十二月の組香

閑居の庭に続く径を景色にした組香です。

客香に試みがあり、地の香には無いところが特徴です。

 

※ このコラムではフォントがないため「火篇に主と書く字」を「*柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は5種用意します。

  2. 要素名は、」「」と「東籬(とうり)」「南山(なんざん)です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。

  4. 」「」「」、「東籬」「南山」は、それぞれ3包作ります。(計15包)

  5. まず、「東籬」「南山のそれぞれ1包(計2包)を試香として焚き出します。

  6. 残った「東籬」「南山各2包に、」「」「」の各3包を加えて打ち交ぜます。(計13包)

  7. 次に、打ち交ぜた13包の中から任意に2包引き去ります。(計11包)

  8. 本香段は、11炉廻ります。

  9. 答えは、1炉ごとに聞き合わせて、香札を1枚打ちます。(後開)

  10. 記録は、香の出に従って、各自の回答をすべて書き記し、当たった名目に点を掛けます。

  11. 点数は、名目の当り1つにつき1点、独聞(ひとりぎき)は2点とし、「正傍(しょうぼう)の点」を掛けます。(委細後述)

  12. また、一人だけ間違えば「星2」、客香を間違えば「星1」と減点要素もあります。

  13. 下附は、「正○ 傍○」「星○」と各自の答えの下に並記します。

  14. 勝負は、傍点2つを正点一つと換算し、星の数を差し引いて、残った点数の多い方が勝ちとなります。(委細後述)

 

近頃、巷では「ロハス」(ロハース)という言葉が流行っていますね。この言葉は、「Lifestyles of Health and Sustainability」の頭文字をとった略語「LOHAS」で、健康と環境、持続可能な社会生活を心がける生活スタイルのことを言います。個々人が、従来の「安価で効率の良い」といった消費型の選択基準から脱却して、「それは自分や他人の心身に悪い影響を与えないものか?」「それは地球環境にとってダメージにならないものか?」という考えを行動規範に据えて、日常生活を行うものです。

そもそも「家庭生活」と「地球環境」とは切っても切り離せないものですから、「自分の家の中だけが綺麗で、戸外の集積所は惨憺たるゴミの山。」とか、「水洗トイレに流してしまえば、汚物の行方はお構いなし。」のような「臭いものには蓋」式の考えでは「臭いもの」は一向に消滅せず、地球の何処かに蓄積されるばかりです。「地球や社会が病んでいるのに自分だけ健康」などということは有り得ない訳ですから、これからは「地球人」としての自身の生活を自然の摂理と馴染ませて行く必要があるように思えます。

「ロハス」は、10年程前のアメリカで国の政策と地球環境の持続性に危機感を持つ人たちの実践的生活として産声を上げ、その「新しい理念」をうまく社会や家庭や個人にまで浸透するように、消費性向をも刺激する「ビジネス」というかたちで維持・継承されて今に至っています。日本上陸は4年程前ですが、折りしも「価格破壊」が一定の終焉を告げて「長く愛用できる上質を求める」時代となり、「ゴージャス」とは一線を隔した品の良い消費性向の現れがロハスブームなのです。「ロハスな生活」とは、「ブランドよりも性能や環境配慮」「地球環境に負荷を掛けない経済活動」「予防医学・代替医療でなるべく薬に頼らない」「オーガニックや添加物の少ない食品、自然系洗剤を使う」「自己啓発のために投資する」等々、金をかければ「セレブ」にもなり、金をかけなければ「生協」の活動にも似ています。基本は、自分自身が@食を通じて健康になる。A身体を動かすことにより健康になる。B心を上手くコントロールして健康になることです。とりあえず、金を掛けても掛けなくても・・・人々の日常生活が、地球にとって良い方向に回り始めることが大切なので、楽に「心掛ける」のが一番だと思います。

師走ともなりますと、年末・年始には帰省される方も多いと思います。里帰りの際には、都会のしがらみやら、仕事のプレッシャーやら、肩書きの重さやら、日頃身に着けさせられている「鎧」は一切捨て去って、「親と子」「あなたとわたし」に立ち返って、ゆっくりと「田舎のごく当たり前のロハス」を楽しんでください。

今月は、「さぁ田舎に帰ろう!」を発端に隠者の庭園に続く「三径香」(さんけいこう)をご紹介いたしましょう。

「三径香」は、大枝流芳の『香道軒乃玉水()』に村井方州という人の作として掲載のある組香です。また、『御家流組香集()にも掲載がありますが、両書の記述は、点法の記述以外はほとんど同じです。『御家流組香集()』は、『香道軒乃玉水()』を書き写したものだということは、その目次からも容易に推測できますので、今回は、『香道軒乃玉水()』を出典として書き進めて参ります。

