十二月の組香

冬枯れの季節に色彩感のはっきりした瑞々しい組香です。

赤、白が織り成す多彩な椿の花を想像しながら味わってください。

※ このコラムではフォントがないため「火篇に主と書く字」を「*柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は3種用意します。

  2. 要素名は、「白(しろ)」「赤(あか)」と「枝(えだ)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「白」「赤」は各4包、「枝」は2包作ります。(計10包)

  5. まず、「白」「赤」各4包のうち1包ずつを試香として焚き出します。

  6. 次に、残った「白」「赤」各3包と「枝」2包を打ち交ぜて順に焚き出します。(計8包)

  7. 本香は、8炉廻ります。(札打ちの二*柱開も可能です。)

  8. 答えは、2炉ごとに聞の名目と見合わせて、名乗紙に4つ書き記します。

  9. 記録は、各自の回答をすべて書き記し、当たりに点を掛けます。

  10. 点数は、聞の名目の当たり1つにつき2点となります。(8点満点)

  11. なお、この組香では点数に「独聞」「片当り」は考慮しません。

  12. 下附は、全問正解は「皆」、その他は点数で記載します。(委細後述)

  13. 勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとします。

  軒下の干し柿が色を増し「そろそろ味見してみては?」と誘っています。

先月、職場の同期会でNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」で盛り上がっている四国は松山市に行ってきました。道後温泉で宴会をし、翌日は松山見物と予想通りのコースでしたが、全国に散らばっている同期の「頭の禿具合」と苦労話を語り合いつつ、来るべき全国異動の地固めをしっかりしてきました。また、久々に古い茶香の友達と再会し、旧交を温めあうことができたのも遠行の収穫でした。

毎年、暮の忙しさが一段落すると、「正月は同窓会があるのかなぁ?」と思います。我が中学校の同窓会は幹事がしっかりしていて、成人式から男女の厄年まで人生の節目々々にお声がかりがあり、ほぼ5年おきに集まっていました。これには同じ小学校から私立中学に進んだ「お嬢様たち」を含め、恩師ともども卒業クラスごとにテーブルを囲み、座が開ければクラスを超えた交流とあいなります。田舎の中学ですので、男子の多くは地元に根付いており、出世頭といえば歯科医が関の山、あとは良くて家業を継いだ中小企業の社長くらいという押しなべて「啼かず飛ばず」の顔ぶれです。かえって、女子のほうが県域を越えており、嫁ぎ先の関係からか人生の浮き沈みも激しく、話をしていて面白いです。いずれ、田舎に帰って旧友と会うというのは、それだけで「究極の癒し」になりますし、忘れかけていた「夢の来し方」を原点から反芻させてくれるので、とても楽しみな時間ではあります。惜しむらくは良くも悪くも「ハジケタ」人材がいないので、他人様の生き様に刺激されることが少なく、思い起こして共感するだけの同窓会は、人生の「滋養」となっても、前進のための「活力」とはならないのが現実です。

「人との出会いは人生の糧」と言い続けている私にとって、「自己実現」と「出会い」のピークが訪れたのは、今から10年前のこと・・・横目で見ながら一度も門戸を叩かなかった茶道の方々とのネット交流をはじめたことが発端でした。その頃は、ネットで知り合った茶人たちが全国各地で「オフミ」と称する茶会を開いていました。そこには大師匠からひよっ子まで、地域・流派・茶暦を問わずに人が集まり、「博物館茶事」から「大貧民茶会」までいろいろな趣向で開催されていました。もともとテイストの似通った方々の集まりなので、初対面でも全く話題につまることはなく、茶会は十年来の知己同士の内輪座のように和気藹々と進みました。中でも、私は文系・理系を問わず研究者の方とよく話が合い、茶会が終わって、御酒が入った時などは、茶道とは全く違った話で夜を明かすこともありました。私は茶道の「ど素人」としてデビューしましたが、「香席のできる人」ということで重宝がられ、地元をはじめ全国での「オフミ」で席を持たせていただきました。この頃は、本当に「人の行き来が心地よい風を起こして」日本の茶道界に吹き抜けており、オフミで知り合ってメールでのお付き合いが始まる人は、年に数十人を超えていましたので、いろいろな年齢、職業、茶道のスキル、キャラクターの方から、たくさんの刺激を受け、知識とノウハウを吸収させていただき、さらに香道に関する得がたい資料もたくさん頂きました。今 でも、その時に出逢った方の中から更に「コア」な方とのお付き合いが続いています。

