十二月の組香
『史記』の孟嘗列伝からモチーフを得た組香です。
関守方が「全て聞き外すことを要求される」というところが特徴です。
説明 |
香木は、4種用意します。
要素名は、「一」「二」「三」と「鶏(にわとり)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。
「一」「二」「三」 はそれぞれ2包(計6包)作り、そのうち1包ずつを試香として焚き出します。
残った「一」「二」「三」の各1包(計3包)に「鶏」3包を加えて計6包を打ち交ぜます。
本香は、6炉焚き出します。
連衆は、「孟嘗君方(もうしょうくんがた)」と「関守方(せきもりがた) 」の2グループに別れます。
答えは、要素名を出た順序に6個書き記します。
孟嘗君方は、「そのまま聞き当てる」ように答えを書き記しますが、関守方は、 「わざと聞き外す」ように答えを書き記します。
下附は、上記のように双方の「聞き当て方」や「聞き外し方」で特失点が決まっており、各自の点(+)と星(−)を合計して書き記します。
勝敗は、各グループの構成員全員の得失点合計により決定します。
霜枯れが進み、褐色にくすんだ木の葉も残り少なくなりました。
木枯しが一陣吹き去れば、最後の一葉も落ちてしまうでしょうが、その枯れ枝には、すぐに雪化粧が施されます。まったく、自然というものは、おしゃれなものだと感心します。先日、「桂の落ち葉が甘く香る」というお話を聞いて、早速落ち葉拾いに行きました。周辺から何となく甘い香りがして桂の木を見つけるのにも苦労はいらず、黄色に染まった丸い葉は、確かに「綿菓子」の香りがしました。乾燥させて粉に挽いてみると「甘茶」を連想するような、甘い抹茶の香りがしました。福島県の西会津地方では、正月にこれをお香として焚くというお話も戴きましたので、火をつけてみますと、やはり甘苦い線香の香りがしました。香時計として使うというだけあって、火持ちも良く最後までジワジワとくすぶりつづけます。まったく、おもしろいところに「お線香の素」はあったのだなと生活の知恵に感心しました。
私は、このように香席に出る機会の少なさをいろいろな香り体験で埋めているような生活をしていますが、組香一筋でいらっしゃる皆様方の中には、今年1年間「当りだ!外れだ!」と一喜一憂されたことも多いか思います。特に当らなかった時は、お友達にクドクドとその理由を説き、「何に転嫁しようか・・・」などと脳裏に思い巡らせながら、妙に饒舌になってしまうものですね。しかし、お香遊びは点数による評価が為されながら、それが真髄ではないものだと思います。私は
「香を聞くことによって、自分がどのぐらい組香の景色に実相感入し、どのぐらい豊かな心のお土産を持って帰ることができるか?」が大事だと思っています。よく「心を虚しくして受容体を高めたところまでは良かったが、何を聞いても心が虚しいままだった。(^^ゞ」という笑い話を聞きますが、これが常習化してしまっては、笑うこともできませんね。このコラムも7年目の年末を迎えて、また、1つの「関」を超えようとしています。このような時期に「香気による心の景色が結べれば、当り外れは関係ない。」と言いきって、「いっそ全部外して見せましょう!」というのも面白いと思いました。今月の組香は、「無」を聞く
「関守香」 (せきもりこう)をご紹介いたしましょう。「関守香」は、
『香道秋農光(こうどうあきのひかり)』(下巻)に掲載された大枝流芳作の「新組十品」中の1組です。この組香は証歌がありませんが、「孟嘗君(もうしょうくん)」「関守」「鶏」という言葉だけで、だれもが史記に書かれた「鶏鳴狗盗」(けいめいくとう)の逸話を思い出されることでしょう。香書にも「この組香は、唐土に孟嘗君と言える人あり・・・」とあり、孟嘗君の秦国脱出のエピソードが綴られています。およそ組香というものは、中古の和歌を題材に作られているものですが、紀元前の中国の歴史書から直接題材を得ている点に特徴があります。まず、組香の題材となった
『史記』-孟嘗君列伝-の該当部分のみを抜粋してご紹介いたしましょう。孟嘗君は、姓を田(でん)、名を文(ぶん)と言い、中国戦国時代の斉(せい)国の人でした。薛(せつ)と言う国の君主であったので、薛公とも呼ばれます。また、趙の平原君、楚の春申君、魏の信陵君とともに「戦国の四君」の一人に名を連ねています。
《孟嘗君列伝概略》
斉の宰相に田文という者がいました。田文は一芸に秀でた者ならば、たとえ罪を犯して逃亡中の者でも食客として接遇していました。自分も食客と同じ食事をとったことからも支持を集め、食客の数も日に日に増え、数千人にものぼりました。田文はその名声から「孟嘗君」と呼ばれました。ある時、秦の昭襄王(しょうじょうおう)から宰相として迎えたいと使者がきました。孟嘗君は、食客達の反対もあり一度は断りましたが、再度の招きに抗しきれず秦に赴きました。しかし、秦の昭襄王は「孟嘗君は斉の人なので、斉の利益のためにしか働かない。」という臣下の提言を受け入れ、孟嘗君を宰相にする話を取り止めたばかりか、「生かして斉に帰せば秦のためにならない」と孟嘗君を殺す事に決めていたのです。
