三月の組香

  

中国由来の伝統行事「曲水の宴」をテーマにした組香です。

酒盃が流れの途中で岩に当たる景色が妙味です。

 ※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は、4種用意します。

  2. 要素名は、「一」「二」「三」と「ウ」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 一」「二」「三」は各作り、「ウ」は1包作ります。(計13包)

  5. まず、一」「二」「三」の各1包を試香として焚き出します(計3包)

  6. 次に、残った一」「二」「三」の各3包「ウ」の1包打ち交ぜます。(計10包)

  7. 本香は、「一*柱開(いっちゅうびらき)」で10炉回ります。 
    −以降9番から11番までを10回繰り返します。− 

  8. 連衆は1炉ごとに答えを「香札」で投票します。 

  9. 香元が正解を宣言します。 

  10. 執筆は香記に当たった答えのみ書き記し客香の当たりのみ答えの右肩に2点を掛けます。

  11. 盤者は、所定の方法で正解者の盃を進めます。(委細後述) 

  12. 盤上の勝負は、香が全て焚き終わった時点で最も盃の進んでいる方の勝ちとなります。

  13. 記録上の勝負は、最高得点者のうち上席の方が勝ちとなります。

 

  道端の草木が生気を帯び、「陽」に向かう景色の変化が日々楽しみな季節となりました。

私は、今月で論語で言うところの「天明を知る」 年齢になりますが、このごろ同年代の友達から「年取ると命根性(いのちこんじょう)が汚くなって・・・」という言葉をよく聞きます。これは、方言なのか一般語なのかよくわかりませんが「私は生きるのに執着心が強いので・・・」という自虐的な言い訳で、暗に「長生きしてすみませんね。」という気持ちを含んだ言葉と言えます。昔の日本では、食糧事情が厳しかったため、還暦を過ぎても歯が丈夫に生え揃っていると食い意地が張っているとみられて「命根性が汚い」と言われたようです。現在の日本では「食糧事情」は原因となりませんが、「死ぬまで元気!」を願う老人たちが、医療行為の現場で症状を事細かに吐露した後の常套句としてこの言葉を使っており、「家族や社会との関係」を意識しつつ「長生きしてすみませんね。」と言わざるを得ない状況は今も昔も変わっていないようです。

一方、衣食足りた「アラフォー」世代を中心として、昨今「アンチエイジング」(老化防止)という言葉がもてはやされています。これは「老い」に「抵抗」していくために、肉体的・精神的なケアをすることを意味しますが、例によって、時の流れに竿を差して押し止める「究極の贅沢」を現代の消費性向に結びつけたものと言っていいでしょう。

もともと「アンチ」は「非〜」「抗〜」「反〜」という意味の接頭語。「エイジング」は直訳すれば、広い意味での「老化」なのですが、その語意は、決して「悪く」なることではなく、「年を重ねて○○に馴染む」ことを意味します。実は誰しも生まれた瞬間から「エイジング」しており、それを赤ちゃんの時は「生育」、若者の時は「成長」と呼び、次第にその本質は、物理的な増加から精神面の充実へと変わっていくのが自然の摂理です。もとより「内実」を基とする日本の価値観では、多少の新陳代謝や運動機能が衰えには抵抗せず、現在与えられた「アラフォー」の体躯の中で「熟成」という質的な進化を遂げることが求められますが、アメリカナイズされた「若さ至上主義」では、「外観」が人間的なシェープアップの評価であり、健康的な魅力によって人を引きつける力が求められるという違いがあります。私は、そのどちらも真実だと思いますし、決して「アンチエイジング」が精神的な若返りを忘れ、シミ、シワ、クスミをとるだけの美顔術でないことはわかっているのです。しかし、せっかく「大人」として十分な経験を積んだワイン「ビンテージ・アラフォー」が内実の価値を忘れ、華やかでフレッシュながら深みや味わいに欠ける「未熟なワイン」に自らを見せなければならない風潮を残念に思っています。 「若さ」なんてものは、好奇心、挑戦心、冒険心を持ち続ければ、自然とにじみ出て来るもののような気がします。人間の概観は、その人の生き方の現れですから、中年過ぎたら、若さに媚びず、自分の「内実と概観」に自信と責任を持つ方が幸せではないでしょうか。