また、5年前からは、昔からやりたかった地域の皆さんとの交流を始めました。こちらは二束の草鞋で、1つは地域振興ネット系から発生した「地元の寄合」、もうひとつは行き着けの喫茶店から発生した「文化系コミュニティ」です。後者については、女将が同人誌の作家だということもあり、最初は文学系だったのですが→美術→ワールド音楽→宗教と宇宙→スピリチュアル系癒しと、どんどん「変わった人」が集まり始め、人の去就も伴いながらコミュニティのテイストが変化し続けています。これらの場での私は、「香人!?」という奇妙な肩書きと生来の「酒好き」、それにどんな話題にも一家言ある「二級薀蓄士」的なキャラクターで生かさせていただいています。

さて、今年は私の住所録から2つの芳名を抹消せねばならないことになりました(合掌)。「もうそういう年代かぁ」という感慨の傍ら、生来「虚礼」を好まない性格のため、そう多くは膨らまなかった住所録から友人や恩人の名を消すのに偲びず備考欄に「崩御」と記して想いを残すこととしました。また、最近、年賀ハガキのコマーシャルに「新しい人への挨拶が増える年は良い年」というコピーがありましたが、これも「言い得て妙だな。」と思いました。既にアドレス帳にある人々のこともそれぞれに思いはありますが、新しくアドレス帳に書き込む人への思い入れは格段のものがあります。それは、その人への感謝のみならず、将来への期待についても意識するからだと思います。自身を思い返すと、前年から単身赴任を意識して新しい人との繋がりを控える気持ちがどこかにあったのでしょうか「プライベートで付き合い始めて 1年以内」という人が思い当たらないのです。勿論、新しい土地で、また人脈の花を咲かすことは当たり前のようにやっていくつもりですから、復活の見通しはあるのですが、これには 自分自身ビックリしました。

私は、新しい人との出会いは、人生の「花」だと思っています。その花は、花期が過ぎれば散ってしまいますが、枝葉を保ってちゃんと養生すれば、また咲いてくれます。そうして、新しい花、長く咲いてくれる花、 時々だけれども確実に咲いてくれる花を自分の枝葉に付け、人は生きていくのではないかと思っています。「花」を咲かすためには、幹自体が滋養にあふれ健康でなければなりません。これを失うと花は幹を守るために散ってくれ、根元から養分になってくれますが、ものによっては二度と蕾を結んでくれません。

これを「寂しい」と思うかどうかも人それぞれのようです。人当たりが良く、自然と人の輪が出来てしまうような資質に恵まれた方は、達観した「老木」となると自分のストレスになるような花は自ら降り落とし、惜しまれる「自然減」も考慮して、樹精に見合った花数を保つという生き方もあるようです。私も物質的なものについて「死ぬ準備」はできており、かなりシンプルになってきましたが、人生の花についてはまだまだ諦めきれずにいます。幹は樹齢とともに衰えていくのは避けられないことですが、花があればそれに人は寄ってきますし、「人との出会いは人生の糧」という私にとってみれば、そのこと自体が滋養であり活力にもなるからです。

私は、これから衰微していく体躯を保ちつつ、どこまで花を維持し続けられるかを今後10年の指標にしようかと思っています。自然に人が集まる資質はないので、自分の努力不足から、万が一、花が全部散ってしまっても、せめて「常緑の樹」として、枝葉の艶は保って生きたいと思います。

今月は、落花の潔さと艶やかさに定評のある椿を題材にした「玉椿香」(たまつばきこう)をご紹介いたしましょう。

「玉椿香」は、『香道蘭之園』に掲載のある組香です。冬の花の組香を探して「水仙香」にたどり着いたところ、偶然、その横に掲載された組香に目を奪われました。椿は、もともと晩秋から初春までの広い季節感を持つ花なのですが、やはり花の無い「冬」の時期に「ポン!」と一輪生けると、その座の主役になってしまうほど存在感があります。また、この組香を見ていると色の対比がシンプルで、なんとなく雪が晴れた朝の坪庭の景色が思い浮かびました。今回は、 他書に類例も見当たらないので、『香道蘭之園』を出典として書き進めたいと思います。

まず、この組香に証歌はありませんが、シンプルな組香ですので歌 を一首添えれば、それなりの雅趣も備わるかと思ます。「椿」は、古代から霊力の宿る聖なる樹と信じられており『万葉集』の頃から詠われている歌題ですので、私ならば、坪庭から椿の名所である巨勢山(奈良県御所市古瀬)に舞台を移して「玉椿みどりの色も見えぬまで巨勢こせの冬野は雪降りにけり(新勅撰和歌集 巻6冬歌416 刑部卿範兼)」を付して、冬景色と雪に隠れた「緑色」も小道具に加えたいところです。

