七月の組香
平安の遊芸「歌合」の景色をテーマにした組香です。
個人戦と団体戦で勝敗を決するところが特徴です。
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説明 |
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香木は、5種用意します。(※ 以下、10名で催行する場合)
要素名は、「春」「夏」「秋」「冬」と「恋」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
まず、連衆を「左方(さほう)」と「右方(うほう)」の二手に分けます。
次に、「左方」(5名)の席次に従って1人ずつ「春」「夏」「秋」「冬」「恋」の順に担当を割り当て、「右方」(5名)も同様に割り当てます。
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」は各2包作ります。(計10包)
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」のうち各1包を試香として焚き出します。(計5包)
この時点で執筆は、香記に各自に割り当てられた歌の上の句をあらかじめ書き写しておきます。
本香は、手元に残った「春」「夏」「秋」「冬」「恋」の各1包を打ち交ぜて5炉焚き出します。
香炉が廻り終えたら、連衆は、「自分に割り当てられた要素が何番目に出たか」を名乗紙に「番号」で書き記します。
香元が順に正解を宣言したら、「香の出」(要素の順番)が決まります。
執筆はあらかじめ書き写しておいた上の句に続けて、各自の回答した「番号」を「香の出」に置き換えて、該当する「下の句」を書き記します。(委細後述)
点数は、自分に割り当てられた歌の上の句と下の句が符合していれば、「長点」を打ちます。
初の勝負は、「同じ要素を割り当てられた人同士の当否」を見比べて「勝」または「持」(引き分け)を付記します。
後の勝負は、「左方・右方」のグループごとの当否」を見比べて、「勝」の多い方を「勝方」、少ない方を「負方」とします。
記録は、「勝方」で「勝」をとった人のうち上席の方に授与されます。
梅雨の晴れ間の二星が微笑ましいきらめきを放っています。
小さい頃の私は、親から引き継いだ知能指数を持て余し、その発露として何かにつけて勝負事に挑み勝利していました。そのようなことを繰り返す間に、自分の赴くままに「勝利」することは大勢の敗者から嫌われ、周囲の羨望もいつしか嫌悪に変わることもあると悟りました。そして小学校に入る頃には、何もかも先読みが効く小さな地域の中で「田舎の子供」という群れに溶け込むために「見ざる、言わざる、聞かざる」を決め込むことを処世訓として身につけてしまいました。「凡庸な大人」となった今でも 、プライベートな勝負は苦手で「あぁ〜また勝負しなきゃならないのかぁ〜。」という厭世感が心の中に沸々と湧いてくるのです。
元来、私は無抵抗主義者なのですが、「喧嘩」をする時だけは武士の血が騒いてしまうようです。相当期間は絶えて忍ぶのですが、許容値を超えて一旦「宣戦布告」してしまうと「嫌な喧嘩をさせるに至った相手が悪い!」という勧善懲悪のカタルシスが働き、絶対に勝つ(相手が謝る)まで止めません。小学3年の時は「転校生」として猿山のボスの格好の的となり、体育館の裏等に呼び出されもしましたが、奇想天外な必殺技で勝利をおさめ1カ月で自由の身になりました。中学1年の時には、「イジメに加担しない」という理由でクラスメイトの一部から「無視の刑」に処せられましが、これも『先鋒』『次鋒』『中堅』『副将』『大将』と勝ち上がって、結局友達になってしまいました。こんなことは大人になっても何度かありましたが、未解決のものは「我が闘争」として執念深く静かに系争中です。
