三月の組香

宮人の出世をテーマにした組香です。

要素名の官位が聞の名目で一位以上昇進するところが特徴です

 ※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は5種用意します。

  2. 要素名は、「亞相 (あしょう)」「黄門(こうもん)」「中将(ちゅうじょう)」「少将(しょうしょう)」「侍従(じじゅう)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「亞相」「黄門」「中将」「少将」「侍従」は各3包(計15包)作ります。

  5. これを「亞相、黄門、中将、少将、侍従」と1種類ずつ、試香用、本香A段用、本香B段用として「結び置き」します。(計3組)

  6. この組香は、「札打ち」と言って、専用の香札を使用します。(名乗紙でも遊ぶことができます。)

  7. 札の表には、飛香舎」「昭陽舎」「紫宸殿」「弘徽殿」「清涼殿」「淑景舎」「仁寿殿」「温明殿」「襲芳舎」「凝華舎」と書かれており、連衆は、それぞれ平安宮内裏殿舎の名名乗(なのり⇒香席での仮名)として使用します。

  8. また、札の裏には、「三公」「儀同三司」「黄門」「参儀」「蔵人」「一位」「二位」「三位」「四位」「五位」と聞の名目が書かれており、答えの投票に使用するようになっています。

  9. 香札が廻されたら、自分の名乗に対応した札の小箱を1組取ります。

  10. ※ 例えば「飛香舎」の名乗に指定された人は、「飛香舎」の文字が表に書かれ、裏に「三公」「儀同三司」「黄門」「参儀」「蔵人」「一位」「二位」「三位」「四位」「五位」と書かれた札(計10枚)を使用します。

  11. 試香は、あらかじめ結び置いた3組のうち1組「亞相、黄門、中将、少将、侍従」各1包を試香として順に焚き出します。 (計5包)

  12. 本香A段は、手元に残った2組のうちの1組「亞相、黄門、中将、少将、侍従」各1包を打ち交ぜて焚き出します。 (計5包)

  13. A段は、5炉廻ります。

  14. 香札は、1炉聞くごとに廻される札筒(ふだづつ:札を投票する筒)や折居(おりすえ:香札を入れておく畳紙)に入れて投票します。

  15. A段を焚き終えたら、最後に手元に残った1組「亞相、黄門、中将、少将、侍従」各1包を打ち交ぜ、任意に4包引き去ります。 (5-4=1包)

  16. ここで引き去られた4包は使用しませんので、総包に戻します。

  17. B段は、1炉のみ廻ります。

  18. B段も答えは、要素名を記載した香札で投票します。(名乗紙を用いる場合は、A・B段合わせて6炉分の答えを書き記します。)

  19. 下附は、「1要素」を1点に換算して点数で書き記します。(6点満点)

 

「春惜月」は人も惜しまれつつ移り行く季節です。

私事で恐縮ですが、我が家の娘も今月小学校を卒業することとなりました。思えばこの6年間「よくぞここまで親に感動を与えてくれたものだ。」と只々感謝です。子育ては確かに苦労も多いですのが、私のような感情希薄な人間を手放しで泣かせてくれるのは、やはり子供しかありませんでした。そして、その涙がいつも「感涙」であったことは、本当に運が良かったのだと思っています。 一方、子供が成長して参りますと、宮仕えの親父てとしては、そろそろ「単身赴任」などという人生のハードルも見えてきます。私も「いつ御下命があっても大丈夫」という心の準備は、常々怠ることができない年代になりました。思えば、今月に入学・卒業・就職・転勤等で屋移りをされる方は日本中にいったい何人いるのでしょう?また、居所を同じくして学校や職場の環境、ポスト等が変る方もおられるでしょう。 居所を移る方もそうでない方も「新天地」での仕事と人間関係のコツをできるだけ早く掴んで、自分本来のパフォーマンスを最大限発揮されることを願っております。

今月は、宮中の出世をテーマにした「轉任香 」(てんにんこう)(以下、「転任香」と記します。)をご紹介しましょう。

 「転任香」は、金鈴斎居由(写)の『聞香秘録』の『香道志野すすき(上)』に掲載のある組香です。同じく出世をテーマにした組香は、『香道秋乃最中(全) 』の「補任香(ほにんこう)」があります。平安宮中では、あらかじめ門地等によりポストが定められていたこともあり、言わば「家長の官位」が家名のステータスともなっていたため、出世争いは官人の全人格を賭して熾烈を極めたようです。「お歯黒宮人」のイメージに毒されているかもしれませんが、一介の官人が帝の信頼篤く抜擢でもされたものなら、上官の「ねたみ」や「そねみ」、同僚同士の足の引っ張り合いにもさいなまれたでしょう。また、出世して「一角の者」となれば、大臣家同士の確執に絡む人脈への取り込みにも遭遇して、禁中の裏世界は、正しく「伏魔殿」さながらの様相を呈していたのではないでしょうか?現代のサラリーマン社会や香道界にもありがちなことですが、それとは比べものにならないほど厳しい寡頭競争であったに違いありません。

「雅な遊芸」の世界にあって、このような貴族の出世をテーマとすることは、 当事者意識のある貴族社会では、考えも及ばないことだったでしょう。この組香は、武家社会の中で、「平安貴族の官位・出世を玩ぶ」ことが許される時代と地位を背景に生まれた非常にデモクラティックなものと言えるのではないでしょうか?

