三月の組香
古今伝授の三鳥をモチーフにした組香です。
抽象的な要素から様々に景色を思い描いてみましょう。
※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。
|
説明 |
|
香木は、4種用意します。
要素名は、「百千鳥(ももちどり)」、「呼子鳥(よぶこどり)」「稲負鳥(いなおおせどり)」と「ウ」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「百千鳥」、「呼子鳥」「稲負鳥」は各2包作り、「ウ」は2包作ります。(計8包)
まず、「百千鳥」、「呼子鳥」「稲負鳥」の各1包を試香として焚き出します(計3包)。
次に、残った「百千鳥」、「呼子鳥」「稲負鳥」の各1包と「ウ」の2包を打ち交ぜます。(計5包)
出来上がった5包から任意に3包を引き去り、手元に残った2包を順に焚き出します。
引き去った香包は、総包に差し入れます。(捨て香)
本香は、2炉廻ります。
連衆は、香の出の順に要素名を2つ手記録紙に書き記して提出します。
香元は、香包を開き、正解を宣言します。
執筆は、各自の答えを書き写し、所定の点を付します。(委細後述)
この組香に下附はありません。
勝負は、最高得点者のうち上席の方が「勝ち」となります。
「いよいよ生いる」の回生の季節となりました。
先日、久々に結婚披露宴の招待状が舞い込みました。私の年代ともなりますと、そろそろ世代交代の時期でもあり、このところ、ひっきりなしに「○○さんの親御さんが亡くなった」との訃報がメールで配信されてきます。そのため、不祝儀袋はあっという間に在庫が無くなるのですが、祝儀の方は、1枚も使わないという日々が続いていました。親戚は従兄弟たちが既に子育て真っ最中ですし、我が職場は40過ぎの独身男ばかり。そこを先抜けしていく若者たちの「地味婚ブーム」もあって、遂ぞ
「御呼ばれも」もなく、公私共に9年前ぶりの慶事・・・華燭の典かと思います。
招待状の差出人は、我が同期で、仲間内では最後の既婚者となりました。彼は、現在、別の会社に働いているのですが、「結局そこで、我が職場で得られなかったもの全てを手に入れた『人生の勝者』」と誉めそやされています。聞けば、お互い「初老の初婚」とのこと。最初は恥ずかしいから入籍のみと考えていたようですが、新婦は一人娘なのでご両親のことも考えて、改めて披露宴をすることにしたということです。
ちょうど、このところ「相生」「相克」「連理」について、夫婦の物理的な位置関係と精神的な位置関係を重ね合わせて、このような「妙な考え」をめぐらしていたところでした。
「相生」とは、1つの根元から2つの幹が分かれ出ること。
もともと気の合う2人が結婚して暮らしていくうちに、その共同体(コロニー)の中での独自性を保つために、相手に無いものを取り入れることにより、少しずつ距離が離れていく形かと思います。2本の樹は、最初はとても近いところにあり、幹がくっついていたりするのだけれども、成長するにしたがって、お互いの枝葉を思う存分伸ばすために幹の距離感が次第に離れて行き、結果的に「V字型」に見えるようになります。しかし、枝葉にストレスがないので、お互いは平穏に暮らせるというわけです。「相克」とは、相いれない2つのものが、互いに「勝とう」として争うこと。