また、他人から「お若いですね。」と言われると、(それは「年の割に・・・」ということが前提での話ですから)「若い⇒未熟⇒無能?」と皮肉にしか聞こえない人も少なからずいるかと思います。もともと「若い」ことと「人間の美」は違うのですから、他人様にもどうせ褒めるなら、「具体的に何か良いところ」を見つけて褒めてもらいたいし、ボンヤリと「若い」よりは、「元気」とか「美しい」の方が総体的にも端的にもとれて、相応しい褒め言葉だと思います。

人間は「死に向かって一方通行」と決められている歩みの中で、成長し、熟成して行くものです。大昔の「長老」が一番偉かった訳は、一番長く生きたからではなく、長い間に得た知識・経験・人徳・中庸・威厳といったものが、地域によって自然に培われた「人材」だったからでしょう。そして彼らは、後身に自分の知恵を授け終わったところで、「あちらの世界」からも必要とされて呼ばれて逝くのでしょう。これが「人間の本懐」だと思います。かくいう私は、地域との繋がりも程々で、近親者にすら尊敬された経験がなく、智恵も授けてやれないまま「熟成」しているので、いくら精進して長く生きても「長老」にはなれないのだと思います。その割りに「命根性は綺麗」な方で、この年になっても人生「いつでも逝ってよし!」と思っているのですが、どこかで突然、達成感のない人生に不満を感じ「留まれ」と願い、「命根性汚く」生きてしまうのかもしれません。「人生、曲水に浮かぶ酒盃の如し。」”コツン”コツン”と石に当たる数が多ければ、時間はかかった分だけ良い詩ができるのかもしれませんね。

今月は、弥生の風物詩「曲水の宴」を写した「曲水香」(きょくすいこう)をご紹介いたしましょう。

「曲水香」は大枝流芳の『香道秋農光(上・下)』に掲載のある「盤物」(ばんもの)の組香で、上巻に「盤立物之図」(道具)、下巻に「小引」(解説)が掲載されています。小引の題号の下には流芳組」との記載がありますので、大枝流芳が創作したオリジナルの組香であることがわかります。

まず、この組香の趣旨については、小引の冒頭に曲水の宴は、もろこしにては周の世より始まり、我が国にては、顕宗天皇元年、弥生上の巳の日、文人、詩歌の人、東流のほとりにて盃を上より流し、その盃の我が前を通らざるうちに詩を作り、酒宴をなせし故事を写し侍る。」とあり、現在、太宰府天満宮等で春の風物詩として行われている曲水の宴」を写した組香であることがわかります。

次に「曲水の宴」の故事について、改めて出典の記述を検証してみますと・・・

中国では、古代から「上巳」(じょうし:3月の最初の巳の日)を悪日として水辺で禊(みそぎ)を行う風習があり、それが周の時代に盃を水に流して宴を行う「3月3日の行事」になったと伝えられています。最も有名な曲水の宴は、晋の時代の永和9年(353)3月3日に書聖と称された王羲之(おうぎし)が催したもので、その際に詠じられた漢詩集の序文草稿『蘭亭序』は、書道史上最も有名な書であり、現在、温泉宿や割烹で見かける「蘭亭」→「曲水」という美意識の礎となっています。

一方、我が国では、『日本書紀』の顕宗元年485)に「三月上巳幸後苑曲水宴(こうえんにみゆきしてきょくすいのえんあり)」と宮廷の儀式として開催されたという記述があります。翌年の記述には「治世2年春3月上巳の日、苑へ行幸し曲水の宴を催した。このとき公卿、大夫、臣、連、国造、伴造を集めて大宴会をした。群臣らは盛んに喜びを奏上した。(意訳)」とあります。しかし、当時は無かった冠職名が用いられ、中国では既に「3日」が通例とされていた行事が毎年「上巳」に行われていたりしていることなどから、編者が後に挿入した可能性もあるとのことでした。 その後、「曲水の宴」が確実な史料に初めて現れるのは8世紀の聖武天皇の頃で、奈良時代には「3月3日」開催が恒例となり、平安時代には宮廷のみならず貴族の邸宅などでも行われるようになったといいます。

因みに、「上巳」は江戸時代に定められた「五節句」の1つで、明治6年に廃止されるまで公式な祝日でした。中国伝来の行事と日本古来の風習が融合した「上巳の祓」は、3月3日「桃の節句」として「形代流し」→「流し雛」→「雛祭り」に発展して、今に至っていると言われています。

