七月の組香

文字が要素となって折句を思い起こさせる組香です。

玉と露の答えを入れ違えて記録するところが特徴です。

 

説明

  1. 香木は、3種用意します。

  2. 要素名は、「は」「ち」「す」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「は」は2包作りますが、試香はありません。

  5. 「ち」「す」は、それぞれ4包(計8包)作り、そのうち1包ずつ(計2包)を試香として焚きます。

  6. 残った「ち」「す」の各(計6包)からそれぞ2包ずつ引き去ります。

  7. 「は」2包と手元に残った「ち」「す」各1包(計4包)を打ち交ぜて焚き出します。

  8. 本香A段は4炉廻ります。

  9. 先ほど引き去っておいた「ち」「す」の各2包(計4包)を打ち交ぜて任意に2包引き去ります。

  10. 引き去った2包みは、総包に戻し、手元に残った2包を焚き出します。

  11. 本香B段は、2炉廻ります。

  12. A段の答えは、要素名を出た順序に4個書きますが、B段の答えは、「ち」を「玉」「す」を「露」と書き記します。

  13. 下附は、全部当たれば「全」、その他は点数です。

  14. 記録では、B段の答えが「玉・露」ならば、記録には「露・玉」と入れ違えて書き記します。

 

 真夏に秋田県秋田市の千秋公園(秋田佐竹藩二十万石の居城、久保田城址)訪れると、大手門堀を埋め尽くす程に咲く「蓮の花」は本当に美しいです。城跡の中もそれなりに趣はありますが、行き返りにどうしても佇んでしまうのが、堀端のベンチです。公園内でおばあちゃんの売っている「手作りアイスクリン」(通称:ババヘラアイス)を食べながらベンチに座り、風に揺れる「蓮」と噴水を眺めていると、本当に涼しい気分になります。もちろん花も美しいのですが、生来「乙好み」の私は、強い日差しに透かされた蓮葉の葉脈を見ると「美しいなぁ。」「夏だなぁ。」と感じます。

 いきなり横道に逸れますが、千秋公園の「蓮」は、つい最近まで「大賀ハス」と呼ばれていました。「大賀ハス」は昭和26年(1951年)大賀一郎博士らにより、千葉県検見川の青泥層から丸木舟と一緒に発掘された3粒の蓮の種のうち1粒が奇跡的に発芽し、桃紅色の花を咲かせたという約2000年前の「古代ハス」です。しかし、千秋公園のお堀に繁茂している「ハス」は、自然淘汰や交配雑種が進んだためか純正種と異なる特徴を示して、今では「漁山紅蓮」という品種と区別できなくなってしまったそうです。秋田市では、純系「大賀ハス」の株の譲り受けと栽培計画を立て、淘汰や交雑の起こらない環境で品種の維持を図ることとしています。

 さて、今月は「蓮葉香(はちすばこう)をご紹介いたしましょう。

 「蓮葉香」は『組香春雨記(全)』に掲載されている組香です。「蓮(ハス)」は夏に花を咲かせるスイレン科の多年生水草で、インド、中国、オーストラリアの原産です。日本へは古い時代に中国から伝わったとされています。蓮華(レンゲ)蓮根(レンコン)、蓮根(ハスネ)、蜂巣(ハチス)等、部位によってもいろいろと別名の多い植物で、葉には利尿、止血、解熱作用が、果実には利尿、通経、強壮作用、種子には強精、強壮、鎮静作用などがあり漢方薬としても用いられます。この組香に用いられているハチス」は「蜂巣」の意味で,花の終わった後に実がついている部分が蜂の巣に似ていることから付けられた「蓮」の古名です。

 この組香の証歌は、古今和歌集巻第三の夏歌に「はちすの露を見てよめる」という詞書に続いて「はちすはの・・・」と詠まれています。作者は僧正遍照(そうじょうへんじょう)であり、同じ歌は「遍昭集」「源氏物語古注釈書引用和歌」にも掲載されています。意味は「蓮は泥中に生い立ちながら、その泥水の濁にも染まぬほどの潔白な心を以て、何であのように、葉の上の露を玉として見せて、人をば欺くことか。」ということです。蓮の葉の上にある露を玉のように美しいと見た気持ちを一転して、蓮の葉を擬人化させて露を玉に見せかけて欺くものして詠んだ(奇抜な発想というか)技巧が光る作品ですね。

 証歌の作者である僧正遍照は、六歌仙の一人で「遍昭」とも呼ばれています。弘仁7年(816年)桓武天皇の皇孫として生まれ、俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といいました。人生の大半は役人として暮らし、従五位上の高い位に付いていましたが、仁明天皇の死にあって出家。出家後は法眼和尚の位を授かり、宗教界の第一人者として重用されました。寛平2年(890年)正月十九日に75歳で没しています。

 「蓮葉」をテーマにした歌は案外多く、古くは万葉集にも「ひさかたの雨も降らぬか蓮葉にたまれる水の玉に似たる見む」等と詠われています。さらに「蓮葉」には「露」と「玉」もつきものように歌に読み込まれています。その理由は、法華経の湧出品に「不染世間法如蓮花在水」(花は淤泥の中に生ずれども、而も汚泥に染まず。蓮祖亦爾なり、謗法の国に生るれども、而も謗法の汚れに染まず。故に経に本化の徳を説いて云く、不染世間法、如蓮花在水等云々。)とあるのを捕らえて「泥の中から生えるけれども、その泥にまみれることなく、清らかな花を咲かせる」ということから神聖な植物として古くから愛されてきたようです。確かに、私も大きく広がった葉の上に溜まった露がゆるやかに動きまわり、その白くて穢れなく清らかな様子を見 て「まるでそれが白玉か」と思ってしまうのは、もしかして蓮にも心があって、人をして露を玉と欺かしむる何かのオーラを発しているのではないかと思うことがあります。先日、鎌倉を訪れた際、蓮池で葉に溜まった水玉を葉から葉へ移したり、葉の上でクルクル転がしたり、飽きもせずに続けている子供たちを見て、さらに根源的な何かを感じたたものでした。

