十一月の組香

古くから伝わる公武の遊猟「鷹狩り」をテーマにした組香です。

初冬の野山に鷹が飛び獲物を捕らえる景色をイメージして聞きましょう。

 

※ このコラムではフォントがないため「火篇に主と書く字」を「*柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名は、「もず野」「かた野」「くるす野」と「酒君(さけのきみ)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。

  4. まず、連衆を「白生方(しらぶがた)」と「黒生方(くろぶがた)」の二手に分けます。

  5. 「もず野」「かた野」「くるす野」はそれぞれ4包作り、そのうち1包ずつを試香として焚き出します。

  6. 残った「もず野」「かた野」「くるす野」の各3包に「酒君」3包を加えて打ち交ぜます。(計12包)

  7. 打ち交ぜた12包から、任意に2包引き去ります。(計10包)

  8. 本香は「一*柱開(いっちゅうびらき)」で10炉廻ります。

※ 「一*柱開」とは、1炉ごとに連衆が回答し、香元が正解を宣言するやり方です。

  1. 香元は、香炉に続いて、「札筒(ふだづつ)」または「折居(おりすえ)」を廻します。

  2. 連衆は、1炉ごとに試香に聞き合わせて、香札を1枚打ちます。

※ 以下、12番までを10回繰り返します。

  1. 盤者は、札を開いて、札盤の名乗の下に並べます。

  2. 香元は、香包を開いて、正解を宣言します。

  3. 執筆は、香記の回答欄に正解者の要素名のみを書き記します。

  4. 盤者は、正解者の立物(たてもの)を所定の数だけ進めます。(委細後述)

  5. 「盤上の勝負」は、先に「鶴」に至った方を「初の勝ち」とし、「雉」に至った方を「後の勝ち」とします。

  6. 下附は、「酒君」の当りは「2点」その他は「1点」とし、漢数字で書き記します。

  7. 「記録上の勝負」は、双方の合計点で優劣を決します。

  8. 香記は、「勝ち方」となった方の最高得点者のうち、上席の方に授与されます。

 

 水辺に渡鳥の訪れる季節となり身近な鳥の声は山辺に遠 退いて行きました。

 私は、一度惚れ込んで買ったものは壊れるまで使い切る「光源氏タイプ」の消費者なので、経済復興にはなかなか寄与できずに恐縮しています。世は正にデフレ・スパイラルの前段にあり、企業は「安い物を買わせて短期資金を調達しつつ、買替え需要の周期も短くする。」という「売り逃げ作戦」を日用品のあらゆる市場で展開しています。一方、これに辟易した消費者の中から「良いものを長く使う」という傾向に回帰する人々も現れ「高級品市場」も堅調となってきていますが、ネット市場がこれほど発達しても「長く愛着を持って使えるもの」を探し求めることは一層難しくなっています。若いお嬢さんが何気なく身につけているものを「これは、祖母が使っていたもので・・・」とうつむき加減に微笑みつつ語るのは、「お里」の素性の良さが伺われて、内心「カッチョイイ!」と思ってしまいます。御一家の物選びと継承・保存の真価が評価される一瞬ですね。

さて現在、大衆の消費性向は「ヴェブレン効果(高級感)」「スノッブ効果(希少性)」「バンドワゴン効果(流行)」が根幹を成していますが、なかなか新しいものを買わない私の 消費性向は、「@美しさ」「A機能性」「B耐久性」というアナクロなものです。結局は、見た目にシンプルで美しく、使い勝手がよく、丈夫なものが見つかるまで、何年もボンヤリ探し回り、見つけた時は値段に関わらず「衝動買い」をするという感じです。もともと、流線型や直角が好きな性格もあってか、衝動買いした商品に良く貼られていたシールが、意外にも官制指定の「Gマーク」(グッドデザイン賞受賞商品) だったりすることも多いです。

