四月の組香

 

桜と柳をこき交ぜた都の錦を景色とした組香です。

香札の表に書かれた名乗りが「禁裏」の由縁となっていまです。

※ このコラムではフォントがないため「ちゅう」を「*柱」と表記しています。

 

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説明

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  1. 香木は3種用意します。

  2. 要素名は、「桜」「柳」と「ウ」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「桜」「柳」は各3包作り、「ウ」は2包作ります。(計8包)

  5. 「桜」「柳」は、それぞれ1包を試香(こころみこう)として焚き出します。(計2包)

  6. 残った「桜」「柳」各2包に「ウ」2包を加えて打ち交ぜ、2包ずつ3組に結び置きします。(2×3包)

  7. 本香は、「二*柱開(にちゅうびらき)」で6炉回ります。 
    −以降8番から10番までを3回繰り返します。− 

  8. 連衆は2炉ごとに「聞の名目(ききのみょうもく)」に見合わせて、答えを「香札(こうふだ)」で投票します。 

  9. 香元が正解を宣言します。 

  10. 執筆は香記に連衆の答えを全て書き写し、当たった答えの右肩に長点を掛けます。

  11. 点数は、聞の名目の当りにつき1点としますが、この組香に下附はありません。

  12. 勝負は、最高得点者のうち、上席の方が勝ちとなります。

 

春の山河に柳がそよぎ「花の宴」に誘っているかようです。

今年は「なんと立派な平城京!(710)から数えて1300年目にあたる「平城遷都1300年祭」ということで、久々に奈良県が盛り上がっているようです。この「国家的記念事業」は、古代の文化遺産「平城宮跡」を中心に「平城宮跡事業」「巡る奈良事業」「特別行事(イベント)」の3部構成で、県内全域を舞台に展開されています。そのメイン会場である「平城宮会場」は今月24日にオープンし、平城京の建設と国づくりに賭けた人々の情熱に触れるための様々な展示や催事が11月7日まで繰り広げられることとなっています。

「奈良県」といえば、知名度が高いわりには地味ぃな県で、修学旅行では皆行くけれどもリピータが少ないことが悩みのようです。近年、JR西日本のキャーペーン「三都物語」では、新幹線の駅がないため「神戸」に近畿三都の末座を明け渡してしまいました。しかし、国宝の数は64件、古墳の数は約6000と古代ロマン好きにはたまらない土地柄で、観光資源も多く、今話題のパワースポットもそのうちどこかの遺跡から花開くものと予想しています。近年ではフジテレビ「鹿男あをによし」の温調のかかった映像とファンタジックなストーリーにハマり、高校の修学旅行で自転車で一巡りして以来、正倉院目当てにしか訪れたことのない奈良が、とても身近なものとなりました。このドラマは、邪馬台国の時代、卑弥呼の死後に大鯰(なまず)を鎮める儀式を行うことを頼まれた鹿と狐と鼠が、「目」や「サンカク」などの謎のアイテムを守り続け、これを駆使して、富士山の噴火を食い止めるというものでした。舞台は、「奈良、京都、大阪」の三都で、それぞれ女子高の剣道部が「サンカク」の保全に関わっているというところも面白さを加えていました。

「あをによし」と言えば、「あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり(小野老:万葉集328)」が、まず頭に浮かびます。詠人の「小野老(おゆ)」(生年未詳〜天平9年(737))は、大伴旅人が太宰府の長官だったころに「少弐」として大宰府に赴任し、都に帰ることなく大宰府大弐のまま任地で亡くなっています。歌の詞書には「大宰少弐小野老朝臣の歌」とあり、この歌は大宰府から都を思って詠った「望郷の歌」だということがわかります。この頃の都は、聖武天皇と光明皇后に男子(後に早世)が生まれ祝賀ムード一色、都市も整い始め、文化も花開き始めていた、正に「右上がりの時代」でした。小野老は、そのような華やかで晴れがましい都の「噂」を聞いて、「今盛りなり!」と詠嘆したことになりますが、その心底には、慶祝とは裏腹な惜寂の思いも含まれていたのかもしれません。

また、「あをによし」はご存知のとおり「奈良」「国内(くぬち)」にかかる枕詞で、万葉集を「あをによし」で検索すると27の歌がヒットします。この言葉は、「岩緑青(マラカイトグリーン)」という顔料の元となる青丹(あおに⇒この場合の「丹」は土を表します。)が奈良県内で産出されていたからとされ、「よ」「し」はどちらも間投助詞として「青丹」を強調する特別な意味は持たない言葉であるというのが、国文学的な解釈となっています。

