五月の組香

兜飾り

 

ホトトギスの声色と季節の変化をモチーフにした組香です。

段組によって首夏と仲夏を表すところが特徴です。

 

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説明

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  1. 香木は、4種用意します。

  2. 要素名は、「卯花(うのはな)」「菖蒲(あやめ)」「五月雨(さみだれ)」と「子規(ほととぎす)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「卯花」「菖蒲」「五月雨」「子規」を各用意します。(計12包)

  5. 「卯花」「菖蒲」「五月雨」は、各1包を試香として焚き出します。(計12包)

  6. 手元に残った「卯花」「菖蒲」「五月雨」の各2包を打ち交ぜ、3包ずつ2組に分けます。(3×2=6包)

  7. 初の組に「子規」を1包加え、打ち交ぜて結び置きします。(4包→A段)

  8. 後の組には「子規」を2包加え、打ち交ぜて結び置きします。(5包→B段)

  9. 本香A段は「四月」と呼び、4炉焚き出します。

  10. 連衆は、1炉ごとに廻される「折居(おりすえ)」に答えの「香札(こうふだ)」を投票します。

  11. A段4炉が焚き終わったところで、香元は、折居を順に開いて正解を宣言します。

  12. 執筆は、連衆の答えを書き写し、当りに点を打ちます。(委細後述)

  13. 続いて、本香B段は「五月」として、5炉焚き出します。

  14. B段5炉が焚き終わったところで、香元は正解を宣言し、執筆は答えを書き写し、当否を記録します。

  15. 点数は、A段の客香(子規)を聞き当てると3点、「独聞(ひとりぎき)」は4点となります。

  16. 一方、B段の客香を聞き当てると2点、独聞は3点となります。

  17. その他の要素は、A段・B段とも各1点となります。

  18. 下附は、点数で「○○点」と記載します。(最高13点)

  19. 勝負は、点数の最も多い上席の方が勝ちとなります。

 

今年は天候が不順ですが、五月の空は清々しく晴れ渡ってもらいたいものです。

「五月の風になびく鯉のぼり」は、もはや田舎の風景になり、都市部の住宅街で目にすることは少なくなりました。我が家のベランダから周囲を見渡しますと近くの商店の屋上にポールを立てて「鯉のぼり」を泳がせているお宅が一軒だけとなってしまい、これが老夫婦の心意気をうかがわせています。マンション街でチラホラ見られるものは、ベランダに棒を渡して、目刺しのように小さな鯉を並べた「鯉吊るし」で、ほとんど日干し状態です。この頃は住宅事情の変化もあり、青空に泳ぐ鯉のぼりが見られるのは、学校や地域イベント等「公のもの」が多くなりました。

「端午の節句」の起源については、「競渡香」(平成18年5月)で詳しく記述しましたが、中国戦国時代「楚」の政治家で詩人でもある「屈原」の死を悼む行事に端を発して中国の宮廷行事となり、日本に渡来してからは、「菖蒲」を厄払いに用いるため「尚武」と結びつけて男児の立身出世や武運長久を祈る行事となりました。もともと武士の家庭では、「虫干し」をかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物を飾っていたようです。一方、商家には「伝来物」が無いため、豪華な武具の模造品を作らせ、旗指物の代わりに五色の吹流しを飾るようになりました。その後、鯉が滝を登って龍になるという「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになり、これがいつしか現在のような魚の形になったということです。

我が家にも小さいながら一対の鯉のぼりがありました。昭和初期の物でしたので真鯉と緋鯉は、綿の生地に手書きで描かれ、腹や鰭の部分が黄色いのが特徴でした。私の生まれた頃には、ナイロン製のものが出廻り始め、基本セットは「矢車+吹流し+真鯉+緋鯉」でした。矢車は金ピカで吹流しは色鮮やか、鯉は黒白・紅白の彩でとても軽やかな感じがし、事実少しの風でもよく泳いでいました。昔の鯉のぼりは、「父子」を表したので「黒と青」が主流だったらしく、民主化の浸透につれて「夫婦」を表す「黒と赤」になったようです。日本が鯉の滝のぼりをし始めた高度成長期には、鯉の数も「家族の数」を表すようになり、基本セットは「矢車+吹流し+真鯉+緋鯉+稚鯉(青)」となり、家族が増えると「稚鯉」を増やすなど家内の繁栄が外見にも見て取れるようになりました。ウーマンリブの時代には、緋鯉の方を上に吊るし大きさも真鯉を凌駕するものが本当に現れ、女子が生まれても稚鯉を増やす風潮が一般化したため、赤や橙、ピンクの鯉が多くなって、全体的に暖色系になっていく景色から女権復活の息吹を感じたものです。

