五月の組香

兜飾り

 

紀貫之が評した六歌仙の歌風をモチーフにした組香です。

白黒の丸を香図として回答するところが特徴です。

 

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説明

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  1. 香木は、2種用意します。

  2. 要素名は、「一」と「二」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「一」「二」は各用意します。(計6包)

  5. 「一」「二」の各3包を打ち交ぜ、3包ずつ2組に分けます。(3×2=6包)

  6. この組香には、試香はありません。

  7. 本香は、3包ずつ2回に分けて焚き出します。

  8. 香元は、本香A段3炉廻し、続いて、本香B段を3炉廻します。

  9. この時、連衆は2種類の香の異同をメモしておきます。

  10. 香が廻り終えたら、連衆は所定の方法で「香図」を選定します。(委細後述)

  11. 答えは、名乗紙に段ごとに1つずつ、「香図」と「聞の名目」の両方を記載します。(委細後述)

  12. 点数は、聞の名目が1つの当たると3点です。(6点満点)

  13. 下附は、点数で記載します。

  14. 勝負は、点数の最も多い上席の方が勝ちとなります。

 

木陰から陽光に透ける青紅葉を仰ぎ見ると、その清々しさに心が洗われる気がします。

  私は、よく「皮肉屋」だと言われます。確かに、昔から人間観察と行動分析が好きで、ほとんど日常的に他人様を観ては「吹き出し」を付けて遊んでいましたので、不意に「アナタはこういう人」と言い切ってしまうところがあるようです。こちらとしては、ドライに分析結果を「摘示」しているだけのつもりなのですが、ズバッと寸鉄を刺された相手は、かなり痛みを感じるようです。皮肉にしろ、批判にしろ「そうするに値する筋の良い人間にしかしない言動だ」と解ってもらえれば、怒りも半分なのでしょうけど、他人様と言い争いをすると、よく「アナタに何がわかるの!」と言われます。このような時、心の中では「また来ましたかぁ。でも、分かるんだからしょうがない。」と思いつつ、「はいはい。んじゃ、好きにすればぁ。(-。-)y-゜゜゜」と言い放って決了(放棄?)するところが、また気に障るらしいのです。

どうもこれは、「AB型」の類型としてもあるようです。AB型は「他人の良いところ」を見つけるのが得意で、それに興味津々となり、実践はしないけれども知識として吸収しようとします。そのため、尊敬する人もいませんが、取り分け嫌いな人とか、軽蔑する人もいません。「ミミズだって、オケラだって、みんなどこかに尊敬すべき点はある」という考え方で生きています。ただし、その副産物として「皮肉の欠片」も脳裏に蓄積されていくところが両刃の剣で、褒めているのにもかかわらず、最後に付けた「あと、何々すれば・・・」のような「条件」が全てを「皮肉」に変えてしまうのですね。

そのような「純粋理性批判」を繰り返しつつ培われた洞察力が、ソフトウェアとして脳内に装備された「自動対処マシン921号」は、大体の事柄は「はい!想定内。」と処断してしまいます。元来が「人たらし」なので根回しもちゃんとやっているし、誰の緊急事態でも自ら対処してしまう「お人好し」の部分も理解して欲しいのですが、あまりに挙動が早くササッと処理するので、努力しているようにも見えないし、冷たくも感じられる。「尊敬できるが親しめない」という私のキャラクターはこんな所からくるのかなと思います。一方、度を過ぎた洞察力は、一種の「勘の鋭さ」のようなものに極まってしまうこともあり、こうなると、もう常人扱いはされないので、小さい頃から「見ざる、言わざる、聞かざる」に徹しなければならない気苦労もありました。

それでいて、「自分が何ものであるのか?」を把握するのには、大変な時間がかかりました。大学卒業までは五里霧中の状態でしたし、就職してからも右往左往して「香道」に行き会ったのが26歳の時でしたが、その香席も10年以上は、単なる「好事家と空気感を共有できる逃げ場」でしかなかったのでした。30代も後半になって「将来この道で食っていくか?」とボンヤリ意識し始めましたが、「香筵雅遊」の掲載を契機にあえなく「切腹」・・・。「それでも止められないんだから好きなんだ。」みたいな気持ちで年を取っていたら、他にできることが少なくなって、「これしかない。」になってしまいました。