一方、後世に至って、奈良における「青」と言うのは、建物の窓枠に施された「青緑色」のことであり、「丹」というのは建物の柱など「朱色」(「丹頂」「丹花」等、鮮やかな赤を示すため)のこととし、「青丹よし」を単に枕詞として片付けずに「緑と朱で彩られた美しくて良い・・・奈良」と解釈して、この歌に都市景観と色彩美を加えようとする説明も試みられてきました。確かに、近年の大改修で目にも鮮やかに復元された天平文化の遺産を俯瞰しますと、奈良の都は「青」「丹」が主張色だったとも思え、「今盛りなり」と咲き誇る桜を平城京に見立てたこの歌の景色に、次々と建立される建物の威風と鮮やかな色彩とを加えることによって、さらに美しさを際立たせることができると思います。

思えば、奈良時代の「都の錦」は、建物に施された「青(緑)」「丹(朱)」という純粋で若々しい色彩のことだったのではないでしょうか。これが、「鳴くよウグイス平安京(794)」になって、「はんなり」とし、「柳(若緑)」「桜(薄紅)」のパステルカラーに変遷していったとすれば、それは右上がりから長い安定期に向かう社会や都を担った人々の嗜好の違いによるものなのかもしれません。

今月は、春麗らかな都の錦「禁裏香」(きんりこう)をご紹介いたしましょう。

「禁裏香」は、聞香秘録 の『香道春乃山』に掲載のある組香です。同名の組香は米川流香道『奥の橘(鳥)』、杉本文太郎著の『香道』にも記載があります。これらは、「聞の名目」と「香札の表裏」の記載等に差異がみられますが、香種・香数・構造等は全て同じであり、伝播途上での揺らぎはあったものの、ほぼ同一の組香と言ってよろしいかと思います。また、三條西公正著の『香道−歴史と文学−』や『香筵雅友』掲載のある「都春香」(平成12年3月に紹介済み)は、「禁裏香」と非常に似通った構造を持っており、要素名、香種・香数・構造等が同じで聞の名目のみが異なり、「桜」「柳」「嵐山」「暗間」「都の錦」「簾外」「夕日」「朝露」となっているものです。これについては、後世に至って証歌を付し、手記録紙で回答できるように改定した「禁裏香」の派生組ではないかと推察しています。

これらの書物のどれがオリジナルであるかは、『奥の橘』と『香道』(底本 である藤野家の伝書)の執筆年代が分からないため判然としないのですが、『香道春乃山』は「宝暦三年正月(1753)」に書かれたことが分かっています。今回は、『香道春乃山』を出典としつつ、『奥の橘(鳥)』と『香道』等との対比を踏まえながら筆を進めたいと思います。

さて、この組香には証歌がありませんが、「都春香」には、「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりけ(→る)(古今集56:素性法師)」が付されています。組香の舞台に「禁裏」と「都」の違いはありますが、作者が要素名で表わそうとした景色は、正にこの歌のとおりであろうと思われます。小記録を見ただけでは「なぜこれが『禁裏香』なのか?」は分かりません。種明かしは、後ですることとして、ここでは、「禁裏」を広く宮廷のあるところ⇒「都」と捉えて、要素名と聞の名目の醸し出す春景色を味わうことが先決かと思います。

次に、この組香の要素名は「桜」「柳」「ウ」となっています。「桜」「柳」については、今更説明を加える必要もなく、「都の錦」を彩る木々そのものを表します。「都の錦」といえば、私は京都加茂川沿いの土手の風景が思い浮かびますので、花枝を揺らす「風」や花びらを透かしたり、柳の若葉を照らしたりする「光」また、遠山の「霞」も同時に思い起こされます。「ウ」については、このように「桜」「柳」の中間に位置するニュートラルなものというイメージで配置されたものと解釈すべきでしょう。私ならば「霞」の白色をイメージして「パステル三色」としたいところですが、「風」や「光」のように無色のものとして「二色の濃淡」で景色が完結するイメージも捨てがたいところです。一方、「都春香」の中には「ウ」を「錦」と命名するものもあり、薄紅と若緑の二色を統合するものというイメージもあるようです。いずれ、各要素の組合せで「聞の名目」を結ぶように工夫されて作られたものでしょうから、各々が回答の際に焚かれた香気も含めて「ウ」の役割や姿をイメージできればよろしいかと思います。

