五月の組香

兜飾り

源氏物語「葵」の帖をテーマにした組香です。

委細にわたる作者の意図を忠実に再現することが醍醐味です。

 

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説明

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  1. 香木は、5種用意します。

  2. 要素名は、A段が「大殿車(おおいどのくるま)」「女房車(にょうぼうぐるま)」「物見車(ものみぐるま)」「網代車(あじろぐるま)」、B段が「物怪(もののけ)」と「心の鬼(こころのおに)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「大殿車」は2包、「女房車」は4包、「物見車」は4包、「網代車」2包、そして「心の鬼」を2包(計14包)を用意します。

    ※ 「物怪」は、「網代車」の焚き殻(席中に焚きだした使用済みの香木⇒末枯れ)を使用しますので、香包のみ2包用意します。

  5. 手記録紙(名乗紙)は、各自2枚宛用意します。

  6. まず、「大殿車」と「女房車」の各1包(計2包)を試香として焚き出します。

  7. 本香A段は、「大殿車」1包、「女房車」3包、「物見車」4包、「網代車」2包(計10包)を打ち交ぜて焚き出します。

  8. A段(10炉)が焚き終ったら、連衆は要素名を香の出の順に「1枚目の手記録紙」に書き記し提出ます。

  9. 香元は、ここでA段の正解を宣言します。

  10. 執筆は、手記録に書かれた各自の答えを当否によって、名目に置き換えて香記に書き記します。(委細後述)

  11. 香元は、「網代車」の焚き殻を「物怪」の香包みに移しておきます。

  12. 続いて、本香B段は、「物怪」A包と「心の鬼」2包(計4包)を打ち交ぜて焚き出します。

  13. B段の答えは、要素名に対応した「聞の名目」を香の出の順に「2枚目の手記録紙」に書き記します。

  14. 執筆は、手記録に書かれた各自の答えを今度はそのまま転記します。

  15. 下附は、B段の答えの当否によって、言葉や和歌を書き記します。(委細後述)

  16. 勝負は、要素ごと各1点で計算し、最高得点者が勝ちとなります。(14点満点)

 

  仙台は有名な定禅寺通りのケヤキが新緑の季節を迎えました。

ケヤキの新芽は茶色なので 、出初めは遠くから見ると霞がかった紅葉のようにも見えます。これが、葉が開くに従って鮮やかな緑色に変わって、いよいよ初夏の幕開けとなります。

仙台歳時記の5月のメインはやはり「青葉まつり」でしょう。この祭りの起源は、藩政時代に伊達政宗の建立した東照宮の「仙台祭り」で昔は毎年9月に開催され、最大70基の山鉾が城下を練り歩いた壮麗な祭りだったそうです。これが、明治時代に伊達政宗を祀って建てられた青葉神社の礼祭となって「青葉まつり」と呼ばれ、開催日も政宗の命日である5月24日に行われるようになりました。現在の青葉祭りは、伊達政宗公没後350年を迎えた昭和60年に復興されたもので、「仙台七夕」の「静」と対比される、大きな「山車」と「すずめ踊り」による「動」の祭りとして好評を博しています。

この中で踊られる仙台の「すずめ踊り」は、実は「仙台祭り」よりも起源は古く、仙台城の新築移転の儀式の宴席で、堺から来ていた石工たちが、即興で披露した踊りだと言われています。こちらも、昭和62年に八幡町(旧:石切町)にわずかに残った石工によってひっそりと受け継がれるだけとなっていたものを、青葉まつりへの市民参加の核として取り入れるため復興されました。当時、石工たちから伝授を受けた踊りを老若男女誰にも楽しめるよう練り直されたのが、現在のすずめ踊りです。

祭りと言えば、観客の場所取りは一見「争奪戦」の様相を呈しますね。この頃は有料桟敷席等も用意されていますが、昔は「早い物勝ち」の世界でした。平安時代となれば、物見車で出掛け、それにお供も連なるのですから大変です。勿論、露払いの従者は、主人の身分、格式を引き合いに「譲れ、譲らぬ」の押し問答もあったことでしょう。

そのような鬩ぎ合いの中で「日本文学史上最も悲惨な結末」だったのが、源氏物語の「車争い」ではないでしょうか?「たった2、3行に書き表せる程度の事件を端緒として、その後、恥を受けた女性の怨霊が、光源氏の正妻となるものを足かけ25年間、3度に渡って祟る。」という凄まじい結果を生んでしまいます。誰もが知っているこの物語・・・。