ところが、生家の門柱に洗濯用の竹竿を立てて吊るしていた我が家の鯉のぼりは、矢車や吹流しが付いておらず、綿生地なので強風でないとなかなか泳いでもくれず、周囲に対して妙に引け目を感じたものです。自宅を引っ越して最初の「こどもの日」に、まだ小学3年生だった私は庭に自力で竹竿を立てること叶わず、やむなくベランダの物干し竿を借りて、鯉のぼりを串刺しにする「鯉干し」を思いつき、なんとか男児の面目を保ちました。その後「鎧兜」を手に入れた私は、もともとコンプレックスのあった「鯉のぼり」を掲げるのが億劫になり、以降、「鎧兜」だけを飾るようになりました。そして、つい最近、実家の押入れの整理中に遭遇するまで「鯉のぼり」のことを忘れていたというわけです。

現在でも「端午の節句」の飾り物は、「鎧兜」の内飾りと「鯉のぼり」の外飾りに分かれており、ここが「雛祭り」とは大きく異なるところです。しかし、住宅事情等の問題から「鯉のぼり」は年々忘れ去られ、「鎧兜」がどんどん豪華になって来ました。現在、各地の5月のイベントで風に泳いでいる「公」の鯉のぼりは、地域の家庭から寄付された言わば廃品が多いのですが、日に晒す期間が長いため、その寿命は短いのだそうです。このように「鯉のぼり」が絶滅危惧種になったのには、@停滞する経済情勢と成熟した社会の中で「立身出世」のシンボルは疎まれた。Aプライバシー保護のため家族構成を晒すこととなる「家族繁栄」のシンボルは避けられた。B父親が節句行事に積極的に関与しなくなったため、母親でも飾ることのできる内飾りが一般化した。・・・など 様々な理由で「端午の節句の雛祭り化」(節句の女系化)が起こっているのではないかと密かに思っています。

最近の若者意識調査でも、「起業」や「立身出世」を望まず、大半が「安定」と「終身雇用」を望んでいるということなので「鯉の滝のぼり」を夢見ない人が多くなっていることは事実のようです。「安定」などという言葉は親が書くことで、子供は「遠大な夢」を持って、現実と挫折の狭間からたくましく芽を出して大きく成長して欲しいものです。滝をのぼる鯉のように男の子が元気に育ちますように!(-λ-)」と家族が願うことは、「内飾り」でも表せますが、「わが家に男の子が生まれました。どうぞお守りください!」と天帝にお知らせして守って頂くためには、やはり「外飾り」が必要ではないかと思います。5月の原風景である「鯉のぼり」を2月の「柊と鰯の頭」のように「絶滅」させないために、男性陣も「雄々しく」力を尽くすべきかと思います。

今月は、子規の声色を季節ごとに聞き比べる「忍音香」しのびねこうをご紹介いたしましょう。

「忍音香」は、大枝流芳の『香道千代農秋(下巻)』の四季組として掲載のある組香です。小引の題号の下に「流芳組」とあるので、この本の編者である大枝流芳が創作したオリジナルの組香ということがわかります。同名の組香は、この本を転写したと考えられる『御家流組香集(仁)』にも掲載があり、その記載内容は同様となっています。今回はオリジナルの『香道千代農秋(下巻)』を出典として筆を進めたいと思います。

 「忍音」については、多くの皆さんが唱歌「夏は来ぬ」の「しーのーびーねもーらーすぅ♪」のフレーズで最初に聞き覚えたのではないかと思います。現代の国語辞典では、陰暦四月頃の子規の鳴き声」のこと、主に「初音」のことを示します。(このコラムでは要素名に合わせてホトトギスを「子規」と表記します。)つまり、「忍音」は、初夏のものなので真夏の山中で聞こえる「テッペンカケタカ」は「忍音」とは言わないことを教養人としては押さえておきたいところです。また、「子規」は「鶯の初音」が春の風物詩であるのと同様に、雅人たちが初夏の山中に寝泊まりして、「誰よりも早く初音を聞く」ことを競ったという逸話でも有名な夏の渡り鳥です。子規は 万葉集には156首もの歌に詠見込まれていますが、当時は「声をひそめて」鳴いていたわけではありませんでした。この時代の「しのふ(偲ふ)」という動詞は、愛でる、懐かしむ、心惹かれる、思い慕うといった「鑑賞者側の情動」を示しており、子規の声は情動の発端となる素材でした。つまり、子規は誰憚ることなく声高に鳴いても歌を詠む人の心が様々な事物を勝手に「偲んで」くれたため、「声をひそめて」鳴く必要はなかったわけです。