ところが、ゲーム・スポーツ等の「競技」となるとすっかり「勝ち気」が失せてしまうのですから不思議です。高校の時の柔道などは、相手に上手く投げられてやるために受け身ばかりが上手くなるという始末でしたし、囲碁・将棋も覚えずじまい、家族とトランプやテーブルゲームを楽しんでいた頃は娘たちに勝たせることばかり考え、最近も小さなコンテストに出品しなければならない義理があったため、入選しないレベルに加工した作品を提出して佳作に落ち着くなどという不遜なことをしてしまいました。
その点「香道」は、勝負事の嫌いな私にとって「福音」でした。香席で一番大事なことは、自分自身が描く心の風景の豊かさであり、勝負については「わざと当てないで景色を作る」ということも、雅人の美徳と認められていたからです。香道とて、元々は勝負事ですから、当たらなければ面白くありません。さらに「香記」を受け取る時の晴れがましさや、懸賞の付いた「賭け物」であればそれなりに執着心も芽生え「当たらない。当たらない。」と悩む人もいることは事実です。私も最初の数年は米川常白の「百発百中」を狙って研鑽を重ね、分析好きの私の鼻腔センサーは程なくしてそれを会得しましたが、反面「常勝」は必ずしも座にとって面白いものではないことも分かって来ました。稽古ならば毎回香記を独り占めすることとなりますし、香席では亭主の思い入れ等もあり、次席に香記を譲ることが憚られる場合もあります。個人的には、複数の香記を抱えて香席を渡り歩くことがはしたない感じもするのです。そうしているうちに私は「席の模様を見て、香記が良い景色になるように1つ、2つ間違える」ことが楽しみになって来ました。勿論、連座制の組香等は連帯責任ですので他人様と一緒に収める「勝ち」に躊躇はないのですが、自分を利する「勝利」というものには頓着しないようになってしまいました。この所業を「全きは必ずしも美しからず」と褒めてくれる方もありますが、「連客が香記に作意を加えるのは不遜」と叱責される方もあるでしょう。それでも、勝負に対して一歩退いて「どうでもいい(-。-;)」と考えてしまう自分の臆病を「奥ゆかしさ」や「美学」と認めてくれる勝負事は香道以外にはありませんでした。
このように、自尊心を頼みに「勝つことがコワイ」などと虚勢を張っていても、情報処理能力や感覚は日に日に衰える一方ですし、知識は増やしても忘れることの方が多くなります。所詮は「井の中の蛙、大海を知らず」で、老齢にくすんだ頭と身体で挑む勝負は 、今後は、ほとんど「負け」になるかもしれません。衰えないのは、与えられた素養を磨き上げ、経験として身体に染みついた「教養」だけと信じたいです。平安の雅人は、家格を上げるために男女を問わず全人格を賭した「教養の勝負」に晒されていた訳ですが、こういう時代ならは私も本気を出すのでしょうか??なんとなく、そんな時も「月を観ながら琵琶を弾いている」ような気がします。
今月は、四季恋の歌を香で読む「歌合香」(うたあわせこう)をご紹介いたしましょう。
「歌合香」は、米川流香道『奥の橘(風)』の「百組(92番目)」に掲載のある組香です。『奥の橘』では、「一組から七十組」までを「表組」、「七十一組から外十組を経て習十組(120番目)」までを「裏組」としていますので、この組香は「裏組」に属しています。「歌合香」は、その名のとおり組香の中に歌合の勝負感を表すように工夫された組香ですが、その多くは要素名に「春、夏、秋、冬」を採用しているため「四季歌合香」と称されることが多いものです。
例えば、『三十組目録(全)』の「四季歌合香」は、要素名が「一、二、三、客」と配置され、前段では、同香2包を四季に擬えて「一・一(春)」「二・二(夏)」「三・三(秋)」「客・客(冬)」とし、4組を打ち交ぜて「春、夏、秋、冬」を聞き当てます。(和歌の上の句と下の句を香に擬えたものか?四季の聞き当てだけなら1包あれば足りるので香の無駄ではないかという気がします)後段では「一(春)、二(夏)、三(秋)、客(冬)」各1包から「自分に割れ当てられた季節の香が何番目に出たか」を聞き当てます。前段と後段の両方が当たれば定められた季節の歌を一首書き記し、前段だけ当たりなら上の句だけ、後段だけなら下の句だけを下附します。勝負は連衆間の対抗戦となっており「春の人VS夏の人」「秋の人VS冬の人」が得点を競い、得点の多い方に「勝」、引き分けは「持」が記されます。