もともと、価値観の違いのあった2人が手近なところで結婚しますが、折り合いを付けようとせず、お互いの我を張り、喧嘩しつつも、お互いが依存関係にあるためその共同体からは離れられないという形かと思います。2本の樹は、最初から適度に距離感があり、風が吹けば、幹や枝葉をぶつけ合い、時にストレスという電位差が生ずれば、スパーク放電で火花も散らしますが、実はこのことで調和を取っており、外目には平行線「II型」に見えます。お互い「邪魔だなぁコイツ」と内心思っていながらも、双方の幹が枝葉を思う存分伸ばすためにあまり離れてしまっては、ぶつかるにも、スパークを飛ばすにも多大なエネルギーが必要になりますし、そのような大きなエネルギーを受けたり、溜め込むと自滅してしまう危険性もあります。そこで、お互い枝葉の窮屈なところは我慢して、常に視界に入る程度の距離にストレス発散の受け皿である相手を置くことに一面安住しているのです。この場合、幹の距離感が近ければ近いほど、枝葉のストレスは早く蓄積されますが、スパークでエネルギーを発散させる頻度も高くなるために、「喧嘩するほど仲の良い・・・」小波程度の安定を得ることが出来ます。反対に幹の距離が遠くなると、長い周期の大波が来ることになります。「連理」とは、1本の樹の枝が他の樹の枝につき、1本の樹のように木理(もくり)が同じになること。
もともと、ある程度価値観の似ている者同士が結婚し、共同体の中でさらに共通な価値観を生み出し、共有し合う形かと思います。2本の樹は、最初は、根元に少し距離がありますが、次第に寄り添い、絡み合い、表皮1枚で隔てられつつも、その一部は同化しており、既に枝葉の窮屈さも気にならなくなっているため、外目には「λ型」に見えます。お互いが2つの個体として生きつつも、枝葉は既に「互いのもの」のような共有感があり、価値観も同じなのでぶつかることもなく、「自分のしたいように生きているのに、結果的に相手も同じことを望んでいる。」理想的な形といえましょう。ただし、これは理想ではあろうけれども、植物学的に見ても、どちらかが経済的、精神的、肉体的に弱い等の理由で「寄り添う」(寄生に近い)形でない限り、現実的にここまで同化するのは稀有な例かと思います。かの玄宗と楊貴妃もプライベートな恋愛感情では対等で「連理」であっても社会的地位は全く異なり、楊貴妃は玄宗の庇護なしには生きられなかったのが現実です。蓬莱山の翁と嫗は、社会性のない無人島で相互扶助していたので「連理」を実現させていたのかもしれません。因みに「比翼」は、最初から雌雄同体ですので、物理的にも生物学的にも「連理」とは違って、現実には「ありえない」ものと言えます。また、この頃は藤蔓型の「似非連理」もあります。藤はある高さまでは枝葉も伸ばさず、ぴったりと樹に絡み付いて「夫唱婦随」のように見せますが、もともと異なる植物なので同化はしていません。そして、相手の幹と一緒に林から顔を出し、陽の光が当る高さに達すると「これからは自分の人生を行きたいの」と勝手に枝葉を伸ばし始めるので、外目には「Y型」に見えます。いわゆる「熟年離婚型」ですが、この後、樹は生気を失い、藤は樹上で大きな花を咲かせることになります。
こんなことを考えつつ、近所の蕎麦屋に遅い昼食を取りに行きましたら、店の御夫婦が、厨房でまるで友達のように「他愛の無い会話」を途切れずにしているのを耳にしました。おそらくお2人は狭い厨房で一日中、無邪気な会話を続けて、何年も暮らしているのだろうと思います。私にとって夫婦の会話は用件を伝えるための「手段」となっておりましたので、蕎麦を仕上げて店に出てからも「でさー」「それがさー」と、食べる客にも憚らず続く夫婦の会話が、まったく「失敬」には思えず、何故か心温まるものを感じてしまいました。
今回新郎となる友人は、私と3つしか年齢が違わないので、まぁ、既に「老木」と言って憚らないと思います。幹も硬くなり、樹皮も厚くなったこの2本の樹が、まずは歩み寄り、これから「連理」に向けて、互いの求心力を作用させつつ、寄り添い、幹を絡めて同化して行くことに大いなる期待をしています。(私は 既に立ち枯れ始めていますので・・・(+_+))
今月は、「比翼」「連理」の入門編、古今三鳥の「鳥合香」(とりあわせこう)をご紹介いたしましょう。
