月の組香

「郭公の子探し」の景色を味わう組香です。

各自「家伝の名香」を持ち寄って催行するところが特徴です。

 ※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。

説明

  1. 連衆は、各々自分の聞き慣れた香木を持って香席に参加します。

  2. 香元は、連衆から提出された香木を出香用に一片ずつ切り出します。

  3. 香木は、木筋がわからないように墨で染めます。

  4. 香包の隠しに各自の名前を書き、本香包を総包に納めます。

EX:5名参加の場合は本香が5種5香となります。

  1. 香元は、総包を開き、中の本香包を打ち交ぜて焚き出します。

  2. 本香は、参加した連衆の人数分だけ廻ります。

  3. 連衆は廻された本香のうち、自分の持参した香が何番目に出たかを聞き当てます。

  4. 答えは、名乗紙に自分の持香の焚かれた「番号」で書き記します。

  5. 基本的に、その他の香は「聞き捨て」となりますが、もし、自分の持参した香木と同じものがあったと思う場合は、その香の番号も書き記します。(委細後述)

  6. 点数は、自分の持香(及びその同香)の焚かれた「番号」の当り外れのみ表示します。

  7. 当りは「点」、外れは「星」で表示します。(委細後述)

 

春と夏を隔てるものは「卯の花の垣根」ですね。

陽気のせいか「卯ーの花ーの 匂う垣根に♪ ホートトギース 早も来なきて♪ しーのーびーねもーらーすー♪ 夏ーは来ーぬーぅ♪」の唱歌が頭の中をスキップしてグルグルまわる季節です。

私の個人的な感覚なのか、みちのくにあっては、「花の垣根」が低いので、どうしても夏の訪れは、ホトトギスの一声「てっぺんかけたか」(音声:141kB)から始まります。鳴き声は、野山で昼夜ともに聞くことができますが、私は東雲あたりに聞くのが「艶かな?」と思っています。夜寒から開放されこの季節はパソコン作業にも熱が入りますので、夜が白み始めた頃に「てっぺんかけたか」を一声聞くと作業終了となります。鳴き続けるほどに音程がフラットしていくところが、一日のフェードアウトに相応しく聞こえます。

ホトトギスは、初音を聞けば誰しも「あぁ、夏になったんだなぁ。」と思う典型的な夏鳥ではないでしょうか?一番の特徴は、自らは巣を作らず、ウグイスなどの巣に産卵し、抱卵・育雛を委ねる「託卵」という習性があることでしょう。卵を産み付けられた養親は我が子の誕生を願って他人の卵を温めますが、嫡出子より先に孵化した非嫡出子は、義兄弟の卵をすべて巣の外に放り出してしまいます。晴れて「独りっ子」となった郭公の雛は、養親が運ぶエサを大きな口をあけて独り占めするのです。このとき「なんでこの子はこんなに大きいのだろう?」「なんでこんな食べるのだろう?」とは、決して思わないのが養親のあさはかさ・・・身に受けた「悲劇」にも気づかず、他人の子を一生懸命に育て、巣立たせることになります。そんなことはお構いなしに飄々と鳴くホトトギスは、「独身貴族的」で生活観のないところが美しいとも言えるでしょう。

今月は、お香による我が子探し「郭公香」(ほととぎすこう)をご紹介いたしましょう。

「郭公香」は、組香の黎明期に創作された「古十組」に分類される由緒ある組香で、建部隆勝の『香道秘伝書』、大枝流芳の『香道秘伝書校正』や『校正十*柱香之記』、金鈴斎居由の『聞香秘録(十種香之記)』等、数々の香書に掲載のある組香です。組香としての「郭公香」も同名別組の「郭公香」をはじめ「時鳥香」「替郭公香」「新時鳥香」等が見られ、夏の組香としては、大変ポピュラーなものとなっています。