しかし、平安時代頃から、その様相が変わってきます。子規は季節を通してそれほど声色を変える鳥ではありませんが、おそらく最初は、初春の鶯が鳴き始めにぎこちなく「笹鳴き」していることに擬えて、子規も「渡り来て間もない頃は、声をひそめて鳴くもの」とされるようになったのだろうと思います。また、子規は、鶯と違って、昼は見つかりにくく、夜にも鳴きますから「姿を隠して鳴く」という習性が物想いを詠み表すには好適な素材だったのでしょう。さらに推測すれば、詠人が一方的に「偲ぶ」によりは、子規も「忍んで」鳴いてくれたほうが、「主客の呼応」という点で都合がよかったのかもしれません。その結果、名実ともに「忍ぶ」鳥となった子規は、和歌の世界では「秘めたる恋の代名詞」として「なきぬとも人にかたらじ時鳥ただ忍び音はわれに聞かせよ(続古今194 小弁)」などと詠み込まれることも多くなりました。また、『源氏物語』「蜻蛉」の帖には、薫君が「忍び音や君もなくらむかひもなき死出のたおさに心かよはば 」と亡き浮舟のことを思って詠う「陰の極み」のような場面で詠み込まれることもありました。

現代の古語辞典でも「しのび」は、【偲び】(@賞美する。A遠い人、故人などを思慕する。)と【忍び・隠び】(@じっとこらえる。じっと我慢する。A隠す。秘密にする。)の2つの見出し語がありますので、これらの意味が時代の変遷によって混在して子規の鳴き声に託され、「子規は忍音を漏らす」という常識になったのではないかと思っています。

  まず、この組香に証歌はありませんが、要素名が「卯花」「菖蒲」「五月雨」と「子規」となっており、それぞれが初夏から仲夏への景色を織りなす風物となっています。普通、子規と取り合わせる花木は「卯花」や「橘」ということになりますが、ここでは初夏の花木に「卯花」が選ばれ、仲夏の花として水辺を想像させる「菖蒲」が加えられています。『万葉集には「卯花」と「子規」との組合せの歌は18首あり、「橘」と「子規」との組合せは32首ありますので、数の上では「橘」の方が優位に立ちます。しかし、「橘」は華やかですので「忍音」には取り合わせが良くなく、「卯花」ならば「憂」に通じるため、ある意味うってつけなのだと思います。さらに、この組香の舞台には「五月雨」も降りますので、「清々しく風薫る・・・」と言うよりは、少々「湿り気」を帯びた物憂い景色となっているところが、「忍音」にふさわしいかと思います。『枕草子』の「五月の御精進のほど・・・」の段には、五月雨の時期に卯花で飾った車を仕立てて子規の声を聞きに行くとというシーンが出て来きますが、この組香の要素名は、 まさしくその景色を彷彿とさせるものです。

次に、この組香の構造ですが、小記録に見るとおり若干複雑になっています。まず、地の香である「卯花」「菖蒲」「五月雨」は、それぞれ3包作り、そのうち1包ずつを試香として焚き出します。試香が焚き終わったところで、香元は手元に残った「卯花(2包)」「菖蒲(2包)」「五月雨(2包)」の計6包を打ち交ぜて、3包ずつ2組に分けます。初の組(3包)には「子規」を1包加えて4包として打ち交ぜ、後の組(3包)には「子規」を2包加えて5包として打ち交ぜ、それぞれの組を混同しないように結び置きします。出典には初の組(4包)を「四月」、後の組(5包)を「五月」と名付けるとの記載があり、客香として加えられた「子規」の数が季節の経過を物語るという趣向のようです。このように、この組香は「段組」によって夏の季節を二つに区切って味わうというのが第一の特徴となっています。

続いて、香包の用意が整いましたら、本香を焚き始めます。本香は、「四月」の結びを解いて、順に香を焚き出し、香炉に添えて「折居」を廻します。連衆は1炉聞くごとに廻され た折居に、これと思う答えの「香札」を投票して廻し送ります。折居には、正面に番号が振ってあるため、まとめて札を開く場合でも炉の順序を間違えることはありませんので、この組香では札の回収に「札筒」は使わず、はじめから「折居」 を使うことが指定されています。