まず、この組香をご紹介するに当たっては「三径」という名数が何を表すのかを解き明かさなければなりませんでした。これには、要素名が一 松と名付け三包、二 菊と名付け三包、三 竹と名付け三包」と記載してあるので、 おおかた「松、菊、竹」に因んだ「径(こみち)」のことだろうとの推測が付きました。その上で、「三径」探索の端緒となったのは、出典にある松菊猶存するの義による。」という記述でした。 ここから、「おそらくは漢詩の引用であろう」と推測して調べましたところ、陶淵明(とうえんめい)の詩、『歸去來兮辭』(ききょらいのじ)の中から松菊猶存」の句を発見しました。

陶淵明は、西暦365年生まれ、今から1600年も前に生きた田園詩人です。彼は、四川省濾山(ろざん)の山裾の長閑な農村に生まれ、官吏の家系であったためか、何度も官職についています。その間、彼は、軍司令官の参謀をはじめ県令にまで任ぜられるのですが、堅苦しい役人生活には耐えられず、いつも長続きはしなかったようです。そして東晋の末期には、二君に仕えることを潔しとせず、「もう二度と官職にはつくまい。」と堅く決意して故郷に帰ったのが41歳の時だったそうです。

 そんな彼が「さぁ田舎に帰ろう!」と書いた詩が『歸去來兮辭』です。

『歸去來兮辭』は長い詩ですが、序文の最後に「仲秋より冬に至るまで、官に在ること八十餘日。事に因(よ)り心に順(したが)ひ、篇を命じて「歸去來兮」と曰(い)ふ。乙巳の歳十一月なり。」と帰郷を思い立って詩を書いたのが、この時期であったことを記しています。

本文では、まず「歸去來兮(かへりなん、いざ)。田園、將(まさ)に蕪(あ)れなんとす。胡(なん)ぞ歸らざる。」と帰郷の決意を示し、次の段で郷里の家の様子を表しています。

『歸去來兮辭』(抜粋)

乃瞻衡宇 載欣載奔。

乃(すなは)ち衡宇(こうう)を瞻(あふぎ)み、載(すなは)ち欣(よろこ)び載(すなは)ち奔(はし)る。

僮僕歡迎 稚子候門 

僮僕(どうぼく)歡(よろこ)び迎へ、稚子(ちご)門(もん)に候(ま)つ。

三径就荒 松菊猶存

三径(さんけい)は荒(こう)に就(つ)くも、松菊(しょうきく)は猶(なほ)も存す。

攜幼入室 有酒盈樽

幼(よう)を攜(たずさ)へ室(しつ)に入れば、酒有りて樽に盈(み)つ。

この段で、彼は「懐かしい吾が家の門を入ると、家族や一門の者たちが迎えた。庭内にある三つの径は荒れているが、松は操の緑をたたえ、菊の花は燦として露霜の中に咲き誇っていた。」「栄枯盛衰にとらわれない草木の誠実さ」を讃えており、これが松菊猶存」の主旨であると解されます。続く後段では、「親戚の情話をスび、琴書を樂しみ、以て憂ひを消す。」などと郷里の自然の中での生活について悠々自適ぶりが書かれており、最後に「夫(か)の天命を樂しめば、復(ま)た奚(なに)をか 疑はん。」と結んでいます。

一般的には、この「三径就荒 松菊猶存」の句が「三径」の典拠として有名ですが、この詩に「松」と「菊」は、登場するものの「竹」が登場しませんので、「もう一径」と調べを進めていくうちに、この詩の「三径」にも典拠となった故事があることがわかりました。それは、『蒙求』(もうぎゅう)という書物の中に「前漢の蒋(しょうく)は、字を元卿(げんけい)と言い、杜稜の人である。初めは官に仕え、清廉正直な性格で名を成した。しかし、摂政が国を乱し、帝位を奪おうとするのを見て、病気という事にして官を辞し、郷里に帰った。彼は屋敷内の竹林のもとに三本の小径を通じ、逍遥の便りとした。世俗との交わりを絶ち、ただ昔からの親友、求仲・羊仲だけが彼と共に遊び楽しんだ。と『三輔決録』(さんぽけつろく) に書いてある。」とあります。この庭に三径を作り「松・菊・竹」を植えたという故事から、「三径」は、隠者の庭園の「径」(こみち)の意になったとされており、後に『源氏物語』の「蓬生」の帖でも、末摘花の荒れ果てた邸内を「左右の戸もみな傾き倒れてしまっていたので、男どもが手助けして、あれこれと大騷ぎして開ける。どれがそれか、この寂しい宿にも必ず踏み分けた跡があるという三つの道はと、探し当てて行く。」などという情景に引用されたりしています。