また、『香道志野すすき(下)』は「後陽成天皇勅作」の表記が見られますので由緒正しい組香のようです。こちらは、要素名が「春、夏、秋、冬、恋」となっており、五種のうち1包だけが焚かれ、その景色に因んだ和歌を「当座で詠む」というものです。また、勝負は個人戦で「季節の香が聞き当たり、詠まれた歌がふさわしいものであれば『勝』」、「季節の香が外れても、詠まれた歌がふさわしいものであれば『持』(その逆もあり)」と下附され「香の当否」と「和歌の出来」の両方が評価される仕組みになっています。本物の歌合と似ているため雅趣豊かで面白い組香なのですが、「当座で和歌を詠む」というところに初級者の方は敷居の高さを感じるでしょうし、和歌の出来栄えを評価する「判者」を設ける必要のあることが、上級者のプレッシャーにもなるかもしれませんので、後日改めてご紹介することといたします。
このようなことから、今回は和歌がふんだんに使われ、勝負も景色も変化に富んでいる『奥の橘(風)』を出典として筆を進めたいと思います。
「歌合」とは、平安貴族の中で広く行われていた「あわせもの」と言う競技会の一類型で、左右二手に分かれて、与えられた歌題に因んだ歌を詠み、その優劣を競う宴のことです。「あわせもの」は「絵」「扇」「貝」「菊」「根」「花」「虫」「小鳥」「角」「物語」「小箱」等、たくさんの素材を用いて行われていたことが、平安文学から垣間見ることができますが、その中でも「歌合」は、宴としての格調が高く、歌はもとより双方の衣装や空香、小道具等の演出も含めたチーム全体のセンスを競う「教養バトル」でした。
左「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思いそめしか」(壬生忠見)
右「忍ぶれど色にいでけり我が恋は ものや思ふと人の問ふまで」(平兼盛)
私は、このエピソードを読んだだけでも鳥肌が立ちましたので、その場にいた人の感慨は
いかばかりだったでしょう。双方とも平安文学史上屈指の名歌で、しかも、互いの歌にさらなる輝きを与えているような相乗効果が感じられます。両歌を聞いた判者の左大臣藤原実頼は勝敗を定めかねていたところ、村上天皇が御簾の中で「しのぶれど・・・」の歌を呟いたので、これを「勅判」と解釈し、この勝負は「右方」の勝ちとなりました。歌合自体は、「左方」藤原氏の勝ちとなったものの、最後の勝負で勝利を収めた平兼盛はこれを契機に出世し、中世歌壇の重鎮として末長く君臨しました。一方、敗れた壬生忠見は「拒食症になって他界した」との風説もありますが、実は暫らく凹んだため仮病で寝込んていただけで、夫婦仲良く天寿を全うしたそうです。
まず、この組香は「歌合」の席を模して作られているため、本席の着座に先だって衆議や抽選等の方法で連衆を「左方」「右方」の二手に分けます。(一般的に、歌合は左右各5名の「方人(かたうど)」が分かれて着座して行ったようですので、このコラムでは出典に記載された10名参加を想定して書き進めます。
次に、この組香は「歌合香」ですが、組香全体のテーマとなる証歌はありません。そのかわり出典には、連衆に割り当てるための四季恋の歌が十首も列挙され、これらがふんだんに散りばめられて「歌合」の景色を彩っていきます。
左方の歌
『春』 春たつといふばかりにやみよし野の山も霞て今朝は見ゆらん(拾遺集:壬生忠岑)
『夏』 夏の夜のふすかとすれば時鳥鳴く一声に明くるしののめ(古今集156:紀貫之)
『秋』 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今集169:藤原敏行)
『冬』 冬ごもり思ひかけぬを木の間より花とみるまで雪ぞふりける(古今集331:紀貫之)
『恋』 恋せじとみたらし川にせし禊神は受けずもなりにけるかな(古今集501:読人しらず)
