六月の組香
四種四包の香を使って系図を書くという組香です。
名目によってテーマもいろいろに変わる組香です。
※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、4種用意します。
要素名は、「一」「二」「三」「四」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「一」「二」「三」「四」は各4 包(計16包)作ります。
「一」「二」「三」「四」は各4 包を(計16包)打ち交ぜ、任意に12包引き去ります。
引き去った12包は、総包に戻し、手元に残った4包が本香となります。
本香は4炉廻ります。
答えは、全部聞き終わってから、4つの香の異同のパターンにより、後述の「香図」を書いて答えます。また、香図に「名目」がついている場合は、香図の下に書き添えます。
下附は、全問正解は「皆」、それ以外は点数で書き記します。
梅雨も間近ですね。
しっとりと空気が湿る季節となりますと、「誰が袖」をはじめとして、すれ違うすべてのものから香りの挨拶を受けるようにます。肩を濡らす雨にはそれ自体に香りがありますし、濡れた土もまた違う香りを立てます。ニセアカシアの花の香りにも夏の訪れを感じますが、雨に濡れたヒマラヤシーダーから沈香(真南蛮)の香りを感じるのは私だけでしょうか?五月の薫風は正体不明の空気感でしたが、六月の香りは気団が塊でぶつかってくるようなイメージがあります。鶯から不如帰に鳥の声が変わるように、さわやかな香りから艶なる香りにうつろう今が、最も香りに心奪われる季節です。
このように最も香りの立つ季節でありながら、「六月の組香」というと何故か悩む方が多いようです。夏の組香でありながら、現実にはしっとりと涼しいという微妙な季節感からでしょうか、ピッタリと嵌まるものが少ないようです。そのようなわけで、稽古では季節感のない「雑組」の組香がよく用いられていたことを思い出します。
今月は、稽古当時を思い出して「系図香」 (けいずこう)をご紹介いたしましょう。
「系図香」は、寛文九年(1669)に初めて版本とされた建部隆勝の『香道秘伝書』にいわゆる「十種組」として紹介されている有名な組香で、16世紀半ばから行われていたという最も古い組香の1つです。系図香は、焚かれたお香の異同を判別して、線で結んだ図柄が「系図」に似ているためにそう呼ばれたというのが通説です。この系図方式で答えを記録する組香は、他にも「三*柱香」「源氏香」等があります。一説では、「三*柱香がオリジナルであり、その派生として系図香や源氏香などの香数の多い組香が生まれた」ともいわれますが、三*柱香の発生時期は、はっきりしていませんし、『香道秘伝書』に示された「系図香(四*柱)」の記述では、「五*柱、六*柱、九*柱まであるなり。」と「三*柱」の存在を意識していないことが伺えます。オリジナルの組香が「三*柱香」であれば、それを割愛することはかえって説明しにくいことなので、この時点では三*柱香は存在していなかったと見るほうが妥当だと思います。
また、『香道秘伝書』には、「端に源氏香と書き付ける時は、巻の名を図の下にも札紙にも記すなり。」との記述があり、源氏香が系図香のバリエーションとして認められていたことが伺えます。系図香は、広義に「系図のような香図で答える組香の総称」ということが言えそうです。また、「室町時代に行われていたという源氏香は四*柱聞きで、源氏の巻名を使った系図香だった」(西山松之助氏)という記述もあります。
現在、いわゆる「十種組」に系図香と源氏香が混在するものこのためではないか思います。系図香が「十種組」として取り扱われている書物は、『香道秘伝書』のほか『香道秘伝校正』『御家流組香三十組』『聞香秘録』『校正十種香記』『香道大意』等があります。また、米川流の『奥の橘』では、源氏香が初十組に系図香が二十組に分類されています。『香道瀧之絲』『十種香暗部山』『香道秘伝書』の後世の写本等、新しい書物ほど源氏香の方が十種組として取り扱われています。大枝流芳は、一貫して系図香を十種組として扱いましたが、『香道瀧之絲』で米川流を紹介する際、源氏香を十種組として紹介しています。米川常白は、後水尾天皇の勅命により十種香の組替えを行っており、この際に源氏香が「内十組」に登用され、その後は米川流の隆盛を背景に源氏香(五*柱聞き)が優勢となります。系図香と源氏香の関係は鶏と卵のようで、未だに発生の経緯は判然としませんが、「十種組」の世界では、四*柱聞きの系図香(源氏香と呼ぶ場合もあり)が、しだいに完成度も高く雅趣に富んだ五*柱聞きの源氏香に座を譲り渡していったのではないかと思います。
次に、この組香は、4種4包=16包のうち、任意の4包を打ち交ぜて順不同に焚くという構造をもっています。あらかじめ要素名を宣言して焚き出す 「試香」はありませんので、連衆は小記録の要素名や香木の種類を意識せず、香気の違いだけに集中して聞き分け、香の異同を判別します。香気の違いが判別できる「鼻」だけを持っていれば良いので、初心者でも参加しやすい組香となっています。