年老いるということは、気力・体力の低下に伴って、人生を篩に掛け「シンプルに、シンプルに・・・」して行くようなものですね。この消去法的な決定基準もAB型の特質らしいですが、死ぬ準備を始めた40歳を境に「真面目は人の衰え」というロック魂とは裏腹に「まぁ、今更サブルーチンに走るのも疲れるし、一本道で万物の英知に近づければいいことだし・・・」と、これまた淡泊に「老い」 を受け入れて、早10年が過ぎました。その間、「香人」というアイデンティティは、自分の中で確立されましたが、その座標軸が実社会のどの辺に位置するものなのかは、皆目見当がついていません。この浮遊感がまた居心地が良く、「いずれ、サイバー社会だから」と誰からも表立って批判されないのをいいことに、自己満足的な研究発表をほとんど「癖」で書き綴っているわけです。

今月は、批判されたことがもとで「歌仙」と呼ばれるようになった人々「六歌仙香」(ろっかせんこう)をご紹介いたしましょう。

「六歌仙香」は、聞香秘録『御家流組香集(義)』に掲載のある組香です。 六歌仙とは『古今和歌集仮名序』において、紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」と各々の歌風を批評した僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の6名ことであることはご存知のとおりです。この組香は出典小引の冒頭に「古今集の序に紀貫之の書きたる詞をかりて組に綴り侍る」とあり、『仮名序』から取材した組香であることが明示されています。

この『仮名序』を基に創作された「六歌仙香」には、たくさんの同名異組が存在します。まず、聞香秘録の『續十種香之記(完)杉本文太郎著の『香道』には「あさみどり(僧正遍正)」「月やあらぬ(在原業平)」「吹くからに(文屋康秀)」「我が庵は(喜撰法師)」「色見えで(小野小町)」「おもひ出でて(大伴黒主)」が要素名に配された組香が掲載されています。

 また、『御家流組香集(智)』では、ちす葉の(遍正)」「おほかたは(業平)」「吹くからに(康秀)」「我が庵は(喜撰)」「色見えで(小町)」「かがみ山(黒主)」のように『仮名序』に掲載された歌を要素名にしていますが、一部ラインアップが異なっています。

 さらに日本香道協会の機関紙であった『香越理』の第19号には、昭和58年12月11日に明治神宮で共立女子大香道部が催した「六歌仙香」が紹介されていますが、こちらはわび人の(遍正)」「もみじ葉の(業平)」「吹くからに(康秀)」「我が庵は(喜撰)」「秋の野を(小町)」「思ひいでて(黒主)」と『仮名序』に掲載されていない歌も要素名として使用されています。

 これらの組香は、すべて六歌仙の代表歌を要素名に据えた「歌要素の六歌仙香」で、その構造に小異はありますが、およそ6種の香から任意に偶数包を引き去って、手元に残った偶数包を本香として焚き出し(例:6−2=2× or 6−4=2)、答えは、歌合せに選ばれた詠人をそれぞれ聞き当てて、「左方」「右方」に擬えて並べて記載するような趣向となっています。また、「小野小町」については、「客香」として試香5種とする組香もありますが、6つの要素は「六国」にも通ずるため「客香無し」として、それぞれの木所を六歌仙に当てはめて6種の試香を連衆に聞かせる趣向もあります。

 このように、千変万化の様相を呈する「六歌仙香」のうち、今回は、まったく別次元の視点から要素名が構成され、回答方法もビジュアル的で面白い『御家流組香集()』を出典として書き進めたいと思います。

 まず、この組香に証歌は示されてしません。他の「六歌仙香」であれば、要素名が『仮名序』に掲載された歌の第1句から引用されているので、その6首が組香の「背景」として配置され、本香で焚き出された2*柱の要素名に対応する歌が、組香の「主景」となるものと理解することができます。

 しかし、この組香では、要素名が「一」「二」と匿名化されているので、小記録の景色から証歌を端的に導き出すこと は難しいかと思われます。この組香の要素名は、「聞の名目」を導き出すための単なる素材として用いられているにすぎないため、そこから「六歌仙」や「代表歌」等の景色を結ぶことはできません。むしろ、後述する「聞の名目」が組香の背景となっていると思われますので、ここでは景色を論ぜずに進みたいと思います。

 次に、この組香の構造は、要素である「一」「二」を3包ずつ作り、計6包を打ち交ぜて、本香6包として「六歌仙」に擬え、これを「A段」「B段」に分けて3包ずつ焚き出す(3+3=6=3×)という至って簡単なものです。唯一、構造上の特徴と言えば「段組」を設けていることかと思います。段組とは、組香の景色の時間的、空間的な区切りを演出する際に使われる技法ですが、ここでは、やはり「歌合せ」の「左方、右方」という立場の区切りを表しているものかと思います。それは、この組香の回答方法が、歌合せの投票用紙のように小切紙に聞の名目を左右並記する形式をとっているため、香によって召喚された歌人の対峙を象っているものと想像できるからです。

