九月の組香
十五夜前後に月の出を待つという組香です。
二種類の雲が客香として扱われているところが特徴です。
|
説明 |
|
香木は3種用意します。
要素名は、「月」「夕雲」「暁雲」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「月」「夕雲」「暁雲」は2包ずつ(計6包)作ります。
「月」2包のうち1包を試香として焚き出します。
試香が焚き終わった時点で残っている「月」1包、「夕雲」2包、「暁雲」2包(計5包)を打ち交ぜて焚き出します。
「夕雲」と「暁雲」には試香が無く、区別がつかないので、小記録に書かれた要素名と木所の関係にこだわらず最初に出た客香を「夕雲」とし、後に出たウ香を「暁雲」とします。
一度「夕雲」としたものの同香は何番目に出ても「夕雲」とします。
EX:「夕雲」「夕雲」「月」「暁雲」「暁雲」、「夕雲」「暁雲」「月」「夕雲」「暁雲」、「夕雲」「暁雲」「月」「暁雲」「夕雲」、
答えは、香の出にしたがって順番に「月」「夕雲」「暁雲」で書き記します。
記録は、「月」が最初に出た場合のみ「待宵(まつよい)」と書き換え、それ以外の場合は「月」のまま記載します。
下附は「月」の当たった方のみ、「夕月」と聞いた香の後に出た「月」を当てた場合は「望月」(もちづき)、「暁雲」と聞いた香の後に出た「月」を当てた場合は「十六夜」(いざよい)と書き記します。
加えて、「月」の当たらなかった人を含め全員の点数をその下に書き記します。
今年は、真夏を体感しないまま立秋を向かえ、とうとう中秋になってしまいました。
先月8月12日の満月も涼風とたなびく雲にうっすら霞がかかり「初秋の名月」と言っても過言ではない風情を呈していました。また、今年は8月27日に6万年に1度の「火星の大接近」もあり、一躍天文ブームとなりました。「月」は満ちては欠け、欠けては満ち・・・と日々変化して止みませんが、なかなか毎日その変化を見取ってくれる人は少ないようです。そういう意味では、今回の火星大接近によって、月の存在や変化を再認識された方も多かったのではないでしょうか。日が昇り、日が沈むことからはじまり、自然というものは、サイクルの長短こそあれ、すべては満ち欠けしながら移ろい行くものだと思います。そして、そのサイクルに依拠し、影響を受けながら人の営みも続いて行くのだと思います。月の満ち欠けは「新月」から始まり「上弦」→「満月」→「下弦」そしてまた「新月」と、平均して29.53059日で一巡します。これを「朔望月(さくぼうげつ)」と言い「朔望」の朔は新月、望は満月を示す言葉です。直近の「朔」は大接近の翌日(8月28日)でしたが、15日後の「望」に満月は見られるのでしょうか?
今月は、中秋の名月が現れるか否かを占う「新雲月香」 (しんうんげつこう)をご紹介いたしましょう。
「新雲月香」は『香道後撰集(中)』に掲載のある組香です。「新」というからには「雲月香」もあるだろうということになりますが、『香道真葛原(上)』に「雲月香」の掲載が見られます。こちらは、一字違いの「花月香」を意識したのか「雲一」「雲二」「雲三」「月一」「月二」「月三」の6種すべてに試香のある六*柱聞きの組香です。その他の香書に掲載のある「雲月香」は、どちらかというと今回ご紹介する「新雲月香」の派生と思われ、下附や要素名に共通点が見られます。「秋は月」と言われますが、意外に「中秋の名月」をテーマにした組香は少ないような気がし ています。
まず、「中秋の名月」とは、陰暦8月15日の月のことで、今年は新暦9月12日にあたります。「十五夜さん」(月見行事)の由来はよくわかっていませんが、最近は「中国のサトイモの収穫祭であった」という説が有力となっています。中国の秋の収穫祭的な農耕行事に由来する「中秋節」は、人々の一年の労苦も終わりに近づき、最後の収穫の時を待つのみとなる時期に天と地に感謝する行事です。地には「土地公」と呼ばれる土地の神様がいて、その誕生日を祝います。同時に「月の神に加護を祈ると家族円満で幸せになれる」と信じられており、円満の象徴である月餅を食べることになっています。また、恋人たちもこの日にデートして月を眺め「二人の円満」を願うそうです。現代の中国では、中秋節は静かで優雅な雰囲気を持ち、ほかの賑やかな行事とはかなり趣が違うロマンチックな祭日となっているそうです。