唯一、事前情報が必要なのものは、香図の書き方ですので、以下に示します。
香図の書き方
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香炉が4回廻ってくるので、一炉聞く毎に「右から左へ」一本ずつ縦線を引いて行き、同じお香だと思ったものの縦線の上部を横線で繋ぎます。 この香図は「花筺」(はなかご)を示すものですが、一炉目と三炉目が同香で、それ以外は各々違ったお香だったことを示しています。 一般的な系図香の答えは、左の図を名乗紙に書き記して提出するだけですが、香図に名目がある場合は、名目を図の下に付します。 |
系図香は、香図だけが示されて名目は無いのが一般的で、おそらくこれがオリジナルであうろと思われます。ただし、『香道秘伝書』の記述でも各々の香図の下に「名乗」という文字が付されており、時宜によって自由に「名目」を付すことが認められていたようです。そのような理由から、名目は、後世に至って雅趣を増す工夫として香図に付されはじめたものと思われます。
さて、『三十組之目録』に掲載のある「後西院様御改めし」名目と他の香書に掲載されている「系図香」の名目を比較してみたいと思います。その他にも書物によっていろいろな名目が記されていることをあらかじめ申し添えます。
香図と名目の比較表
香図 | |||||
三十組之目録 | 始冠 | むぐらの宿 | 関屋 | たつた | 春日野 |
香道蘭之園A | うゐかぶり | 葎の宿 | 関の鳥 | 春日野 | 武蔵鐙 |
香道蘭之園B | 兵部卿宮 | 夕霧大臣 | 式部卿宮 | 女三宮 | 蔵人少将 |
聞香秘録 | 春錦 | 野守鏡 | 高麗渡 | 銀河 | 煙争 |
奥の橘 | 正春 | 忠秋 | 定武 | 夏忠 | 笹忠 |
香図 | |||||
三十組之目録 | むさしあぶみ | 花筺 | 住よし | 野中のしとみ | なるこ |
香道蘭之園A | むさし野 | すまの浦 | 住よし | 八はし | 宮城野 |
香道蘭之園B | 薫大将 | 紅梅大臣 | 頭中将 | 落葉宮 | 紅葉大臣 |
聞香秘録 | 三角柏 | 河杜 | 伏見里 | 百舌茎 | 鹿角菜 |
奥の橘 | 武貞 | 定実 | 忠武 | 定忠 | 定貞 |
香図 | |||||
三十組之目録 | かり田 | やつはし | 落葉 | かがり火 | 小笹 |
香道蘭之園A | 志賀の里 | 明石の浦 | 逢坂山 | 都鳥 | 三吉野 |
香道蘭之園B | 空蝉内侍 | 花散里内侍 | 御息所 | 夕顔内侍 | 岩もる中将 |
聞香秘録 | 篠薄 | 竃景 | 根合 | 和歌浦 | 常陸帯 |
奥の橘 | 夏綱 | 時秋 | 忠定 | 武忠 | 唯忠 |
※ 香図の序列は『三十組香之目録』に従いました。
※ 香道蘭之園の「宮城野」「紅葉大臣」との図はと記載されていますが、基本的には「1と3が同香で且つ2と4が同行を表す図」です。
さらに、香図には絵解きが付き物ですので、若干解説をこころみましょう。比較表に見るとおり『三十組之目録』と『香道蘭之園A』の名目は似通っています。これらの名目は『伊勢物語』から引用されているといわれており、例えば「始冠」は一段の「昔、男初冠して・・」がすぐに思いつくでしょう?以降、思いつくだけでも「むぐらの宿」は三段、「やつはし」は九段、「むさしあぶみ」は十三段、「住よし」は六十八段にそれぞれ見られる言葉です。あまりにも有名な「都鳥」は九段、「むさし野」は十二段、「須磨の浦」は百十二段です。完全には符号しないものの文意として「関屋」と「関の鳥」は五段の「関守」あたりから、「花筺」も六十段の「花橘」あたりから読むのでしょうか?また、香図は違いますが、共通している「春日野」は一段に戻るということでいいのでしょう。
また、『三十組之目録』の香図には、名目と挿絵が付記されていますので、後西院様が香図の形を伊勢物語の事物に当てはめて名目を付したのではないかという想像ができます。例えば、@「始冠」は上座に置かれた冠台。A「むぐらの宿」は草むらの右に宿。B「関屋」は関所の門。C「たつた」は紅葉2本と竜田川。D「春日野」は2頭の鹿。E「むさし鐙」は鐙を正面から見た形。F「花筺」も花を生けた籠の形。G「住よし」は鳥居と1艘の帆掛け舟。H「野中のしとみ」は、草原にパタパタ動く蔀の形。I「なるこ」に至っては鳴子そのものの形。J「かり田」は稲刈り後の穂組の形。K「八橋」は2本のかきつばたを巡る八橋。L「落葉」は木から落ちた一葉。M「かがり火」は庵の前に灯された火。N「小笹」もデフォルメされた笹葉の形です。一部伊勢物語には登場しない名目もあり、あくまで私見に過ぎませんが挿絵を見るとこの解釈も捨てがたいと思います。
最も難解だった「野中のしとみ」は「野中の志とミ」と記述されています。「蔀(しとみ)」とは、板に格子を組み、長押から釣り下げ、上にはねあげて開くようにした間仕切りのようなものです。ただし、なぜ「野中に蔀」があるのかは想像がつきません。そこで写本にも「志」を「ひ」に修正しようとした跡がありました。しかし、そうなると「野中の瞳」でも合点がいきません。こんなことが幾度か続いたのでしょう。現在では「野中のしみず」と伊勢物語の風景にも当てはまる名目が流布しています。