「Gマーク」は、昭和32年(1957年)に通商産業省が創設した商品選定制度で、現在は日本産業デザイン振興会が主催しています。もともとは、戦後復興期の日本商品のほとんどが海外製品を模倣していたために外交上の軋轢が深まり、「模倣を防止するにはむしろ創造を奨励すべき」という政治的必要性もあったらしいです。ただ、当時の日本は、精神的にも経済的にも「戦後の貧困」を引きずっていたので、「貧しさを脱却していくためには『デザイン』が不可欠である。」という突拍子もない理念のもとに産業界から国民生活への「生活提案」を始めたのです。それは一面、産業界と結託して上位下達的に行われた「新商品宣伝施策」ではあったかもしれませんが、当時「豊かさ」を知らなかった人々に「豊かな生活」のイメージを持たせ、自らが到達すべき目標を与えたという意味では大きな貢献を 果したと言えます。

例えば、1958年受賞の東芝の「電気釜」は、私の家にもありましたし、扇風機、ミシン、ラジオ、テレビ、テープレコーダ、ステレオ等・・・家庭に入ってくるあらゆる生活イノベーションが「Gマーク」だったような気がします。一方、1961年受賞の白山陶器の「醤油注し」は、醤油の移し替えがしやすい広口で、注ぎ口の角度が下向きで液だれせず、取置きの際にも指がかりの良い「グローバルデザイン」となっていました。また、「三ツ口タップ」や「ホッチキス」「片手鍋」「金属洋食器」等々、受賞してから全くデザインを変えず、何代も買い替えられながら、現在でもその場に君臨している商品が多く見られます。

このように「Gマーク」は、イノベーションとグローバルデザインの両面から人々に「おいしい生活」を提案して来たのですが、これだけ「物」が増え、「目新しいものは季節商品だけ」という消費水準に達してしまうと、単なる企業側の商品提案では「ヒット商品」は生まれても、「良いもの」は生まれなくなって来ます。そこには「生活者の視点で産業界にものづくりをさせる」ボトムアップのコンセプトが必要であり、私は、このようなご時世にもう一度「機能美」という価値観が力を発揮することに期待しています。「与えられた目的によって研ぎ澄まされた形と構造」は、それだけで「洗練」というイメージを人々に抱かせますし、虚飾が無いので結果的に丈夫なものとなります。超音速で走るジェットカーがチーターに似て、機動力と速さに勝る戦闘機がハヤブサに似るように、機能を究極まで突き詰めたものが「神の与えた形」となるのではないでしょうか。これは、すべてのシステムに共通することだと思いますが、どんなに肩肘を張って「意匠」を凝らしても、結局「こなれたかたち」の行き着く先は「自然」の中に回帰するような気がします。

私の憧れる機能美は「早く、強く、賢く」の「鷹」が理念型でしたが、実際は、他の者よりは高く飛ぶ「かもめのジョナサン」程度のものだったかもしれません。そのカモメもこの頃は、高みを望んだり、地面すれすれまで急降下したりするのが億劫になり、羽を休めて達観していることが多くなったような気がします。社会は何かにつけ複雑極まりない状況となり、「Gマーク」も今では多種多様な部門に別れ、単なるヒット商品の人気投票のようになってしまいました。「真実とはシンプルなもの」と良く言われますが、氾濫した商品情報の中であれこれ考えると、かえって肝心な「本線」を見失うこともありがちです。せめて、日常的に自分の手にするもの、目にするものぐらい「神の与えた形」に近いものと付き合いたいと思っています。

今月は、天皇や将軍がこよなく愛した野遊び「鷹狩香」(たかがりこう)をご紹介いたしましょう。

「鷹狩香」は、大枝流芳の『香道千代農秋』に掲載のある組香です。この組香はゲーム盤を使って遊ぶ「盤物(ばんもの)」で、組香の解説を記した部分は「中巻」に、組香で使用する盤立物の図は「上巻」に掲載されています。この組香は、題号の下に「流芳組」と記載されていますので、編者の大枝流芳が創作したオリジナルの組香であることがわかります。また、この組香は、「競馬香」と非常に似通ったところがあり、流芳は「秋の競香(きそいこう)」として「競馬香」の兄弟組を作りたかったのではないかと推察しています。今回は、『香道千代農秋』を出典として、大枝本の『香道瀧之糸』にみる「競馬香」との比較も含めて筆を進めたいと思います。

まず、「鷹狩香」には証歌はありませんが、その趣旨は、出典冒頭に「鷹狩は仁徳天皇の御代、百済国の酒君、始めて此の事をなすとかや。それにより、世々公武この狩をなし、露を得る鷹は大緒(おうお)紫をかくるなり」とあり、今では生業としての伝承も絶えて珍しくなった「鷹狩」をテーマにした組香であることがわかります。