この組香の要素名は「松」「竹」「菊」と「東籬」「南山」です。 「地の香」である「松、竹、菊」は、前述のとおり「三径」に植えられた植物で、それぞれ「径」の景色も表します。 「客香」である「東籬」「南山」については、おそらく、陶淵明の自宅付近の近景と遠景の例えでしょう。これは、「帰途で眼にした懐かしい故郷の山と自宅入口の籬」や「自宅に落ち着いて眺める見慣れた景色」という2つの意味を持つものと思われます。要素名の景色に「東」「南」の方角が用いられているのは、この組香全体が「都落ち」的な陰々滅々としたものではなく、「田舎暮らし」の幸せに浸った「陽」の景色を表わすものとして組まれていることがわかります。

この組香は5種を3包ずつ用意しますので、全体香数は5種×3包=15包となります。この組香の大きな特徴は、 「地の香」である「松」「竹」「菊」には試香が無く、「客香」である「東籬」「南山」に試香があるということです。出典の小引には「右、地の香三種試みなし。客二種試み有り。」とサラリと書いてありますが、一般的には、試香の有るものが「地の香」、試香の無いものが「客香」と理解されているので、厳然と試香の有る「東籬」「南山」を「客香」としているのが興味深いところです。作者の村井方州は、同巻の「緒手巻香」(おだまきこう)でも「先に本香を無試のまま焚いて、後で試香を焚いて聞き合わす」という逆転手法を用いており、「三径香」の試香も彼一流の趣向なのかもしれません。

続いて本香は、「試み終わりて、残り十三包打ちまぜ、内二包除き、十一包を次第に焚き出だすべし。」とあり、残る「東籬」「南山」各2包に「松」「竹」「菊」各3包を加えて13包とし、ここから任意に2包引き去ることとしています。この「2包引き去る」という所作については、「二包除く事は、松菊猶存するの義による。」とあり、「郷里を離れた年月とその間に失われてしまったもの」を表わすものと思われます。そうして、前述「三径就荒 松菊猶存」のとおり生き残った事物を「よくぞ待っていてくれた」と慈しむのが、この組香の 趣旨なのではないかと思います。私見としては、自然の中で数の変化がある「松」「竹」「菊」から2包を引き去るべきで、数の減らない「東籬」「南山」は引き去らない方が理にかなっており、「松菊猶存」の景色も端的に表わすことができると思いますが、「籬」も枯れますし、「山」も荒れ果てるということがありますので、 出典どおりとしました。

こうして引き去りの所作が行われると、残る本香は11包となり、香数としても珍しさを感じます。仮に「十*柱焚き」にこだわって「3包引き去る」こととすると、「菊が1つもでない」ということも想定され、「猶存」では無くなりますので「2包引き去る」は妥当な選択かなと思います。いずれ、「客香」については、同香が2つ引き去られると「東籬」「南山」のどちらかが本香に出現しないということが考えられますから、「任意」といえども香種が減ることのないように引き去りの際には気をつけた方がよろしいかと思います。

 この組香の回答は、専用の香札(こうふだ)を使用するようです。札の表について、出典本文に記載は有りませんが、香記の記載例に「梧桐、糸萩、呉竹、若松」とありますので、十種香札と同様に草木を書いてよろしいかと思います。札の裏は、「一(3枚)」「二(3枚)」「三(3枚)」「東籬(2枚)」「南山(2枚)」都合13枚と記述があり、要素名である「松」「竹」「菊」とは記述されていません。

 なぜ、札裏に要素名を記載しないのかは、この組香の回答方法に理由があります。出典では、「右二包除く時、地の香の同香を除きたる時は一包出香に残るなり。」と簡単に記述されており、香数が「地3+地3+地1+客2+客2=11」と出る場合のあることだけを表していますが、その他にも引き去りによって出現する「地2+地2+地3+客2+客2=11」「地3+地3+地3+客1+客1=11」等のパターンにおいて、試みの無い香3種に区別を付ける方法がありません。この解決方法について、出典の小引に 委細はは記載されていないのですが、香記の記載例から、「地の香」の要素名は判別せずに「無試十*柱香」の回答方法を援用していることがわかります。つまり、「地の香」(無試の香)に関しては、初めて出た香には必ず「一」の札を打ちます。次に焚かれたお香が「一」と同じ香ならば「一」の札を打ち、異なる香ならば「二」の札を打ちます。3炉目が「一」「二」と同香ならば、それぞれその札をうち、異香ならば「3番目に出現した香」として「三」を打ちます。ただし、「無試十*柱香」の回答方法と違う点は、あらかじめ試香が焚かれている「東籬」「南山」が焚かれた場合は、要素名で答えるというところです。