右方の歌
『春』 春の来るあしたの原を見わたせば霞もけふぞ立ちはじめける(千載集1:源俊頼)
『夏』 なつ草はしげりにけりな玉鉾の道行き人もむすぶばかりに(新古集188:藤原元真)
『秋』 秋の野をわけゆく露にうつりつつ我が衣手は花の香ぞする(新古集335:凡河内躬恒)
『冬』 冬枯の森のくち葉の霜のうへにおちたる月の影のさやけさ(新古集607:藤原清輔)
『恋』 恋をのみ須磨の浦人藻塩たれ干しあへぬ袖の果てをしらばや(新古今集1083:九条良経)
このように、「左方」「右方」の各自に詠むべき歌が既に割り当てられています。ここでは、出典のとおりに掲載していますが、出典小引の最後には「歌は、右小記録にも限らず、八代集の中を選び認むべし。」とあり、香席の亭主が自由に歌題に因んだ和歌を配置できることとなっています。この組香における和歌は、キャンバスに描く「構図」はもとより「絵の具」とも言える重要な要素ですので、好みにより歌を変えれば、自分の美学が強く反映された組香とすることもできます。このように組香は、小記録の景色そのものを「亭主好み」に変えられるというところが第一の特徴といえます。
続いて、この組香の要素名は「春」「夏」「秋」「冬」「恋」にとなっており、おそらくは歌合の番ごとに出される「歌題」(兼題)を表しているもの思われます。これらは、和歌集で言えば「章」としてお目見えするような言葉ですので、「恋」以外はそのまま歌題とするにはいささか雑駁なものですが、ここでは組香の景色の広がりや歌を選択する際の自由度を保つために「汎用性」を重んたのできないかと思っています。この組香は「歌合五番勝負」として「春」「夏」「秋」「冬」「恋」の5本の柱を立て、連衆(10名)の名乗を定め、彼らが詠うべき和歌(10首)を結びつけて景色を形成しています。
ここで、出典には「人数により春秋恋雑、又は春秋恋などと組む也。」とあり、参加人数によって、8名ならば「春、秋、恋、雑」、6名ならば「春、秋、恋」と要素名すら変わって良いことが記載されています。これに伴って、和歌も要素名に因んだものを左右1首ずつ選び直す必要があります。このように参加人数によって組香の要素名まで変化するところが、この組香の第二の特徴と言えます。
さて、勝負に先だって執筆は香記に「左方」「右方」の見出しと双方に連座する人の名乗を書き記します。また、出典には「此の歌の上の句を両方ともに始より認め置き、後に下の句を一行に写すべし。」とあり、各自の名乗の下にあらかじめ割り当てられた和歌の「上の句」を書き記してしまいます。これによって、各自が本来詠うべき歌をあらかじめ意識できるようになっています。
この組香の構造は至って簡単です。「春」「夏」「秋」「冬」「恋」は各2包作ります。因みに『香道志野すすき(下)』には、「試包は、色が未にて五色にかゆる。春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒、恋は紫なり。本稿の紙は黄色一品なり。」とあり、季節に対応した五色の美学が取り入れられていますので参考にすると良いと思います。「春」「夏」「秋」「冬」「恋」は1包ずつを試香として焚き出し、本香は残った5種5香を打ち交ぜて順に焚き出します。この組香には「客香」がありませんので、本香は全て既知の香となります。本香が焚き終わりましたら、香元は、手記録盆を廻します。連衆は、本香5炉のうち「自分に割り当てられた要素名の香が何番目に出たか?」を聞きわけ、名乗紙に香の出の「番号」を書き記して回答します。例えば「左方の恋の人」は「恋」の香が「3番目」に出たと思えば、名乗紙には「三」と書き記して答えます。これで、連衆はそれぞれの歌題に因んだ和歌を詠んだことになります。
