三月の組香

  

杜鵑の托卵から巣立ちまでを景色とした組香です。

初段の成績で各自の立物が変わるところが特徴です。

 ※ このコラムではフォントがないため「」を「柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は、5種用意します。

  2. 要素名は、一」「二」「三」「四」と「鵑卵(ほととぎすのかいこ)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 一」「二」「三」「四」は各作り、鵑卵」は1包作ります。(計17包)

  5. まず、一」「二」「三、「四」各1包を試香として焚き出します。(計4包)

  6. 次に、残った一」「二」「三」「四」の各3包を打ち交ぜて、任意に2引き去ります。

  7. この2包に鵑卵」1包を加えて打ち交ぜます。(計3包)

  8. 本香A段は、3炉回ります。

  9. 連衆は、1炉ごとに答えを「香札(こうふだ)」で投票します。(札打ち)

  10. 香元は、1炉ごとに正解を宣言せず、3炉が焚き終わったところで、まとめて宣言します。(後開き)

  11. 執筆は香記に当たった答えのみ書き記し、そのうち客香の当たりのみ、答えの右肩に3点を掛けます。

  12. 盤者は、A段で鵑卵」を聞き当てた人の立物を「杜鵑」とし、外した人の立物を「鶯」として配置します。

  13. その上で、盤者は所定の方法で正解者の立物を進めます。(委細後述) 

  14. 本香B段は、6番の引き去りで手元に残った10炉を「一*柱開(いっちゅうびらき)」で焚き出します。

  15. 本香B段は、10炉回ります。
    −以降16番から19番までを10回繰り返します。− 

  16. 連衆は1炉ごとに答えを「香札」で投票します。 

  17. 香元が正解を宣言します。 

  18. 執筆は香記に当たった答えのみ書き記します。

  19. 盤者は、所定の方法で正解者の立物を「1間」進めます。

  20. 勝負は、香が全て焚き終わった時点で最も立物の進んでいる方の勝ちとなります。

  21. 立物の進みが同位の場合は、記録上の最高得点者のうち上席の方の勝ちとします。

  22. 盤者は、勝者の立物が「杜鵑」の場合は「卯花」に留まらせ、「鶯」の場合は「紅梅」に留まらせます。

 

 道端の草木が生気を帯び、「陽」に向かう景色の変化が日々楽しみな季節となりました。

本当に3年という月日は早いもので、またもや娘たちの入試・卒業シーズンとなりました。前回は、「泣きの卒業式」に感動して、ビデオカメラのアイカップに涙が溜まり、時折、啜りあげるために画面が「ぐぐぐっ!」と不規則に揺れるという、怪しい映像を撮ってしまいました。一方、今では父親のビデオ撮影は、もはや「盗写(ー_ー)!!」と勘違いされるようになり、画像記録を残す機会は少なくなりました。まったく、思春期の女子の変わり目が早いのには驚かされます。そのようなわけで、今回の卒業式に「ビデオマンは必要ないのかな?」「いや、もしかして父親の出席自体もNo Thank you?」と様子を伺っています。まぁ出れば出たで、少なくとも「旅立ちの日に♪」のイントロで号泣でしょうが・・・。(ToT)

卒業のことを学校では「巣立ち」と言っていますので、日本の3月は、夢、期待、不安、希望、憧れ・・・様々な思いの交錯した巣立ちのシーズンとなりました。それでも、これまでは「学校から巣立つ」というイメージが強く、家族としては「成長の1区切り」のようなものに過ぎなかったのですが、今回の「巣立ち」は、娘たちが「父親から精神的に巣立って行く」というイメージは避けがたく、来るべき「別れ」の序章として訪れた季節のような気がしてなりません。

上級学校への入試に関わって、やっと彼女らの「やりたいこと」が分かって来ました。もともと2人は「学習するタイプ」と「体験するタイプ」の違いがありましたから、選んだ学問も「レールのある世界」と「レールの無い世界」に別れたようです。互いに進む道は正反対なのですが、私自身としては「いつか来た道」で、「 よくぞ人格統一に苦慮した父親のDNAを上手く2系統に分けあってくれた」と、つくづく自然の摂理に対して畏敬の念を禁じ得ません。おそらく、彼女らもその性質を2つとも持っていて、家族の中での独自性を発揮するために三叉路を二手に分かれて進むことにしたのだと思います。