まず、この組香に証歌はありませんが、出典に「此の組香は、『礙石遅来心竊待、牽流遄*過手先遮』(いしにさへぎられて おそくきたれば こころひそかにまち、ながれにひかれて はやくすぐれば てまづさへぎる)と作りし詩の意(こころ)によれり。」とあります。

*「辶」しんにょうに「耑」タンと書く字。ブラウザによっては表示されない場合があります。

この詩について調べましたところ、『和漢朗詠集』の「春」の章「三月三日」の項に尋ね当たりました。 作者は、菅原道真の孫にあたる「菅原雅規」(すがわらまさのり)で、意味は「(曲水の宴は、上流から盃を流し、自分の前を過ぎないうちに詩を作り、その盃を取って飲む遊びなので)盃が石に触って流れて来るのが遅ければ、詩を作り終わった人は心の中で早く流れて来ることを密かに期待し、流れに引かれて早く自分の前を通り過ぎて行くと、まだ詩を作れない者は、まず手を出して盃を止め、慌てて詩を作ろうとする。」と曲水の宴の参加者の心を賦したものとなっています。 なお、『和漢朗詠集』の訓読では、「礙石」を「いしにさわりて」となっており、盃が「いしにさへぎられて」のニュアンスよりも軽く当たった感じがします。因みに、現在「礙」の字は「さまたげる」と読むのが一般的です。

次に、この組香の香種・香数、構造は「有試十*柱香」と同様です。「一」「二」「三」は各3包作り、そのうち各1包を試香として焚き出します。残る「一(3包)」「二(3包)」「三(3包)」に「客(1包)」を加え、計10包を打ち交ぜて焚き出しますが、これを「一*柱開」とするところだけが異なります。本香は盤物のコマを進めるための素材として焚くだけですので、要素名に特定の景色を付けてありません。 連衆は、まず試香の3種を聞き分け、本香は試香に聞き合わせて「一」「二」「三」を判別し、どれとも当てはまらない場合は「客」とします。この組香には、回答に「香札を用ゆ」とは書いてありませんが、他の盤物と同様「一*柱開」のため、「香札」で回答するのが順当だと思います。特にこの組香の場合は、「有試十*柱香」と要素名も構造も同じですので、「十種香札」を用いて行うことができます。各自の名乗りも香札の表に描かれた「札紋」(老松、早梅、初桜等)から当てはめれば、雅趣も増し、記録の際にも楽になります。

続いて、この組香は、「曲水香盤」という、専用のゲーム盤を使用します。「曲水香盤」については、出典の下巻に「盤は、水を蒔絵にし十行に十二目なり 。六目の間に瀬あり。波を書き岩を置くべし。向こうには桃花の立て物一本を立て置き、前より人数ほどの金銀の盃を流すべし。」と様子が示され、上巻には「磐立物」の図が示してあります。「十行」とは10人分のコースがあるということで、「十二目」とは双六のマス目が12あること表し、普通「間(けん)」と称します。各自のコマは「盃」で表わされ、これをスタートの間目に置いて組香が進みます。 盃の数について、出典では「金銀の盃 十」とあり、「それぞれ十」とは書いていませんので、10人分ならば、金・銀を交互に並べて各自の盃を間違えないようにするのが順当かと思います。また、5人分ならば、間違いも少ないので、最初は銀盃で進み、瀬を越えたら金盃に替えるという「出世方式」も楽しいかと思います。

さて、組香は、「一*柱開」ですので、香炉が炉廻るごとに、香元が香包を開いて正解を宣言し、盤者が当たった人の盃を進めていきます。盃の進め方については、「一」「二」「三」の当たりはとなり、「客」が当った場合は2間進むことができます。また、この組香では、連衆のうち1人だけが当った「独聞」(ひとりぎき)について加点要素はありません。