それが日本に入ったのは平安時代初期のようで、空気が澄んで最も美しい満月を見ることのできる「秋の十五夜」に月を見ながら即興で和歌を読み、その出来映えを皆で批評しながら酒む「月の宴」(観月宴)が行われるようになりました。時を経て、この行事が習俗化して民間に定着し始めると、月の見える所にすすきを飾り、月見団子、里芋、枝豆などを盛り、お神酒を供えるという形式に落ち着いたそうです。別名「芋名月」と言われる「十五夜さん」は、やはり秋の収穫祭的な意味合いで伝承されているといって良いでしょう。
さて、この組香の要素は「夕雲」と「暁雲」です。名月と言えば「すっきりと澄み渡った空に燦然と輝く月」というイメージもあります。これは「良夜」と呼ばれましたが、ここでは敢えて「雲」が登場します。このことは、「少し雲が出ていて時々雲に隠れたりするのもなかなか風流」という日本人ならではの美意識のためかもしれません。また、「夕雲」と「暁雲」は、「月がどのような時間に雲間からぽっかりお出まししたか 」という時間軸としても扱われており、この組香を解釈する上で大変重要な役割を演じています。
次に、この組香の特徴は、本香に試香の無い「客香」が2種出るということです。本来ならば主役である「月」を敢えて既知のものとして扱い、試香を付すのは毎月廻ってくるためでしょうか?また、「夕雲」と「暁雲」は2包ずつ用意されますが、試香が焚かれないままシャッフルされて焚き出されますので、どちらがどちらか判別が付きません。そこで、 この組香では、「舞楽香」における「光源氏」と「朧月」の扱いと同じく、先に出た客香を「夕雲」とし後に出たウ香を「暁雲」と 答えることとしています。ただし、ここでは「夕雲」も「暁雲」も2包ずつ出ますので、1度「夕雲」と聞いた香のもう一つの同香は何番目に出ても「夕雲」とします。答えの「夕雲」と「暁雲」は要素名と一致することもありますし、聞の名目のような扱いになる場合もあるということです。
ここで皆さんは、「何故、暁雲が先で夕雲が後ではないのか?」と疑問に思うのではないでしょうか?これが1日の話でしたら、舞台は暁→夕のように流れるはずです。しかし、これは「月夜の景色」なので、夕から始まって暁に終わるわけです。さきほど、「夕雲」と「暁雲」は時間軸となっているというお話をしましたが、この組香では「十五夜を跨いだ一夜の空が舞台」となっているのではないかと思います。そこで、高校の古文の時間に暗記した月の呼称を一部おさらいしてみましょう。
陰暦 |
月の呼称 |
意 味 |
十四夜 |
待宵月 (まつよい) |
満月の前日の月で、十五夜を待つという意味からこのように呼ばれました。また、十五夜に満たないので、小望月(こもちづき)とも言います。 |
十五夜 |
望月 (もちづき) |
満月のことです。月齢が微妙に動くため、だいたい旧暦の15日〜16日頃に出現します。3×5=15で「十五夜」となり「三五の月」(さんごのつき)という言い方もあります。 |
十六夜 |
十六夜の月 (いざよい) |
「いざよい」とは「ためらう」「ぐずぐずすること」という意味で、満月より少し出るのが遅れることからこのように呼ばれます。 |
十七夜 |
立待の月 (たちまち) |
月が出るのを、まだかまだかと寝ないで立って待っている、ということからこのように呼ばれます。 |
十八夜 |
居待の月 (いまち) |
月が出るのを、立って待っていたのが疲れてしまい、座って待っていたら出てくることからこのように呼ばれます。 |
十九夜 |
寝待の月 (ねまち) |