 このように、要素名の「一」「二」が符合となり、ランダムに焚き出されることによって、例えば、前段「一、二、一」、後段「二、一、二」のような香の出を得ることとなります。香の出は「2種類から順番を固定して3つ並べる組合せ」ですので、「異、同、同」「同、異、同」「同、同、異」「同、同、同」の4パターンしかできません。そこで、出典では、「前三包の内に同香二*柱有るを陰とし、一*柱あるを陽とし、後三包の内同香二*柱有るを陽とし、一*柱あるを陰とし、前皆同香なれば陰の香とし、後皆同香なれば陽の香とすべし。」と指定しています。作者は、この「A段の同香は陰」、「B段の同香は陽」と書き換える「多数決方式」によって、もともと「異・同」の4パターンしかない組合せを段ごとに独立させて、「六歌仙」に対応させて余りある8パターンの香の出に倍増させており、この数学的処理には感心してしまいます。

 さて、本香が焚き出されましたら、連衆は、「無試十*柱香」と同様に、香の異同のみを判別して任意の記号でメモして置きます。たとえば、最初に出た香を「一」とし、2炉目が同香ならば「一」、異香ならば「二」、3炉目以降も同様にメモしておき、本香が焚き終わって回答する際に、6つの記号を段ごとに分け、多数決方式により、「一」と「二」の「陰・陽」を決定します。この場合、各段3*柱焚きですので、A段に2つ出て多数派(陰)と決められた香は、B段では1つしか出ないため少数派(陰)となり、B段でも「陰」となります。一方、3*柱同香で、A段が全て「陰」の場合は、B段は全て「陽」となります。

 ここで、連衆は名乗紙に回答を認めますが、回答方式のビジュアル的な特徴が今回この組香をご紹介させていただいた契機となっています。出典には「白圓は陰、黒圓は陽と心得べし。」とあり、「陰を(白丸)」「陽を(黒丸)」で表わした「香図」を用いるように記載されています。現代人の感覚からいえば、若干違和感があるかと思うのですが、連衆は、先ほどメモしておいた記号を「陰」と決まった要素は「○」、「陽」と決まった要素は「●」に書き換えます。

:メモ「一、一、二」「二、一、二」→多数決「陰、陰、陽」「陽、陰、陽」→香図「○○●」「●○●」

  さらに、出典では「名乗紙記録様左の如し。」とあり、小切紙に「香図」を右から1炉、2炉、3炉」として記載し、その下に「聞きの名目」を書き付す回答方法が指定されています。

B段   A段
●○● ●○○

 

 

現代人は、どうしても「左横書き」の習性が身についているので、意外に香図の並び順やA段、B段の配列では、混乱を来たす場合が多いかと思います。このため、実際に香席で回答を書く段には、記載例を示して「右縦書き」か「左横書き」かルールをあらかじめ説明しておくと執筆の苦労が少なくなると思います。

ここでは、現代の「左横書き」メディアの感覚にあわせて、香の出は、左から1炉、2炉、3炉」で記載します。

香の出と香図・聞きの名目の対応表

前段(複数出た香が陰○) 後段(複数出た香が陽●)

香の出(→)

聞き名目 香の出(→) 聞き名目
○○●(陰、陰、陽) 絵にかける女 ○●●(陽、陽、陰) 花の陰の山人
○●○(陰、陽、陰) 女のなやめる ●○●(陽、陰、陽) 心あまりて
●○○(陽、陰、陰) 暁の雲にあへる月 ●●○(陽、陽、陰) あき人のよき衣
○○○(陰、陰、陰) うた ●●●(陽、陽、陽) ひじり

 このように、聞の名目に配された言葉は、『仮名序』の文中で紀貫之が「六歌仙」に対して行った評価から引用されたものだということがわかります。ここで初めて、この組香に「六歌仙香」という題号が付された理由が解り、歌要素とは一風違った「批判要素の六歌仙香」であることも解るわけです。

 因みに、聞の名目を『仮名序』の引用部とともに出場順に並べますと・・・

絵にかける女・・・「僧正遍照は、歌の様は得たれどもまこと(誠)少し。たとへば絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。」

心あまりて・・・「在原業平は、その心余りて言葉たらず。しぼめる花の色なくて、にほひ残れるがごとし。」

あき人のよき衣・・・「文屋康秀は 言葉はたくみにて そのさま身におはず。いはば、商人のよき衣着たらむがごとし。」

暁の雲にあへる月・・・「僧喜撰(喜撰法師)は、言葉かすかにして初め終はり確かならず。いはば秋の月を見るに暁の雲にあへるがごとし。」

女のなやめる・・・「小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず、いはばよき女の悩めるところあるに似たり。」