なお、要素名の序列については『香道』のみ、一の香が「柳」、二の香が「桜」となっていましたが、聞の名目の段では「桜」が先に掲載されており、「柳」を優先する根拠は希薄でした。確かに、日本語として一般的な熟語は「柳桜(りゅうおう)」で、この熟語も「柳桜をこきまぜて・・・」のイメージから定着したものと思われるため、「柳」優先もあながち見捨ててはおけないのですが、現代のイメージから言えば「桜」が主役で、「柳」が脇役、「桜を見に行こう!」はあっても「柳を見に行こう!」というのは相当「乙な人」です。おそらく陰陽の配置もそのように「桜」「柳」の方が皆さんの頭にも入りやすいと思われますので、出典のまま記載しました。

さて、この組香の構造は「香種3種」であり、至ってシンプルです。地の香である「桜」「柳」は3包ずつ、客香である「ウ」を2包作り、そのうち「桜」「柳」は、各1包を試香として焚き出します。残る「桜(2包)」「柳(2包)」に「ウ(2包)」を加えて合計6包を打ち交ぜ、この6包を2包ずつ3組に分けて結び置きします。この組香は、2炉ごとに1つの答えを香札で投票する「札打ち二*柱開」で行うところが特徴となっています。

香包の準備ができましたら、香元は香炉を順に焚き出し、2炉ごとに「札筒(ふだづつ)」や「折居(おりすえ)」を廻します。連衆は、香炉を聞き、2炉ごとにあらかじめ配された「聞の名目」に見合わせて、答えの書かれた香札を1枚投票します。

回答となる「聞の名目」については、出典と別書ではそれぞれ差異がありますので、対比表に示します。

聞の名目対比表

香の出 『香道春乃山』 『奥の橘』 『香道』 【参考】都春香
桜・桜
柳・柳

桜・柳 吉野 吉野 嵐山
柳・桜 葛城 葛城 都の錦
桜・ウ 外山 外山 葛城 晴間
柳・ウ 道の辺

道の辺

野辺 簾外
ウ・桜 (重複) 外山 夕日
ウ・柳 朝露
ウ・ウ

※ 「都春香」は、三條西公正著『香道−歴史と文学−』 及び『香筵雅友』による。

このように、聞の名目は、要素名の組合せによって、「樹木」「場所」「色」の区分で配されています。出典は、要素名と名目の対応が整然としており誤記等もないため、最もオリジナルに近いのではないかと思います。

ここで、「吉野」は言わずと知れた桜の名所、「葛城(大和)」「春楊(はるやなぎ) 葛城山にたつ雲の立ちてもゐても妹をしぞ思ふ(万葉集2457-58:柿本人麻呂)」と詠んでいることから、柳の名所としての配置されたものでしょう。どちらも奈良県の名山です。「外山」は「外山の霞」で言葉としては有名ですが、具体的な地名ではありません。「道の辺」もおそらくは春の野辺をイメージさせる感性表現でしょう。大和の地名に特化するなら「山の辺」でも良かったような気がします。

一方、「吉野」は、後醍醐天皇の南朝が一時期「吉野宮」を置いたことがあるほか、よく天皇の隠棲の地とはなりましたが、正式な御所は「葛城」以外に設けられたことがありませんので、これらの名目を直接的に「禁裏」の景色と結び付けることは難解となります。このため「桜・柳がなぜ禁裏香の景色を結ぶのか?」と疑問に思われる方も多いかと思います。

その答えは、なんと回答に用いる「香札」にありました。出典では答えとなる「札裏(ふだうら)」は聞の名目どおり「桜」「柳」「吉野」「葛城」「錦」「外山」「道辺」「紅」「緑」となっていますが、各自の名乗(なのり⇒香席での連衆の仮名)となる「札表(ふだおもて)」として「百補」「御垣」「紫庭」「大内」「玉階」「雲上」「雲井」「九重」「玉敷」「緑洞」と記載され、それぞれ宮中に因んだ言葉が用いられていました。

札表の意味

「百補(ひゃくほ)」・・・数多くの役人のことか。おそらくは、「百官」と同義。

「御垣(みかき)」・・・宮中の周囲にめぐらした囲いや垣根のこと。

「紫庭(してい)」・・・天帝の住む場所「紫微垣(しびえん)」から内裏、宮中のこと。

「大内(おおうち)」・・・大内裏、宮中のこと。

「玉階(ぎょっかい)」・・・宮殿の階段。

「雲上(うんじょう)」・・・俗界から離れた雲の上→宮中のこと。

「雲井(くもい)」・・・宮中。禁中。宮庭のあるところ→都。

「九重(きゅうちょう)」・・・宮中。宮廷。ここのえ。

「玉敷(たましき)」・・・玉を敷いたように美しい場所→宮廷。都。

「緑洞(みどりのほら)」・・・〔仙人の住む所の意から〕仙洞(せんどう)。上皇の御所。

これで、この組香が「禁裏香」とされた所以を知ることができましたが、『奥の橘』には「札表」の列挙がないため全く見当が付かない状況になっています。一方、『香道』では、「紫宸殿」「清涼殿」「弘徽殿」「仁壽殿」「温明殿」「飛香舎」「照陽舎」「襲芳舎」「淑景舎」「凝花舎」と内裏の殿舎に因んだ直接的な場所が列挙されており、「禁裏」との結び付きがはっきり分かりやすくなっています。