鷹狩は、鷹を捕えて飼育し、山野に放って獲物をとる伝統的狩猟法で、新石器時代にモンゴルあたりで発生し、大陸を伝播して日本に渡来したと考えられて います。これを代々の天皇や将軍が野遊び感覚で好み、そのための官人や組織を擁護したことから高貴な遊猟として長く伝えられてきました。

また、これを生業にする狩人は「鷹匠(たかしょう)」と言い、日本全国の山間地域にその伝統が残されていました。鷹匠が使役する鷹の種類は、オオタカ、ハヤブサ、クマタカ等で、中でもオオタカの狩猟能力は高く、キジ、ガン、カモ、サギ、ノウサギなど獲物の種類も豊富でした。一方、ハヤブサは飛翔能力に優れているため空を飛ぶ獲物を、クマタカは地上の小動物を主な獲物としていたとのことです。

東北では、「阿仁のマタギ(鉄砲を使った狩人)」と同様に「羽後の鷹匠」といって自給自足の農業を営みながら狩猟を行う狩人の文化がありました。大きな動物を獲物とする「マタギ」は狩猟法の制度の中で存続を許されていますが、「鷹匠」は、年中鷹を飼育し訓練する特殊な技能が必要な割には獲物が小さく、捕獲数も少なくなった上に販売ルートにも乗らなくなったため、あっと言う間に姿を消したそうです。それでも、伝統の鷹狩を守り続けた最後の鷹匠は平成4年まで現存していたそうです。

現在「鷹狩」は、狩猟免許及び狩猟者登録のいらない「非法定猟法」として扱われており、猟期、捕獲規制区域、狩猟鳥獣等を守れば自由に行う事が出来るため、徳川家の御鷹匠同心より伝えられた流派や同好会も設立され「遊猟」の領域で細々と伝承されています。

日本での鷹狩の発生を示す記述は、『日本書紀』の仁徳天皇の治世43年359年秋9月1日に「依網屯倉阿弭古(よさみのみやけのあびこ)という人が、怪しい鳥を捕らえて天皇に献上した。天皇が百済からの帰化人である百済王の孫、酒君にお見せになったところ『これは、倶知(くち)という鳥で、飼い慣らすと他の鳥などを捕らえることが出来る。』と答えた。この倶知というのが鷹で、天皇は百舌鳥(もず)に狩をされて、数十羽の雉をとった。この月はじめて鷹甘部(たかかいべ⇒天皇の鷹狩に使役する鷹を飼育する部署)を定めた。」とあります。

このように、仁徳天皇が「倶知」を見て、暫く仕込んでから百舌鳥にお出ましになり、日本初の「鷹狩」をしたのが旧暦の9月の後半であると仮定すれば、新暦では11月に対応します。また、鷹の季語は「冬」ですし、現在日本の狩猟解禁も11月中旬からとなります。さらに「競馬香」(賀茂の祭礼のある5月)の対極ならば11月が好機ということで、今月のご紹介となったわけです。

次に、この組香の要素名は「もず野」「かた野」「くるす野」と「酒君」です。これは鷹狩の名所に因んだ言葉であることが出典の記述でわかります。要素名にある狩場が現在の何処に当るのかは、推量の範囲ですが、古典に名のあるものを便りに下記のとおり考察してみました。地名の当て字については、いろいろ考えられますので、出典の記載どおり仮名を交えて記しています。

「もず野」・・・日本書紀の記述から仁徳天皇が初めて鷹狩をした場所が「百舌鳥」でしたので、現在でも御陵のある「百舌鳥野」のことかと思います。[大阪府堺市]

「かた野」・・・朝廷の狩場と花見の名所として有名なのは、『伊勢物語第82段で「世の中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし(右馬頭)」が詠まれた「片野ヶ原」ですので、この辺りかと思います。[大阪府交野市]

「くるす野」・・・同名の地が全国各所に点在しますが、近畿圏で古典由来の狩場があるのは、『今昔物語集』で、「藤原高藤が,南山科に鷹狩りをした際,雨宿りした時、娘の列子と出会い、二人の間に醍醐天皇生母である胤子が誕生した。」と記述されている「栗栖野」ですので、この辺りかと思います。[京都府京都市山科区]