分類としては「雑組」に属するものでしょうが、「古今伝授」に触れるのも初めての方が、最初に味わう「秘伝めいた雰囲気のある組香」のように思えます。このような簡単な組香の背景を深く味わうことから香道は広がり、その地平線の果てに「比翼香」や「連理香」があるのかもしれません。それぞれの組香の記述は、『香道蘭之園』のみ「本香3*柱焚き」で、その他は「本香2*柱焚き」です。
今回は、小引の内容がとても短いため、その中でも最も記述の多い米川流香道『奥の橘(花)』を出典として、他書の記述も交えながら筆を進めたいと思います。
まず、「鳥合香」のテーマを探るためには、「古今伝授」について知ることが大切でしょう。「古今伝授」とは、「古今和歌集」の解説や秘説を口伝・切紙・抄物等によって特定の人に伝える歌学の伝授形式のことです。
そもそも、歌道は、平安末期から御子左家(みこひだりけ)が歌壇に君臨しており、鎌倉時代には、当時の当主であった藤原為家(ためいえ:定家の息子)が『新古今和歌集』の選進の命を受けています。その息子たちは、相続をめぐって分派し、二条為氏(ためうじ)率いる二条家、京極為教(ためのり)の京極家、冷泉為相(ためすけ)の冷泉家といった「歌道家」を形成して、それぞれ研究と伝承が行われていました。
室町時代になると当時二条派の歌学者であった東常縁(とう つねより)が、文明
3年(1471)に連歌師の飯尾宗祇に対して、最初の「古今伝授」を行ったと言われており、彼は「古今伝授の祖」と呼ばれるようになりました。その後、宗祇から近衛尚道、三条西実隆、牡丹花肖柏らに受け継がれており、宗祇から三条西実隆を経て細川幽斎に伝えたものを「当流(二条派)」、宗祇から肖柏に伝えたものを「堺伝授」、肖柏から林宗二に伝えたものを「奈良伝授」といいます。
そのうち、香道の始祖としても有名な三条西実隆に伝えられた古今伝授が、その子孫に継承されたことにより、三条西家は、歌道を家職として、実隆(さねたか)・公条(きんえだ)・実枝(さねき)といった「三条西三代」を形成していきます。実枝は、これまで三条西家内で伝わってきた歌道の奥儀を幼少だった息子の公国(きんくに)に伝えるのが憚られたため、将来、公国に確実に戻すことを約束させた上で、武将の細川幽斎に「古今伝授」を「一時預かり」として授けます。三条西実枝から伝授された細川幽斎は、約束どおり公国に伝授しますが、公国が早逝してしまったため、また継承権が戻って来てしまいます。彼は、その後も独自の研究を重ね、分派した伝授を集大成し「近世歌学の祖」と言われるようになりました。細川幽斎は、関ヶ原の戦いの際に、石田三成にその居城である田辺城を包囲され、死を決意しますが、古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇の勅命によって、包囲を解除させたというエピソードがあり、このことからも、古今伝授が大変尊重されたものだったことを知ることが出来ます。
その後、細川幽斎から受け継いだ伝授と資料をもとに、八条宮智仁親王が「古今伝授」を受け継ぎ、親王が甥の後水尾天皇に伝授されたことを契機に古今伝授は御所に入り、「御所伝授」として代々の天皇に伝えられるようになったということです。
このように、香道の創世記に名を連ねる香人たちをはじめ、八条宮智仁親王、後水尾天皇に至るまで、「香道」と「古今伝授」の系譜には密接な関係があり、そのため、香道の式法伝授そのものも「古今伝授」の影響を深く受けているといえましょう。
次に、「古今伝授」の中には「三木三鳥」と呼ばれる特に重要とされる秘説があります。今回のテーマである、「三鳥」とは 「百千鳥(ももちどり)」、「呼子鳥(よぶこどり)」、「稲負鳥(いなおおせどり)」のことです。