回答に使用する「香札」については、「札表の景色がなければ禁裏香が成立しない」ということから、基本的には専用のものを誂えて作らなければならないこととなっています。しかし、『奥の橘』では、香札使用の明記はないものの、聞の名目に桜(花一の札)」「柳(月一の札)」「吉野(花二の札)」「葛城(月二の札)」「外山(花三の札)」「道の辺(月三の札)」「吉野(花客の札)」「緑(月客の札)」「ウ(ウの札)」と注書きが付されています。このことは、『奥の橘』の時代には、もはや専用の「禁裏香札」を誂えずに「十種香札」で流用する場合(略儀)があったことを物語っており、この方式を使えば、「禁裏香の香札や聞の名目」と「実際に使用する香札」との景色の乖離は否めませんが、現代の「十種香札」でも流用が可能ということになります。

続いて、最初の2炉が廻り、連衆の札が戻って来ましたら、執筆は札を開き、香記に各自の回答を書き写します。執筆が正解を請う仕草をしましたら、香元は2つの包を順に開きいて正解を宣言します。この組香では、香の後先で正解が異なりますので、香元は開く香包の順番を間違えないように注意が必要です。執筆は、2つの要素名に見合う「聞の名目」を探し出し、当たった名目の横に「長点」を付します。これを3度繰り返すと本香6炉が焚き終わりとなります。

記録については、香の出の欄に要素名を2つずつ3組の区切りが分かるように記載し、通常の名乗の欄には「札表」の言葉を書いて席中での各自の仮名(かめい)とし、その下に各自の答えを書き記し当否の長点を付します。「二*柱開」の場合は、名目を構成する2つの要素名のどちらかが当たれば1点を認める「片当たり」方式を採用する組香もありますが、出典の「禁裏香之記」では、「名目の当たりに長点を付すだけ」の形で記載されており、要素ごとの当否は斟酌しないルールとなっています。また、「独聞(ひとりぎき)」や「客香の聞き当て」も加点要素とはなりません。

この組香は下附がなく、要素名の横に付された「長点」の数そのものが点数を表します。そのため、本香が焚き終わった後には、何も書き付すものは有りませんが、通常の下附の欄に「実名」で改めて名乗りを記載することになっています。このように、「回答の上には仮名、下には改めて実名を記す」というというところが香記の特徴となっています。

なお、勝負は、最も「長点」の数の多い方のうち、上席の方の勝ちとなります。

最後に、私見となりますが、この組香の趣旨は、「禁裏」のみならず、「都」全体の春景色を愛でるものであり、「禁中の人々が閉ざされた庭内のあちらこちらに見える桜柳の景色に心が解き放たれて、四方遠山の春景色に思いを馳せる」という景色が主題かと思っています。この組香は、「開花の噂を聞いてから遠山に花見に行く間の心ウキウキ感(期待感)」のようなものが感じられ、「小さな春から大きな春へ」心象風景がドラマチックに視点変換する点で、いわゆる「花見の香」とは違う世界を持っているように思えます。

とはいえ、題号となっている「禁裏香」と「要素名や聞の名目の景色」のつながりが直接的には連想できず、香札の「札表(名乗)」を見て初めて理解できるというのは、かなり曲者の組香であることは確かです。このような事情もあって、専用の香札が姿を消して「十種香札」による略儀が許されるようになり、禁裏と春景色を結び付けていた「札表」の存在感が薄れていったのではないでしょうか。さらに近世になって「手記録紙(名乗紙)」による回答が一般化したため、香札無しでは意味の解らなくなった「禁裏香」の看板を外して、作者の意図は証歌「見渡せば…」に託すこととし、「都春香」に変貌を遂げたのではないかと推察しています。

現代ならば、禁裏香」も「後開きの二*柱開」として手記録紙に聞の名目を3つ書き記して回答し、執筆が香記の名乗の所で「札表」の名目を書き記すだけでも、組香の趣旨は伝わるかと思います。皆様も、「禁裏香」で京と大和の山河を結ぶ「都の錦」を是非ご堪能ください。

 

我が故郷の「一目千本桜」の下には菜の花が咲き乱れます。

柳の緑はないので、「鄙の錦」は薄紅と黄色というところですね。

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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