九月の組香

月の満ち欠けトンボが飛んでいるススキ

十六夜月に「いざようもの」をあしらった組香です。

証歌が各要素ごとに四首あるところが特徴です。

 

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説明

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  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名は、いざよふ雲 」「いざよふ波いざよふ恋」と「いざよふ月です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. いざよふ雲 」「いざよふ波いざよふ恋」は各2包(計6包)作り、いざよふ月は1包作ります。(計7包)

  5. いざよふ雲 」「いざよふ波」「いざよふ恋」 のうち各1包を試香として焚き出します。

  6. いざよふ雲 」「いざよふ波」「いざよふ恋」 各1包(計3包)と、「いざよふ月」の1包を打ち交ぜます。(計4包)

  7. 4包の中から任意に1包引き去ります。(計3包)

  8. 本香は、3炉廻ります。

  9. 連衆は、名乗紙に答えを3つ書き記して回答します。

  10. 香元は、香包を開いて、正解を宣言します。

  11. 執筆は、香記の回答欄に各自の答えを全て書き記します。

  12. 点数は、いざよふ月」の独聞は3点、「いざよふ月」の当りは2点、その他は1点とします。

  13. 下附(したづけ)は、全問正解が「不知夜 (いざよい)」、2炉当りが「村雲(むらくも)」、1炉当りが「村雨(むらさめ)」、全て外れが「宵闇(よいやみ)」と書き記します。

  14. 勝負は、下附に関わらず、点数が多い方のうち上席の方が勝ちとなります。(委細後述)

 

 「酷暑」も一段落して、時に秋風を感じる季節となりました。

先月から職場が変わって「不夜城」に舞い戻った私は、「夜の街」を通って帰途に着くことが多くなりました。・・・とは言っても「歓楽街に寄り道して」などというゴージャスな意味ではありません。単純に都会の喧騒が一段落した街並みを独り堪能しつつ帰るということです。唯一 、他人様の「帰途」と違うところは、最短距離では帰らず遠回りをして「あの街」「この街」の夜の風景を自転車で探訪することでしょうか。これは、「夜出歩く会」と称して友達の車で仙台まで通い、当時珍しかった深夜営業の「吉野家」の牛丼を食べつつ、夏の宵から明け方まで街を徘徊した「ミッドナイトエンジェル」の頃に戻ったような懐かしさがあり、疲れた心身を癒してくれる「夜の道草」となっています。

も疎らな夜のビジネス街では、エントランスの植栽にライトアップが反射して、光の回廊が遠くまで続いています。デパートのショーウインドーでは、夏から秋ものにかわるPOP広告の模様替えが行われ、裸のマネキンが並んで着替えを待っています。繁華街も深夜まで若者に埋もれ、夜伽争いの勝負もついたように見えます。「ネクタイ族は何処?」と心配していましたら、一本筋を隔てた歓楽街には相変わらずオジサンが彷徨していました。どちらの通りにも共通して通行人と半々ぐらいの割合で飲食店のビラ撒きスタッフが立っており、人の流れに棹刺した黒服の澪標のように見えます。そしてそのほとんどが、妙に所在無くボンヤリと突っ立っている姿は、傍目には「休憩中」としか思えません。こうして、人のいる街並みを抜ければガス燈の灯る橋があり、川面に反射するマンジョン街の明りも色とりどりで綺麗です。ちょっとした路地の角では辻神さまに灯明が上がり、両側に灯りの埋め込まれた道は料亭の露地のように艶やかに見えます。この辺りになると空も開け、見上げれば月の桂から癒しのエネルギーが降り注いています。星は見えますが都会の空では星座を為さないため、金星と火星以外は、どれがどれだか名前まではわかりません。

夜は陰の気に満たされ、少しの湿り気と相俟って火照った心身を冷ましてくれます。それは暑い砂に寄せる波が染み込んでいくようであり、自分が西洋文化から解き放たれてアジア人に回帰するような至福の時間となっています。陰の気の中にいるため、道端に灯された光が少しく陽気をはらんで、愛らしい花のように感じるのでしょう。天上の月は、「新月」「繊月」「三日月「十日夜」「十三夜」「小望月」「望月(十五夜)」「十六夜」「立待月」「居待月」「寝待月」「更待月」「有明月」「三十日月」等と日に日に呼び名が変わって来ますが、空気の澄んでくる仲秋の夜は、その名の変化が最もふさわしく思える季節です。当地では、秋冷が来せばできなくなる「夜の道草」ですので、大切に1日1日味わいたいと思っています。