「酒君」・・・『日本書紀』治世41年3月357年によれば、百済王の孫で当時朝廷から遣わされた使者に不礼を働いたらしく、鉄の鎖で縛られて日本に連れてこられたようです。これに続いて、前述の鷹狩発生の記述があり、仁徳天皇に「鷹で狩りができる」と教えた人物が彼であることがわかります。その後、酒君は帰化し、鷹所の管領として鷹を飼育したので、その一帯は鷹甘村(たかかいむら)といわれるようになり、現在でも「酒君塚」をはじめ「百済」と名のついた旧跡があります。[大阪市東住吉区鷹合]

続いて、この組香の構造は、出典に「競馬香の例に同じなり。」と記載があるため、詳しくは記載されていませんが、実際には微細な違いも見られます。まず、「もず野」「かた野」「くるす野」をそれぞれ4包、「酒君」は3包作ります(3×4+3=15)。そのうち、「もず野」「かた野」「くるす野」については、各1包を試香として焚き出し(15−3=12)、狩場の様子を連衆にイメージさせます。ここで、手元に残る香は、「もず野」「かた野」「くるす野」各3包、客香の「酒君」も3包ですから、この時点ではそれぞれの狩り場に鷹匠がお供している様子を示すのでしょう。次に、「もず野」「かた野」「くるす野」「酒君」各3包を打ち交ぜ、そこから任意に2包引き去ります(12−2=10)。ここで、本香数は10包となり、香の出も「引き去り」によって変化が出てきます。本香は、これを「一*柱開」で10炉焚き出します。

因みに、『香道瀧之糸』にみる「競馬香」では、「一、二、三、ウ」を各4包作り(4×4=16)、その4種すべてを試香として焚き出して(16−4=12)、任意に2包引き去り(12−2=10)、本香10包とするので、客香のある「鷹狩香」とは構造的には若干違いがあります。

この組香は、「競馬香」と同様、連衆を左右に分けてグループごとの点数の優劣を競う「一蓮托生型対戦ゲーム」となっています。そのため、本席に入る前に熟練度が同等となるよう人選するか、「折居」による抽選等の方法により、連衆を「白生方(左方)」と「黒生方(右方)」の二手に分け、本席ではそれに準じて連座します。

香炉が廻されると、連衆はこれを試香と聞き合せて、回答用に用意された「香札」を1枚打ちます。香札については、出典では、札表「鵙野(もずの) 三枚」「片野 三枚」「栗栖 三枚」「酒君 三枚」「以上、十二枚たるべし。一人前なり。」とありますが4種10香ですので「十種香札」の流用も可能です。ここで、先ほどの要素名が漢字に変わっているのにお気づきかと思います。「百舌鳥野」については、現在日本の地名には無い「鵙野」が当てられていますが、これは札表の字配りを2字に統一したいという思いや記録の段階で漢字1文字に略して記載するための必要もあったのではないかと推察しています。

また、各自の名乗りとなる札裏は、「大鷹(おおたか)」「箸鷹(はしたか)」「祝鳩(はやぶさ)」「兄鷂(このり」「赤(あかさしば)」「瀧上(たきあがり)」「山鴘(やまがえり)」「青(あおさしば)」「第鷹(だいたか)」「藤並(ふじなみ)」の10種が「鷹の名を用ゆ」として配されています。兄鷂とは「ハイタカ」の雄のこと。「ハイタカ」は「ハシタカ」の音便。「ハシタカ」は「鷂」が正しい当て字ですから、2文字の鷹の名をラインナップするのには相当苦労したようです。

  には「鳥」篇に「戒」という字が書かれています。

さて、この組香は、前述のとおりゲーム盤を使用しますが、出典には「盤、競馬の盤を用ゆ」と記載され、「鷹狩香盤」のような専用のものは必要なく、「競馬香盤」を流用することとなっています。ただし、立物は独立しており、「白生鷹」(架木、架跨は白地金襴、大緒は紅)、「黒生鷹」(架木、架跨は赤地金襴、大緒は浅黄)、「鶴」「雉」が各一羽と季節の生花を挿す「柄」「鈴」「紫の大緒」各1個が必要とされています。「柄」とは、通常の立物の下に付く象牙や唐木等で作った棒で、盤の穴に挿して立てるために用います。出典には、「頭を管のようにして時々の花を立つべし」と記載され、「生花」を立てるという趣向にも妙味があります。