ここで、盃の進み方には、この組香の趣旨に則った特徴があります。出典には「盃、六間目の瀬に至り、七間目へ瀬を超える時、聞き誤りたる人は、次の香当るとも盃を通すべからず。次の香聞き当てし後、通すべし。」とあります。これは「瀬」が一旦関所の役目をして、6間目ですんなり聞き当らなければ、次に当った分は「帳消し」となり、その次に当るまで「差し止め」されるというルールです。これは、詩の「礙石遅来」を表わし、盃が瀬の岩に「コツン」と当って、そのまま流れて来たり、澱みの渦に暫し留まったりする景色を表わしています。 そうして、連衆は1間目に置かれた盃を進め、11間先の「桃花」を目指しますが10炉の香を聞き当てて進むことの出来る数は最大11間ですので、全問正解をしないとゴールには至らないことになります。その点、厳しいような気がしますが、香が全て焚き終わるまで盤上の勝負も決しませんので、連衆は最後まで盤上で遊ぶことが出来ます。

とはいえ、この組香でも香記は認めることとなっており、小引の最後に「曲水香之記」の記載例が示されています。執筆は、「一*柱開」の例に習い、1炉ごとに香元から宣言される正解を「香の出」の欄に記載し、各自から投票された香札の裏を見て当たり札のみ選び出し、札の表を見て、その札の紋と各自の名乗りの紋を見比べて、当った人の回答欄にのみ要素名を書き記します。(例:香の出が「三」ならば札裏が「三」の札のみ集めておき、札表に「老松」があれば、「老松」と名乗った人の回答欄に「三」と書きます。) その際、「客」については、2点を表わす「ヽヽ」を掛けます。その他の当たりは、記載されたこと自体が当たりを示しますので合点は 掛けません。一方、外れた人の回答欄には何も書かず「白闕」(はくけつ)とします。香が焚き終わりましたら、各自の点数を合計して漢数字で下附します。

さらに、勝負のことですが、この組香では「独聞」を加点要素とする他の組香と異なり、「いち早く盤上の勝負が付いてしまって本香が余る。」→「本香が余るから残らず聞いて記録上の勝負を付ける。」→「盤上の勝負と記録上の勝負が大きく異なる結果になる。」といった盤物特有の面倒が極力避けられるように配慮されています。そのため、盤上の盃の進み具合は、およそ各自の点数を表す「棒グラフ」のようになりますが、「6間目」で当たりを帳消しにされた人のみ、点数と盃の進みが異なるケースが出てきます。 例えば、「6間目」を聞き外して、次に「客」を当てた場合は、6間目のミス(−1)に加えて、「客」の当たりが帳消し(−2)となるので、減点は−3点となり、他が全部当たった場合で盤上では8間目までしか進めません。しかし、記録の上では、「6間目」のミスのみ減点されるものの、「客」の当たりは得点となりますので減点は−1点となり、得点は10点と記載されます。こうなると、「客」を含まないミスを2つ(−2)した方は、盤上では9間目まで進み一旦「勝者」となりますが、記録上は先ほどの10点の方に「逆転」されるということになります。

出典の「曲水香之記」の記載例では、最高点が「六点」で「六間目」を越えた人の例がなく、小引にも点法については記載がないので、記録上での「点数の帳消し」は明記されていないのですが、「瀬を越えし時、聞き誤りたる過怠なり。」とあることから、当たりとして要素名は記録するものの「過怠の星」をつけて減点し、盤上の進みと点数を一致させるルールを設ける方が綺麗なような気がします。 そうすれば、盤上で盃を一番先に進めた方の上席が、名実ともに組香の勝者として記録をもらうことができるようになります。

 最後に出典には「包紙は試みには筆包を用い、出香は硯包の法を用ゆ。文字の縁によれる也。」 との記載があり、詩歌を記すことになぞらえて香包をアレンジするという演出も加わっています。礼法の書には、二種類の「筆包」があり、「常の筆包」は下部のみ折り返し、筆を上から差し入れる折形で、「贈進用の筆包」は上下を折り返した畳紙です。どちにも長いものを入れるものなので、上下の折り返しをアレンジすれば香包としても使えるものと思います。「硯包」については、概観までは分かりましたが、折形の詳細までには尋ね当たりませんでしたので、後の宿題としたいと思います。組香の小引に香包の形を指定するものは、基本の「古三十組」以外では珍しいことだと思います。組香に特有の香包があったということ自体、現在ではあまり知られていませんので、是非「復刻」して、お香による曲水の宴を古式ゆかしく催していただければと思います。

 

この頃我々の年代では「アラカン」という言葉が流行っています。

これは、「アラウンド還暦」の意味ですが・・・

本来、目指すべきは「阿羅漢」でしょうね。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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