二月の組香

『源氏物語』のうち最も薫り高い「梅が枝」をテーマとした組香です。

薫物合の出品者や判者になったつもりで聞いてみましょう。

説明

     

  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名は、「一」「二」「三」と「ウ」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「一」「二」「三」は各4包、「ウ」3包作ります。(計15包)

  5. 「一」「二」「三」は各1包をそれぞれ試香として焚き出します。(計3包)

  6. 残った「一」「二」「三」各3包と「ウ」3包を打ち交ぜて焚き出します。 (計12包)

  7. 本香は、「一*柱開(いっちゅうびらき)」で12炉回ります。

−以降8番から11番までを12回繰り返します。−

  1. 連衆は1炉ごとに答えを「香札」で投票します。

  2. 香元が正解を宣言します。

  3. 執筆は香記に連衆の答えを書き記し、正解に傍点を付します。

  4. 盤者は、所定の方法で正解者の人形を進めます。(後述)

  5. この組香は、盤上の勝負記録上の勝負の勝者が異なる場合があります。

  6. 下附は、点数で書き記し、客香は2点、その他は1点となります。  

   

厳しい寒さが続いておりますが、立春ともなりますと 陽の光が次第に生気を帯びてきます。

小さな草花が暖かさに誘われるように陽だまりで咲きはじめ「春近し」と感じさせてくれますね。用水堀の土手の南斜面、融けかかった霜柱の横でコバルトブルーの花を咲かせるオオイヌノフグリが、私にとっての「如月の風景」です。オオイヌノフグリは1日花で、朝開いて夕方には閉じて落下してしまうことをご存知だったでしょうか?ですから、今日見た花は明日に見ることはありません。そんな儚い花でありながら、夕方には花弁を閉じることによって雄しべと雌しべをくっ付けて自家受粉しまう強かさも併せ持っています。そうしてできた2つの果実の形が、この可愛そうな名前の由来となっています。

先月は、初釜の席に寄せて、練香を畳んでみました(香道詞遣いでは「練る」とは言いません)。もともと、初冬に練っておいた「黒方」の出来具合を見て、その細部を席に合せて調整しただけですが、名前は茶室の名に因んで「緑水の松」と付けました。いずれ、香人の手慰みですから、十六粒しかできませんでしたが、一般の練香に比べれば「質の良い香木」(伽羅、沈香、白檀)をふんだんに使っていることは間違いありません。このサイトにも練香のレシピを掲載していますので以前に再現を試みましたが、レシピのまま作っても、かなり「おおらか」と言うか「わかりやすい」香りになってしまいます。「承和の秘法」といわれるレシピも書物にすれば、かなり単純なものですから、中世の練香はそんなものだったのか?更に 「門外不出の秘伝」が加えられたのか?興味はつきません。以前、「六種の焚物の家伝のレシピ」というものを教えていただいたことがありますが、こちらは複雑で香料の種類も倍近くありました。最も驚いたのは、「沈香」でも「甘」「辛」「苦」「静」等、性質を分けて複数用いているところです。単に「沈香四両」とか書いてあっても、実はこういうことなのかもしれません。全体的にやさしく深く香り立つところが、流石に秘伝という印象でした。

「梅花に梅肉」「菊花に菊の花粉」などというのは良く聞く話ですが、オオイヌノフグリの花粉も一日しか出番のないものですから、特別 な香りがするかもしれません。その昔「香道は一木聞きを正統として、練り物などは邪道」と思っていた私ですが、香道界を辞してからは、練香の楽しみも広がりました。春は彼岸近くが練香の仕込みどころ・・・そろそろ、我がアイデンティティとなる焚物も作って見たいと思います。

今月は、古典文学の香り高い「梅枝香」(うめがえこう)をご紹介いたしましょう。

「梅枝香」は『香道蘭之園(九巻)』に掲載のある組香で、名前を聞けばお分かりのとおり『源氏物語』の第三十二帖「梅枝」(うめがえ)の物語をテーマにした組香です。この組香に証歌はありませんが、梅枝の帖の最初から三段目までの「薫物合(たきものあわせ)」の場面をイメージにした組香であることは、立物として使われる人形や薫物から容易に察することができます。「薫物合」は、薫物の持つ香味を比べて鑑賞し、優劣を競う勝負事で、中世貴族にしてみれば「歌合」「菊合」「根合」「絵合」と同様のいわば全人格を賭けた遊戯です。その起源は定かではありませんが、古くは平安時代の延喜(901)からの平安中期の寛弘(1004)の頃までの典籍に多く登場します。

まず、この組香の文学的背景を理解するために、「梅枝」の該当部分を簡単にご紹介いたしましょう。

梅枝の帖

光源氏三十九歳の春(1〜2月)の物語です。

正月末の公私ともに暇な時期、光源氏は薫物を調合していましたが、ついでに今昔の香木を取り揃えさせて、御夫人方に分け「二種類ずつ調合してください」と言いました。 光源氏は承和帝秘伝の二つの調合法を、紫の上は八条式部卿伝授の調合法を、他の御夫人方たちも互いに競い合い、隠しながら一心に調合しているので、光源氏が「薫物の香りの深浅まで判断して、勝負を決めよう」と言い出しました。