今月は、風薫る5月にふさわしからぬか????六条御息所の「葵香」 (あおいこう)をご紹介いたしましょう。

葵香は、三條西尭山著の『源氏物語新組香(上)』昭和29年5月発行に掲載のある組香です。この書物には、当事尭山氏の周辺で香道研究を行っていたメンバーが源氏物語の各帖に因んでそれぞれ創作した組香が紹介されており、「葵香」は、「葵」の帖をテーマに昭和の香道復興に大きな足跡を残した香の宗匠、山本霞月よって組まれた組香です。

まずはじめに、「葵」を最も微視的に紹介しておきましょう。とは、ウマノスズクサ科の多年草であるフタバアオイ二葉葵のこととなります。植物学的には、山地の林下に生え、地下茎から出る短い地上茎に枚のハート形の葉を対生させるのでこの名前がつきました。春には紅紫色鐘状の花が咲き、葉の形は徳川家の家紋でも有名です。

次に、組香の題材となっている「葵」の帖は、光源氏の22歳春から23歳正月までの近衛大将時代の物語で、その中でも有名なのが「御禊見物の車争い」とそれに起因する「六条御息所の物怪騒動」そして「葵の上の死」でしょう。

要約しますと・・・

『葵』

桐壺帝の譲位があって、朱雀帝が即位し、光源氏が右大将となった頃、加茂の祭りがありました。斎院の御禊の式にお供に立つ光源氏を見に葵の上が車を仕立てて見物に行きました。ちょうどそのとき、六条御息所も光源氏のつれない仕打ちを恨んみつつも忍んで見物に来ていたのです。しかし、車混みの中で両者の車同士が鉢合わせしてしまい、葵の上のお供が六条御息所の悪口を言い、果ては榻(しじ)を折って物見車の中に押し込んでしまいました。

このことを機に妊娠中の葵の上は、六条御息所の生霊に悩まされるようになります。一方、六条御息所も魔よけに焚かれる芥子の香が染みつき、物怪となって抜け出ていく我が魂の所行に悩まされます。葵の上は、苦しみつつも夕霧を生みますがが、その後、光源氏の留守中に再び急に苦しみ出して結局なくなってしまいます。」

この「葵」の帖に登場する「祭り」とは賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭賀茂祭」のことで、実は源氏物語の書かれた中世には、まだ「葵祭」とは呼ばれていませんでした。その起源は、今から約1400年前の欽明天皇の時代に遡る「五穀豊穣」の祈願祭だということです。平安中期の貴族の間では、単に「祭り」と言えば加茂祭のことをさすほど有名となり、その後、朝廷の律令制度として最も重要な恒例祭祀に準じて行う国家的行事にまでなりましたが、応仁の乱から約200年の間中断され、江戸時代の元禄年間に復興します。この時から内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになったので「葵祭」と呼ばれるようになりました。現在では、祇園祭、時代祭とともに京都三大祭の1つで、わが国の祭のうち最も優雅で古趣に富んだ祭として知られています。

さて、この組香に証歌はありませんが、出典の「葵香」の章の扉に「つひに身のつみとなれとや葵草かけても知らぬ露のみだれを」という歌が掲載されています。これは、著者:三條西尭山氏が詠んだもの か、組香者:山本霞月女史のものなのか、はたまた何処かに出典があるものなのかはわかりません。しかし、端的に六条御息所の葛藤と二面性をあらわしているようで、これから展開される組香の景色の導入としてふさわしいものと考えます。

この組香のA段の要素名は、「大殿車」「女房車」「物見車」「網代車」です。これらは、御禊の行列を見物しに集まった人々の車であると思われ、A段で描く景色の舞台と登場人物を表しています。つまり、「大殿車」は葵の上、「女房車」は葵の上のお供の女房、「物見車」はその他大勢の見物客の車を表します。そして、最後の「網代車」は、六条御息所の乗った車ということになります。B段の要素名は、「物怪」と「心の鬼」です。こちらは、車争いの後、葵の上を苦しめ苛む六条御息所の精神的な二面性を表現しています。「物怪」とは葵の上に取り憑く悪い魂、「心の鬼」は、その所行に後悔しつつもどうしようもできないでいる良心の葛藤を表しています。