まず、この組香は「札打ち(ふだうち)」といって、専用の香札を答えの投票に使って遊ぶ形式となっています。札の表には、平安京内裏の五舎十七殿の名前が書いてあり、連衆は順々に廻された香札の小箱を取り、その香札の表に「札紋(ふだもん)」として記載されている殿舎名を名乗とします。 また、札の裏には「聞の名目(ききのみょうもく)である「三公」「儀同三司」「黄門」「参儀」「蔵人」「一位」「二位」「三位」「四位」「五位」の文字がそれぞれ書かれており、各自10枚の札を使って答えの投票に使用します。(実際に使うのはそのうち6枚です。)

出典に記載のある殿舎名は以下のとおりです。

平安京内裏の五舎

飛香舎(ひぎょうしゃ)・・・中宮・女御などが居住したところです。庭に藤樹があったため「藤壺」と呼ばれました。

淑景舎(しげいしゃ)・・・女御、更衣の住居となった殿舎です。庭に桐樹があったため「桐壺」と呼ばれました。

昭陽舎(しょうようしゃ)・・・女官の詰所で、時には東宮の御在所となりました。庭前に梨の木が植えてあったので「梨壺」と呼ばれました。

襲芳舎(しゅうほうしゃ)・・・後宮の局(つぼね)に用いられました。落雷にあった木があったので「雷鳴壺(かんなりつぼ)」「かみなりのつぼ」と呼ばれました。

凝華舎(ぎょうかしゃ)・・・女官の部屋です。前庭に紅梅(東)、白梅(西)植えていたので梅壺」と呼ばれました。

平安京内裏の十七殿

平安内裏には、紫宸殿・仁寿殿・承香殿・常寧殿・貞観殿・春興殿・宜陽殿・綾綺殿・温明殿・麗景殿・宣耀殿・安福殿・校書殿・清涼殿・後涼殿・弘徽殿・登花殿などがありますが、伝書の中では以下の殿舎が掲載されています。

仁寿殿(じじゅうでん)・・・元々は天皇の常の座所でしたが、後に常の座所は清涼殿となったため、ここでは、内宴、相撲、御遊などが行われました。

紫宸殿(ししんでん)・・・神明造りの内裏の正殿で、南面中央に 18段の階があり、その前方左右に「桜」と「橘」が植えてありました。即位、朝賀、節会(せちえ)などの公式の儀式を行われました。

弘徽殿(こきでん)・・・皇后、中宮、女御などの居所に使われたところです。

清涼殿(せいりょうでん)・・・単層入母屋造の殿舎で、東面(正面)では、四方拝、小朝拝、叙位、除目(じもく)、御前の評定などの儀式や政務、時には、御遊なども行われました。

温明殿(うんめいでん)・・・紫宸殿の東北にあたり、南部を賢所(かしこどころ)とし、神鏡を安置していました。

名乗は、連衆の人数によっては十七殿を全て使うことも可能かと思います。出典では、香札を使うためあらかじめ10名分の名乗を用意しています。殿舎の序列については飛香舎、昭陽舎、紫宸殿、弘徽殿、清涼殿、淑景舎、仁寿殿、温明殿、襲芳舎、凝華舎」と掲載されていますが、どのような法則で並べたものか察しが付きません。また、「小引本文」と「転任香記録之図」とでも名乗の序列が相違するため、改めて殿舎の機能・格式の軽重を勘案しながら序列を工夫するのもよろしいかと思います。

各殿舎の配置については、説明を省きましたので、下記を参照してください。

平安京内裏図

次に、この組香の香種は5種ですが、要素名を見ればこれが「官位」に相当する数であるということは自然に分かると思います。「五位」について、思いつくところは、清涼殿の殿上の間に昇ることを許された「殿上人(てんじょうびと)」の官位が基本的には五位までとされていたので、これを素材にして殿上を組香の舞台としたものと思われます。

また、香数については、A段5包+B段1包=6包となっています。、A段の5包については、要素を聞き当て、聞きの名目に対応させるだけですので、後述のとおり登場実物5名の「昇進」と解釈してよろしいかと思われます。B段について5包から1包取り出して焚く香は、「昇任者の追加」や「抜擢」を意味するものと推測されます。

本香A段では、試香と同じ内容の香(5包)をシャッフルし焚き出します。連衆は、A段の聞の名目に従って、例えば「亞相」の香と聞けば裏に「三公」と書かれた香札を投票します。これを5回繰り返して、続くB段では、試香と同じ内容の香(5包)シャッフルしその中から任意に1包取り出して焚き出します。連衆はB段の聞の名目に従って、例えば「亞相」の香と聞けば裏に「一位」と書かれた香札を投票します。そうして、総計6炉分の香を焚き、答えを投票します。この香は「転任香」専用の札が必要ですが、誂えなければなりませんので、札打ちせずに名乗紙で略すこともできます。その際は、名乗紙に6炉分の答えを書き記します。