 今月は、十六夜の月に物想う「不知夜香」(いざよいこう)をご紹介いたしましょう。

 「不知夜香」は、米川流香道『奥の橘(風)』に掲載のある組香です。秋の名月に関する組香は、「名月香」「月見香」等、所謂「十五夜の月」を舞台にしたものが多いのですが、『奥の橘(風)』は 、「待宵香」→「名月香」→「不知夜香」と、「望月」前後の月の景色をテーマとした組香をシリーズで掲載しています。その中でもこの組香は、「不知夜の月」そのものの景色というよりも、月を始めとしたいろいろな事物の「いざいざよう姿」を主体としているところが「乙好み」の私の琴線に触れました。 今回は、他書に類例がないため、『奥の橘(風)』を出典として、書き進めたいと思います。

 まず、題号の「不知夜」は、一般的には「十六夜」と書き、陰暦十六日の夜のことです。満月である「望月」を過ぎた夜のため、「既望(きぼう)」と呼ばれることもあります。「不知夜」の当て字は、現在では辞書にも載っていないことがあるので、馴染みが薄いと思われます 。読みとしての「いざよう(猶予う)」は、進もうとして進めないでいる。停滞する。躊躇する。ためらう。ぐずぐずする。という意味で、どちらかというと「膠着状態」のことを示します。このことから、「不知夜の月」とは、出を「ためらって」望月よりやや「遅く昇り」、一晩中「居座って」沈まないことから「夜を知らない」という意味で名付けられたものと言われています。

 因みに、「不知○」という字を見ると、多くの方は「不知火(しらぬい)」を思い起こしてしまうでしょう。「不知火」は、九州の八代海(やつしろかい)で「八朔」の夜に無数の明滅する光が現れる 蜃気楼現象のことですので、9月の季節感としては同じものですがこれとは半月ほど時期がズレます。当時の江戸で作者が「不知火」のことを耳にすることは可能であっても、組香に景色を写すことは難しいと思われますので、「不知夜」と「不知火」は無関係であろうと思われます。しかし、組香の景色が海にふさわしいものもあることから、月光の反射する水平線に浮かぶ「怪火」をイメージに加えるのも面白いかと思います。

 次に、この組香には「右の歌にて組める香なり。」として4つの要素名に因んで4首の証歌が列記されているところが特徴となっています。

いざよふ雲

「かくれぬのはつせの山の山はにいざよふ雲は妹にかあらなん(歌林良材299 人丸)」

いざよふ波

「武士の八十氏の川のあじろ木にいざよふ波の行方しらずも(歌林良材297 人丸)

いざよふ恋

「君やこむ我やゆかむのいざよひにまきの板戸もささず寝にけり(歌林良材300 読人不知)

いざよふ月

「山のはにいざよふ月を出んかとまちつつ居るに夜ぞ更けにける(歌林良材298 人丸)

 証歌の原典を調べていくうちに、全ての歌が『歌林良材集』に掲載されていることがわかりました。『歌林良材集』は、永享年間(1429〜)あたりに成立した一条兼良(かねよし)撰の和歌集で、現在も寛永二十年(1643)の版本がネットで閲覧可能です。この本には、4首の証歌がほとんど連番で掲載されているため、おそらく組香の作者は当時巷に流布していた『歌林良材集』から、組香創案の題材を得たと考えて間違いないかと思います。

 ただし、『歌林良材集』では「いざよふ雲」の証歌の句に関して「かくらくの」「やまはに」と表記されており、出典の証歌と3字ほどの齟齬があります。また、「いざよふ月」の証歌の詠み人は「歌林良材集」では「人丸」となっていますが、最も掲載年代が古い「続後撰和歌集1105」では「よみ人しらず」と記載されています。 「かくらくの」は、「初瀬(泊瀬)」にかかる枕詞で、万葉集の時代から「隠口乃」と表記されて使われ、正しくは「こもりくの」と読んだのですが、鎌倉時代に「かくらくの」と誤読されたものが一般化して現存する和歌集にその姿を残したもののようです。さらに「かくらくの」では平易に意味が通じないため、後世の書写の次点で「かくれぬの」と意訳されたものが創作者の目に留まったのだと思います。