この組香の第一の特徴は、各要素に使用される木所があらかじめ規定されており、要素によっては「立ち味」(香木固有の香気)という香組における根源的な部分まで規定されているということです。例えば、「大殿車」は、今をときめく光源氏の正妻ですから伽羅陽香が指定されています。「女房車」は葵の上の車列を形成しますが、官女として身分的にも相応な佐曽羅陰香が指定されています。「物見車」は身分等は不明ですが立派な御所車仕立てなので羅国陽香、そして、「網代車」は恨みがましく忍んで見物に行くわけですから真南蛮陰香が指定されています。また、木所のみならずA段の「網代車」は「初め伽羅立ちにして火末に羅国をあらわす香を使用すること」との指定があります。このことは、六条御息所の名声、光源氏の寵愛等、彼女自身の人生の盛衰を香によって表そうとするものであり、出色の技法であると感心させられます。次に、B段では、「物怪は網代車の焚き殻を使用すること」と指定があり、まさに六条御息所の身体から抜け出た魂を表すのに格好の趣向となっています。さらに、「心の鬼は網代車と木所同一のもので立ち味似寄る(にかよる)香を使用する事」との指定もあります。心の鬼もまた六条御息所の魂の一面なのですが、こちらは良心を反映しているので、香気は末枯れていないものを使うということでしょう。

この組香の第二の特徴は、A段の「網代車」の焚き殻を「物の怪」としてB段で焚き出すことにより「香5種で要素名が6つ」、「香数12包で、本香14炉」という変則的な構造が生まれるところにもあります。まず、葵の上の乗った「大殿車」とそのお供の女房の乗った「女房車」とは葵の上御一行として、試香が焚かれます。次に、残る本香は、「大殿車」1包、「女房車」3包となり、この2種4香は葵方の車列ととらえます。「物見車」は何処の誰かはわからない「その他大勢」なので、試香のない1種4香が用いられます。そして「網代車」は六条御息所とそのお供の車で1種2香となり、都合1+3+4+2=10」の4種10香となります。これを打ち交ぜて焚き出し、「大殿車」「女房車」「物見車」「網代車」が香の舞台でひしめき合い、六条御息所に口惜しい思いをさせる「車争い」の物語を表現しています。また、B段は「物怪(網代車の焚き殻)」と「心の鬼」2包ずつの2種4香で構成され、これを打ち交ぜ焚き出すことによって、六条御息所の心の中を舞台に善悪の魂がぶつかり合うという内省的なストーリーを表現しています。

さて、この組香にはB段の答えにのみ聞の名目が用意されています。連衆は、「物怪」と聞いた場合は「黒き影」と答え、「心の鬼」と聞いた場合は「白き影」と答えます。これは、物怪として出るのは悪い魂なので「黒き影」、心の鬼は「現の我が身ながらさる疎ましき事を言いつけられるる宿世の憂きこと・・・」良心の呵責に思い乱れる正しい魂なので「白き影」と善悪を色分けしたものと思われます。

一方A段は、聞の名目を使用せずに、連衆はそのまま要素名で答えますが、今度は、執筆が答えの当否によって記録上の要素を書き換えるという趣向を用いています。例えば「大殿車」が正解のところを「女房車」と答えた場合は、下表のとおり「えせ受領の女」と記載して不中(外れ)を示します。

A段の下附

要素名

中不中

下附

出典

大殿車

まめだちて

大殿のは、しるければ、まめだちて渡りたまふ。

不中

えせ受領の女

えせ受領の娘などさへ、心の限り尽くしたる車どもに乗り・・・

女房車

ほほえみつつ

ほほ笑みつつ後目にとどめたまふもあり。

不中

市女笠(いちめがさ)

壷装束などいふ姿にて、女房の卑しからぬや・・・

物見車

しりめに

---

不中

賎夫

をこがましげなる賤の男まで・・・

網代車

つれなく

つれなく過ぎたまふにつけても、なかなか御心づくしなり。

不中

またなどの世を背きけるなども・・・

ここに書かれた言葉は、「葵」の帖の新斎院御禊の日に斎院の行列にお供している光源氏が見物の人々の前を通るシーンに出てくる言葉です。それぞれの対応を見ると光源氏がそれぞれの車の前でどのような表情をしているのか連想することが出来ます。つまり、大殿車の前では「まめだちて」(真面目な顔をして)、女房車の前では「ほほ笑みつつ」、しかるに網代車の前では「つれなく」(そっけなく)過ぎ去る様子が見えます。また、源氏物語のこの場面に「しりめに」という言葉は出てきませんが、見ず知らずの物見車は「意識はしているが無視!」ということで作者が補ったものと思われます。これは、それぞれ車に乗っている人々に対して光源氏がどのような扱いをしているのかをも示すものと解釈されます。

