四月の組香
ふるさとに咲く八重桜を心に浮かべる組香です。
連衆が二手に分かれて故郷の花景色を競うところが妙味です。
※ このコラムではフォントがないため「」を「
*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は4種用意します。
要素名は、「九重(ここのえ)」「小々波(さざなみ)」「白雲(しらくも)」と「八重桜(やえざくら)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
連衆は、あらかじめ「南方」「北方」の二手に分かれます。
「九重」「小々波」「白雲」各3包作り、「八重桜」は1包作ります。(計10包)
「九重」「小々波」「白雲」は、それぞれ1包を試香(こころみこう)として焚き出します。(計3包)
残った「九重」「小々波」「白雲」の各2包に「八重桜」1包を加えて打ち交ぜます。(計7包)
本香は、「一*柱開(いっちゅうびらき)」で7炉廻ります。
−以降9番から12番までを7回繰り返します。−
香元は、香炉に続いて、「札筒(ふだづつ)」または「折居(おりすえ)」を廻します。
連衆は1炉ごとに試香に聞き合わせて、答えの書かれた「香札(こうふだ)」を1枚投票します。
香元が正解を宣言します。
執筆は香記に連衆の答えを全て書き写し、当たった答えの右肩に点を掛けます。
点数は、要素の当りにつき1点とします。(7点満点)
下附は、点数をそのまま漢数字で書き記します。
勝負は、「南方」「北方」のグループごとに合計点を集計し、勝敗を決します。
香記は、「勝方(かちかた)」の最高得点者のうち、上席の方に授与されます。
被災地の高台でも桜の蕾が日に日に膨らんでいます。
平成22年3月11日の金曜日、私たちは未曾有の大震災に見舞われました。初期微動の異常な長さに不安を募らせていると携帯の「エリアメール」と「緊急地震速報」のアラームが部屋中でけたたましく鳴り、同時にテレビが震源地「宮城沖×」を示し、私たちはその瞬間に「来た!」と身構えたのです。机の書類は一瞬にして真横に飛び、椅子が机の間を行ったり来たりしていました。「宮城沖地震」は「30年内に80%以上の確率」等とマスコミが吹聴していましたが、それまで宮城県北部、三陸沖、いわき沖、岩手内陸と外堀を固められていた感もありましたので、私たちは、早晩、「最後の箍」が外れるであろうことは実感として覚悟していたのです。
近くの公園に非難し、ワンセグで沿岸部に予想以上の速さで津波が押し寄せたことを知り、 そこにいた数千人の人間が同時に「宮城沖地震の被災者となった」ことを実感しました。サンダル履きの人やコートを着ていない人もいましたが、ビルは安全確保のためにロックアウトされ、着の身着のまま当てのない「帰途」に着いた人々もいました。帰宅して、ラジオを聴きながら、余震におののいている間に、太平洋岸の大きな亀裂は500kmにもわたって砕け続け、マグニチュード9.0という世界有数の「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)」になっていました。
ライフラインの途絶により、一気に生活の危機に陥った我々は、その夜からリビングに集まり、少ない「灯り」と「食べ物」と「暖気」を共有しあいながら過ごしました。自然、そこには会話も生まれ、和やかに会話が弾み、家族のわだかまりも解けて行きました。さらに翌日には、水害で非難していた義母も加わり、三世代同居状態となりましたが、なんとなく調和の取れた距離感が、さらに血縁の絆を強めたような気がしました。日頃は書斎に篭りきりのサラリーマン・オヤジも「水と火と食料」を直接供与する役目をこなしたためか、やおら株が上がって娘との会話もスムーズになりました。折りしも、12日が私の誕生日だったため、キャンドルライトの中、家族で1つフライパンを囲みながら、慎ましやかなお祝いをしてもらったことも一生の思い出となりました。
翌々日の夜には、近所から歓声が上がる中、電気が復旧し、水も不自由ではなくなりましたが、「あぁ、これでまた個室に分居するののかぁ。」と少し残念な気がしたのは、私だけだったのでしょうか?否!いろいろな機会に「お父さん」が同じような話をしていましたので、相当数のお父さんが「オヤジの復権」で救われたことは事実のようです(^_^)v。不謹慎と思われる方もあろうかと思われますが、家族や家を失った人たちも、その悲しみの上にこんな「一輪の花」を見つけて笑っているのです。震災は、本当に不幸なことではあったけれど、私にとっては内心「流石にもう無理だろう」と諦めていた最後のわだかまりを解消してくれることになりました。これに加えて、マンションの水場では、以前に家人の誤解が元で夜中に苦情を入れてしまい「すまないことをした。(-_-;)」とずっと思い続けていた階上の住人にも改めて「詫び」を入れることができ、小さな心の棘までも抜けました。