「郭公」は、中古代には「ほととぎす」と訓読みされ、現在「郭公」の字が当てられている「カッコウ」に酷似していますが、それよりは小形の鳥です。古来、多くの和歌にも詠まれ、『国歌大観』には、なんと9,200件を超える「ほととぎす(郭公)」の歌があります。また、日本文学の中では、あやなしどり・くつてどり・うづきどり・しでのたおさ・たまむかえどり・夕影鳥・夜直鳥(よただどり)など、多数の異名を持つ鳥でもあります。

香道にまつわる「ほととぎす」の歌も、一木四銘の「初音」の証歌「きくたびにめづらしければほととぎすいつも初音の心地こそすれ」(金葉和歌集 権僧正永縁)をはじめ、「山路香」の証歌「行きやらで山路くらしつほととぎす今一声の聞かまほしさに」(拾遺和歌集 源公忠朝臣)などが有名です。

まず、「郭公香」の証歌は、『香道秘伝書』の時代の書物には記載されていません。古十組が編み出された当時は、聞香が「ゲーム」としてのバリエーションを整えたばかりでしたので、証歌のある組香は、まだ登場していませんでした。その後、文学的テーマを基に組香が作られるようになり、特に御家流の組香には、証歌が必須のようになりました。そこで、この組香も『聞香秘録』の頃には、証歌らしいものが備わるようになったようです。

曰く・・・「この組香を郭公香と云う事は、左の歌を持って名とす。」

「槙の戸を夜の水鶏にたたかせて家名案ずるほととぎすかな」(聞香秘録)

この和歌は、「家名」などという文字が読まれていることから察しても、室町時代のオリジナルではなく、後世(江戸中期)に付加されたものであろうと推察しますが、出典、詠み人ともに不明です。

歌に読まれた、水鶏とは、「くいな」のことです。夏鳥であるヒクイナは、鳴き声が「コッコッコッ」(音声:286kB)と戸を叩く音に似ているので、これまた「夜、槙の戸を叩く」とたくさんの和歌に詠まれています。この歌の意味は、「水鶏に夜の鳴き声(仕事→子育て)までさせておいて、自分は、家名(託卵したわが子)を按ずる郭公だなぁ。」という「狂歌」に近いものではないでしょうか?ほとんど定型句である上の句に下の句を付けただけで、しかも季語が重複とあまり出来の良い和歌ではないように思えます。この和歌が、「郭公香」の名の由来であるとするならば、「家名案ずる」という部分が、「自分の持香をあれかこれかと考える」→「自分が託した子を探し当てる」に通じ、ホトトギスの託卵習性が組香の趣旨と合致しているからと言えましょう。

次に、この組香の第一の特徴は、「出香する香木は各自が持ち寄る」というところです。昔の香人は、必ず季節や会の趣旨に因んだ香木数種類を「懐中香包」に入れて持ち歩くものとされており、席中に所望があれば、いつでも自分の持香を披露できる用意がありました。「十*柱香」の「ウ」も昔は、客が持参した香を1種加えて無試で焚き出すことから「客香」→「ウ」となったと言われています。この組香についても、恐らくは組香の源流である「香合こうあわせ」の派生から生まれたものであり、各自「家名」を担った香木を持ち寄り、席中で焚いて「自分がその香木の持ち味をどれぐらい聞き覚えているか」を競ったものだと思われます。このような形式の組香は、「郭公香」以外に例を見ないものであり、非常に珍しい趣向です。現在、「夏=ホトトギス」と言われながら、なかなか組香として興行されないのは、「香を持ち歩く」「客の香を焚く」という素養が亭主にも連衆にもなくなったからではないでしょうか?