次に、外れの場面は、若干観念的に「車」を「メインキャスト以外の見物人」と符合させています。「えせ受領の娘」は「心の限り尽くしたる車どもに乗り」見物しているので最も高位大殿車に配され、「市女笠」は「女房の卑しからぬ」身分なのですが立見なので次点の女房車に配されています。因みに、「市女笠」は、源氏物語のこの部分に言葉としては登場しませんが、平安中期以降上流の女性の外出用の菅(すげ)笠で、「壷装束」の際の被り物ですからこれらは同義とみていいでしょう。網代車に「尼」が配されているのは「世を背きける」あたりの忍び具合が六条御息所と共通するのでしょうか。「おこがましげ」な物見車は、最下位の「賎夫」下男が配されています。 このように、A段の十*柱に聞の名目を用いず、執筆者が答えを書き換えることとしたのは、連衆にあまり負担をかけずに、香記に現れる景色を補い重厚感を与えるための手法と思われます。

さらに、この組香には下附も演出として加わります。まず、A段の下附では、「皆(全部当り)」の場合は「葵まつり」と書き記します。これは、厳密に言えば「車争いの日」は「御禊の日」の話なので「祭の当日」ではないのですが、後世に組まれた香ですので、車争いの舞台が「御禊」→「祭り(賀茂祭)」→「葵まつり」と変化しています。この「葵まつり」が「葵の帖」や「葵の上」と重なり「三つ葉葵」を形成することによって、「葵香」が彩られるというのも面白いことです。次に、A段で網代車を2回聞き当てた場合は、「何に来つらん」という下附が付きます。これは、車争いに負けて「またとなく体裁が悪く悔しく、『いったい何しに、来たのだろう。』と思ってもどうすることもできない」六条御息所の落胆を表します。一方、網代車を1回でも聞き外した場合は、(2回とも聞き外した場合も含む)「押折れたる榻(しじ)」と下附します。これは、「副車の奥の方に押しやられて榻などもみな押し折られた」六条御息所の口惜しさを表し、後に出現する「物怪」の恐ろしさと呼応した六条御息所の精神的ダメージの大きさをイメージさせているのではないでしょうか。

B段の下附は、物怪騒動の段を主体に用いられており、こちらも当り外れで下表のように異なります。

B段の下附

要素名

聞の名目

中不中

下附

出典

物怪

黒き影

芥子の香

御衣なども、ただ芥子の香に染み返りたるあやしさに

不中

笹の隅

笹の隈」にだにあらねばにやつれなく過ぎたまふにつけても

女房車

白き影

影をのみ

影をのみ御手洗川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる

不中

御泔(おんゆずる)

御ゆする参り、御衣着替へなどしたまひて

「芥子の香」は、邪気退散の祈祷で護摩焚きに用いる芥子の香りで、葵の上の枕元で焚いた香りが六条御息所に染み着くというものです。物怪が葵の上に祟っていることを表すのでしょう。

「笹の隈」とは御禊の段に出てくる言葉ですが、これは「笹の隈桧隈川に駒とめてしばし水かへ影だに見む(古今集大歌所御歌 ひるめの歌)」からの引用で「笹の隈でもないからかそっけなく通り過ぎた」というのは、言い換えれば六条御息所の「影にだに」なくつれなく過ぎた光源氏への恨めしい気持ちを表すのでしょう。

「影をのみ」は、六条御息所が詠った歌で「お姿をちらりと見たばかりでそのつれなさにかえって我が身の不幸がますます思い知られる」と泣く六条御息所の悲しい気持ちを表すのでしょう。

「御泔」とは、頭髪を洗いくしけずる際に用いた水や洗髪そのもののことで、自分に染みついた芥子の匂いが気になって髪を洗ったり着物を着替えたりする様子が描かれています。これらの言葉を悪から善に並べると「芥子の香(祟)」「笹の隈(恨)」「影をのみ(悲)」「御泔(禊)」となり、強い邪気が次第に解けていく過程のようにも見えます。