さて、連衆が回答に使用する「香札」について、出典では、「表 卯花二枚、菖蒲二枚、五月雨二枚、子規三枚 以上九枚一人分なり」とあり、続いて、「裏 鳥羽、小倉、淀渡、武隈、長柄、伏見、嵯峨、北野、忍丘、須磨」と記載されています。(出典では香札の聞香の答えとなる面を「表」連衆の名乗となる面を「裏」としています。)

札裏の名目について若干の解釈と引歌を添えますと、下記のとおりとなります。

【札裏】

鳥羽(とば)・・・京都市の南区上鳥羽・伏見区下鳥羽の地域。歌枕。

「五月雨の雨のしはれぬほととぎす鳥羽の横山夕日さす見ゆ(八十浦之玉39 楫取魚彦)

小倉(おぐら)・・・京都市右京区の小倉山付近一帯の古称。「小倉山」が歌枕。

「さりともと思ひてこしを小倉山はつねむなしきほととぎすかな(為家集319 藤原為家)」

淀渡(よどのわたり)・・・京都市伏見区南西部の宇治川・桂川・木津川の合流点近くの地名。

「渡」は「辺り」と、この地が水運(渡し)で栄えた意味も含む。「淀川」が歌枕。

「いづかたに鳴きて行くらんほととぎす淀のわたりのまだ夜ぶかきに(忠見集4 壬生忠見)」

武隈(たけくま)・・・宮城県岩沼市の竹駒神社付近の歌枕「武隈」のことか?(畿外)

「たけくまのまつかひもなく時鳥ふたこゑとだになかですぐらむ(拾玉集421 慈円)

長柄(ながら)・・・大阪市西部、北区の淀川と新淀川の分岐点の西側一帯の地。「長柄の橋」が歌枕。

「夏の日のながらのやまのほととぎす夕暮れかけてまたれずもがな(為理集71 藤原為理)」

伏見(ふしみ)・・・京都市南部の伏見区一帯。歌枕。

「思ひ出でて尋ねやきぬるほととぎす伏見の里の松の夕暮(洞院摂政家百首388 三位侍従母)

嵯峨(さが)・・・京都市右京区の嵐山から御室付近の地名。歌枕。

「さがの野やまれの御幸の為ぞとてのこすか声を山ほととぎす(松下集278 正弘)」

北野(きたの)・・・京都市上京区北西部の地名。歌枕。

「ほととぎすなくねきかんとたのめつる北野のあふち花さきにけり(夫木和歌抄3120 衣笠内大臣)」

忍丘(しのぶのおか)・・・東京都台東区の上野台地の歌枕「忍岡(しのぶがおか)」のことか?(畿外)

※ 『御家流組香集(仁)』の記載のある「忍岳」は誤記。「忍の里」は下記のほか和歌に多数の用例がある。

「ほととぎすしのぶのさとに里なれよまだうの花のさつきまつころ(夫木和歌抄2424 前中納言定家)」

須磨(すま)・・・兵庫県神戸市西部の須磨区一帯。歌枕。

「たづねばやいづれめさます時鳥千鳥なく夜の須磨の関守(逍遊集713 貞徳)」

このように、主に畿内の歌枕が列挙されているようです。とりあえず、子規の「生息地」としてそれらしい場所であったろうことは想像に難くないところですが、これらの歌枕が「子規の名所」と特定して配置されたものかどうか検証するために、「ほととぎす」と「地名」が読み込まれた和歌を探してみました。その結果は、上記のとおり「忍丘」以外の全ての組合せで用例はあるものの数は少なく、「子規の名所」として歌枕が詠み込まれたという確信を得るところまでには至りませんでした。また、「武隈」「忍丘」については、畿内の地名には尋ね当たりませんでしたが、古来「歌枕」としては有名ですのでこちらを採用しました。作者がこれらを敢えて選択して配置したとすれば、札裏の名目は、単に畿内の歌枕を見繕ったものではなく「子規の名所」を意識していたものなのかもしれません。

この組香は、「札打ち」ですが「一*柱開」ではありません。香元は、本香「四月」の組が廻り終えたところで、初炉から4炉目までの折居(一から四)を順に開いて正解を宣言し、執筆は各自の答えを書き写し、当否の点を書き示します。「五月」も同じく、5炉目から9炉目が焚き出された後にまとめて札を開いて記録します。このように「四*柱開+五*柱開」の形式とし正解宣言と記録を段ごとに分けて行うところが、この組香の第二の特徴となっています。