 因みに、『国歌大観』で「隠口乃」を検索すると「こもりくのはつせのやまにかすみたちたなびくくもはいもにかもあらむ(万葉集1411)」、「かくらくの」で検索すると「かくらくのとませの山のやまぎはにいさよふ雲はいもにかもあらん(古今和歌六帖861 高市黒人⇒万葉歌人)」という歌に尋ねあたりますので、どうもオリジナルはこの辺にありそうです。

続いて、この組香の要素名は、「いざよふ雲」「いざよふ波」「いざよふ恋」「いざよふ月」となっており、大部分は証歌に詠み込まれた句がそのまま用いられています。唯一「いざよふ恋」だけが句そのものではないのですが、証歌にも読み込まれた「行ったり来たりするもどかしい恋」の「情景」は、秋の夜の一人寝を表すにふさわしいものであり、単に「風景」をあらわすだけの要素名から異彩を放って、この組香の景色を「粋」で「艶」なるものに高めています。 このように、作者は「いざようもの」を組香の景色に散りばめ、山の端に居座る「月」と「雲」と「凪いだ海」の夜景を眺めつつ「もどかしい恋」に物想う・・・「物憂い秋夜」の情景を表現したかったのではないかと思います。

この組香の香種は4種、本香数は3包となっています。香種の「4」という数字については、題号の「不知夜」から「い・ざ・よ・い」とか、要素名に共通した「い・ざ・よ・ふ」いうような「折句的」な趣向が秘められているのではないかと思います。私としては、香元が任意に1包引き去る所作に重複した1文字を取り除く意味がある思われ、「い・ざ・よ・」の「」の字が1つ消されて、本香は3包(3文字)となるのかな?と思っています。

さて、この組香の構造は至って簡単です。最初に「いざよふ雲」「いざよふ波」「いざよふ恋」を各2包と「いざよふ月」を1包作ります。(以下「いざよふ」を省略します。)そのうち、「雲」「波」「恋」の各1包を試香として焚き出します。そうして手元に残るのは「雲」「波」「恋」「月」各1包となりますので、この4包を打ち交ぜて、任意に1包引き去り、本香は3包として順次焚き出します。

ここで、私はこの構造について敢えて異論を差し挟もうと思います。それは、「秋の不知夜香なのに月が引き去られてはとても寂しい」と思うからです。この組香では、各要素を全て打ち交ぜて任意に1包引き去りますが、その際に「月」が無くなってしまうと、なんとなく拍子抜けした「不知夜香」になってしまわないでしょうか?また、後述する点法でも「月」には加点要素があるため、これが出現しないと勝負としても面白味が失われるような気がします。香元が手元で上手く操作するやり方もありますが、この組香では「月」の出現を構造的に担保する必要があると考えます。そこで、私が催行するならば、地の香である「雲」「波」「恋」だけを打ち交ぜて1包引き去り、客香の「月」は後で加えて、改めて打ち交ぜて焚き出したいと思いますが、いかがでしょうか?

続いて、香元は本香を焚き終えたところで手記録盆を廻し、連衆は答えを名乗紙に書き記します。この時、出典では「聞きの方は、雲、波などと一字宛書く。」とあり、要素名は「いざよふ」を省略しても良いと親切に記載されています。

執筆は、名乗紙が戻り次第これを開き、各自の答えを全て書き写します。この時も各自の回答は「一文字」のまま書き写すことが「不知夜香之記」の記載例からわかります。執筆が正解を請うと香元が香包を開いて正解を宣言します。執筆は香の出を香記に書き記しますが、出典では「出香の方はいざよふ雲、いざよふ波などと書くなり。」とあり、今度は「いざよふ」を付けた要素名で書き記します。また、記載例からは、「証歌」を記録の奥に書き記すというところが見えません。4首も証歌を書くのは手間ですから、省略可というところでかもしれませんが、できれば彩りに1首なりとも書き記す方がよろしいかと思われます。これについては、適宜ローカル・ルールを設けて「最後に出た要素の句を書き記す」 「引き去られた要素の句を書き記す」などとしてみてはいかがかと思います。