 さて、各段の聞の名目について、要素名とともに解釈を加えると「転任香」の名前の由来がはっきりしてきます。ここでは、聞きの名目と要素名を「偉い順」に並べて見ましょう。

三公(さんこう)・・・もともとは中国の官名で最高の地位にあって天子を補佐する三人を言います。律令制官職のうち太政大臣・左大臣・右大臣の総称です。 

亜相(あしょう)・・・天子を助けて国政を司った最高の官である「丞相(しょうじょう)に亜(つ)ぐ」という意味から大臣の次官で、大納言の唐名のことです。

儀同三司(ぎどう‐さんし)・・・直訳すると「その儀礼の格式が三司に同じ」という意味です。三司とは太政大臣・左右大臣を意味し、官位が大臣と納言の中間にある准大臣の異称として中国で使われました。

黄門(こうもん)・・・ご存知のとおり「黄門侍郎」の略で、中納言の唐名です。 

参議(さんぎ)・・・蔵人頭・左右大弁・近衛中将・左中弁・式部大輔のほか、五か国の国司歴任者、三位の位階を持つ者の中から任命されました。大臣、大・中納言に次ぐ重職でした。→出典では「参儀」

中将(ちゅうじょう)・・・左右近衛府の次官、文字通り大将と少将の間の職で、従四位下相当官でした。ただし、三位で任ぜられる者も多く、参議でこれを兼任するのが常例でした。また、蔵人頭(くろうどのとう)を兼ねる者を「頭の中将」と言いました。 

蔵人(くろうど)・・・蔵人所(くろうどどころ)の職員のことで。官位は幅広く「蔵人頭(四位)」や「五位の蔵人」、「六位の蔵人」が存在しました。特に許された「六位の蔵人」は「殿上人」として扱われました。

少将(しょうしょう)・・・左右近衛府の次官で中将の次位、左右近衛府では正五位下相当職でした。 

侍従(じじゅう)・・・律令官制では、中務省の官人で天皇に近侍して護衛し、その用を務める従五位下相当官でした。黄門(こうもん)

※ 黒字が「要素名」、緑字がA段の「聞の名目」です。 

さらに、B段の聞の名目である「位階」について分かりやすく一覧にするとおよそ以下のとおりとなります。

                 官位相当表

位 階

(B段の聞の名目)

職  名

  (A段の聞の名目)

一位

太政大臣(三公)

二位

左大臣(三公)、右大臣(三公)、内大臣

准大臣(儀同三司)

三位

大納言(亞相)

中納言(黄門)、尹、大将、帥

四位

中務卿

参議、卿、蔵人頭

大弁

伯、大夫、大弼、中将、督、大弐、勘解由長官

五位

中弁、少弐

少弁、大輔、少弼、少将、五位蔵人

頭、佐、(大国の)守

大副、少納言、侍従、少輔、亮、勘解由次官

      ( )内は中国名との対応です。

 以上のとおり、この組香では「要素名の官位が聞の名目で一位以上昇進する」ように対応されています。「侍従」が「黄門」に補任されるのは、やはり天皇の側近であることからの「大抜擢!」を意味するものではないか思われます。また、「少将」が昇任する役職であれば「五位・六位の蔵人」では役不足であり、正四位下の「蔵人頭」あたりに昇進するのが相当でしょう。このことは、後の伝書で「蔵人」→「蔵人頭」に訂正されています。このようにも「転任香」は官位が昇進することをテーマとしたおめでたい組香であるとも言えましょう。

最後に、記録については、取り立てて変ったところはありません。札打ちの場合は「一*柱開」(いっちゅうびらき:一炉聞いたら即座に投票して回答を宣言する方式)が基本とも思いましたが、伝書にその旨が記載されていないので、折居に一旦札を留め置いて、本香が焚き終わった後で一度に答えを開く「十*柱香之式」形式でイメージしました。(こうすれば、名乗紙を使っても大差はありません。) また、『香道しのすすき(上)』では、香之記録図が小引の本文と違うものが記載してあります。小引本文の方は、今回の説明と同じ「六*柱焚き」ですが、記録図の方はB段でも引き去りを行わず、5包全部を焚き、聞きの名目がA段・B段2種類、5つずつ並ぶ「十*柱焚き」でした。文と図が矛盾していましたので、 他の香書等も参照して、今回は「六*柱焚き」を正当としてご紹介することとしました。 なお、下附は、1要素当るごとに1点を点数で書き記し、満点は6点となります。

当った数により、連衆に官位が与えられるという下附ならば、楽しさも倍増かもしれませんね。 「大富豪」「富豪」「平民」「貧民」「大貧民」とか・・・。(^^)

 

転勤や転校を「人生の転機」とする方もおられるようです。

是非ポジティブに新たな人生を展開して欲しいものだと思います。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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