七月の組香
「宇治の蛍」と「瀬田の蛍」が宇治川を舞台に光を競う組香です。
盤上の蛍の動きについては謎も多いため類推解釈が必要かもしれません。
説明 |
香木は、3種用意します。
要素名は、「川瀬(かわせ)」「川波(かわなみ)」そして「川風(かわかぜ)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「川瀬」「川波」は各5包、「川風」は2包(計12包)作ります。
連衆は、「宇治方」「瀬田方」の双方、同数に分かれます。
「川瀬」「川波」のそれぞれ1包ずつ(計2包)を試香として焚きます。
残った「川瀬」「川波」各4包に「川風」2包を加え、打ち交ぜて焚き出します。(計10包)
本香は「二*柱開(にちゅうびらき)」で10炉廻ります。(異論後述)
※ 「二*柱開」とは、香札等を使用して「香炉が2炉廻る毎に1回答えを投票し、香記に記録する」やり方です。
答えは、2炉ごとに要素名の札を1枚ずつ打ちます。
記録は、連衆の回答を全て書き記しします。
点数は、客香の独聞(ひとりぎき)は3点、客香の当たりが2点、その他は1点とします。
下附は、全問正解を「皆」、その他は点数で書き記します。
盤上の勝負は、蛍を立物として進め、突き当たれば相手方を取り去り、蛍を取り尽くした方が勝ちとなります。(委細後述)
記録上の勝負は、各自の点数を双方合計して、合計点の多い方が勝ちとなります。
「茅の輪くぐり」が終わると、夏も盛り・・・花火や浴衣の季節ですね。
仙台の市街中心部には「勾当台公園」という公園がありまして、これを縦に横切る人工池の南端「谷風の像」付近に「ホタルの生息池」があります。ここは、玄武岩で大胆に組まれたメインの滝池とは対照的に、掃除はゴミ拾い以外一切していないような自然が残されています。柳と青楓が枝を伸ばした浮島も今では雑草に覆われ、池底は、玉砂利が敷かれていたのですが年月で沈殿した泥から水草が生えていて、全く「野放図な人工池」になっています。この池には、「川蜷(かわにな)」が棲み、昔は、それを餌とする「ホタルの定住化」の実験場として大々的に報道されました。
毎年7月になりますと、午後8時〜9時頃に残業を終え、この池の前を通って帰るのが楽しみになります。けっして群生というわけにはいかないのですが、葦の葉の上でポツンと光る「浄光」を見ますと、小さな生命への愛おしさを感じるとともに、一瞬にして都会のオアシスに導かれたような気がします。
都会の蛍にとってはネオンという強力な商売敵があり、日によっては公園で花火に興じる若者も居たりしますので、細々とした光を頼りとする「妻請いの儀式」には決して良い条件とは言えないのですが、長旅もせずに小さな自然の中で健気に命を繋いでいるのです。水の綺麗なところにしか棲まないホタルのこと、毎年心配はつきないのですが、まだ川蜷の生息は確認できました。今年は、あの「浄光」が見られるでしょうか?つい最近「ホタルの生息池」の看板が無くなってしまったので、なおさら心配しています。
今月は、宇治川と瀬田川にホタル舞い飛ぶ「蛍香」(ほたるこう)をご紹介いたしましょう。
「蛍香」は大枝流芳の『香道千代之秋(上・中)』と『御家流組香集(仁)』に掲載のある組香です。この組香は、大枝流芳が組んでおり、両者の書きぶりがほとんど同じであることから『香道千代之秋』(版本)に掲載された組香を後世に『御家流組香集』(写本)が写し取ったものと思われます。同名異組の「蛍香」は『香道蘭乃園』に2つ掲載されていますが、1組は『源氏物語』の「蛍」の帖をイメージした小品で、もう1組は若干今回の組香に構造が似ており、聞きの名目が延べ78個も掲載された大掛かりなものです。