その後、二月十日に雨が少し降って、庭先の紅梅が花盛りという風情の時に、(蛍)兵部卿の宮が訪れたので、光源氏が「この夕方の湿気がある時に香りを試してみよう」と言うと、御方々は、それぞれ様々な趣向を凝らして焚物を届け出て来ました。折りしも手紙を添えて送られてきた朝顔の前斎院の焚物を加えて「これらを判定してください。あなた以外には誰も判定できる人はいませんよ」と光源氏は兵部卿の宮に言って、薫物の優劣の判定をさせました。

兵部卿の宮は・・・

  • 朝顔の前斎院が調合した黒方は、「奥ゆかしくしっとりとした香りが格別ですねー。」

  • 光源氏が調合した侍従は、「優れていて華やかでやさしさがありますねー。」

  • 対の上(紫の上)が調合した梅花は、「華やかで現代的で少し鋭く匂い立つように工夫を加えてあり、今の季節の風に漂わせるようなのには、まったくこれ以上の香りはないでしょう。」

  • 夏の御方(花散里)が調合した荷葉は、「一種変わったしっとりとした香りがして、人柄が偲ばれて心に染み入るようです。」

  • 冬の御方(明石の上)が調合した薫衣香は、「源公忠朝臣が、特別に選んだ百歩の法であり、またとないほどの優美な香りを集めた趣向が優れています。」

・・・と、どれにも花を持たせて判定するので、光源氏は、「当たり障りのない八方美人の判者なことよ。」と兵部卿の宮に言いました。

・・・薫物合のあとの饗宴で弁少将により催馬楽の「梅が枝」が歌われるところがあり、これが帖名の由来ではないかとされています。

上記の部分は、平安時代における香拵えや火取のこと、競べ合せや判のこと等、当時の薫物合の概要を語っている貴重な資料です。薫物合も時代が進み室町時代になると、邦高親王の『五月雨日記』「六種薫物合 文明十年十一月十五日」との記述に始まる委細の記録があります。

次に、この組香は、「梅枝香盤」というゲーム盤を使用して遊びます。また、物語の主な登場人物は、盤上の人形として登場します。使用する盤立物は次の通りです。

【香盤】 番の目が20間あり、これが6本。その間に人形の進む溝が5筋掘ってあります。

【立物】 以下のとおり、人形がそれぞれ1体ずつで10名分です。

※ 上童(うえわらわ)とは、貴族の子弟で、作法見習いのために昇殿を許されて出仕する子供のことです。

香が焚かれる前に、連衆はあらかじめ、「光源氏と上童(侍従)」「紫上と上童(梅花)」・・・等、2人1組で計5組のペアに分かれます。組合せが決まりましたら、それぞれの人形を香盤の溝の両端に向かい合わせて立てておきます。その際、判者役である「兵部卿」の組は、盤の真中の溝に据えられます。

 続いて、この組香の要素名は、「一、二、三、ウ」と匿名化されており、「一、二、三」には試香があり、「ウ」は客香となります。ゲーム盤の駒を進める(得点する)ための素材として使われるため、香銘以外に特段の景色はありません。構造は「有試十*柱香」形式で行われる4種12香の組香です。試香3炉が終った時点で「3包×4種=12包」残り、これをシャッフルして順次焚き出します。形式は「一*柱開」なので、@香が焚き出され、A炉が一巡するごとに香札で回答を投票し、B香元が正解を宣言し、C執筆が記録に留めて当りに傍点を付し、D盤者が当った人の人形を「所定の数」だけ進めます。向かい合わせの人形がそれぞれ進むので、ペアとなっている組の人形は段々近づいて行きます。これは、上童が焚物を寝かせていた甕を掘り出してきて、御方まで運んで来る景色なのだと思います。

 回答に使用する香札については、出典にはなんら記載がないのですが、「十*柱香札」は「一、二、三、ウ」各三枚の12枚ありますから、これで流用が効くと思います。昔は、専用の札があって、裏に「光源氏」、「侍従上童」・・・表に「一」「二」とか書いたものを作っていたのかもしれません。

 打たれた札が正解の場合、執筆と盤者は、1炉ごとに点を振り、人形を進めますが、出典に掲載のある人形の進み数と点数は次のとおりです。

 この「一*柱開」を繰り返して、最初に2体の人形が1つの間で出会った組を「一の勝ち」(1着)とし、同様に2番目に出会った組が「二の勝ち」(2着)となります。出典によれば、2番目の勝ち組が出た時点で盤上の勝負は終わります。ただし、判者である兵部卿の組が早く出会って「勝ち組」に入った場合は、これをカウントせず、「三の勝ち」(3着)が出るまで盤上の勝負を続けます。判者は、薫物合の審判なので、盤上の勝負でも「ニュートラルな立場」というわけです。