百千鳥とは、春の訪れを知らせてくれる鳥たちのことで、多くは「鶯」を差します。鶯は他の鳥よりも早く鳴き始めるため、「百千の鳥の声を一つに集めている」ということで百千鳥と言うのだそうです。
呼子鳥とは、人を呼ぶような鳴き声をする鳥たちのことで、多くは「筒鳥(ツツドリ:カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥)」や「郭公(カッコウ)」などを指します。筒鳥は親が鳴くと子の鳥がやってくるので呼子鳥と言うのだそうです。また、一説では、野山で物音を立てる「猿」、年寄り来よ来よ♪と啼く「鳩」、山彦を起こす「妖怪」とされることもあり、「三鳥の伝は、一部荒唐無稽」とされる由縁はこの辺にありそうです。
稲負鳥とは、秋に来る渡り鳥のことで、多くは「鶺鴒(セキレイ)」を指します。この鳥が鳴く頃、秋の田の収穫を行なうことや、牛馬に稲を負わせて運ぶことを民に教えた鳥ということで稲負鳥と言うのだそうです。また、一説には「稲課せ取」ということで 「収税吏」(=税を取り立てる役人)の意味があり、鶺鴒はその化身であるとの説もあります。
また、『古今和歌集』に最初に登場する三鳥の歌はこのようなものです。
「ももちどり」の歌は、「ももちどりさへづる春は物ごとに あらたまれども我ぞふり行く(古今集春歌上28 不知読人)」です。これは、「いろいろな鳥(鶯)が囀る春は、いろいろな物が新しくなる季節だが、自分だけが歳をとって古くなってゆく」というペーソス溢れる歌です。
「よぶこどり」の歌は、「 をちこちの たづきも知らぬ山なかに おぼつかなくも呼子鳥かな(参考:古今集春歌上29 不知読人)」です、これは、「遠くや近くで見当も付かない山の中で頼りなさげに呼子鳥が啼いている。」という意味ですが、本当に迷って心細いのは詠み人なのでしょうね。また、呼子鳥を「筒鳥」「カッコウ」などと言っていながら、「春歌上」に掲載されており、古今の選者は呼子鳥を春のものとして扱っていることも謎めいています。
「いなおおせどり」の歌は、「我が門にいなおほせ鳥の鳴くなへに 今朝吹く風に 雁はきにけり(参考:古今集秋歌上208 不知読人)」です。これは、「家の門の近くで稲負鳥が鳴くにつれて、今朝吹く風に雁はやってきた」という意味で、秋の歌としては無難なところかと思います。
これら、古今三鳥に関しては「どうしても名前を定めなければならない時には 『百千鳥=鶯』『呼子鳥=筒鳥』『稲負鳥=鶺鴒』とせよ。ただし本来これらの三鳥は名前があって実体がないところが重要なので、百千鳥は春に鳴く鳥の総称、呼子鳥は物音を立てるものの総称、稲負鳥は秋に鳴く鳥の総称と心得よ。」と口伝されていたそうです。
因みに「三木」とは 「御賀玉木(おがたまのき)」「河菜草(かわなくさ)」「めどに削り花」のことです。御賀玉木とは、モクレン科の常緑高木で床柱の材料に使われ、葉は香料 になるようです。河菜草とは、川に生えている水草の一種でコウホネと呼ばれることもあるようです。めどに削り花とは、豆科の植物であるメドハギに 木を削って仕立てた、お彼岸の造花のようなもののようです。
さて、この組香の要素名は「百千鳥」「呼子鳥」「稲負鳥」と「ウ」です。出典の香組の欄には「一」「二」「三」「ウ」と記載され、本文でそれぞれ「一を百千鳥と云う」「二を呼子鳥と云う」「三を稲負鳥と云う」と解説されています。これら「三鳥」は、どの香書でも試香が用意されている「地の香」とされています。
