三月の組香
「春の曙」に因んだ和歌をテーマにした組香です。
「秋の夕暮れ」をテーマにした「三夕香」と対比して味わってみましょう。
※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は3種用意します。
要素名は、「霞て帰る」「霞に残る」と「小初瀬山(おはつせやま)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「霞て帰る」「霞に残る」は各3包(計6包)、「小初瀬山」は1包作ります。
「霞て帰る」「霞に残る」のうち各1包(計5包)を試香として焚き出します。
手元に残った「霞て帰る」「霞に残る」各2包と「小初瀬山」1包(計5包)を打ち交ぜて、その中から任意に2包を引き去り焚き出します。
本香は、3炉廻ります。
答えは、名乗紙に要素名を出た順に記載します。
記録は、連衆の記載のとおりに要素名で記載し、当たりには傍点を掛けます。
この組香の出典に下附はありませんが、「1要素」を1点に換算して勝負を決します。
「曙」という言葉には、物事の始まりをイメージするエネルギーが満ちていますね。
生きとし生ける物が冬篭りから目覚める春の・・・さらに夜明け・・・私はこの言葉になんとなく「冒険」を誘うイメージを持っています。若い頃「スローなブギにしてくれ」という映画があり、その最初のシーンに映される、薄紫色の無機的な都会の風景が好きでした。田舎育ちの私は、その夜明け見たさに何度となく用事を見つけては、深夜東京に向かったものです。深夜バスで向かう8時間の旅は、「細く尖がった田舎の小僧」には間違い無く 「冒険」で、白々と明けていく空は、正に「人生の春暁」でした。
一方、「春の曙」について古典からアプローチすると、『枕草子』の冒頭に「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山きぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。」と書かれている件は、あまりにも有名です。清少納言は、第二段で
恋する二人には、「あかつきばかりうきものはなし」ということでしょうが、帰る道すがらに見える「薄紫に煙る街の風景とモーニングムーン」は、大切に心に留めて置くことをお奨めします。
今月は、「春の曙」に因んだ和歌の景色をお香で味わう「三曙香
」
三曙香は、大枝流芳編集の『香道千代乃秋(中)』に「新組香十品」として掲載のある組香で、三上双巒の作とされています。「三」の名前ついた組香は、ざっと思い当たるだけでも「三*柱香(系図)」、「三夕香(歌3首)」、「三友香(松、竹、梅)」、「三景香(厳島、松島、天橋立)」、「三島香(厳島、江ノ島、竹生島)」、「三教香(儒、仏、道)」、「三壷香(蓬莱、方丈、瀛州)」、「三才香(天、地、人)」、「三徳香(智、仁、勇)」、「三道香(儒、仏、神)」、「三戒香(酒、色、財)」、「三星香(福、祿、壽)」、「三鳥香(呼子、百千、稲負)」・・・と枚挙に暇がなく、漢数字の付いた組香の中では最も数多く存在しています。この組香は、その中でも三位一体の概念からなる「三○香」ではなく、「三夕 香(歌3首)」同様、単に「数」として3首の和歌を題材に取った作品です。
まず、この組香の証歌は・・・
「和田乃原雲に雁がね浪に舟霞て帰る春の曙」
「たとへてもいはむかたなし山桜霞にのこる春の曙」
「鐘の音も花乃かほりに成りにけり小初瀬山の春の曙」
・・・の3首となっており、すべての歌が「春の曙」の句で締め括られています。(出典記載のとおり)
ここで皆様もお気付きでしょう。この組香は、かの有名な「三夕香 (さんせきこう)」の対比として作られたものではないかと思います。「三夕香」は、同じ大枝流芳編集の『香道秋農光(中)』に「中古組香十品」として紹介されている比較的古い組香です。
こちらは、新古今集の名歌3首すなわち・・・
「心なき身にもあはれはは知られけり鴫たつさはの秋のゆふぐれ(西行)」
「淋しさは其のいろとしもなかりけり眞木たつ山のあきの夕ぐれ(寂連)」
「見渡せば花ももみじもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ(定家)」
・・・をテーマに作られた組香で、すべての歌が「秋の夕暮れ」の句で締め括られています。また、要素名に「鴫立澤(しぎたつさわ)」、「槇立山(まきたつやま)」、「浦苫屋(うらのとまや)」と各歌の第四句を用いているところも共通しています。おそらく作者は、この組香から発想を得て「秋の夕暮れ⇔春の曙」を対比させ「三夕⇔三曙」を創作するに至ったのだと思います。
この組香の要素名は、「霞て帰る(かすみてかえる)」「霞に残る(かすみにのこる)」「小初瀬山の(おはつせやまの)」と第四句の7文字がそのまま配置され、「三夕香」とは送り仮名を省略せずに用いているところが微妙に違いますが、香記の景色に関しては同様の発想がなされています。
