十一月の組香

晩秋の「水の変態」をテーマにした組香です。

聞の名目で表わされる「水の在り処」を心に思い浮かべながら聞きましょう。

 

※ このコラムではフォントがないため「火篇に主と書く字」を「*柱」と表記しています。

説明

  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名は、「露」「霜」「雨」と「雪」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「露」「霜」「雨」は各2包、「雪」は1包作ります。

  5. 「露」「霜」のうち1包ずつを試香として焚き出します。

  6. 残った「露」「霜」各1包に「雨」2包、「雪」1包を加えて打ち交ぜます。(計5包)

  7. 本香は、5炉廻ります。

  8. 連衆は、最初の4炉は2炉ごとに「聞の名目」で答え、最後の1炉はそのまま要素名で回答します。(2×2+1=5)

  9. 執筆は、香記の回答欄に全員の回答を書き記します。

  10. 香元が、正解を宣言したら、執筆は所定の点を掛けます。(委細後述)

  11. 勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。


 朝日を透かして道行く人の息が白く立ち上ると「白い世界」の訪れが近いことを感じさせます。

マヤ歴の「2012年」で「銀河直列」や「太陽フレア」等、再び終末論者が気炎を吐く昨今ですが、山を歩いていると自然の営みが変わらないことを実感できて安心するものです。ただし、目に映る箱庭の自然を見て安心している のと裏腹に、通常レベルの地球の未来にすら暗澹たるものを感じざるを得なくなってきていることは事実です。

少年の頃にSFで見た「未来の地球」は、高度に発達した「密閉型都市」で、高層ビルがチューブでつながれて「エアカー」が行き来し、取り澄ました人間が無機質な管理社会を生きているイメージがありました。しかし、「ノストラダムス・ブーム」以降の「未来の地球」は第三次世界大戦や環境破壊で人が住めなくなっている「荒野」であり、残された人間が厳しい環境の中でたくましく適応している実力社会のイメージに変わりました。この2極の未来のうち、どちらが正しい「神の啓示」なのかはわかりませんが、いずにしろ「生物多様性」の存在しない世界が到来するだろうという予測では共通しています。思えば、ここ1000年間に起きた「種の絶滅」は、人間による動植物の生息地の破壊によるものが主因とされています。もともと酸素を発生させるために生まれた「樹木」を切って、二酸化炭素を発生する「薪」に転用したことから燃料の進化は始まりますが、現代科学は、とうとう古代マヤ人が主食としていたトウモロコシからバイオマス燃料を生み出しました。石油や天然ガスも地球にとって「燃やす」以外の本来的な存在価値はあったのかもしれませんが、素人には推測も付きません。しかし、バイオマス燃料に至っては、飢える子供を尻目に穀物相場を荒らしてまで「食べ物を燃やす」のですから、本来自然が求めているものとは違う用途に有機資源を消費していることが素人目にもわかります。「罰あたり」なことだと思います。

地球という閉鎖空間は直接的ではないにしろ「生態系」によって、調和が保たれるべきものですので、行き過ぎた人間のエゴは、廻り廻って人間にも降りかかるようになっています。その一方で、生態系というデリケートなシステムは、人間以上に傷つけられることとなります。現代人は、「人口爆発」「森林破壊」「大気汚染」「水質汚濁」「土壌汚染」「地球温暖化」「気候変動」等・・・聞き飽きた警告を何回繰り返しても日常の「便利さ」から生活パターンが脱しきれないという「卑近な壁」を持っています。文明というものが黄河から西に廻って・・・20世紀にはアメリカ、日本を行き過ぎ、現在は上海あたりで1週目でしょうか?おそらく、全世界の人々が等しく「清貧」に回帰することは未来永劫ないものと思われます。中国、インドが2週目の文明を享受する時代には、数十億の人間が「便利さ」や「豊かさ」を求めて大量消費することを想定しなければなりません。そこに生ずる「歪み」は、誰の目にも明らかで「ニュートリノの活性化による地球の核の融解」などという結末よりも確実にやってくることが実感できるでしょう。

とはいえ、自然もこれに抗して、恒常性を保とうとしていることは確かです。地球にとっては地震、雷、台風、竜巻も大きな歪みを寄り戻して安定化させるための「益象」です。また、微視的な世界では、バクテリアや菌類たちが湿った土の中で絶えず人間生活の副産物や有機体を分解し、地表の新陳代謝を促しています。思うに水の惑星である地球は、「水」が廻って生態系を育み、恒常性が保たれるようにできているのではないでしょうか。天上から「神の恵み」である水が降り注ぎ、それによって地上の森羅万象が正常化(清浄化)の契機を得ているような気がします。地球にとって水は生態系のネットワークを繋ぐ媒介者であり、運搬者でもあります。突き詰めて考えれば、地球にとっては「土が適度に湿っていること」が最も大事なことのように思えてなりません。そして、その「お湿り」が適度で済むように、決して大きな「寄り戻し」が起こらないように自重するのが人間の役割かなと思います。