月が出るのを、座って待っていても出てこないので、とうとう寝て待っていたらやっと出てくることからこのこのように呼ばれます。また、臥待ち(ふしまち)とも言います。
|
二十夜 |
更待の月 (ふけまち) |
もう夜も更けた頃まで待たないと出てこないことからこのように呼ばれます。また、亥の刻の中頃(午後10時頃)に東天に顔を出すので「亥中の月」(いなかのつき)ともいいます。
|
つまり・・・
@「月、夕雲、夕雲、暁雲、暁雲」のように香が出た場合は、「十五夜の前日に月が出た」ということで「十四夜」の景色
A「夕雲、夕雲、月、暁雲、暁雲」のように香が出た場合は、「夕雲の間から月がぽっかり出た」という「十五夜」の景色
B「夕雲、夕雲、暁雲、暁雲、月」のように香が出た場合は、「朝方に雲間から月が出た」という「十六夜」の景色
・・・とそれぞれ日付の異なる景色を味わうこととなっているのではないでしょうか。
このことは、下附の解釈をすることで一層強固に裏付けられます。まず、答えの記録時点で執筆者は、答えの当否に関わらず最初に 「月」と書かれた答えは「待宵」と書き換えます。もし、本香1炉目に本当に「月」が出てしまった場合も「待宵」と書き、「月は十四夜に出てしまい、十五夜当日は雲が濃く、月を待ったまま朝方まで過ごした。」と言う景色を表すことになります。この場合、全員が当たってしまうと香席全体が「待宵の宴」ということになってしまいますね。また、2炉目以降に「月」が出た場合は「月」と書き、「名月」は現れることとなりますが、ここで執筆者は、「月」の出を聞き当てた方のみ、「夕雲」の聞きの次に当てた「月」は、夕雲から出た十五夜当日の月なので「望月」、「暁雲」の聞きの次に当てた「月」は、日を跨ってしまったので「十六夜」と下附して、名月が雲間から現れた日を香記に留めます。
この組香は、「月を一つしか出さないということで、名月を見るチャンスも一つに絞り、後は雲隠れ・・・」という構成を基本に、「雲」という要素で「月」を隠すこと、「夕」「暁」の時間軸を含ませること、そして答えを「待宵」と書き換えることや「望月」「十六夜」といった下附で「月」の出る日を表すことなど、最小限の工夫で様々な景色の解釈を含ませているところが秀逸だと思います。
「中秋の名月、十年に九年は見えず」と江戸時代に書かれているように台風シーズンの名月はなかなかお目にかかれなかったようです。古来、日本人は、雲が厚くて見えない場合は「無月」、更に雨が降って見えない場合は「雨月」と言って名月が現れなかったことを残念がり、十六夜以降の夜に期待を掛けながら月を待ったということです。また、十五夜が必ずしも「望月 (満月)」ではないという話を聞いたことのある方は多いと思います。1870年以降の150年間で 中秋の名月が満月となったのは56回(約37.3%の出現率)だそうです。今年の十五夜も月齢が14.5ですから、十六夜の15.5と区別はつかないでしょうね。こんなことからも「待宵」「十五夜」「十六夜」の3日間ぐらいは月を愛でましょうという「新雲月香」 の趣旨は、案外正解なのかもしれません。
最後に勝負は、下附の如何に関わらず点数の優劣で行います。1要素1点なので、全問正解は「五」です。「皆」や「全」と書かないのは「望月」を引き立たせるための配慮ではないか思います。
「新雲月香」は、構造的には単純ですが、作り出される景色の幅が広い組香なので、「観月の宴」で是非お試しください。月明かりの中での月見の香席も風流でよかろうと思います。
「月の出たらん夜は見おこせ給へ。見すて奉りてまかる空よりおちぬべき心ちす。」(かぐや姫)
旧暦九月十三日の「後の月」も思い出してくださいね。
(今年は新暦10月8日)
「二夜の月」を見ないのは「片見月」といって良くないそうですよ。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
Copyright, kazz921 All Right Reserved
無断模写・転写を禁じます。