名乗紙が戻りましたら、執筆は、先ほど書いておいた上の句に続けて各自の答えである「番号」を小さめに書き記しておきます。執筆が正解を請う会釈をしたら、香元は香包を順に開き、要素名を出た順に宣言します。執筆は、香の出の欄に要素名を縦に5つ書き記します。今度は、「香の出の順番」と「各自の番号」を照らし合わせて、その「番号」に対応した歌の下の句を書き写します。例えば「左方の恋の人」の「恋」が思ったとおり「3番目」に出ていれば「恋せじとみたらし川にせし禊ぎ 三神は受けずもなりにけるかな」と「秀歌」が完成します。一方、「恋」が4番目に出ており、3番目の香が「冬」だった場合は「恋せじとみたらし川にせし禊ぎ 三花とみるまで雪ぞふりける」となり、美しいですがとても寒そうな歌が完成します。同じ間違いを「右方」の人がしたとすれば、記録は「恋をのみ須磨の浦人藻塩たれ 三おちたる月の影のさやけさ」となり、意味不明ながら景色としてはなんとなくありそうな歌となります。このように聞き外した人の歌は、上下で季節や主題が微妙にずれて変な歌に仕上がりますが、これはこれで微笑ましい景色となります。最後に執筆は、正解して上下が整った歌の「上の句」の右肩に長点を掛け正解を表します。なお、この組香では上の句と下の句がずれてしまえば「無点」とされているため、中間の点数はありませんので下附はありません。
勝負については2段階あり、最初は双方の「春の人同志」「夏の人同志」・・・「恋の人同志」の個人
対抗戦となります。例えば「春」の勝負の場合、規定された上の句に、正しく「山も霞て今朝は見ゆらん(左方)」「霞もけふぞ立ちはじめける(右方)」の句を導いた人が正解となります。双方とも正解した場合は「秀歌」同士となりますので引き分けを示す「持」をそれぞれ長点の右に付記します。どちらか片方のみが正解した場合は「秀歌」と「駄歌」が出来上がりますので、「秀歌(正解者)」に「勝」を長点の右に付け、「駄歌(不正解者)」には「負」をつけずそのままにしておきます。双方とも間違えていた場合はお互いに「無点」で引き分けですが、「持」とは記載せずそのままにしておきます。これは、歌合の「番」ごとの勝負に匹敵するもので、第一番「春」から第五番「恋」まで歌の評定を表しています。続いての勝負は、「一蓮托生型対戦ゲーム」の様相を呈しており、双方のメンバーの「勝」の数を比べて多い方の見出しの下に「勝」と記載します。この時は、負け方には「負」の字が記されます。例えば、左方の勝ち数が多ければ「左方 勝」「右方 負」となります。これは、歌合の最終成績である団体戦の勝負を表したものです。
そうして出来上がった香記が「歌会記のように見える」というところが、この組香の第三の特徴かと思います。それぞれに「判詞」や応援団である「念人(おもいびと)」のディベートの記録は残りませんが、疑似歌合の記録としてはなかなか要領を得たものとなるところが、他の「(四季)歌合香」にはない醍醐味かと思われます。ことさら、書き記された歌ついては、優劣がはっきり現れますので一層それらしい景色に見えるでしょう。座興ですが、香記を授与する前に各自の詠った(詠ってしまった)歌を「披講(ひこう)」すると、間違えた人の歌が「変?(^_^;)」ですので、笑いが取れて盛り上がるかもしれません。
最後に、香記は「勝方」の「勝」の付いた人のうち、上席の方に授与されます。
「歌合香」は、自分で詠むとなるとかなり敷居の高い組香となりますが、あらかじめ答えとすべき歌が決まっていれば安心ですし、香が外れて「駄歌」を詠んでしまったとしても、客観的に笑えるものです。皆さんも四季を通じて「歌詠み」がしたくなったら、亭主の歌選びを含めて楽しみ満載の「歌合香」を催してみてはいかがでしょうか?
「先勝ちは糞勝ち」という諺もあるようです。
人間は誰しも泣いて生まれて来ますが、果たして笑って死ねるかは・・・
At the game`s end we shall see who
gains.
(終わってみなければわからない)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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