続いて、この組香は客の持参した香木を本香として焚くために「香拵え」こうこしらえという所作が必要になります。『香道秘伝書』には「めんめんのおのれが聞き覚えたるを一切れ包み、我が名を書付け出だし申し候。火本請け取り、香のたけ(丈)幅同じ様にそろえ、同じ色に染めて包みかえ、おくにそれぞれの名乗を書付くるなり。」とあり、日ごろあまり日の目を見ない「香割道具」と「染墨入」の出番となります。連衆は、あらかた一*柱分を小割にして、香包の面に自分の名を書いて、香元に提出します。香元は、これを、そのまま焚き出すと木筋や色形で判別が可能となるため、香木の形状(寸法)をそろえて、墨で黒く染めてから、本香包に包みます。このとき、入れ違わないように、あらかじめ本香包の隠しの部分に出香者の氏名を記載しておきます。

また、墨については『聞香秘録』に「『油煙墨』は匂い移りて悪し、『百草のしも』にて染めるべし。」と書いてあります。この「百草」は現在で言えば、「キハダ(黄蘗)の木の内皮から取れるオウバクエキス」のことですから、「しも」とは、その搾りかすでも灰にするのでしょうか?黄蘗の抽出液「渋」で染めることも考えられますが、どちらにしろ、 生で用いれば苦い香りが出るような気がします。そこで、「また、墨を紙にうつして香をそれに包みて摺り付けてよし」とも書いてあります。つまりは、うっすらと邪魔にならない程度に染めれば良いようです。私としては、良く轢いた炭の粉末つなぎが必要であれば布海苔でも用いればどうなんでしょうかと思います。このような香拵えは、昔は香席の「前座」として通常行われており、「前座の棚飾り」に香割道具が飾られました。この後、連衆は「中立 (なかだち)」して、亭主は「後座の棚飾り」を整え組香が始まるという流れでした。現代では、「そういうものがあった」ということだけ記憶しておいていただければと思います。

さて、この組香は、焚かれる香木が亭主のものではなく、あらかじめ香名も木所もわからないため、所謂「小記録」のようなものも作られません。しかし、構造は、非常に簡潔なものです。この組香に試香はなく、連衆から各々出香された香木が人数分だけ本香として、打ち交ぜられ順不同に焚き出されます。例えば、連衆5名の場合は本香5炉となり、連衆は、各々「自分の持参した香がその何番目に出たか」だけを聞き当てます。

答えは、名乗紙を使用して、もし自分の香が 一番目に焚かれたと思えば「一」と書き記して提出します。その他の香は、鑑賞こそすれ、答えには関係しない香なので、基本的に「聞き捨て」とします。

しかし、万が一自分の出香と同じ香木が、席中で焚かれた場合は、自分の香の順番の他に「同香と判定した香の順番も併記」します。例えば、自分の香が 二番目に焚かれ、それと同じ香木を誰かが持参して、それが五番目に焚かれたと思えば「二、五同前」と書き記して提出します。「その時は、はじめに出たるを先ず記して、後に出たるを『同前』と書くなり。」とあり、もともと同香でどちらが自分の香か他人の香か判別不能な筈ですから、「先に出たものを先に書く」という原則に理があるわけです。

各自持参した香木が香席で重複するということは、当時ならではの現象でしょう。この組香が行われた時代は、香木自体が希少でしたし、当時の「所持香」というのは「名香」が当たり前だったため、例えば「十種、追加六種、五十種、六十一種、百十種香」といった範囲内で持ち寄られたものと考えられます。そうなれば、稀に「席中でカチ合う」こともあったのでしょう。現在の「所持香」の場合、「名香」は既にお蔵入りで、近世に輸入された香木に自分で銘を付した「銘香」が一般的でしょうから、このような事態は希有となりました。いずれ、何人の香が重複してももその数だけ「同前」をつけるという原則は変わりません。例えば「3つ同じ香が出た」という事態を想定してすべて聞き当てたということは、本当にその香木の聞き味に達しているということで、「殊更無類の手柄なり。」と評されています。