執筆が香の出を書き記したところで、いよいよ当否の判定と点の記載となります。この組香の点法について出典には「平点一点、月二点、独は三点なり。」とあり、地の香である「雲」「波」「恋」の当りは1点、客香である「月」には2点の加点要素があります。さらに、独聞に3点の加点要素がありますが、「不知夜香之記」の記載例にある「恋」の独聞は1点とされていますので、「雲」「波」「恋」には独聞の加点要素は無く、「月の独聞」の場合のみ3点の得点となるものと思われます。なお、得点は、常の如く要素名の右横に「ヽ」で示します。

この組香の得点は、前述の点法に基づいて、出典の「必ずしも月が出るとは限らない方式」で催行すると、全問正解は「月」が出れば4点、出なければ3点となります。独聞については「月」が出れば5点となり、出なければ独聞自体も無しということになります。一方、私見の「必ず月が出る方式」で組香を行うと全問正解は4点となり、独聞を含む場合は5点となります。独聞の無い「平時」の場合、3つの香を正解すると得点は4点となり、下附の示す「い・ざ・よ・い」に戻ったという意味にも思えます。

また、この組香には「下附」が用意されています。出典には「皆聞くは下へ不知夜と書く、二炷聞くは村雲、一炷聞くは村雨、無は宵闇と書く。」とあり、得点に関わらず「正解した炉の数」で3炉当たれば「不知夜」、2炉当たれば「村雲」、1炉当たれば「村雨」、全て外せば「宵闇」と書き記すこととなっています。簡単に解説しますと・・・

「不知夜」・・・月が遅く昇って以降、沈まぬ「月夜」を表します。

「村雲」・・・幾重にも群がって動く雲のことで、「月に叢雲」の言葉どおり雲の晴れ間の月も綺麗なものです。

「村雨」・・・激しくなったり弱くなったりして降るにわか雨でのことで、月の出現確率は減りますが、雨が上がることもあります。

「宵闇」・・・月が未だ昇らない間の夕闇のことで、「暗闇」と違い「これから昇る可能性」を残しています。

 このように下附の景色は、他の名月香と同様、「月照時間」を段階的に表したものとなっています。特に「宵闇」については、「月はまだ昇っていなかったのね。(これから見えるわよ。)」と慰められるところが香道らしい表現と言えましょう。

 最後に勝負は、客香と独聞に加点要素があるために得点のバリエーションが豊富なのに加えて下附の格も勘案しなければならないので、いささか複雑です。 まず、「不知夜(3炉当り)」となった人が複数いた場合は、香の出に「月」がでれば4点、出なければ3点同じ「最高点」同士の勝負ですので席順により上席の方の勝ちとします。(「月」の独聞が複数いることはあり得ないので、5点同士はありません。)次に「村雲(2炉当り)となった人が複数いた場合は、例えば「月」を独聞して「恋」も当てた4点の人、「月」と「雲」を当てた3点の人、「波」と「雲」を当てた2点の人が混在します。また、「村雨(1炉当り)」にも「月」を独聞した3点の人、「月」を当てた2点の人、そして「雲」だけを当てた1点の人もいます。このような場合は、同じ「下附」同士の勝負ならば得点の多い方を勝ちとし、同じ「点数」ならば下附の上位の方を勝ちとします。

 しかし、この組香では、唯一「村雲(2点)」の人と「村雨(3点)」の勝負となる場合もあります。この場合だけは、古書にあるように「客香を独聞した功」を第一と認めて「下附の格」に関わらず「点数優先」で「村雨(3点)を勝ちとしましょう」というのが私の考えです。  

 昔は「お月見」を家庭の儀式として行っていましたので十五夜の月を見過ごすことは無かったのですが、近頃は、見過ごしてしまい、ニュースで気づいて翌日に改めて愛でるということも往々にしてあるようです。「全きばかりが月にあらず」ですので、皆様も秋の乙な月夜を「不知夜香」でお楽しみください。

 

今年の「仲秋の不知夜」は9月24日のようです。

いざよふ月に「いざよふ恋」でも思い巡らしましょうか?

うふふ・・・ ξ^。^ξ

 

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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