鈴虫」を「松虫」と、「松虫」を「鈴虫」と逆に解釈するようになっているそうです。「鈴虫香」そのものは、江戸中期以降の作品でしょうから、作者は、現代の「鈴虫」「松虫」と同じ情景をイメージして作ったのかもしれません。このことを考えると、「源氏物語の鈴虫」と「鈴虫香の鈴虫」で形成される情景に作成年代による齟齬が表れる恐れもあるので、今回は「虫」の種類を極力捨象して解釈しました。
源氏は「鈴虫」の帖で現代香人に金科玉条を残しています。
「空薫物は、どこで焚いているのか分からないくらいなのがよいのだ。」
皆さんも心がけてくださいね。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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