狗盗(くとう)・・・昭襄王の真意を見抜いた孟嘗君は、なんとか秦を脱出して斉に戻りたいと、昭襄王の寵姫にとりなしを頼むこととしました。寵姫は、「狐白裘(こはくきゅう)という狐の脇の下の毛だけで作った皮布をくれるならいいだろう」と言うのですが、この品は大変に貴重な上、既に昭襄王に献上してしまい手元にはありません。そこで、食客の一人である狗盗(犬の真似をして盗みを働く怪盗)が進み出て、 「私が昭襄王の宝物庫から盗んできます。」 と言い、厳重な警戒をやぶり狐白裘を盗み出してきました。孟嘗君は、すぐさま寵姫にこれを贈り、昭襄王から帰国許可をもらい、すぐに秦の首都を旅立ちました。
鶏鳴(けいめい)・・・秦の首都を旅立った孟嘗君一行は秦の追手がくる前に秦を脱出しようとしました。一行は夜明け前に秦の東にある函谷関(かんこくかん)に到着しましたが、秦の法律では一番鶏が鳴いて夜が明けてからでなければ関所の門を開けることはできません。そこで、食客の中でも最も低位に置かれていた
「ものまねの名人」が近くの民家に行き「鶏鳴」の真似をしたところ、あたりの鶏が鳴き出しました。函谷関の役人は「夜明けだ」と思い込み関所を開きました。秦の追手が到着したときには、孟嘗君一行は偽造手形を使って無事に通過した後でした。この孟嘗君の秦国脱出の逸話から「一見して役に立たない技能でも使いようによっては役に立つ」という意味の「鶏鳴狗盗」という言葉が生れました。次に、
この組香の要素は「一、二、三、鶏」と大半が匿名化されています。鶏についても「客を鶏と名付け3包試なし」という扱いで、「客香」であること以外に特段の意味がないようにも読めます。これは、十香から分化したばかりの組香という印象を強く与えます。この方法ですと、組香の登場人物や事物を特定しませんので、連衆の結ぶ心象風景に幅が出る反面、漠とし過ぎて景色を結べないということもあり得ます。自ずから主題を察知して、あらかじめ人的要素や物的要素を用意し、組香の舞台にちりばめられる教養のある方ばかりならば、当時の方法のままでも十分に楽しめるのですが、現代の香席であれば、作者の持つ情報力を駆使して、あらかじめ要素名を付することにより、組香の意図する舞台と景色を具備する必要があるかもしれません。そこで、試行的に一、二、三に敢えて要素名を付してみましょう。私見を申し述べさせてもらえば、
一は「孟嘗君」、二は「狗盗の食客」、三は「鶏鳴の食客」としたいと思います。鶏は近くの民家の「鶏」で、その中の第一声は「鶏鳴のものまね」が含まれていると考えます。また、全体の香数が「6」であることは、「暁の時の数にかたどるなり」とありますから、明け方の「六つ時」即ち今の午前六時頃を示すとされています。このような時間的背景も含めて景色を結んでみますと「函谷関の朝6時、ものまねの鶏鳴で関門が開き、関守に偽手形を見せながら孟嘗君、狗盗の食客、鶏鳴の食客(その他の一行)が関を通過していく様子や関守が1つ1つ騙されていく様子」が良く出ると思います。テーマは「鶏の空音に欺かれし意をうつしたる」ですので、連衆も鶏の空声とともにお香による「騙し・騙され」の世界を楽しんでいただきたいと思います。(一般に「鶏鳴」とは、一番鶏が鳴く午前二時頃、所謂「八つ時」を示すと現代の辞書には記載してありますが、原書のコメントに従って解釈しています。)
さて、この組香では物語に登場する
「孟嘗君の一行」と「函谷関の関守達」を香の上に対峙させ、聞き比べを行わせるのが趣向ですが、既に物語では、「関守方が鶏鳴にだまされて関門を開けてしまう」ことが決まっているので、「通関を阻む」というよりは、「うまく騙されることに功がある」とされています。そのため、孟嘗君方は普通に「聞き当て」を行うのに対して、関守方は「聞き外し」に専念しなければならないというルールになっています。これは、香遊びのジョーカー(切り札)として使われる「無を聞く」とか「無太郎聞き」というルールで、はじめから「全部聞き外します。」と宣言して、全ての香の出を違えて答えるものです。この宣言を「無太郎宣言」と言って、全て聞き外して成就した場合、全問正解して「皆」をもらった人よりも、最終的に上位とされ香記録がもらえることとなります。正式には、聞き外し方も「一定の規則に従って行うものが上品」とされていますが、結果的に全てを聞き外していれば「無」となります。他の組香では、上級者の座興として「無太郎宣言」をするかしないかは自由なのですが、この組香では、関守方が「無を聞くを勝ちとす。」ということで全員「無太郎宣言」をしていると同じことになります。この際、「聞き外し」というものは、「聞き当て」よりも確率的には高い