ここで、「椿」とは、ツバキ科の常緑樹で皆さんのお庭にも大概植えられているかと思います。椿の花は首からポトリと落ちるので、「縁起が悪い」とされる向きもありますが、もともと長寿や長楽を表す吉祥木で、この時期の茶花としては欠かせない花でもあります。もともと花木として鑑賞されるようになったのは、鎌倉時代で、室町から桃山時代の茶道、華道の流行とともに公郷や僧侶、武士の間で愛玩されるようになり、藪椿をもとに品種改良が進められたとのことです。

床の間に生けられている時は、蕾や開き始めが多いので特徴があまりよくわかりませんが、花色は、「白」、「桃」、「紅」、「斑」等があり、咲き方で「一重」、「八重」、「千重」等、約10種類の花形があり、最も種類の多い「一重咲き」にも、開き方で「猪口」、「抱え」、「ラッパ」、「筒」、「平開」、「盃」等の種類があります。さらに雄蕊(おしべ)の形で「閉じ芯」、「輪芯」、「梅芯」、「侘び芯」等がありますから、これらを掛け合わせるととてもたくさんの品種に分類されることとなります。私は「侘助」「宗旦」「藪」くらいしか知りませんが、現在は6,000品種を超える数となっており、今回香銘に配したのも椿の品種名となっています。

次に、この組香の要素名は「白」「赤」「枝」の3種です。「白」と「赤」は即ち花の色を表すものでしょう。椿の種類には、大別して「白」「赤」「桃」「斑」があり、これを作り出す「絵の具」は「白」と「赤」で必要十分です。作者はこれに「枝」を加えましたが、この要素の表す色はおそらく葉を加えた「花以外の総体」として表されているため「茶色」ではなく「緑色」ではないかと思います。そう解釈しますと、この組香は「赤」「白」「緑」のクリスマスカラーで構成されている非常にカラフルな組香であることがわかります。私は、敢えてこの景色に「雪」をかぶせて、雪化粧したパステルカラーや雪間から覗く鮮烈な色を多彩に味わうことにしましたが、春秋に用いるのであれば「雪」は捨象して、鮮やかな色彩をストレートに味わうのもいいでしょう。椿は「常緑」であるという力強さも1つの魅力であると考えます。

 さて、この組香の構造は至ってシンプルです。まず、「白」「赤」を各4包、「枝」を2包作っておき、「白」「赤」それぞれ1包ずつを試香として焚き出し、残った「白(3包)」「赤(3包)」に客香である「枝(2包)」を加えて、計8包を本香として焚き出します。試香は、おおかた「白い花」「赤い花」をイメージして聞きたくなりますが、私は、この時点で「白い花、赤い花とイメージしてください。」とは申し上げないつもりです。それは、この舞台に登場すべきキャストは、香記に散らされる「聞の名目」の花であり、「白」「赤」はその「花色」を作り出すための単なる「色」として捉えていた方が、景色の展開がドラマチックになるような気がします。また「枝」については、試香がい「客香」となっていますが、これは景色に変化をつけ、「花」を見つけにくくするためのものと思われ、この組香の「主役」ではないと思います。

 ここで、出典には「二*柱ぎき也。二*柱ききて一度札を打つ」と記載されています。「二*柱ぎき」については、2炉ごとに答えを開いて当否を決める「二*柱開 (にちゅうびらき)」と解釈するべきかもしれません。また、「札を打つ」とされていながら使用する香札については何も記載がありませんが、香札を用意するとなれば、最大出現率から「玉椿(1枚)」「紅椿(1枚)」「飛入椿(3枚)」「つらつら椿(2枚)」「八千代の椿(1枚)」の計8枚が人数分必要となります。これを2炉ごとに試香と聞きあわせて投票し、その都度答えの正否を定めるのが「二*柱開」です。

 一方、本香が8炉廻り終えてから、 2炉ごとに名乗紙に4つの名目を書き記し、最後に正否が定まるのが「二*柱聞(にちゅうぎき)」です。これでも、現実的には何も不都合がないので、常のごとく名乗紙を使用した 「後開き」としても結構かと思います。ただし、その際は、香元は2包ずつの区切りを意識して焚き出し、連衆も区切りを間違えないよう注意してください。

答えとなる聞の名目は次のとおり配されています。

香の出と聞の名目

香の出 聞の名目
 白・白  玉椿(たまつばき)
 赤・赤  紅椿(べにつばき)
 白・赤 赤・白  飛入椿(とびいりつばき)
 白・枝 枝・白 赤・枝 枝・白  つらつら椿(つらつらつばき)
 枝・枝  八千代の椿(やちよのつばき)