花の陰の山人・・・「大友黒主は、そのさまいや(卑)し。いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし。」

 以上、6つ名目と六歌仙については、関連性がご理解いただけたかと思います。

 さらに、この組香には「うた」「ひじり」という2つの名目が列挙されていますが、これについては「歌聖」を分解し、そこに新たに2人の歌人を当てはめているのではないかというのが私の説です。

 古今和歌集仮名序には、「ここにいにしへのことをも歌の心をもしれる人わづかに一人二人なりき」「かの御時に正三位柿本人麿なむ歌の聖なりけるまた山の辺赤人といふ人ありけり・・・歌にあやしく妙なりけり。」との記載があり、紀貫之は、柿本人麻呂と山部赤人を「歌聖」(真の歌仙)として格段の取扱いをしています。ただし、「人麿は赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。」とその上下関係は歴然と区別しています。

 この上下関係を「陰・陽」に擬えれば、「○○○」の「うた」は赤人、「●●●」の「ひじり」は人麻呂を表わすものと考えられるのではないでしょうか。作者は、「六歌仙香」という題号で組香を創作する際、6種の名目と歌人との関連性は少し調べれば分かるように「顕在化」させておいて、香図の組合せ上必要となった、残り2つの名目には「歌の聖」を潜在化させて、『仮名序』に登場する中古歌人の8名をオールスターキャストで出演させているのではないかと思います。

 なお、要素名が「評価」部分から引用されている組香には、杉本文太郎著の『香道』に掲載されている「歌仙香」があります。この組香では續十種香之記(完)と同じ歌が証歌として併記されていますので、「歌要素の六歌仙香」と「批評要素の六歌仙香」の架け橋ともいえるでしょう。今回の組香からは、六歌仙に配された要素名と代表歌を端的に関連づけるものは何も見えてこないですが、敢えて組香の背景となる代表歌をイメージするのであれば、私は、「あさみとり(遍正)」「月やあらぬ(業平)」「我が庵は(喜撰)」「吹くからに(康英)」「色見えで(小町)」「おもひ出でて(黒主)」が順当かと思います。(小町を除いて、各自の評価の1番目に列挙されている歌ですので・・・。)

 連衆の回答が帰ってまいりましたら、香元は正解を宣言します。この際、香元は「一」「二」・・・と要素名で宣言しますので、執筆者は香記にそのまま転記することはできません。連衆と同様に一旦要素名を6つメモし、各段の陰陽を決めてから、「香の出」の欄に各段の「香図と聞の名目」を縦2段で記載します。連衆の答えは、各自の名乗の下に「聞の名目」のみ縦2段で書き写して、当否を確かめ、当たりの名目に長点を打ちます。この組香では、名目を構成する3つの要素について逐一当否を定める「片当り」方式は採用していません。しかし、出典には「点、幾人にても一てんづつなり」とあり、各要素は1点として換算するので、名目1つが当れば「3点」となり、「独聞(ひとりぎき)」等の加点要素もありませんので、全問正解は「6点」となります。

 下附について、出典の「六歌仙香之記」には、「三(点)」の場合ばかり例示されているので他の表記が不明なのですが、点法から推測すると「無」、「三」、「六」の3パターンで各自の回答の下に漢数字でと書き記すのが順当かと思います。また、出典に示されていないことを良いことに、仮名序の論評順に全問正解の場合に「歌聖」、「三」は「詠人」、「無」は「様しらぬ」などと表記して雅趣を加えるのも面白いかと思います。最後に、勝負は最高得点者の内、上席の方の勝ちとなります。

 紀貫之は、柿本人麻呂と山部赤人を「いにしへのことをも歌の心をもしれる人」と評して、リスペクトしている一方、六歌仙については逐一欠点を論い、「彼らに遠く及ばない」と評価しているように見えます。しかし、六歌仙以外の歌人は「このほかの人々・・・歌とのみ思ひてその様知らぬなるべし。」と評価にすら値しない捨象されているため、ここに批判を掲載された6人は、かえって紀貫之のお眼鏡に叶った歌人だったともいえるのでしょう。

 「歌要素の六歌仙香」は、列挙される歌の季語から秋優先の景色となりますが、こちらの「六歌仙香」は、四季を問わずに楽しめる組香です。「残花」から「時鳥」にかけて四季組の少ないこの時期に、是非試してみてはいかがでしょうか?


「今業平」と師匠や先輩に評されていた私も「心あまりて言葉足らず」ですかね。

萎める花にも「にほひ」が残れば、それはそれで私らしいとは思っていますが・・・。

君がため己が心を繭として糸引き紡ぐ赤きことのは(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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