七月の組香

穏やかな寝姿に禅の真理を読み取る組香です。

「1回休みルール」のあることが特徴です。

 

説明

  1. 香木は、4種用意します。

  2. 要素名は、「豊干(ぶかん)」「寒山(かんざん)」「拾得(じっとく)」そして「虎(とら)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「豊干」「寒山」「拾得」は各4包、「虎」は1包作ります。

  5. 「豊干」「寒山」「拾得」のそれぞれ1包ずつ(計3包)を試香として焚きます。

  6. 残った「豊干」「寒山」「拾得」の各「虎」1包を加えて(計10包)を打ち交ぜます。

  7. 本香は「一*柱開(いっちゅうびらき)」で10炉廻ります。

※ 「一*柱開」とは、香札等を使用して「香炉が1炉廻る毎に1回答えを投票し、香記に記録する」やり方です。

  1. 答えは、1炉ごとに要素名に見合った札を打ちます。

  2. ただし、「豊干」を聞き外した場合は、「夢」と解答欄に記され、次の1炉が聞けません。(1回休み)

  3. 点数は、「虎」の独聞(ひとりぎき)は5点、二人聞は3点、その他は各1点です。

  4. ただし、「虎」を聞き外した場合は、星2点がつきます。(減点)

  5. 下附は、全部当たれば「十聞(つづぎき)」、その他は「点」と「星」を併記します。

 

梅雨の鬱陶しさが消えて、夏も本番となりますと、恋しいのは「木陰の涼しさ」ですね。木陰は、単に日影を提供するだけではなく、気化熱による涼しさやフィトンチッド等によるアロマ効果も与えてくれます。飛び交う虫が気にならなければ、夏の昼寝場所としては、最高の環境です。

以前、「風香」のコラムに「私は、子供の頃、夏休みの昼寝をしている時にフ〜ッと頬をなでて吹き過ぎるそよ風が好きでした。」書いたことがありました。人の親となって 、団扇で扇いでやりながら、いつしか子供と折り重なるようにして腹を出して眠った「お昼寝」も今では懐かしく感じられます。それは、「まどろみ」の心地良さのみならず、涼風が時折頬を撫で、サラサラとしたガーゼの肌がけや柔らかい肢体が触れ合うといった触覚的な快感も手伝ってのことであったような気がします。

つい最近、そんな至福の「午睡」に似た感覚にとらわれる穏やかな絵を見つけました。禅画にしては、「可愛くてキュート 」なこの絵は、意外に有名な「重要文化財」でした。

今月は、眠り姿に禅の境地をみる「四睡香(しすいこう)をご紹介しましょう。

この組香は、『勅撰新十與香』金鈴斎居由写「聞香秘録」)に掲載のある組香です。「四睡」とは、読んで字の如く「四つの眠り」です。その四つとは、豊干、寒山、拾得という三人の人物と一匹の虎のことです。この四つの眠りを題材にした禅画「四睡図(しすいず)」は、「幽寂悟道」(ゆうじゃくごどう)の真理を示すと言われ、道釈画(どうしゃくが)の典型的な画題の1つとなっています。

「道釈画」というのは、「道を釈く画」ではなく「教と迦」の意味で「禅の思想に関わってくる道教系の仙人・天女と仏教系の諸仏・高僧を描いた人物画」のことです。掛け軸に良く見られる仏教系の有名人には、「達磨さん」と「布袋さん」がおり、道教系には「ガマ仙人」がいます。

「四睡図」といえば、元代の禅僧:因陀羅(いんだら)筆の国宝もあるようですが、私が出逢ったのは、元の時代に中国に渡った禅僧:黙庵筆の「四睡図」(東京 前田育徳会蔵)でした。この四睡図には、お供の「虎」に肘をついてもたれかかる布袋腹の「豊干」を挟んで、オカッパ頭の「寒山」と「拾得」(左右どちらかは不明)がともに寄り添って眠る姿が描かれています。実際には、寒山の棲家である寒巌石窟付近が背景ということなので、「寒さが厳しいために寄り添って眠る乞食坊主たち」なのかもしれませんが、私にはいかにも虎の毛皮がフカフカして「暖かくて、眠くて、お腹いっぱい」という「シアワセ〜な」感じがするのです。禅の真理を講釈するのは、恐れ多いことですが、「人間、悟りを開くと自由になる。自由で無邪気に成るとこんなにシアワセでキモチイイ。」と教えてくれているような気がします。

まず、この組香に証歌はありませんが、四睡図という画面のイメージそのものが香席全体の風景を規定していると考えてよいでしょう。そのため、要素名は、「豊干」「寒山」「拾得」「虎」という四睡図に描かれている人と動物となります。以下、要素名を簡単に説明しましょう。(三人の人となりについては、森鴎外著「寒山拾得」を参考としています。)

「豊干」(ぶかん)

天台山国清寺の禅師で、ある日虎に乗って帰ってから、僧たちに尊敬され、重んじられるようになったのが気詰まりだったのか、虎に乗って行脚に出てしまいます。寒山・拾得の師匠とも言われますが、「実際に精神的に達観していたのは、寒山・拾得の方である」という認識があったのでしょう「寒山は文殊、拾得は普賢である。」と台州の主簿(知事)の閭丘胤(りょきゅういん)に紹介しています。また国清寺の僧、道翹(どうぎょう)は、豊干のことを「生きた阿羅漢だ。」と閭に紹介しています。

「寒山」(かんざん)