この組香の第二の特徴は、記録の仕方にあります。

本香が全て回り、連衆が答えを提出し終えたら、香元は香包を開き、隠しの部分に書かれた「出香者名」を宣言します。執筆は、まず、記録紙に香の出の順に番号を上に、名前を下に「一 ○○」「二 △△」「三 □□」・・・と記録の正解欄に書き記します。次に、各自の名乗紙を開き、番号を「一」と答えた者から順に、番号を上に、名前を下に「一 ○○」「二 △△」「三 □□」・・・と書き付けます。この方式で記録すると、香の重複がなく、全員が正解の場合は、正解欄と同様の記載が回答欄の右から並ぶこととなります。もし、1つでも間違えがあれば、番号が誰かの正解と重複するので、「一 ○○」「 △△」「 □□」・・・と「番号」を重複して書き記します。各自1つずつの回答だった場合は、外れた者の番号のみ回答欄では欠番となりますので、当りに「点」(1点)を 掛け、外れには「星」(−1点)を付けます。

ここで問題となるのが、誰かが「同香あり」と回答した場合の記載方法です。以下の香記の例に基づいて注釈を加えます。

記録の例

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     
 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

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B

 

A

 

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@ これは、○○さんが一番に出た香を自分の香と聞き当てたため、点1つがつけられます。(1点)

A これは、▽▽さんが一番と四番を自分の香と同香と聞いたものの、両方とも外れていた場合であり、星2つが付けられます。(−2点)

B これは、××さんが二番と五番を自分の香と聞いた場合で、結果、二番は、△△さんのもので外れでしたが、五番は自分のものでしたので、差し引きで点・星は付きません。(0点)

C これは、△△さんが二番と六番が自分の香と同香であると両方とも聞き当てた場合であり、点2つが付けられます(2点)

D これは、◇◇さんが、四番と五番と六番を自分の香と同香と聞いた場合で、結果、四番は正解でしたが、五番、六番は別香でしたので、「点1+星2」で差し引き、星1つが付きます。(−1)

※ このように「**** 同前」と記載した場合は、書かれた答えの数の中で当り外れを差し引きしますので、結果的に・・・3点、4点、−3点、−4点・・・も有り得ます。

E これは、□□さんが五番の香を自分のものと聞き違えたため、星1つが付けられます。(−1点)

この組香は、「香木を持参する。」という大きなハードルを除けば、初心の方には「聞き慣れた自分の香のみ聞き当てれば良い。」ということから、比較的馴染みやすい組香とも言えます。 成績優先で考えれば、絶対に間違えないほど特徴のある所持香を持参すれば正解は約束されますので、そういった香木がたくさん揃うのも楽しい趣向かと思います。一方、達人の方にとっては、 「自分の名代」と言える所持香を持参し、他人の香についても香名や木所を探り「名香の聞き当て」の域まで意識を高めれば、非常に難しい組香として楽しむことができるでしょう。「う〜ん。これは『蘭』だな。」と思っておいて、後で持主から香銘を披露されたとき、本当に『蘭』だったら、心の中で思わずガッツポーズですよね。

そういう意味で、香炉が回り、執筆が記録している間にでも、各自の出香の蘊蓄を語り合う時間は必要だと思います。また、ここからは私の提案なのですが、蘊蓄タイムの後にでも、香記の出香について「一 誰々」の後に「香銘」を追記すると、更に席の情景が際立つような気がします。 偶然にも香銘が「連歌」や「焚継香」のように連綿していたら綺麗だと思いませんか?

最後に記録上の勝負は、「点」の多い方の勝ちとなります。普通で言えば同点の場合、席の上の方が優先されますが、この組香の場合、答えを1つ書いて当たった「1点」と、「** 同然」を使って当たり外れの差し引きが「1点」となったものでは、点の重さが違うような気がします。「正点、傍点」のルールはありませんが、このような場合は「単勝優先」にしてあげたいような気がします。

江戸期には、「宗匠」「老人」「若人」「女童」、時には「貴人」も交えて、一座を建立したこともあるようです。それぞれのスキルに応じて誰もが楽しむことのできる「郭公香」は是非とも復興したい組香ですね。

 

他人の巣に卵を託して「家名案ずる郭公」もそうですが

「郭公の家督」もなかなかしたたかなものです。  

m(^v^)m

証歌が当時の公家・大名を意識して詠まれたものならば大胆ですね〜。  

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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