また、客香である「ウ」については、出典に「ウを鵜と云う」とあります。これは、他の香書が単なる「客→ウ」と記号化しているだけなのに対して「これも鳥の名である」と意味付けている点で大変興味深い記載です。ただし、「此れ、ひらがなにて『う』と書くべし。」とあり、「ウを鵜と云う」という解説がなければ、表記上は他の香書と変わらなくなります。もともと、組香では「一」「二」「三」と来れば、客香は「ウ」となることが順当ですので、この「ウを鵜と云う」が、書写される間に単なる「ウ」に省略されたものか、米川流独自の演出として新たに「鵜」という解釈を付け加えられたものなのかはわかりません。いろいろと検討してみましたが、「ウ」を「鵜」とするには後述のように解釈上の功罪がありますので、「敢えても申すならば・・・」程度の話題として含んで置くのがよろしいかと思います。
ここで、組香書の中では、この三鳥の順序が入れ違いになっているものもありますので、各香書における要素名の記載と序列の違いを比較して見てみましょう。
香書名 |
要素@ |
要素A |
要素B |
要素C |
香種 |
奥の橘 |
一(百千鳥) |
二(呼子鳥) |
三(稲負鳥) |
ウ(鵜) |
4種 |
香道 |
百千鳥 |
呼子鳥 |
稲負鳥 |
ウ(2種) |
5種 |
三十組之目録 |
百千鳥 |
稲負鳥 |
呼子鳥 |
ウ |
4種 |
香道蘭之園 |
4種? |
以上のように、要素名の序列については、「志野・米川系」と「御家系」で違いがみられるようですが、「三鳥」がそれぞれ季節を表していることは明白ですので、季節順に「百千鳥(春)」→「呼子鳥(夏)」→「稲負鳥(秋)」と並べたほうが、据わりが良いと思います。
また、この季節感のことを考えますと「ウ」を「鵜」と解釈するのは、少々無理かと思います。三鳥の要素で欠落する季節感は「冬」ですが、これに「鵜」を当てはめようとすると一年中居る季節感のない「鵜」を「冬鳥」とはできません。「チシマウガラス」のように冬鳥とされる「鵜」もいるようですが、どうしても「鵜飼」を連想しますと「夏」になって、季節感が「呼子鳥」と重複してしまいます。
一方、「鳥合(とりあわせ)」というテーマを考えると「三鳥」と「ウ」(なんだかわからないもの)を組み合わせて景色を結ぶよりは「鵜」という鳥の方が落ちつく気もします。「鵜」というものが、この組香の中でニュートラルな存在なのだとすれば、「季節」としての「年中」、「色」としての「黒」、「居場所」が「水辺」であることも当てはまる気がします。もう1つ、啼き声についても「鵜」は、繁殖期以外は、あまり泣かない鳥ですので、「啼き比べ」には参加しない中立的な存在とも言えます。
以上のような、考察に基づいて、今回の小記録では、出典の「一」「二」「三」を、それぞれの鳥の名に改め、序列を季節順に統一し、ウについては「鵜」とせず「ウ」のまま掲載しています。
続いて、この組香の構造は至って簡単です。出典には「試み三*柱終り、本香五包打ち交ぜ、二*柱取り、焚くなり。」とあり、「百千鳥」「呼子鳥」「稲負鳥」は各2包作り、それぞれ試香を焚き出して、残った「百千鳥」「呼子鳥」「稲負鳥」に「ウ」を2包加えて、5包とし、そこから任意に3包を引き去って、本香は2*柱のみ焚き出します。連衆は、試香で最初に「三鳥」を味わうこととなります。これら「三鳥」は、もともと掴みどころのない鳥の名なので、自分の心のの赴くままに「鳴き声」、「姿かたち」、「季節の風景」等を十分に印象付けでください。「抽象的な命題と香りを結び合わせて、心象風景をどれほど広く・深く取ることができるか」によって香人の感性が問われることともなりますので、とても良い「心の訓練」になるかと思います。
ここで、「鳥合香」のテーマとなる「鳥合」なるものについては、一般的に考えれば、「香合」「歌合」「菊合」のような「比べもの」で、その多くは「色姿」や「啼き比べ」である可能性が高いのですが、「三鳥の伝」には「イサナギノミコトとイザナミノミコトは稲負鳥を見て