これまでも私は、彼女らに「入れる学校ではなく、入りたい学校を選べ!」「やれることではなく、やりたいことをやれ!」と言って来ましたので、それぞれの自我が確立して「進む道」を決めたことに何の不安も感じていません。しかし、まだまだ道すがらに教えるべきことや諭すべきことがあるにもかかわらず、精神的に巣立った彼女らに父親として直接関与ができなくなることに一抹の「寂寥感」があることは確かです。まぁ、私自身は、娘たちからこれまで「父親としての喜び」を十分に与えられた気がしますし、親に「巣立ち」を意識させてくれるまで無事に大きくなってくれたこと自体、最高の親孝行だと思っています。私は、その孝行に報いるためにも、彼女らが「夢」を叶え、「自分らしく素敵な暮らし」ができるように一生を掛けて応援するつもりです。 たとえどんなに離れていても、私が彼女らのことを心から愛おしんで、いつも気にかけていたことを、いつかはこのサイトを見て解ってくれるでしょう。そのときのために“Dedicated to my lovely daughter.”と書き記しておきます。

桜の咲く頃に「ウグイス娘」たちは、古巣を行きつ戻りつしながら新たな枝葉に落ち着くことでしょう。そして、それぞれ好きな人ができ、近い将来には、新しい巣作りにも励むことでしょう。一方、「ホトトギス親父」は、托卵の成果を見届けたところで、卯花の散る頃に古巣を発つかもしれません。これまでの私は「永遠なんて偽善的な言葉はマヤカシだ」と思っていましたが、今、「血の縁」は、やはり「永遠」に値するものだと思えるようになりました。今後、私の存在は娘たちの胸中から薄れ行くばかりでしょうが、私の彼女らへの愛は一方的ながらも「永遠」のものとなることを確信しています。これも人の親になって初めて得られた悟りなのだと思います。

今月は、ひな鳥たちの成長から巣立ちまでを写した「巣立香」(すだちこう)をご紹介いたしましょう。

「巣立香」は、大枝流芳の『香道秋農光(上・下)』に掲載のある「盤物(ばんもの)」の組香で、盤立物之図は上巻に、組香小引は下巻に掲載されています。下巻の小引の題号の下には「江芳山組」とあり、このことから当時、大枝流芳の周辺に居た香人が創作したオリジナルの組香であることがわかります。 同名の組香は、文化年間に残された『御家流組香集(仁)』にも見られますが、これは前後の組香のラインアップから享保年間に刊行された『香道秋農光』を書き写したものと思われるため、その記述はほとんど同じとなっています。今回は、オリジナルである『香道秋農光』を出典として筆を進めたいと思います。

なお、「ホトトギス」の表記は、いろいろな当て字がありますが、出典では「鵑」の1字で書き表されているため、このコラムでは「杜鵑」を採用することにしました。

まず、この組香に証歌は明示されていませんが、小引の冒頭に「此の組香は、万葉集に『鶯のかひこの中のほととぎす、ひとり生まれて、わががちち(父)に似ては鳴かずや、わがはは(母)に似ては鳴かずや』などといへるにより、鶯のかひこの中には杜鵑の子ある事、代々の古歌にもその証多し」とあります。

杜鵑とは、ご存知のとおり春の鶯とならんで「初夏の初音」を告げる鳥です。早いものは3〜4月から渡来する渡り鳥で5月にそのピークを迎えますが、自分では巣を作らず他の鳥の巣に卵を生み育てさせる「托卵」(たくらん)という習性で有名です。 彼女らは仮親が卵を産み始めるとその巣から卵の一つをくわえ出し、 替わりに自分の卵を一つ産み落とします。その後、卵は仮親の卵より早く雛になり、今度は他の卵を全部巣外に押し出してしまいます。悲しいかな、それでも仮親は自分の身体の何倍にも成長するこの雛を我が子として育てるのです。

万葉集に書かれてあるという「鶯のかひこの中のほととぎす・・・」について本歌を調べましたところ、「かひこ」とは「卵」のこと「鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥 (1755高橋虫麻呂)」という長歌から引用された一節であることが解りました。 この歌は、万葉歌人の高橋虫麻呂が、庭に来る「杜鵑」の挙動を愛情深く描写し、託卵で世に生まれ出た杜鵑に彼自身の孤独感を反映させて「遠くに行くな。我が庭に住め」と詠ったものと言われています。

また、出典ににより・・・」とあるのは、おそらく「奇談」のことだろうと推察して典拠を探しましたところ、当時流布していた建部綾足の『折々草』に尋ね当たりました。この本の「春の部−鶯の巣に時鳥の子持たるを見し条−」を昔話風に要約するとこのようになります。