思えば、この三年間、私は神様から「これまでに関わってきた人との約束を実行し、わだかまりは解消をしろ。」と生かされていたような気がします。今回の震災によって、これまでに「思い残し」のあった様々なことが綺麗に浄化され尽くした気がします。このように清々しい心持で「夏」まで過ごし、皆に惜しまれて何処かしらに独り旅立つことができるとすれば、それは本当に幸せなことであろうと思っています。
「国敗れて山河あり」ではないですが、もう少しすれば、どんなに醜い瓦礫の街にもまた「桜」が咲きます。私の故郷から見える「残雪の蔵王山と白石川と長堤の桜」は、今年も変わらぬ美しさで私の心を癒してくれるでしょう。人々がどんなにダメージを受けても、毎年、当たり前のように不動の美を呈してくれる故郷の景色というものは、本当に「ありがたき哉 」だと思います。耐乏生活に疲れたら、故郷に帰って桜を見て、心を満たしたいと思っています。
今月は、満開の桜に故郷を思う「故郷香」(こきょうこう)をご紹介いたしましょう。
「故郷香」は、「聞香秘録」の『香道菊之園』に掲載のある組香です。『香道菊之園』の帖には神雛香、伊呂波香、五躰香、知音香、千種香
まず、 この組香には、証歌がありませんが要素名の景色から、すぐに思いつくのは小倉百人一首の61番「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな(伊勢大輔:詞花集29)」ではないでしょうか。これは、一条院の御代に奈良の僧から献上された八重桜を受け取る役を紫式部から譲られた伊勢が菅原道真に即興で詠めと言われて「むかし奈良の都で咲いていた八重桜が、今日は宮中で美しくさいていることだわ。」と詠んだものです。ただし、この歌は宮中の栄華ぶりをほめたたえたもので、故郷というイメージはありません。現在の奈良であれば「ふるさと」と言ってもおかしくないのですが、平安京の頃に旧都である「奈良の都」を「ふるさと」とイメージできたかどうかは疑問です。とはいえ、『国歌大観』の中にも「故郷の桜」を詠んだものは少なく、作者は、やはりこの歌をイメージしてこの組香を創作したのではないかと思っています。
次に、この組香の要素名は、「九重」「小々波」「白雲」「八重桜」となっています。
「九重」は、「宮中」の意味で用いられることか多く「いにしえの・・・」の歌でも、桜の咲いている場所を特定する言葉として扱われています。一方、「九重」は、「幾重にも重なる」という意味もあり、こちらですと場所を問わない景色となります。「宮中」という意味に解釈しますと「故郷」という鄙びた感じにそぐいませんし、「小々波」も「白雲」細かな横縞の景色が伺えますので、私としては他の要素の景色との兼ね合いからも 「幾重にも重なる」「里の桜」の形容として取り扱うべきではないかと思っています。
「小々波」は、桜の遠望の形容としては余り使われない言葉で、『国歌大観』の中でも「さくら」と「さざなみ」を併用する用例は見つかりませんが、おそらくこれも千々に重なる桜の景色を表したものかと思われます。私は、これを「海の桜」の形容ではないかと思っており、桜の枝がサヤサヤと揺れる音景色とも思っています。
「白雲」は、桜の遠望を表す慣用句と言ってもいいほど一般的ですが、これは 雲のように見える遠景の「山の桜」の景色ではないかと思っています。
最後に、この組香の主役となる要素が客香の「八重桜」です。「八重桜」は花期が遅く 、一般的な桜が散り始めてから咲くことと、花色が少し濃い目のピンクであることが特徴ですので、周囲の葉桜や若緑と際立ったコントラストをなす「鄙の錦」風の花景色が思い浮かびます。「八重桜」は、どうしても「奈良の・・・」という暗示がなされているように思えますが、元々「都」だったことは度外視して、「まほろば」と言われるような「のどかな田舎」をイメージして良いかと思います。
いずれにしろ、この組香には証歌がないため、本来作者が描こうとした景色が端的には分からず、良く言えば「汎用の効く」、悪く言えば「なんとなく焦点の定まらない」花景色を呈しているようにも見えます。