このように、2炉ずつの区切りの中では香の後先に関わらず、構成された要素の組合せによって聞の名目が決まっています。

聞の名目に少し解釈を加えますと・・・

玉椿・・・椿の美称ですが、特に白玉椿の異名として使われているのでしょう。品種名には「鴫立沢」「近衛白」「清香」「窓の月」「白羽衣」等があります。

紅椿・・・赤い椿の総称です。品種名には「周山」「流星光」「日月星」「千寿」「春の宴」等があります。

飛入椿・・・草木の花の色に、他の色が入って斑()になった種類のものです。品種名には「絵日傘」「草紙洗」「月の輪」「玉之浦」「初嵐」等があります。

つらつら椿・・・漢字では「列々椿」と表記し、たくさんの椿が並んでいる様を表します。

この名目には引歌があります。「巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎(万葉集 巻1−54 坂門人足)」(巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲ばな 巨勢の春野を)は、皇位を譲った持統天皇が、秋九月に紀伊の白浜温泉へ行かれた時にお供の坂門人足が椿咲く春の頃を思って詠んだ歌です。

八千代の椿・・・椿は長寿、長楽の木ですので、花のように落ちてしまわない常緑の枝葉に「千代に八千代に・・・」の意味を込めたものかと思います。

因みに、「八千代椿」は「牡丹」の品種にあり、これは千重抱え咲き、細弁、大輪の花です。聞の名目には「桃色」の椿が見当たりませんが、この牡丹は「桃色」なので意識するだけで心の中に大きなピンクの花も咲きます。(季節は違いますが・・・)

名乗紙の回収が終われば、香元は正解を宣言します。執筆は香の出と各自の答えを書き記しますが、この組香の記録には1つの特徴があります。出典には「二*柱ながら当らざれば点なし。一*柱のあたりは記録に書くばかり也。これには『椿』の字を書かず。」とあり、執筆は各自の答えを書き写す前に当否を改め、「聞の名目」が当った場合は、そのまま名目を書き写しますが、名目が合致していないものは「椿」の文字を除いて「玉」「紅」「飛入」「つらつら」「八千代」と書き写します。つまり、いつもは各自の答えを書き写してから、香元の正解を待つのですが、この組香では香元が正解を宣言するまで各自の答えを書き写すことはできないので注意が必要です。 「後開き」では、香元が正解となる8つの要素を宣言し、執筆はこれを 聞いて4つの名目に置き換えてから、正解の名目と同じ答えはそのまま、違うものは「椿」を省いて書き写し、解答欄を埋めていくことになります。

一方、「二*柱開」の場合でしたら、連衆が2炉ごとに「聞の名目」と見合わせて札を打ち、香元が正解を宣言したら、執筆は香の出の欄に正解を書き記し、各自の札を開き、当否を確認してから答えを書き記すという流れになります。つまり、「二*柱開」では、正解宣言と答えの当否をほぼ同時に確認できるので、答えの当否によって表記に変化を加えるということがしやすいのです。 このことは、この組香がもともと「二*柱開」で行うものであることを示す有力な手掛かりであると思っています。

ただし、どちらの方法をとっても、執筆が「正解には椿あり、不正解には椿なし」をわきまえていれば、それほど難しいことはありません。「後開き」は各自の正解を確認してから解答欄を縦に書き進め、「二*柱開」は席順にしたがって横に書き進めるという違いだけでそれほどの造作はありません。

この組香の点法も先に述べた出典のとおりです。聞の名目が当たれば、2つの要素を当てたことになりますので「2点」となり、名目の右肩に「ヽヽ」が 掛けられます。この組香では、名目は外したが2つの要素のうち1つだけ当ったという「片当り」は得点になりません。また、「独聞 (ひとりぎき)」等の加点要素はないため、最高得点は8点となります。出典では「一*柱のあたりは記録に書くばかり也。」とあり、名目の要素を2つとも間違った場合にどうするかは記載されていません。通常ならば「白厥(空欄)」となってもおかしくないところですが、「玉椿香之記」の記載例には全ての答えが書き写されていますので、全く外した場合でも回答は「椿なしの名目」を記載するようです。

最後に、下附は、全問正解のみ「皆」と記載し、その他は漢数字で書き表します。勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。

椿の花は、花形から来る空力特性の関係で大抵「上向き」に散ります。掃き清められた庭の土や苔から咲いたように見える落花はとても鮮やかで感動的です。目に映る花の少ない冬枯れの時期に、皆さんも是非「玉椿香」で「つらつら」と心の花を咲かせてみませんか?

 

年賀状は送る人を思い出す数少ない機会かもしれません。

その人たちは皆、今の自分を形作ってくれた恩人です。

たくさんの想いを一筆に込めて、「自分の根っこ」に水をやりましょう。

今年も1年ご愛読ありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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