 この組香では、「ハチスの葉」を「は・ち・す・ば」とし、その一文字ずつを要素としています。このような手法をとる組香には「八橋香」の「か・き・つ・ば・た」や「おみなへし香」の「お・み・な・へ・し」など多くの例があります。

 試香では、「ち」と「す」の1包ずつを 焚き出します。普通、要素の一番最初のものが客香(試香の出ない匿名の香)となるのは珍しいのですが、「は」については、後述のとおり2通りのイメージがあるため、他の要素と同列に試香とすることを避けたのでしょう。

 本香A段では、「は・ち・す・ば」の文字を1字ずつ打ち交ぜ手て焚き出します。これによって、香席に蓮の葉を開かせるということになるのでしょう。ここでは「は」の要素が発音上の「ば」の字も兼ねており、そのため「は」の香数は「2」となっています。かな書きの記録上は、どちらも「は」と表記されますが、後に出た「は」は「ば」であるという意識をもって取り扱うよう心がけたほうが良さそうです。

 次に本香B段では、試香と本香A段で焚き残っている「ち」と「す」各2包を打ち交ぜて、任意に2包引き去ります。これは、広げた葉の上に「露」か「玉」かわからないものを乗せて転がす景色でしょう。任意に引き去ることによって、手元で焚かれるお香が「ち・ち」「ち・す」「す・ち」「す・す」4通りの組み合わせで出ることになります。連衆は、「ち」を「玉」「す」を「露」として香を聞き、名目で書き記します。

 記録の際に、A段は 要素名を出た順序に4個書きますが、B段は「露」を「玉」、「玉」を「露」と入れ違えて書き記すところに特徴があります。答えが「玉・玉」や「露・露」の場合は、そのまま記録しますが、「玉・露」や「露・玉」と出た場合は、わざと入れ違えて、それぞれ「露・玉」、「玉・露」と記録します。例えば、本香B段で「ち・す」の香が焚かれた場合は、「玉・露」が正解で、答えに「玉・露」と書いた方は、「露・玉」と記録されて当たりの2点となります。「玉・」や「・露」と答えた方は、そのまま記録されて片当たりの1点。「露・玉」と答えた方は、「玉・露」と記録されて外れの0点です。『組香春雨記(全)』は、「左の歌を以って組し香なり。」と証歌の横に簡単に記載されていますが、歌の趣旨に沿って、連衆が蓮葉に「露を玉、玉を露と欺かれる」ということを表しているのだと思います。正解が「玉・玉」や「露・露」の場合は「判然として欺かれなかった」ことを表し、そのまま記載されることになります。B段の「ち」「す」は既知のお香であり、連衆が「露か玉か?」の判別を行うことは容易に可能だと思います。そこで、記録の段になってわざと「欺かれた」ように入れ違えるというのが、面白くも珍しい組香です。

 下附は、各要素を1点として満点は6点、全問正解は「全」と記し、その他は点数を書き記します。

 この組香には、「荷葉香(かようこう)」という証歌が同じ組香があります。「荷葉(かよう)」は「蓮の葉」のことですから、実質的な意味は同じということになります。そちらは全体が「五種十一香」で構成され、「は」「ち」「す」は各香とも試みがあります。A段は「は・ち・す・ば」の「三種四香」打ち交ぜで「蓮葉香」と変わりありません。しかし、B段では「玉」と「露」を客香として新たに「二種四香」を用い、それを打ち交ぜて任意に2包み引き去ります。そして、この2包を「二*柱開」とし、2つとも同香の場合は「玉」異香の場合は「露」と書きます。この組香では、「玉」も「露」も客香なので、「玉・露」や「露・玉」と判別することはできず、同香、異香のみ判断して名目を記載します。そのため、記録の入れ違えはありません。こちらの組香では、最初から「玉」と「露」を未知なる香で組んで直接的に「欺きやすく」しているところが妙味でしょう。

 最後に、「南無妙法蓮華経」の「蓮華」については先程述べたとおりですが、その他にも仏像の台座に「蓮華座(れんげざ)」という ものがありますし、中華料理で使う「チリレンゲ」も「散り蓮華」で蓮華の花びらを表しています。「蓮華」とは いわゆる「蓮華草(レンゲソウ)=翹揺(ゲンゲ)」の花ではなく、本来「蓮」の花のことを言うようです。例えば、「ひ〜らいた ひいらいたぁ♪ な〜んの は〜なが ひ〜らいたぁ レンゲの は〜なが ひ〜いらいたぁ♪」というのは 「蓮」のことで、これを春に田んぼに咲くのことだと思っている方は意外に多いようです。「レンゲソウ」は、「は〜るのおがわはさらさらいくよ〜♪き〜しのスミレやレンゲのはなにぃ〜♪」の方です。また、蓮の花が開くときには「ポン!」と音がするということもいわれますが、これは根拠がないですね。何度か朝早く起きて蓮の花が開くのを待ったことがありますが、ついぞ音は聞いたことがありません。本当に音がするならば、かの千秋公園のお堀端はさぞかし騒々しいことでしょう。

 

大賀ハスの見事な花を大杯に浮かべて酒を飲む「荷葉杯」・・・

古代ロマンと仏法のコラボレーションは、呑兵衛ならずともやってみたいですねぇ。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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