『交(とつぎ)』の方法を知った。」などという情報も含まれるものですかから、「貝合」「星合」のような鳥の「お見合い(カップリング)」を楽しむ組香なのかもしれません。
また、前述のように構造式を読み解きますと「5包の中から3包を取り出した残りを焚く」という形になりますが、「鳥合」の趣向からすると、出典の記述のように「5包の中から2包の対戦(または対面)相手を選び出して焚く」という表現の方が適切かと思います。さらに、出典には「残りたる三包たく事なし。」とあり、引き去った3包は、拾遺香などで焚くことはせず「捨て香」とすることが決められており、香元は、消去法ではなく「数ある鳥の中から2羽を選んだ」という印象を持ちつつ手前をすることが大切かと思います。
一方、『蘭之園』では、香組の欄は4種の
表記なのですが、「五種のうち二*柱ききて小記録に書き出すなり」と書いてあり、さらに「但し、一*柱は本香三鳥の内、一*柱は客の香きくなり。また、客は二*柱とも聞くべし。」と妙な記述となっています。結果的には「三鳥」のうち2包を任意引き去って、残る1包に「ウ」2包を合わせて、本香は「三*柱焚き」となっていることが、香記から読み取れます。この方式では、必ず「三鳥」のうち1つが主役となり、「ウ」の2*柱を脇役に据えるという工夫だと思いますが、記述に矛盾があるように思えます。また、「鳥合」の趣旨からして、登場する鳥は何であっても「2羽でしかるべき」かと思います。
また、出典の最後に「この香、三鳥香とも云う。他流に『う』の香二種組みて、都合五種とするも在り。」とあり、『蘭之園』の記述は、これに当るのではないかと思います。そうすると「ウ」の香も別々に用意することになりますので、香5種の組香となり、「五種のうち二*柱ききて」に繋がります。『香道』の小引では、最初から「二種 各一包宛 ウ 無試」と「ウ」について、別香で組むことを指定していますので、香5種の組香があながち否定されるものでないこともわかります。いずれ、ウ香を同香で組んでも、別香で組んでも、「三鳥」の香と組合わされた場合は、どちらの「ウ」が出たかは判別が付きませんし、難易度が若干上がるだけで、このことが点数に影響するものでもありません。ただし、本香で「ウ・ウ」と出る確率が1つだけ残されており、この場合の香りによる景色の広がりが異なることになります。
本香は、2炉焚き出されます。出典には「手記録を用ゆ」とありますので、連衆は本香が焚き終わったら、手記録紙に要素名を香の出た順番に2つ書き記します。点数と記録法について出典では「あたり一点、『う』は二点なり。二行にかくなり。長点たるべし。」とあり、執筆は、連衆の答えを全て書き記す際に、2つの要素名を横に並べて書き付けます。ここが「鳥合香」の景色の特徴で、「香合(こうあわせ)」の記録に通じるところです。その後、香元とから正解が宣言されましたら、当たりに 合点を掛けます。「三鳥」のあたりには、要素名の右肩に長い(かな三文字分)点を掛け、「ウ」のあたりには、短め(かな一文字分)に長さの異なる2点を掛けます。この組香には下附がなく、点によって各自の得点が示されるのみとなっていますので、点も重要な景色となります。
最後に、勝負は得点の多い上席の方の勝ちとなります。本香は、2*柱焚きで、点差はそれほど開かないと思いますので、上座に座るのが必勝法かもしれません。
「景色」とは眺望だけでなく五感で感じて心に結ぶものです。
いずれ古今三鳥とは、心の中に住まう鳥のようですね。
花笑みの浅き緑に香を点じ野辺の錦やももちどり啼く(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
Copyright, kazz921 All Right Reserved
無断模写・転写を禁じます。