続いて、この組香は出典に「聞きよふ、南方、北方と立ちわかれ聞くべし」とあり、ゲーム盤を使った「盤物」ではありませんが、「一蓮托生対戦型ゲーム」の様相を呈しています。これは、「オールスター新春かくし芸大会」の「東軍」「西軍」よろしく、「南方」「北方」と連衆を出身地で括り、「どちらの桜がより見事に咲くか?」と対戦させる趣向かと思います。連衆は、寄付きに集まった段階で、亭主や先達の申し出にしたがって「抽選(無作為)」や「衆議(作為的にスキルを平準化する等)」により、あらかじめメンバリングしておき、本座に席入します。集まった連衆の出身地や住んでいる場所によって、上手く分けることが出来たら、なお一層興が乗るだろうと思います。広くは「白河関」から狭くは「川の両岸」「通りの両側」まで、スケールはいろいろあると思いますが、連衆がそれぞれ自慢の花景色を思い描きながら、自分の故郷を背負って対戦を繰り広げるのは、とても面白いことだと思います。
さて、この組香の構造は 、出典に「右試香三種終て、本香七包交ぜ合わせ焚き出す。」とだけ記載があり、至って簡単明瞭です。「九重」「小々波」「白雲」は3包ずつ、「八重桜」は1包作り、「九重」「小々波」「白雲」の各1包を試香として焚き出します。手元に残った「九重(2包)」「小々波(2包)」「白雲(2包)」と「八重桜(1包)」の計7包を打ち交ぜて順に焚き出します。ここで出典には記載がないのですが、この組香には、専用の「香札」が用意されていますので、「盤物」と同じように、「一*柱開」とすることをお勧めします。「故郷香札」について、出典では「札表の紋」として「臺、桑、杞、栲、枸、菜、楊、李、椏、梗」と記載されています。最初の「臺(うてな)」は、「九重(宮中)」に因むものか「花の萼」に因むものか少々理解に苦しみますが、その他は、それぞれ「桑(くわ)」、「杞(くこ)」、「栲(こうぞ)」、「枸(からたち)」、「菜(な)」、「楊(やなぎ)」、「李(すもも)」、「椏(みつまた)」、「梗(やまにれ)」と読み、何れも雑木林の樹木などで構成され、故郷の山並みを連想させるものとなっています。因みに「李」は出典では「季」と記載されていましたが、他の景色の並びから「誤写」と判断して書き換えています。「札裏」は「九重 二枚、小々波 二枚、白雲 二枚、八重桜 一枚」となっており、本香の香種香数に符合しています。
試香が焚き出された時点で、執筆は常の如く、組香の題号や香組、名乗等を記載しますが、この組香は「一蓮托生対戦型」ですので、「南方」「北方」の見出しをつけて、あらかじめ決められたグループの名乗を記載しておきます。
こうして、香元が初炉を焚き出しましたら、連衆はそれぞれ試香と聞き合わせて、これと思う香札を1枚札筒や折居に投票します。各自の回答が帰ってきましたら、執筆は答えを全て書き写し、香元に正解を請います。香元は、香包を開いて正解を宣言し、執筆は香記に書き写された答えのうち、当ったものの右肩に 合点「ヽ」を打ちます。これを7回繰り返しますと本香焚き終りとなります。
本香が焚き終わりましたら、執筆は各自の当りの点を数えて下附します。得点は、独聞や客香の加点要素はありませんので、要素名の当りにつき1点と換算し、最高点は7点となります。出典の「故郷香之記」の記載例によれば、下附は、漢数字で得点を示すのみであり、全問正解も「皆」「叶」「全」などを用いず「七」と表記します。
各自の得点の記載が終わりましたら、今度はメンバーの得点をグルーブごとに合算し、合計点の多い方が「勝方」となります。ここからも、出典には示されていないのですが、「南方」「北方」の見出しの下に合計点を記載し、「勝」と付記して示すのが順当かと思います。
なお、記録に関して、「故郷香之記」の記載例では、連衆の答えを全て書き写すように示されていますが、私としては、「一*柱開」の通例に則って、「当った答えのみ書き記す」やり方も良いのではないかと思っています。そうすると「里の桜」「海の桜」「山の桜」が香記に散らされて、故郷の桜の「花ぶり」が見た目にもはっきり分かり、優劣も美しく表現できるかなと思います。
最後に勝負は、「勝方」の最高得点者のうち上席の方となります。最高得点者が負方の人では、どんなに「花ぶり」がよろしくても「郷」が勝たなければ香記は手に入りません。
皆さんもこれから随所で桜を見る機会が多くなると思いますが、「故郷香」で郷里の桜に思いを馳せ、そして、できれば瓦礫の街の桜たちも「永遠にあらん」と祈っていただければと思います。
我々被災者は、この大震災の痛みを心に深く刻むでしょう。
しかし・・・
その痛みからから芽ぶいた愛や希望や感謝を大切に育み続け
「国難」が「国徳」となるまで昇華させて行きたいと思っています。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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