 すると、答えは無試十*柱香と有試型との折衷型でこのようなかたちになります。

例1:「一」「南山」「二」「東籬」「二」「一」「三」「東籬」「南山」「二」「三」

(「一」と「三」の要素が引き去られた場合)

例2:「南山」「一」「二」「二」「東籬」「一」「三」「南山」「一」「二」「三」「東籬」

(「一」と「三」の要素が引き去られた場合であって、客香が1炉目に出た場合)

この組香では、香札は打ちますが、「一*柱開」(いっちゅうびらき)との指定はありませんので、1炉ごとに回答を宣言することはしません。「札盤」(ふだばん)等を利用して、各自の答えを仮置きし、「後開」(のちびらき)として、本香終了後に回答を宣言し、当否を記録する形式で結構かと思います。

点数は、各要素の当たりにつき1点を原則としますが、出典に「地の香は、点に正傍あり。無試十*柱香のごとしとあります。「正傍の点」の付け方には諸説ありますが、ここでは、複数の同香を聞き当てていれば「正点」とし、1つしか出なかった香が当たっていれば「傍点」を付する考えのようです。また、客香については、「独聞」は2点と加点要素があり、その他は1点とします。一方、この組香には聞き違えに対して「星」がつくというルールもあり、試香のある「客香を1人で間違う」と星2つその他の聞き違いには星1つが付けられ、後に「消し合わせ」によって得点から減点されます。

「三径香」点法の例

 

10

11

香の出

東籬

東籬

南山

南山

正解

東籬

東籬

南山

南山

回答例1

東籬

南山

南山

点・星

 

 

 

回答例2

東籬

南山

南山

東籬

点・星

 

★★

 

 

 

 この点と星は、下附として各自の回答の下に「正○ 傍○」「星○」と二列に並記されます。上表の場合、回答例1の下附は「正四 傍二」「星二」となり、回答例2は「正二 傍二」「星四」となります。全問正解は「皆」と記載しますが、上表の香の出の場合、「松」の当たりが傍点となるため、内訳は「正十 傍一」「星なし」のこととなろうかと思います。

 勝負は、先ず傍点2つを正点1点に換算し、星の分を差し引いて最終得点の多い方が勝ちとなります。ここまでは、出典に記載があるのですが、「星は正点と消しあうのか、傍点と消しあうのか?」については明言はありません。例えば、上表回答例1の正傍を合算すると「正四 傍二」の場合は「五点」と換算されますが、「星二」を「傍二」と消し合えば差し引き「四点」、「正二」と消しあえば最終得点は「三点」となります。この点は、「正傍の点」を掛け、さらに「星との消し合いをする。」という組香は他に例がないため解釈に悩みましたが、結局のところ「星」は地の香が原因となって付くことは無く、客香を聞き違えた場合であり、星と傍点との間には強い因果関係あることに気づきました。つまり、客香が2つ出た場合、そのうちの1つが当たって「傍点」がついていれば、必ずもう一方は「星」が付いているというわけです。また、客香でも地の香でも、1つしか出ていなければ、当たっても「傍点」しかつきませんので、「星=正点」として消しあうことは、減点が多く、連衆に対して酷な感じがします。そう考えると、最小得点の「傍点」と「星」と消し合う形が妥当かと思います。いずれ、このことによって勝負が入れ替わることは無く、「星=傍点」にすれば、「消し合い」によって最終得点がマイナスになる可能性が少なくなるという効能もあります。

 因みに『御家流組香集()の香記では、「客香」の当たりは全て「正点」が付けられ、要素名の「右」に掛けられています。一方、「地の香」の当たりは全て「傍点」が付けられ、要素名の「左」に掛けられて記載されています。「客香」を聞き違えた「星」は要素名の「右」に付されているので、この場合は「右並び」で「正点=星」で消し合うという形かもしれません。いずれ、「客香の聞き違いは客香の当たりと消し合う」という意識は同じとなっています。

 「心が自由であろうとすれば生活は苦しくなり、暮らしを楽にしようと思えば精神は束縛される。」というのは、浮き世の最大のジレンマですが、多くを望まなければ両立は可能です。「塵裡に閑を偸む」聞香の一時にこそ、都会のオアシスがあるように思えます。

 「聞香せん。いざ!」

 

ロハスな生活の第一歩とは、「早起き」「トイレ掃除」「一日一善」だそうです。

確かに環境に配慮する時間があり、身体も動かし、ご飯も美味く、心も軽やかになります。

「天使の祝福」とはこんなものなのかもしれませんね。

今年も1年ご愛読ありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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