さらに下附にB段の当りに歌1首が加わります。ここでは、六条御息所が物怪となってとり憑き、葵の上が亡くなってしまう物語の中で、登場人物がそれぞれに詠んだ歌が用いられています。

の場合は「とまる身も消えしも同じ露の世に心おくらん程ぞはかなき(光源氏)」と書き記します。これは、葵の上の葬送の後に光源氏が「生き残った者も死んで消えていった者も同じ露のようにはかない世に心の執着を残して置くことはつまらないことです」と詠んだ歌です。

物怪だけ当りの場合は、「嘆き侘び空に乱るる我が魂を結びとどめよ下がひの褄(物怪)」と書き記します。これは六条御息所から抜け出た物怪が、苦しむ葵の上の口を借りて「悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を下前の褄を結んで本心に結び留めてください」と詠んだ歌です。「下がひの褄」は、「人魂が飛ぶのをみたら『魂は見つ主は誰とも知らねども結びとどめよ下がひのつま』と詠って着物の下前の褄を結ぶと、飛んでいる魂が元のところに戻る」という言伝えを引用したものです。

心の鬼だけ当りの場合は、「人の世をあはれときくも露けきに後(おく)るる袖を思ひこそやれ(六条御息所)」と書き記します。これは、葵の上の死により悲しむ光源氏に六条御息所が「お手紙差し上げなかった間のことは、お察しいただけましょうか。」「人の世の無常を聞くにつけ涙がこぼれますが先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします」と詠んで贈った歌です。

物怪と心の鬼とを半々に聞いた場合は、「雨となり時雨るる空のうき雲をいづれの方と分きてながめん(中将の君)」と書き記します。これは、三位中将が光源氏と故人を追慕する場面で「妹が時雨となって降る空の浮雲をどちらの方向の雲と眺めようか行く方も分からないな」と詠んだ歌で、漢詩からの引用です。

 その他「露の花」と書き記しますが、この言葉は源氏物語には登場しません。露に濡れた花をどのように解釈すればよいのでしょうか?私には、「涙」をはらんだ六条御息所のようにも思えますし、露のように「はかない」葵の上の命のことのようにも思えます。

これらの下附をさらに香記に書き加えることにより、六条御息所の内政的な心象を示したB段の情景を一挙に「葵」の帖の全景へと環流させています。この趣向は、切ないながらも決して陰々滅々として終わらない「救い」のようなものを連衆に与えていると思います。以前、「野々宮香」のコラムにも書きましたが、六条御息所は決して恐い女性ではありませんでした。教養も高く、おしとやかで、上品・・・ただちょっと旬が過ぎていたのを自覚しつつもプライドが高く、光源氏に「捨てないで」と言えなかったために恨みがましくなってしまった女性です。物怪騒動の後には自ら伊勢に下って都から退くという奥ゆかしさも持っていました。そんな六条御息所をテーマにした「葵香」は、決して華々しいものではなく、切ない余韻を連衆に染み渡らせるお香なのではないのでしょうか。

最後に、この組香は、要素名、木所、立ち味、聞の名目、答えの書き換え、下附、和歌一首と、委細にわたる仕様設定がされており、この組香に託す作者の壮大な感情移入が 見られます。一方、日頃から香組を「自分の美意識の反映」として精神的な遊びとすることを動機付けられている香人諸氏には、結構窮屈な感じがすると思います。しかし、この組香に限っては、作者の指定を忠実に守ることによって香人としてのスキルを問われているような気がしますし、霞月宗匠の香木観や美意識を体得するという醍醐味もあると思います。

霞月宗匠へのレクイエムとして、この組香を分析していると、彼女は六条御息所に自分の身を置き換えて、(またはそうなる自分を予見して)このような組香を創作されたのではないかと思えて来ます。当時の状況を詳しく語る人は少なくなりましたが、私自身 が聞きかじった情報からもいろいろ思い当たるところがあります。初心の方には、なんのことか見当も付かないでしょうから、是非「フィクション」として宮尾登美子さんの小説「伽羅の香」をお読みいただきたいと思います。そこに六条御息所の姿が朧気に見えてきたら、このコラムを思い出し「おぉ〜、おぉ。」(@o@)”・・と頷いてください。

 

葵祭は今年も五月十五日に開催されます。

見物の際は、人を押しのけたりせず「譲り合いの精神」でお願いします。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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