中国・唐代に浙江省の天台山に住んでいた平民詩人で、始豊県(天台県)の西70里の山中にある寒巌の石窟に住んでいました。ときどき国清寺に来て、食事係をしていた友人の拾得から竹筒に入った残飯を貰って食べたりしています。「時折、寺の廊下で騒いだりするので、僧が追い払うと、大笑して警句などを吐いたりして去った。」ということで、風貌は貧窮した風狂人ですが、常人では作ることのできない漢詩を石窟の壁や竹木に残しており、後に、閭と道翹が二百種余りを写しとって『寒山子詩集』を編纂しています。

「拾得」(じっとく)

天台山国清寺で、豊干が路傍から拾ってきて寺に住まわせた行者です。ある日、上座にある賓頭盧尊者(びんずるそんしゃ)の仏像と向き合って一緒に食事をしていたのを見つかって、それ以来、食事の労務に従事させられていました。「寺の護伽藍神廟に供えた食物が、鳥にあらされるのを見て『食物さえ守れないお前に伽藍が守れるかーっ!』と神像を殴り倒した」という奇行のエピソードもあります。

「虎」(とら)

豊干が従えて乗用にしていた虎です。黙庵筆の「四睡図」では、睫毛があり、口を「へ」の字に曲げています。三人に寄りかかられて窮屈なのか、豊干の肘鉄が痛いのか「ふん。しょうがねぇな。」と言った感じで眠る姿が、流石、客香に値するベストキャラクターですね。

次に、この組香の構造ですが、いわゆる四種十香の「有試十*柱香」とイメージしていただければ結構です。「三葉一花」ならぬ「三人一獣香」ですね。「豊干」「寒山」「拾得」は試香として焚き出し、残った各々3包(計9包)に「虎」1包を加えて打ちませて焚き出します。聞き方は「一*柱開」となっていますので「香札」を用い、「一」は豊干、「二」は寒山、「三」は拾得、「ウ」は虎と読み替えて、1炉聞くごとに答えを投票して、正解を宣言し、当否を記録します。小引の記録例には、豊干を「フ」、寒山を「カ」、拾得を「シ」、虎は「ト」とカタカナで略記されています。

さて、この組香の最大の特徴は、「豊干を聞き外した場合は、記録に『夢』と記し、次の1炉を休む」というルールで、出典には「豊干の香嗅ざる人は、記録へ夢と書き、次の香炉一順をのぞき、その次より嗅べし。」との記述があります。このように双六で言う「1回休み」ルールが盛り込まれた組香は大変珍しく、「一*柱開」ならではの趣向ではないかと思います。この「1回休み」は、まがりなりにも一行の首領である「豊干」を聞き外したことによるペナルティーなのでしょうが、香炉一巡を休んでしまえば、勿論、その回は点数にならないわけですから、的中者とそうでない者の点差が一層開くこととなりますので、なかなか緊張感のある聞香になろうかと思います。

また、聞き外しを「夢」と記すことも、「四睡」の趣旨に添ったものでしょう。これは、深く眠りすぎたため「夢」に気を取られて聞き外したものか、無我の眠りに「夢」を見てしまったことへの宗教的ペナルティなのかは解釈の判断がつきません。私としては、「夢」を見たために「コクリッ」としてうっすら目覚め、ヨダレなどぬぐいながらまた眠りにつくといった、「四睡」の気が乱れた瞬間の風景を香記から連想させるもののようにも思えます。

更に 、この組香は、点数のつけ方にも特徴があります。まず、基本は「得失点法」によるということです。主な得点は、「虎」の香の独聞(ひとりぎき:連衆の中でたった一人聞き当てた場合)は5点が加算されます。また、「虎」の二人聞(連衆の中で二人が聞き当てた場合)は3点が加算されます。「虎」の香でも三人以上が聞き当てた場合は、他の要素と同じく各1点の加点となります。一方、「虎」の聞き外しのみに星2点という失点がつき、前述の得点から減点されます。

下附は、聞き当てた得点が「6」であれば、「点六」と記載し、失点が「2」であれば「星二」と記載します。これら、得点と失点を連衆ごとに 並記して、差し引き合計の多少により勝負を決します。また、満点は「十聞(つづぎき)」と記載します。

最後に、「四睡図」の深読みをいたしますと、生涯、破天荒に修道してきた「生まれっぱなしの爺さん」たちは「眠っていれば気持ちいいよ。」と言う姿で、禅でいうところの「無我の境地」を教えてくれているような気がします。また、ふと豊干の視線の先に目をやると前景に描かれた黒い石の形が一塊になった「三人一獣」の寝姿と相似形をなしており、「気持ちよさそうに眠る無我の三人一獣も、結局は、大地に置かれた1つの石くれと同じである。」とでも物語っているようです。こんな含蓄深い「無我の境地」を気負い無く書ける禅余画人の黙庵もまた「無我の人」であったのだろうと思います。

「道」を求めるということは「日々の務めが道そのものに昇華して行く生き方をすること」なのかもしれません。我々香人も「香」を愛し、嗜み、日々「香的生活」を続けることによってのみ、求道の道が拓けるのではないでしょうか?聞香も「無」の境地には通ずるものがありますが、座禅中に「夢」とならないようお気をつけください。とりあえず、難しい精神論はお預けにして、「四睡香」で「愛らしい虎の顔」「暖かくて、眠くて、お腹いっぱい」の世界をご堪能されてはいかがでしょうか。

 

漢詩も禅語も難しいですが、一幅の絵画にとてつもない達観のオーラがある。

それは「真意」が右脳にむけてアクセスして来ているのです。

名香の香気にも同様のことが言えますね。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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