今月は、天恵豊かな晩秋の景色「四潤香」(しじゅんこう)をご紹介いたしましきしょう。

 「四潤香」は、米川流香道『奥の橘(月)』に「外十組」として掲載のある組香です。「四潤」とは、国語辞書に無い言葉で、名数としても確立された熟語ではないようです。「潤」とは、程よい水分を帯びる。水分が行き渡る。という意味から利益や恩恵を受ける。豊かになる。という意味に派生します。この組香は、晩秋を背景に水に関わる要素で組まれていますが、単に「そこはかと水のある風景」と解釈せず、それぞれが自然再生の契機となって「自然を豊かにするもの」として鑑賞した方が、景色を巨視的に捉えられるようになりますし、それを思い浮かべる心にも「潤い」が生まれてくるように思えます。なお、この組香 は他書に類例が見られませんので『奥の橘』を出典として書き進めたいと思います。

 まず、この組香の要素名は、「露」「霜」「雨」「雪」の4種となっており、これらが組香の景色に「潤いをもたらすもの」となっています。この「四種の潤い」から「四潤香」という題号が導き出されたのではないかと思います。私は、この要素名を見て、即座に「水の変態」という言葉が思い浮かび、筝曲がBGMとして聞こえてくるような気がしました。『水の変態は、筝曲家、宮城道雄が14歳の時に作曲した処女作で、歌詞の内容は、「水」が、霧、霰、雲、露、雨、霜、雪と様々に姿を変える様子を7首の連作短歌に詠み込んだものとなっています。「四潤香」の要素名に対応した歌詞のみ抽出するとこのようになります。

露の歌

白玉の秋の木の葉に宿れりと見ゆるは露のはかるなりけり(後撰和歌集311:よみ人しらず )

霜の歌

朝日射すかたへは消えて軒高き家かげに残る霜の寒けさ (六帖詠草1050:小沢蘆庵)

雨の歌

今日の雨に萩も尾花もうなだれてうれひ顔なる秋の夕暮れ(六帖詠草776:小沢蘆庵)

雪の歌

更くる夜の軒の雫のたえゆくは雨もや雪に降りかはるらん(六帖詠草1102:小沢蘆庵)

これらの歌の出典は、当時道雄の弟が呼んでいた文部省教科書「高等小学読本」(巻四)らしいです。その原典を尋ねますと「露の歌」以外は、江戸時代に唄われた比較的新しいものでした。『六帖詠草』は、当世の平語を用いて自然な感情・心をあるがままに表出する「ただことうた」を説いた小沢蘆庵(1723-1801)の自撰家集で文化8年に敢行されたものです。各々の歌を見て行きますと「霜の歌」は、源典では「朝日射す」日かげさす」となっています。この歌は、「霜のあした」との詞書のあとに詠われていますので、これは筝曲の歌詞にする際に「あした+日かげ(光)」を「朝日」と意訳したものかと思います。「雨の歌」には「雨はれたるに風などもたえて、いとしずかなるほど」と詞書が書かれていました。「雪の歌」は「雨の夜ふけて寒かりければ」との詞書に続いて詠われています。どれも、孤独ながらしっとりと落ち着いた雰囲気で詠われた「潤い」のある歌だと思います。

このような「気象」を要素名にした組香は「冬月香(霜、雪、氷、月)」「寒景香(雪、氷、雨、霜、寒月)」等があり、どちらも水の凍る季節である「冬の組香」として用いられ、聞の名目からもモノトーンの景色が心に浮かぶものです。一方、「四潤香」は、聞の名目に「木の葉」「紅葉」「落葉」などの言葉が見られますので、朝夕の気温によって「水の変態」が身近に感じやすくなる晩秋から初冬の時期にふさわしい組香ではないかと思います。

次に、この組香の構造は「露」「霜」を各2包、「雨」を2包、「雪」を1包の計7包を作り、そのうち「露」「霜」の各1包を試香として焚き出します。手元に残った「露(1包)」「霜(1包)」に「雨(2包)」と「雪(1包)」を加え、都合5包を打ち交ぜて本香は5炉を順に焚き出します。この組香は試香の無い「客香」が2種となりますが、「雨」は2包、「雪」は1包と数が異なっています。「雨」以外は「露」「霜」を含めすべて1包なので、同香のあるものを「雨」とすれば聞き外すことはないと思います。「雨」のみ香数が多いことについては、最も水気が多く、すべての要素の中間体となり得るという意味からでしょうか?それとも、時雨の季節なので自ずと出現回数は多くなるという意味でしょうか?