一方、『香道蘭之園A』は「四*柱香(系図香の事)」、『香道蘭之園B』は「系図香」という名称で、別の名目が掲載されています。下段の系図香は、「古式源氏香」といわれ、系図香のバリエーションとして編み出された源氏香であろうと思われます。『香道秘伝書』の指示に習うように、主に源氏物語の登場人物が名目として使われていますが、一部「紅葉大臣」や「岩もる中将」など源氏物語には登場しない人物名もあります。このことは、当時の作者の教養の限界とも考えられ一概に解釈できませんでした。五*柱聞きの源氏香之図も一部については、エピソードや人間関係で絵解きできるものがありますので、とりあえず、光源氏を中心にした人物相関図を「系図」にみたてて絵解きを試みましたが、「兵部卿宮が光源氏とは無関係?」というところから始まり、なかなか納得の得られる結論には至りませんでした。
この他にも『聞香秘録』の「十種香」に掲載されている名目は、四季の流れをもとに和歌や能、神事等要素も取り混ぜ、非常に国文的な題材を取り上げています。また、米川流『奥の橘』に掲載されている名目は、人名だと思います。名前も似通っていて、家族や血縁を連想させます。おそらく系図の風景を「家系図」に見立てたものかもしれません。いずれにしろ系図香は、最初から「名目自由!」という原理のもとで発展継承されてきたため、源氏香のような統一された名目を持たないという脆弱さはありますが、かえってテーマや名目に「揺れ」があることで自由度もあるところが魅力と言えましょう。
なお、後世に至って「三*柱香」にも名目が付されるようになりました。書物によって違いはありますが、『香道瀧之絲』では、「緑樹の林」「故峯の雪」「琴音」「隣家の梅」「尾花の露」の名目が見られます。源氏香には、七*柱聞きや八*柱聞きの図もありますが、用意するお香や香図が後述のように膨大となりますので、これらもすべての組み合わせが用意されてはいません。以前に東京国立博物館で展示された徳川宗敬所持「源氏香之図」は七*柱聞き、八*柱聞きを合わせて二十八帖分でした。この場合、おそらくは「亭主があらかじめ答えの香図を決めておいて順次焚き出し、連衆は出 の香がどの香図にあたるものかを当てる。」という遊び方をしていたのではないかと思われます。(大寄せでの源氏香でこのような略儀を行うことはあるようです。)
前述のとおり、系図香の答えは香の異同を判断して「系図」を書き、名目のある場合は図下に付記します。当りはずれは、香図がそのまま当たるのが正解で「皆」です。しかし、これに加えて同香と聞いたものが正解の系図と一部同じであれば、その分は「点数」としてカウントされ下附されます。例えば、『三十組之目録』の香図で「春日野」が正解だった場合、「むぐらの宿」と記載した人も1炉目と2炉目の同香を当てているので「2点」はもらえるということです。
最後に、『University Press 1998 309号』(東京大学出版会)に掲載されている森口繁一氏著「源氏香の謎」の文末には、「n回焚きの場合の香図の種類の数」を「Bell数」といい、その数の求め方を「B(n+1)=nC0B(0)+nC1B(1)・・・+nCnB(n)」という式で示されています。ここでは、難しい数学の計算はパソコンに任せて、掲載されていた計算結果の一部をご紹介しましょう。
香数 | 香図の数 |
一 | 1 |
二 | 2 |
三(三*柱香) | 5 |
四(系図香) | 15 |
五(源氏香) | 52 |
六 | 203 |
七 | 877 |
八 | 4140 |
九 | 21147 |
十 | 115975 |
※ Bell数については、『数学セミナー 1995年』11月号、12月号に矢野環氏著「源氏香/有限集合の分割」に詳しく掲載されています。
また、江戸時代には、「和算」という日本古来の数学が関孝和等の和算家らによって画期的な発展を示し、方程式論・行列式などを含む点竄術(てんざんじゅつ)や、円周率・定積分などを扱う円理など、非常に高い水準をみせていたそうです。その中でも「n回焚きの場合の香図の種類の数」の関係についての計算方法が確立されており、秘伝として伝授の対象となっていたようです。
上記の表を見ても、一見して三、四、五*柱聞きまでが組香としては現実的だと言うことがわかります。お香をたくさん持っていて、かつ香図を自ら書く能力と暇のある方は、一生に一度ぐらいは「道楽」として六*柱聞きの203通りに挑戦してみるものいいかもしれませんね。そのかわり余生は、その際に使われなかったお香の「拾遺香」ばかりになるかもしれませんけど・・・。
系図の数を計算する算術は「断連術」といったそうです。
「断」は異香を表す棒「|」
「連」は同香を繋いだ棒「┌┐」のことです。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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