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 昔々、江戸の高橋というところに貴人の別荘があり、そこには管理人(留守居)がおりました。3月も末のある日、管理人は庭の木々の深みに鶯が巣をかけているのを見つけ「ようし、雛を取って鶯を飼おう!」と思い機を伺っていました。ある日のこと、1羽の杜鵑が鳴きながら飛んできて、巣にあった卵を嘴に咥え、巣の中にある4,5個の卵を次々に呑み込んでしまいました。しばらくすると、今度は口からたいそう赤い卵を一つ、巣に吐き入れて飛び去りました。
 彼は、これこそ歌に詠まれた『鶯の卵の中の時鳥だなぁ。』と思い、興味津々で成り行きを見守っていましたところ、3月末には卵が孵り、4月の初旬には、雛の身体はもはや巣からはみ出すほど大きくなっていました。
 それでも鶯は、自分よりはるかに大きくなった雛をたいそう愛おしんで、小さい虫などを咥えて運んで来ていましたが、雛が大きな嘴を開けて餌を食べようとすると、身体の小さい鶯はその口に呑まれそうになってしまいます。流石の鶯も少し怖くなったのか、巣の上の枝に留まって、口の中に餌を落として食わるようになりました。そうこうしているうちに雛の羽も長くなって、管理人は「もうすぐ巣立ってしまうだろう」と思ったので、本当は鶯を飼いたかったのに杜鵑の雛を飼うことにしましたとさ。

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次に、この組香の要素名は「一」「二」「三」「四」と「鵑卵」となっています。匿名化された要素については、他の盤物同様、単に当否を定めて盤上のコマを進める素材としてのみ用いられていますが、「鵑卵」と命名された客香については、後述するように「卵」という景色を付する構造上の必然性があります。

この組香の構造は、まず、「一(4包)」「二(4包)」「三(4包)」「四(4包)」と「鵑卵(1包)」を作り全体香数を5種17包とします。次に「一」「二」」「三」「四」のうち各1包を試香として焚き出します。手元に残る本香は「一(3包)」「二(3包)」「三(3包)」「四(3包)」となったところで、この12包の中から2包を任意に引き去ります。これについて出典では「雌雄の香と名付け」とあり、これが「鵑卵」の両親の役割を表します。この「雌雄の香(2包)」に「鵑卵(1包)」を加えて3包を打ち交ぜます。本香A段は「札打ち後開き」の要領で3炉焚き出します。(出典では初3炉、後10炉を「段」とは明言していませんが、このコラムでは便宜上、A段・B段と区別して書き進めます。)連衆は1炉ごとに香札を打って回答しますが、香元は3炉目が焚き終わるまで香札を折居に入れたまま開かず、3炉焚き終わったところで正解を宣言します。

なお、回答に使用する「香札」については、出典の「巣立香之記」「白梅」「糸桜」「青柳」「紫藤」「梧桐」「緑松」「呉竹」「寒菊」・・・と所謂「十*柱香札」に準じた名乗が記載されていますが、本香が13炉あるため、4種12枚の「十*柱香札」を流用するには「鵑卵」に対応するものだけ足りません。この場合、@「鵑卵」の札のみ臨時に作る、Aたとえば「ウ(花)」の札を「鵑卵」に見立ててA段に用い、A段が決着したらB段の「四」に対応させるために再度連衆に札を戻す。BA段は「名乗紙」を使用して、3*柱の答えをまとめて書く「常の後開き」方式で行う。という方法も考えられます。 (私はBを推奨します。)

そうして、3炉目が焚き終わり折居が帰って参りましたら、香元は3つの折居を順に開き、A段の当否を定めます。出典では「此の聞きを『巣籠(すごもり)』といふなり。」とあり、巣の中に卵が托卵され、孵った状態を表します。

香元から正解が宣言されたところで、執筆は当たった人の要素名のみ香記に書き記します。そして、A段で「鵑卵」を聞き当てた人は、杜鵑として生まれたことになり、盤者は「杜鵑」の立物(コマ)を配します。一方、「鵑卵」を聞き外した人は、鶯として生まれたこととなり、盤者は「鶯」の立物を配します。 これには、既に終わった3炉分の得点を加味しますので、スタートの段階から各自のコマは一線にはならず、それぞれ得点に応じた間数に配置されることになります。

このように、本 香A段は、聞きの結果により各自のコマとなる立物の種類が変わるという点で、この組香の特徴となっているほか、盤上の勝負の「前哨戦」のような雰囲気があります。これは、巣の中から鶯の雛と杜鵑の雛がそれぞれ顔を出した景色を表しており、自然界の摂理とは違って決して蹴落とされたりせず、全員が「巣立ち」に向かって成長の途につくという微笑ましい姿が表されています。

続いて、B段(4炉目から)は手元に残った10包を「札打ち一*柱開」の要領で焚き出します。これは、常のごとく、1炉聞いては1枚札をうち、香元が正解を発表して、執筆は香記に正解者の答えのみを書き記し、盤者が立物を進めるという方法で香席を進めます。このように、この組香は、本香を「札打ち」で回答するものの、A段は「後開き」、B段は「一*柱開」と形式が混在しているところが特徴となっています。