ここで、出典には「四包終わりて記録すべし。子規をききしを『忍音』と記録す。・・・五*柱終わりて記録すべし。子規をききしを『己時(おのがとき)』と記録す。」とあり、要素名の「子規」を四月の段では「忍音」、五月の段では「己時」と書き換えて書き記すこととなっています。 これについては、前にも述べましたとおり、子規の初音である「忍音」が聞かれるのが「四月」ですので異論はないかと思います。もしかすると、新参者の子規が生態系としての先住者であり、ライバルでもある鶯にまだ遠慮している頃なのかもしれません。一方、「五月」になると生活基盤を盤石にした上、身体も大きい子規が、鶯に取って代わって鳴き声の主役となるため「己時」とするのだと思います。和歌の世界でも忍音の季節は「秘めたる恋」を表しますが、五月になると木の上で声高に鳴くということで、「激情」を表すように意味が変わってきます。渡り鳥である子規が、最初は留鳥である鶯に気を遣って鳴いているけれども次第に態度が大きくなって、ついには「托卵」してしまうというのも、チャッカリ者の図々しさが極まって、かえって可愛い性格なのかもしれません。

因みに、「子規」から「忍音」や「己時」への書き換えは、当否にかかわらず行われます。出典本文の「子規を聞きしを・・・」を「聞き当たったものを・・・」と解釈すると、香記には「忍音(四月の当たり)」「己時(五月の当たり)」「子規(外れ)」の3種類の名目が現れることとなりますが、出典の「忍音香之記」では、聞き外しも含め、すべて四月の子規は「忍音」に、五月の子規は「己時」に書き換わっていました。これは、「声はすれども姿は見えず」の方が奥ゆかしいため「子規」そのものの姿は隠すという「雲隠れ」の美学かと思います。また、実際に子規は観察のしにくい鳥で、自然の中でその姿をじっくり見られる機会は少ないということですから、このような習性も加味しての趣向だとすれば、作者の見識の深さに感心するばかりです。。

さらに、この組香では、「子規」について「客香の聞き当て」と「独聞」に対する加点要素があります。出典では、四月の「忍音」について、「独聞は四点、二人よりは三点、餘は当(あたり)一点ずつ」とあり、五月の「己時」については、「独聞は三点、二人よりは二点、餘は当(あたり)一点ずつ」とあります。一方、地の香である「卯花」「菖蒲」「五月雨」は各1点で、独聞に対する加点要素はありません。 「忍音」と「己時」で加点法が異なる理由は、各段の「子規」の出現率によるものと思われます。おそらく「四月の景色の中で子規の一声を聞くことは難しいが、五月になればたくさん鳴いていてそんなに珍しくもない」という感覚を表すものと思われます。このように、同一要素の加点法が両段で異なるのもこの組香の第三の特徴といえましょう。

記録は前述のとおり段ごとに席中で行われます。香元が正解を宣言したら、執筆は香の出の欄に要素名を出た順に縦一列に記載します。出典の「忍音香之記」では要素名を「卯」「菖」「雨」「規」と一文字に省略して書き記しています。名乗の欄は、札裏の名目をメインに書き記し本名を右肩に小さく付記します。回答欄は香の出と同様に一文字で省略し、当否に関わらず全て書き写しますが、その際に「規」を「忍」や「己」に書き換えるのを忘れないようにしましょう。全体的には、段の区切りを意識して上限に間を空け、回答欄も同じく「四月」が4つ、「五月」が5つと解るように間を空けて書き写します。正解の点のかけ方については、「忍音」の独聞は「ヽヽヽヽ」、当たりは「ヽヽヽ」、「己時」の独聞は「ヽヽヽ」、当たりは「ヽヽ」、その他の当たり(平点)は「ヽ」要素名の右肩に点数分だけ掛けます。因みに、出典の「忍音香之記」では、複数得点の場合、「同じ長さの点」が掛けられているところも変わった景色となっています。(4点になると右肩がかなり重く感じられます。)

最後に、下附は、各自の得点を合計して「○点」と記載し、全問正解でも「皆」や「叶」「全」等の下附はありません。独聞を含まない一般的な全問正解は、「四月」が3+1+1+1)、「五月」が2+2+1+1+1)ですので「十三点」と下附となります。独聞 のある場合は、その回数により最高点は「十六点」まで考えられます。そうして、勝負は個人戦ですので、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。

これから、五月雨の季節となりますと、お香の香りもよく立つようになります。しっとりした雨音をBGMに子規の忍音に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?


「忍音」は擬人化されて問いかけのように聞こえますね。

「己時」は鳥の鳴き声にしか聞こえないのに・・・不思議です。

小夜ふけて忍ぶ方なき時鳥花に聞かすや定まらぬ恋(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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