一方、この2つの組香は、「香3種、本香3包」ということでは共通していますが、三曙香が「3T+3T+1=5−2=3」(Tは試香としてそれぞれ1包焚き出す意味)で、試香を焚き出した後に残った5包から任意に2包引き去って本香数は3包とするところが異なっています。「任意に2包引き去る」という作業は、香の出に偶発性とバリエーションを加える目的で新たに試みられた趣向でしょう。ただし、このことによって、3種の香(要素)のうち、どれか1つが出ない可能性もはらむことになり(香の出の例:「小初瀬山の」「霞に残る」「霞に残る」)、その際は「二曙香ですねぇ。」ということになります。さらに、客香である「小初瀬山の」が出ない場合は誠に味気ない感じもするため、このことを評価しない向きも多いかと思います。
もっとも、「三夕香」にも「2T+2T+1=3−2=1」で「本香1包のみ」という組香もあったということを大枝流芳が「非なり。勝ちて故なき事なり。」と批判していることから、現在、一般化している「2T+2T+1=3」(3要素すべてが順序を変えて出るだけ)の「三夕香」にも偶発性を狙った構造が試みられていたことは間違いないようです。当時、大枝流芳と一緒に活動していた三上双巒は、この組香を基礎にして「勝ちて故なき1*柱聞き」のみを「3*柱聞き」に改定したのかもしれません。
この組香の聞き方は、一般的な組香と同様、3炉を順に聞き、聞き終わってから名乗紙に要素名となっている句を出た順に書き記します。記録もそのまま各自の答えを要素名で書き記し、当りには傍点を付しますが、出典の「三曙香之記」では各自の名乗が答えの下に記されているのが特徴です。また、点数については、出典に「独聞あらば二点。ウも二点たるべし。」と記載されていますが、下附は無く、傍点のみで判断する仕組みとなっており、最終的な勝負は、傍点(点数)の多い人が勝ちとなります。この点、昔の香記にはまま見受けられる書式ですが、現代の一般的な組香同様に「名乗りは上」「点数は下附」と改めても支障ないと思います。
さて、ここで「三曙香」にまつわる疑問に言及したいと思います。証歌は、前述のとおり3首あるので、その出典を調べてみましたところ・・・
「和田の原・・・」の証歌には、「わたのはら雲にかりがねなみにふねかすみてかへるはるのゆうぐれ(千五百番歌合213 左大臣:藤原良経)」
「たとへても・・・」の証歌には、「たとへてもいはむかたなしやまざくらかすみにかをるはるのあけぼの(千五百番歌合294 釈阿:藤原俊成)」
「鐘の音も・・・」の歌には、建久五年夏左大臣家歌合泊瀬山「鐘のおとも花のかをりになりはてぬをはつせ山の春の曙(拾遺愚草2162 藤原定家)」
・・・がそれぞれ思い当たります。どれを取っても下線部が微妙に違い、「和田の原・・・」については結句が「夕暮れ」ですから既に趣旨そのものが異なることとなります。??
角川「国歌大観」掲載の歌を「春の曙」(漢字かなまじり含む)で検索すると548首もありますから、「三曙香」の証歌3首を選び出すことなど作者にとって容易な筈なのに、どうして、このように違いが出るものかと疑問に思いました。当時、流布されている歌集は写本が多いですから、その内容は様々だった筈です。その中で偶然、三上双巒が手に取った本が「異本」だったのでしょうか?それとも、中古の歌を素材にして、自分なりの「三曙」の歌を捻ったものなのでしょうか?いずれにしろ、出典優先の伝書の世界では、証歌の伝授を守らなければならない訳ですから、この3首を「出典不明」「詠み人しらず」で伝えていくしかないのかもしれません。
最後に、「三曙香」は、証歌や要素名の起用、構造において、いまひとつ際立った美しさに乏しく、完成度の点でどうしても「三友香」に劣るというのが正直な印象ですが、香組みに腐心し、3首の和歌の持つ世界をお香によって際立たせることで、季節やテーマをうまく棲み分け、単なる「三夕香」の模倣ではない独自の世界が広がるかもしれませんね。
凡そ、文筆活動においては、「夜のインスピレーション」と「朝」のそれは恐ろしくかけ離れていることがあります。このようなコラムを書いているのも大概が深夜ですが、暁の訪れとともに私の魂も浄化されて「夜」の文章から「煽情的」な部分や「自己欺瞞」が削ぎ落とされていくようです。「夜に書いたラブレターは必ず朝に見直すべし」も定説ですね。本当は、朝は早く起きて、ゆったりと散歩し、天地の陽気を一杯に吸い込んで暮らすのが一番でしょうが、それでは「文人」らしくない・・・。夜寒も和らいだ今月は「春の曙」を楽しむために、せいぜい夜明かしをして見ましょうか。
夜を三分割すると「宵→夜中→暁」となり、暁は夜の概念であることがわかります。
だから「暁の別れ」は夜陰に紛れて帰るわけですね。
そして、夜は「暁→東雲→曙→朝ぼらけ」と明けて行きます。
日本語は、「空が明るくなって来た時分」だけでも描写が細やかですね。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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