まず、蛍は皆さんご存じでしょうが、若干周辺情報を書いておきます。彼らは湿度が高く蒸し暑い夜に良く光ると言われます。発光のメカニズムは、ルシフェリンとルシフェラーゼという酵素の酸化反応であり、この光は触っても熱くない「冷光」です。鑑賞の狙い目は20時〜21時30分ごろ、雄は一斉に飛んで光を点滅させて雌を探します。雌の方はあまり飛ばず、葉の上で雄を誘います。彼らは、幼虫から蛹になるまでの数年間は川蜷を食べて いますが、成虫になると水を飲むだけで何も食べずに求婚活動に勤しみます。2匹が行き会うと光は強くなり、見事カップル成立となれば卵は約500個程生まれますが、そのうち成虫になるのはたったの2匹程度と厳しい生存競争が待っています。成虫になっても寿命は10日から14日程度ですから花のごとく短い命ですね。
次に、この組香は、『香道千代之秋(上)』に「蛍香盤」が図示されており、専用のゲーム盤と立物を使って、連衆を「宇治方」「瀬田方」の二手に分けて遊びます。『香道千代之秋(中)』にある小引には「宇治、瀬田は蛍の名所にて・・・」と記載され、それぞれ「宇治川」「瀬田川」を示すものと思われます。組香の趣旨は、出典に「世上に宇治川の蛍を集めて源平の合戦をまねぶ」とあるところから、宇治川を舞台に双方の蛍が争奪戦を繰り広げる「一蓮托生対戦型」ゲームとなっています。
宇治川(うじがわ)は、京都府南部を流れる川として歌枕でも有名です。水源の琵琶湖から宇治市までの上流は「瀬田川」で宇治市を始点に「宇治川」となり、更に下流では「木津川」・「桂川」と合流して「淀川」となります。
瀬田川(せたがわ)は、現在、大津市内の地名となっており、近江八景の「瀬田の夕照(せきしよう)」で知られる有名な川です。上記のとおり「宇治川」の上流であり、琵琶湖の南端から宇治市までが「瀬田川」と呼ばれます。
蛍香盤は、10個の穴が2列に空いた板の間に「浅黄縮緬の木目込み」か「金粉蒔絵」で「宇治川」を模した水面を設け、両端の穴に双方代表の「蛍」を立てて、当たり数によって「廻る」ように出来ています。この「宇治川」「瀬田川」については、 位置関係があまりに近所なので、初めは「西の○川」「東の○川」のような日本を代表する名川の対峙のほうが良いのでは?と考えましたが、宇治川と瀬田川が同じ源であることからして、敢えて舞台のスケールを狭め、盤上の川を廻る蛍が双方から上流と下流を行き交う景色を表わすように設定したのでしょう。また、この香盤の1列10間は、連衆が10人(5対5)の時のためのもので、「四人にて聞けば1つ(当たり)に蛍2つ(間)行くべし。六人か八人かならば盤の目を減じて聞くべし」と記載され、連衆の数によって調節するように指示があります。これは、後述する「蛍の廻り合わせ」を良くするための工夫だと思います。
立物(たてもの)について、出典では「柄」の部分を宇治方は「白角」(しろつの)で作り、瀬田方は「赤く染めた角」で作るように指示があり、これに針金で作ったバネを継ぎ、その上に「蛍」を留める製法が書いてあります。蛍自身の区別は、図解に双方の向きが違っているように書いてあるだけですが、これは三次元に起こすとそれほど意味はありません。むしろ、ゲンジボタルとヘイケボタルの大小の違いがあれば面白いかとも思いました。(同じ水系なので蛍の生息分布も同じということでしょう か・・・)