ことを忘れてはなりません。「鶏」については、聞き当て・聞き外しとも確率は3/6(=1/2)ですが、その他の要素は、聞き当てる確率と聞き外す確率が大きく違いますから、素人さんが結果的に聞き外して功を得ることも多くなります。そのために、採点方法は関守方に厳しいものとしてバランスを取っています。採点の例
正解 |
孟嘗君方 |
関守方 |
||
鶏 |
鶏 (一人聞) |
○○ |
鶏 |
★★ |
一 |
一 |
○ |
一 |
★ |
鶏 |
二 |
★ |
二 |
○○ |
二 |
鶏 |
|
鶏 |
○ |
鶏 |
三 |
★ |
三 |
○○ |
三 |
鶏 |
|
鶏 |
○ |
計 |
〇3+★2=1点 |
〇6+★3=3点 |
※ 〇はプラス1点、★はマイナス1点。
このように、同じ答えを書いても得点は当然違います。孟嘗君方は、鶏に対する聞き誤り以外では減点されませんが、関守方は各要素とも聞き当ててしまうと「懈怠の星」が付き、減点対象になってしまいます。そのかわり、鶏を聞き外すと、孟嘗君側の一人聞きと同じ2点が加えられます。採点方法についても諸説ありますので、『香道秋農光』に掲載のものを採用しました。この採点方法が数学的に本当に平等なのかどうかはわかりませんが、「関守方は強みあり、よって懈怠多し」と感覚的にはバランスの取れたものになるよう配慮されているようです。(実際、関守方が「鶏」以外の要素を聞き当てた場合「星一点」では、確率的に関守方が有利のような気もします。採点方法について諸説あるのも、後世の確率問題に対する補正なのかもしれません。)
最後に、「関守香」が創案された江戸時代(享保)には、清少納言の「夜をこめて 鶏の空音にはかるとも よに逢坂の関は許さじ(後拾遺和歌集)」も名歌として流布していただろうと思いますので、この歌から原典に遡って発想されたのではという説もあります。この歌は、清少納言のもとに藤原行成がやって来て、午前2時頃(鶏鳴)まで話し込んだが、「翌日の都合もあるから・・・」と一旦帰り、翌朝、行成から「夜通しでお話ししたかったのに、鶏の声に追い立てられて帰りました。」と手紙が届けられました。「また会いたい!」と言っている行成に「夜の明けないうちに、鶏の鳴き声を真似て騙そうとしても、(函谷関ならいざ知らず)この逢坂の関は通れませんよ。(私は貴方にお会いしません。)」とつれなく返したのがこの歌です。
後日この歌から発想したものでしょうか、他の「関守香」では「一、二、三」が各2包、「鶏」が1包(合計7包)であり、連衆の名前の代わりに「逢坂」「不破」「勿来」「白河」「須磨」など旧関の名を付する「名乗」を用いるものもあります。また、勝負の結果によって、孟嘗君方が勝った場合は「夜嵐のいたみはげしみしほれても花の安宅(あかた)のせきはこえけり」の歌、関守方が勝った場合は「夜をこめて鳥の空音をつたへずばゆるしやはする函谷のせき」の歌を書き記す場合もあるようです。これらについては、「明け方六つ時」の記述とも符合しませんし、原典である『史記』の景色に日本の事物が入混じり、脚色がされすぎて簡潔ではないような気がします。「七夕香」は、中国の物語が日本に伝来し、風俗として定着したところから発想されたものと思います。しかし、「関守香」は原典の知識から直接発想されているように思いますので、私としては、この組香の「異彩を放つ中国感」を大切にしたいと思います。
「香席の記録なんて関係ない」と言いきれるほど達観した香人は、あまりに簡単な組香だと思えば、皆同じ答えではつまらないので香記の景色を作るためわざと間違うこともあります。また、グループに分かれて聞き比べを行う場合、実力差を埋めて僅差とするために自分の当り数を調整することもあります。このようなとき、香人は香組の難易度や連衆の熟練度等を勘案し、その場の空気を読まなければなりません。ですから、「随意に当てる」ことより、「随意に外す」ことの方が実は難しいのです。そして、最も大切なのは、「わざと外した。」と絶対に口に出さないことです。
香記を譲るためにわざと聞き外すことはあると思います。
その際は「巧者ぶりて粗末に聞くべからず」を思い出してください。
外すことにも真剣に取り組み、その過程を十分に楽しみましょう。
今年も1年ご愛読ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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