さて、この組香では、出典に「本香五包打ち交ぜ二包、二包、一包と三時に焚き、記録認める事。」とあり、香元は、「2+2+1」の区切りを意識して焚き出すことが必要とされます。また、出典には「札紙使用」と明記されており、回答は「名乗紙」を利用することが指定されていますので、所謂「二*柱開(びらき)」のように各組ごとに投票して正解を宣言する方式はとりません。香が焚き出されましたら、連衆は、最初の4炉については、2炉ごとに「聞の名目」と見合わせて答えを2つ導き出します。最後の1炉は、試香との異同、同香の有無を判断し、そのまま要素名で答えを1つ書き記します。そうして連衆は聞の名目2つ、要素名1つ、都合3つの答えを名乗紙に記載して回答することとなります。なお、最後の1炉のような用い方を「名残の一*柱」(なごりのいっちゅう)といい、一連の流れの中で組香の景色を締めくくるための「点睛」のような役割をします。ここでは、聞の名目の景色を前景にして、最後に組香の背景となる「天気」を規定する意味に用いられているのではないかと思います。このような焚き方は、通常「段組」として区切って行われる所作ですが、一連の流れに「二*柱聞き」+「一*柱聞き」の混合形式をとるところがこの組香の特徴となっています。 各組の1炉目(初の香)と2炉目(後の香)によって結ばれる「聞の名目」については、次の通り配置されています。

聞の名目

要素名 初の香

後の香

  庭の浅茅生 下紅葉 月の野辺
浅茅生の庭   木の葉の上 かさぬる花
紅葉の下 木の葉の下 落葉の時雨 峯の別れ
野辺の月 花をかさぬ 別るる峯  

このように、初の香、後の香の区別をして、左右対称にニュアンスの似通った名目が配置されています。これらの名目は、基本的には「水の在り処」を示す言葉となっており、読む人の視線をそのポイントまで導くように配置されています。また、「初後の香」は、時間的経過を表すものと解釈され「露・霜」ならば、「露の後に霜になった」と考えて、聞の名目の景色を理解すると都合がよろしいかと思います。

「露と霜」は、「浅茅生」が温度差によって、露をはらんだり、霜をはらんだりする様子が伺えます。

「露と雨」は、「紅葉」が散る前にはらんだ水滴と散った後にはらんだ水滴の様子が伺えます。

「露と雪」は、「野辺」が露をはらむか、雪をはらむかによって、雪景色は「月」が主役、夜露は「野辺」が主役と入れ替わる「晩秋の月夜」の様子が伺えます。

「霜と雨」は、霜は「木の葉」の上に表出し、雨は下に潤んでいる様子が伺えます。

「霜と雪」は、「花」=「菊」と解釈した方がよさそうです。霜は「おきまどわせる白菊」、雪は「着せ綿のように薄化粧した菊」の様子が伺えます。

「雨と雪」は、「峯」が雨となれば「分水嶺」、雪となれば「白き峯々」の景色に変化する様子が伺えます。

「雨と雨」は、2包焚き出されるため唯一同香の組合せとなります。直接的には「時雨」ですので、「雨」の後にまた「雨」という景色ですが、「落葉」を「雨」に見立てて、「パラパラと落葉降るのも時雨降るのも同じ音」という「落葉香」の音景色を思い浮かべる方が香道的かと思います。

続いて、名乗紙が戻りましたら、執筆は香記に各自の答えをすべて書き写します。その後、執筆が正解を請う仕草をしましたら、香元は香包を開いて正解を宣言します。正解は要素名で5つ宣言されますので、執筆は香記の「香の出」の欄に1炉目と2炉目、3炉目と4炉目は横に並べ、5炉目は1つとして要素名を3段に書き記します。その後、執筆は並んだ要素が結ぶ2つの聞の名目を定め、これと同じ名目の記された回答に当たりの「点」を打ちます。また、最後の1炉については、当った要素名の右肩に常のごとく「点」を打ちます。ただし、出典の「四潤香之記」では、答えの右肩に「長点(正点)」が引かれていますので、「聞の名目」を構成する要素の当り2点分に相当し、「名残の一*柱」についても通常より幾分「重い点」という意味も含まれているようです。

点法について、出典には「中り一点、独聞二点、前後の違い点なし」との記載があり、2つの要素名からなる聞の名目が当たったものも「1点」、特別扱いしてもおかしくない「名残の一*柱」の要素名も「1点」最高点は通常3点となります。この組香には連衆のうち唯一聞き当てた場合の「独聞」(ひとりぎき)について加点要素があり、仮に全てを独聞すると6点となります。聞の名目は、初の香、後の香をそれぞれ区別していますので、要素が入れ替われば「外れ」となります。また、名目を構成する要素が1つ当たっている場合も「片当たり」は認められず「無点」となります。

最後に勝負についてですが、この組香では、各自の成績は「点」で表され、下附によって各自の「得点」を改めて明記するようにはなっていないため、解答欄の「点」を数えて優劣を決します。この組香の趣旨は、聞の名目の散らされた香記の景色を味わうことだと思いますので、あまり細かい得点比較は必要ありません。全問正解で3点ですので、同点は多数出る可能性がありますが、基本的には最高得点者の上席優位でよろしいかと思います。

因みに、この組香には証歌がありませんので、少々寂しいと思われる方は、「名残の一*柱」で出た要素に因んで、先ほどの『水の変態』で引用されていた歌を記録の奥に書き記すのも一考かなと思います。

 

終末論を「諦めて無為に過ごす」ための言い訳にしてはいけません。

「日々を悔いなく生きて、その跡を汚さない」ことを心がけたいものです。

小夜の霜紅葉にまとう薄絹の淡き錦を君や見るらん(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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