この組香の要素名は、「川瀬」「川波」と「川風」です。一見して蛍の棲み家である川辺の風景なのですが、「川瀬」と「川波」の違いが単に波の大小の違いだけのようで判然としません。「瀬」と「波」によって、川の深さや大きさを表わすのかもしれませんが、あまり風景に広がりを感じないことも確かです。一方、「川風」は夏の川辺ならば、お誂え向きの景色ですから、客香の要素名としても相応しいでしょう。ここでは、「蛍香」の要素名に「蛍」が出てこないことが妙味です。それは、蛍は盤上に放たれる ため、要素名には敢えて「蛍」の名を付けないという趣向でしょう。しかし、当代において蛍香盤は入手困難なため、名乗紙のみで開催することも止むを得 ません。この場合は、「香記にも蛍が出現しない」という一抹の寂しさが伴いますので、香席の設えでカバーしましょう。
この組香の構造は、「川瀬」「川波」を各5包用意し、そのうち各1包を試香として焚き出し、本香は残った各4包に「川風」2包を加えて「4+4+2=10包」とします。この10包を打ち交ぜて順に焚き出しますが、「二*柱びらきにて立物進む」となっています。
回答は、香札を使用します。札裏は夏の川辺の景色から「夏草」「青草」「水草」「露草」「谷草」「下草」「路草」「葉草」「埋草」「村草」で名乗りを表わします。札表は要素名が記載されているので「川瀬」4枚、「川波4枚」「川風2枚」の10枚で一人前です。さて、そこで若干の疑問が生まれます。この組香は「二*柱開」にもかかわらず「聞の名目」がなく、答えの札も各要素ごとに1枚ずつあるのです。ということは、「二*柱開」と言っても二炉ごとに1つの答えを投票するのではなく、「札筒」と「折居」がそれぞれ回って、その中に一枚ずつ札を打つ回答方法になろうかと思います。こういった形をわざわざ取るのであれば「一*柱開」の方が、蛍の進みや勝負の回数が多くなり、楽しみも増えるのではと思ったりします。
ただし、この「二*柱開」という一文を尊重して、後世『香道蘭乃園』の「蛍香」のように「聞の名目」が用意された同名異組が作られているとみられ、後世への展開を生むきっかけともなったような気がしますので、一概に書き誤りとも片付けられないところです。当時から大枝流芳の記述には香席時間のことを気にする注記も、まま見受けられるので「時間の節約」なのかもしれません。
この組香の点数は、地の香である「川瀬」「川波」は1点、客香である「川風」の独聞は3点、2人以上は2点と換算されます。
さて、ここで盤の進みと盤上の勝負について不可解な点を述べたいと思います。コマとなる「蛍」は盤上を「双六の追いまわしのごどく、左右を追いめぐり行き当たる蛍を取り去る」とあります。この一文から推測すると盤の穴が宇治川を挟んで1筋ずつ有ることから、盤上の蛍は双方1匹ずつ回るのだと思います。そして、蛍の廻り方は「双六」の廻り方を準用するのではと思います。
江戸期に流行した双六(盤双六)は、2列12間の盤上の盤外の左端(ふりだし)から2つの賽を振って、両者逆回りに出た目の数だけ白石や黒石を進め、全部の石を自陣に早く入れた方が勝ちというゲームです。双六盤の石は、手前の12間目(盤の端)に行き着くと、向いの12間に回り込み、自陣である6間のどこに止まってもゴールとなります。
「蛍香」は、この石の動きを「蛍」に写して、双方逆回りに盤の左端からスタートして、当たり数の合計点分だけ蛍を進め、どこかで蛍同士が次々衝突するように工夫したものと思われます。蛍は5つずつ用意されており、一方の蛍が全部無くなれば「負け」のルールとなっています。
盤上の蛍の「追いめぐり」について、ここまでの推測は立つのですが、出典の記述からは@「衝突した際、取り去られるのは、どちらの蛍か?」 A「取り去られた側は、次の蛍をどこに置くのか?」 B「本香10炉で全ての蛍が無くならない場合、盤上の勝負はどのようにつけるのか?」について疑問が残ります。
疑問@については、盤者が先攻「宇治方」、後攻「瀬田方」の順を堅持した場合、この順番に蛍を進めれば、「宇治方」のほうが先にぶつかっていく可能性が高くなり、「瀬田方」は、「宇治方」のコマが先に進んで衝突に至らなかった場合のみ勝機があるということで、大きな不利を背負っていることとなります。