盤の様子については、次のとおりです。大枝本の『香道瀧之糸』にみる「競馬香盤」は、2列10目×2枚=20目となっていますので、これをもとに「鷹狩香盤立物図」を復刻しています。

  1. 出香前は、二本の鷹架(たかほこ)に「白生鷹(左方)」と「黒生の鷹(右方)」を留まらせておきます。

  2.  1炉目を聞き、正解者が1人でもいれば、鷹架からおろして、盤の溝「1間目」に乗せます。また、その他の正解者分だけ鷹を進めます。一方、グループの中に1人も正解者がいなければ、鷹は盤上に上がれません。(競馬香の「騎乗」と同じです。)

  3.  2炉目以降は、毎回、各グループの正解者の数だけ鷹を進めます。

  4. 鷹は、「もず野」「かた野」「くるす野」の当たりについては1間進み「酒君」の当たりについては2間進みます。この組香には独聞に加点要素はありません。(競馬香では独聞に3点の加点要素があります。)

  5. スタートから9間目の中道(なかみち)に「鶴」を置き、これに最初に到達したグループが「初の勝ち」となり、「鶴」を捕った懸賞として、鷹架に「紫の大緒」をかけます。

  6. 進む間に「5間」の差がついた場合は、遅れた方の鷹の尾に「鈴」をつけ、追いついたら外します。(競馬香の「落馬」と同じです。)

  7. スタートから20間目の中道には「雉」を置きます。これに早く行き着いたグループが「後の勝ち」となり、ここで盤の勝負は終わります。(競馬香の「勝負木」と同じです。)なお、出典には「八人以下は十六間目に置くべし」と注記があり、連衆の数によってゴールを調整するようです。

  8. ゴールには、「柄」に季節の生花を挿して盤に立てて置きますが、これは盤を飾る「置物」で勝負には関係しません。

盤上の勝負が終わっても、「香は残らず聞く」のが常道です。本香10炉が焚き終わったところで、記録上の勝負となります。

記録については、一蓮托生型対戦ゲームの常道に沿って、連衆を二手に分け、その間に「左 白生方」「右 黒生方」と見出しを付け、その左にグループに属する連衆の名乗りを列挙します。この組香は「一*柱開」ですので、執筆は香元から1炉毎に宣言される正解をもとに、本香出香中に「香の出」の欄に正解の要素名を示す漢字一字(鵙、片、栗、酒)で書き記すとともに、正解した人のみ名乗の下に同じ文字を書き入れ、不正解の人の回答欄は「白闕」(はっけつ⇒空欄)とします。

点数は、盤の進みと同様です。平点は1ですが、要素名が香記に記載されていること自体が正解を表しますので点は付さず客香の当たりの2点のみ「丶丶」と掛けておきます。

香炉が全部廻り終えたら、各自の点数を合計して下附に漢数字1文字で書き入れ、続いてグループ毎の得点を合計して双方の優劣を決めます。例えば、「白生方」が13点、「黒生方」が15点となれば、「黒生方」が「勝ち方」となり、「白生方」が「負け方」となります。勝負は、見出しの部分「左 白生方」の下に「十三点 負了」、「右 黒生方」の下には「十五点 勝」と書き記して示します。同点ならば「持」が記載されるのが常道です。

最後に、記録上の勝負が付けば、香記を授与される方を決定しますが、これは「勝ち方の最高得点者のうち上席の方のもの」となります。仮に「負け方」に全問正解者がいたとしても、優勝に貢献していないので「勝ち方」の下位点の方に負けてしまいます。現代の香席では、香木の「末枯れ(すがれ)」の関係から往々にして上席に連座する「左方」(この組香では白生方)が優位となります。公平を期するためにはお作法違反ですが、香炉を上座、下座から交互に出す工夫も必要かもしれませんね。

皆さんも初冬の野遊びがわりに「鷹狩香」を催されてはいかがでしょうか?

 

動物を使役することを生業にする人の顔は・・・

何故か飼っている動物に似ていると思ったことはありませんか?

あれは・・・「生まれ変わり」なのではないでしょうか?

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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