さて、この組香は「巣立香盤」という、専用のゲーム盤を使用しますが、「鶯方」「杜鵑方」に立ち別れて競う「一蓮托生対戦型」ではなく「個人戦」となっています。盤は15間、10行で各行に人形が進む溝があり、10人が「個人戦」で競えるようになっています。まず、スタートラインの手前に「白梅」を立て、「雌雄の親鳥(鶯)」を留まらせます。次に、ゴールラインの奥には、「紅梅」と「卯花」を立てて置きます。 そして、本香A段の結果で定まった「杜鵑」や「鶯」を各自の得点に応じた間数に置くことから盤上のレースがスタートします。

盤の進みについては、客香の「鵑卵」が 3間その他の要素は1間進むので、例えばA段で3炉とも正解した人は、最初から5間目に「杜鵑」が置かれます。「鵑卵」を聞き外して他の2炉を正解した人は、2間目に「鶯」が置かれます。A段で全く当てることのできなかった人は、1間も進めないためスタートラインの手前(親元)に「鶯」を置いておきます。 このように巣から出た時点で、本香A段で「鵑卵」を聞き当てた「杜鵑」の方が「鶯」より も先んじて始まるというところがミソです。この組香の盤上での立物の進みは、生まれた雛の成長の姿とみることができ、「杜鵑は鶯より早く生まれ大きくなる」という景色もこのことに表現されています。

続くB段は、試香で聞いた香のみが焚かれますので、1つの当たりについて「1間」だけ進みます。雛は、1炉ごとに着々と餌を得て成長するものもあり、餌を食いそびれて遜色の出てくるものもあります。盤上のレースは、雛たちの生存競争の姿でもあるわけです。なお、この組香には「独聞」に関する加点要素はありませんが、香炉の香りが餌であるとすると「独り占め」は大きく成長するチャンスかもしれませんね。

こうして、本香はA段・B段を含め13炉焚き出し、全問正解すれば「15間目」のゴールに至り、見事「巣立ち」となります。出典には「盤の目残らず行かずとも中にて聞多きは勝とす 」とあり、全問正解でなくとも本香が焚き終わった段階で立物が最も進んでいる人は「巣立ち」となります。この時点での間数の優劣は「巣立ち」の順番を表すことと解釈して良いでしょう。ここで、出典では「うぐいすの聞多きは梅にとまらせ、鵑の聞多きは卯花にとまらすべし。」とあり、勝者の立物が鶯の場合は「紅梅」、杜鵑の場合は「卯花」に留まらせて盤上の景色を完成させます。これは、見事に親元の梅の木から巣立って、自分にふさわしい棲家(木)を見つけたということを意味します。勝者が「鶯」の場合は、「巣籠り」の状態で「杜鵑」一歩先んじられていた訳ですから、成長過程での「大逆転勝利」ということになります。このように勝者によって、完成される盤上の景色が変わるというのもこの組香の特徴と言えましょう。

一方、記録は、香の出の欄に要素名を13個縦に書き記し、連衆の回答欄は「一*柱開」の例により当たったもののみ記載して、外れは 何も書かずに空白とします。そして、最初の3炉のみ当たりの要素に点を付します。「鵑卵」は3点となりますので要素名の右に2点、左肩に1点と「ハの字型」に掛けます。4炉目以降については、点を付さず要素名が記載されたこと自体が当たりを表します。このA段の記録のみに点を掛けるという決まりは、加点要素のある「鵑卵」とその他の要素を区別するために考えられたものでしょうが、得点の表記方法としては大変珍しく 、この組香の大きな特徴となっています。

点数については、盤上の立物の進みと同様、「鵑卵」は3点、その他は1点と換算し、全問正解は15点満点となります。下附は、全問正解を「皆」、その他は漢数字で書き記します。

この組香では、勝負を表現するのに十分な盤の間数が用意されていることから、盤上の勝負と記録上の勝負は一致し、勝者は1人となります。勝負は、自分の立物を最も進めた(記録上の得点が最も高い)方のうち、上席の方の勝ちとなります。

社会一般の「巣立ち」は3月ですが、自然界の「巣立ち」は初夏なので、日本には2つの「巣立ち」の季節があると言え、どちらを念頭にしてこの組香を催行するかはご亭主の胸一つです。「這えば立て、立てば歩めの親心」を杜鵑や鶯の姿に託して、誕生と成長を見守り、親元を離れて巣立っていく姿に「頑張れ」と応援する気持ちを「巣立香」で味わってみてはいかがでしょうか?

 

これまで「あぁ、人の親になって良かった」とつくづく思うことが何度かありました。

子供は苦労もくれるけど、それ以上の感動もくれるものですね。

「人の肥やし」という生き方もとても安らぐものです。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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