疑問Aについては、取り去られた後の蛍を盤外から改めて進めると、次の衝突まで時間がかかり、10炉では「取り尽す」までの決着がつかなくなる場合が多分に予想されます。例えば、「川瀬」が出て全員正解しても5間しか進めません、次が「川波」だと全員正解してもまた5間ですから、この時点で衝突は起きません。2炉目が「川風」であれば10間進んで、1回目の衝突が起きますが、全員正解で無い場合は、最初の衝突まで最低3回以上はかかる計算となります。2度目は両者の間隔が詰まっているので1炉で衝突する可能性もありますが、先行していた蛍が負けてしまうとまた15間以上の間隔が空いてしまいますので、また、次の衝突まで3炉程度必要となります。これで出典にある勝負のように「 本香10炉の二*柱開きで5匹の蛍を取り尽くす」ことができるのか甚だ心許ない訳です。
疑問Bは、そこから派生して、蛍を取り尽くせなかった場合は、その時点の蛍の進み具合で勝負を決するのか、蛍の残数で勝負を決するのかが不明だということです。
こればかりは、やってみた人でないと伝書の記述のみでは考え及びません。疑問の全てについて「そのようにするのだ」という答えはありませんが、推測ついでに我流のルールを作ってしまえばこうなります。
@ 二*柱開で香包を開き、各自の当否が決定したところで双方の合計点を比べ、合計点の多いほうから先に蛍を進める。(勝方先行、五回戦方式)
A蛍を取り去られた方は、敵陣に蛍を献上し、自陣の「ふりだし」に新しい蛍を挿して再度進める。(双六方式)
B 蛍を取りつくせなかった場合の勝負は、まず、合戦の趣向により蛍の残数で決する。もし、残数が同数である場合は、蛍が自陣の「ふりだし」から進んだ間数の多いほうを勝ちとする。(勝点・得点併用方式)
最後に、一方の蛍が取り尽され盤上の勝負が終わったとしても、香木は残らず焚くのが盤物のルールです。記録は、連衆全員の答えを書き記します。各自の答えは10個、香の出も10個ですから、ここでも「二*柱開」でありながら、「一*柱開」となんら変わらない印象を受けます。当たりには、先ほどの点法に則って合点を掛けます。また、減点の「星」はありませんので、そのまま加算して、各自の点数が全問正解ならば「皆」、それ以外は点数を下附し、最後に双方のメンバーの合計点で記録上の勝負を決します。もし同点となった場合は出典に「川風の香多く嬉々たる方勝なり。」となっており、「持」(引き分け)はありません。勝負は、一般的に双方の見出しの下に合計点を書き出し、その下に勝負を記載する形で示しますが、この組香の香記では「宇治方 九点 負了」と「負け」のみが表示されています。前回「雨月香」が「勝ち」のみを記載するのと対象的です。
今回、双六の廻りを理解するために、ネット上の双六ゲームをダウンロードして遊んでみました。千数百年前に大陸から伝わって以来、江戸時代には「賭博」とされて禁令も出され、その後、明治以降は「絵双六」が世上に流行し、上流階級の子女ぐらいしか遊ぶことのなくなった「盤双六」ですが、単純なゲームながら意外にハマりました。皆さんもサイコロをお香に、石を蛍に替えて、双六ゲームを楽しんでみてはいかがでしょうか?
子供の頃「蛍狩り」だけは捕虫網を使わずに団扇で叩き落すのが作法・・・
それが風流と思っていました。
今思えば、命短い虫の恋路を邪魔する無粋者でしたね。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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