 因みに「出会う」とは、双方「10間・10間」の中間で出会う場合のみならず、一方が良く当って18間進み、他方があまり振るわず2間進んだ場合でも、同間で行き合えば出会ったということになります。「一連托生対戦型ゲーム」のペアはいつもお互い「持ちつ持たれつ」の関係になります。

 一方、盤上の勝負がついても、本香がなくなるまで組香を続けるのは、他の盤物と同様です。12の炉が廻り終えたら、執筆は得点を計算して合計点を下附し、最高得点者が記録上の勝ちとなります。

 さて、ここで「組香の景色」と「物語の景色」(梅枝−御方々の薫物−)との微妙な違いに言及しておきたいと思います。

 第1点目は、手紙を添えて薫物を送った朝顔の前斎院は、結果的に薫物合に出品したことになりますが、この組香に登場していません。それは、登場人物の中で もひときわ身分の高い方を玩具にして遊ぶことを避けるという作者の謙譲の意が表されたものと解釈しています。

 第2点目は、明石の上は、物語では季節のものを避けて「薫衣香」を調合したのですが、組香では「黒方」を持った上童を随えます。これは、一見作者の勘違いのようにも見えますが、朝顔の前斎院を立物から外すことによって、最も格式の高い「黒方」の出番が無くなってしまっては困りますので、最もふさわしい明石の上にその任を預けたのだろうと思います。では、「何故、明石の上が黒方を担うのにふさわしいのか?」についてなのですが、元々この薫物合は明石姫君(光源氏と明石の上の娘)の入内準備に端を発して行われたものであり、母親である明石の上に「賀」の意味をこめた「黒方」を据えるのが相当と考えたのだろうと思います。また、父である光源氏にとっても祝い事ですが、こちらは、薫物の秘伝が元来女性のものであったため、謙譲の意味をこめて「侍従」を調合したことを尊重しています。一方、「黒方」の季節を「冬」(冬の時節は「落葉」が一般的)とし、「冬の町」の御方である明石の上に黒方を持たせたという考え方をする説もあるようです。

 このように、調整を加えることによって、組香に登場する薫物が結果的にネームバリューのある「六種の薫物」の範疇に納まり、万民に理解しやすい組香になっているとも言えます。

物語と組香の比較表

登場人物 物語での薫物 組香での薫物
光源氏 侍従(恋) 侍従(恋)
朝顔の前斎院 黒方(賀)(冬)   登場せず
紫上(春の御方) 梅花(春) 梅花(春)
花散里(夏の御方) 荷葉(夏) 荷葉(夏)
明石の上(冬の御方) 薫衣香(−)   黒方(賀)(冬)  
兵部卿 《判者》 《書物》

 余談ですが、「梅枝」の帖に「上童」は登場しません。(光源氏の 「侍従」を掘り出して来た惟光の子、兵衛尉はどう見ても「童」ではないですし、それ以外に子供の「子」の字も出てきません。) これは、上童がそれぞれの御方々に薫物を運んでくる景色をイメージし、あくまで薫物を主体としつつ、玩具としての可愛らしさを演出したものと考えられます。 

 最後に、練香に代表される「空薫物(そらだきもの)」は、雅人のアイデンティティの一環として身体、部屋及びその周辺を薫らせる目的で作られました。「空焚といふは、座敷に香なくしていづくともなく香(こう)の香(か)の薫るをいふなり。」と言われるとおり、「陰の座敷」の存在であるために、香炉を手に取って鷹揚に聞くような大それた作法、式法は作られず、従って一流を構える人も輩出されませんでした。しかし、「熱灰の上に置こうが、銀葉の上に置こうが構わない」と言うように、無作法を以って視覚的な要素を一切度外視したところで聞いてみると、純粋に香気のみを目的として作られている優れた素材であることに気付きます。そのような意味で、「練香」を 畳むこと、賞玩すること、またその出来栄えを競うことは、香人の教養を高め、嗅覚を研ぎ澄ますための有用なトレーニングとなると思います。

 この組香が、源氏物語の薫物合の場面を一木の香によって盤上の勝負に再現したのは、一木聞きと薫物文化の橋渡しをしてくれているような気がします。とはいえ、実は、兵部卿の「心ぎたなき」(当り障りのない)判定のお陰で、後世になって「やはり雌雄を決すべし!」と作者が考案したのかもしれませんが・・・。皆様も中世にタイムトリップして、源氏物語の薫物合に勝負をつけてみてください。

 

「花の香は散りにし枝にとまらねどうつらむ袖に浅くしまめや」(朝顔の前斎院)

(花の香りは散ってしまった枝には残っていませんが、香を焚きしめた袖には深く残るでしょう)

祝事には寂しい歌なので証歌には不向きですが・・・

香人もこうありたいものです。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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