五月の組香

兜飾り

伊勢物語』の逸話をテーマにした組香です。

恋慕う思いを草に託す気持ちを味わいながら聞きましょう

 

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説明

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  1. 香木は、4種用意します。

  2. 要素名は、「初草(はつくさ)」「忍草(しのぶぐさ)」「忘草(わすれぐさ)」と「思草(おもいぐさ)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「初草」は各4包、「忍草」と「忘草」は各包 、「思草」は1包用意します。(計9包)

  5. まず、「初草」の1包を試香として焚き出します。(計 1包)

  6. この組香には、「客香」 が3種類あります。

  7. 手元に残った「初草」3包、「忍草」と「忘草」各2包「思草」1包を 4包ずつ2組に結び置きします。( 4×=8包)

A段「初草、初草、忍草、忘草」、B段「初草、忍草、忘草、思草

  1. 本香段は「初草」「初草」「忍草」「忘草」を打ち交ぜて4炉廻ります 。

  2. 続いて、本香B段は、「初草」「忍草」「忘草」「思草」を打ち交ぜて4炉廻ります 。

  3. 回答は、香の出の順に要素名で8つ 名乗紙に書き記して提出します。

  4. この組香に点法はなく、当たりに「点」を付すことはありません。

  5. 下附は、全問正解のみ「可」と記載し 、その他は何も書き記しません。

  6. 勝負は、正解数の最も多い上席の方に香 記を授与します。 (委細後述)

 

それぞれの樹木の香りが近くを通るだけでも感じられる季節となりました。

今年の花冷えは長く続きましたが、「枯野」の草花は早春から順調に芽を伸ばし、今では一面「草原」の呈を示して参りました。山に入れば「浦島草」や「敦盛草」、「二人静」 、「鳴子百合」等、珍しい草花が見られるようになり、いよいよ「万物皆咲き誇る季節」の到来を感じさせます。中古時代の宮中では、端午の節句などに様々な草を持ち寄って、その優劣を競う「草合せ」の行事が行われたそうで、その名残は 組香「闘草香」にも見られます。一方、この時期は、動物たちの「恋の季節」でもあり、千種庵の周りでも鳥たちの囀る声が始終聞かれるようになりました。

「恋の季節」といえば、名古屋市千種区では、恋愛成就を願う人たちが「恋の三社めぐり」をしているようです。これは千種区にある「城山八幡宮の連理木」と「高牟 (たかむ)神社の古井(こい)の清水」、そして全国的にも恋愛に関する霊験あらたかとされる「晴明神社」を廻るというもので、スタンプラリー形式の台紙にそれぞれの神社のスタンプを押して、めでたく「満願」するというお手軽なものでした。先日、私も「娘の縁結び」のつもりで廻ってきましたが、「連理木」は、なかなかの巨木で、「一本になった幹が一度別れて後に合う」という古典の美学に通じる佇まいを見せていました。「古井の清水」は、もともと「延命長寿」の水で近所の方々も汲みに訪れる名水なのですが、名前の「こい」と掛けて「飲むと恋が生まれる」と言われており、一年中温度が変わらないと言われる清水は、少し暖かく、柔らかなおいしい水でした。「晴明神社」は、二度目の参拝でしたが、日曜の夕方だというのに狭い境内を埋め尽くすほどの人出で、長年神社を守っていたら「手に五芒星の紋が出た」というお婆ちゃんや「狛犬を撫でて交通事故の後遺症が消えた」というお爺ちゃんが、来る人をもてなしていました。「三社めぐり」は、地元の高校生の企画として行われたものだったそうですが、10年の歳月を経て、今では休日ともなれば若い女性やカップルの参拝者が途絶えることなく、地元の「習俗」と思えるほど一般化してきているようです。

さて、「5月の恋」というものについて、ちょっと思いを巡らせてみましょう。この季節は、「単身」の私ですら、気候が良くなれば他にはなにも要らず、難なく「独り」を楽しめるようになりますから、カップルにしてみれば一緒にいるだけで「シ・ア・ワ・セ」な季節と言えるでしょう。そういう意味で、5月はゴールデンウィークとも相まって、恋愛感情の維持に「最も波風の立たない季節」なのではないかと思います。若い人の場合「新年度」と「夏休み」には新しい出会いがあるため迷いを生み、「秋」になれば勢いに任せてきた恋愛への後悔や翳りも出てくるでしょう。「冬」は外に出るのも億劫で、逢うにも双方のちょっとした努力が必要となり「クリスマスだけは独りで過ごしたくない!」という一心でオザナリな関係を続けてしまうということも多いようです。

皆さんがどのような季節から「恋愛の栄枯盛衰サイクル」を始めるのかは一概には言えませんが、いずれ「風薫る五月」は、気候が穏やかで爽やかなために何事も順風満帆に思え、恋愛に関しては「傍に誰かいるだけで」心豊かに暮らせる貴重な季節といえましょう。私は、おしゃれのできる秋風の時期に恋をするパターンが多かったように思えますが、今では花鳥風月に季節の移ろいを感じるだけで 、「こひぞわづらふ」ことすら忘却の彼方です。

今月は、「忘る」と「忍ぶ」が交錯する「恋草香」(こいぐさこう)をご紹介いたしましょう。

「恋草香」は、聞香秘録の『香道秋乃最中』に掲載のある「口伝」の組香で す。この組香が「口伝」であることは、小引の記録法を記載した部分に「口伝の組香故・・・」という 一文があるだけなので委細は不明ですが、これまで古典籍を辿って各流派の正当な伝授形態を研究して来た私から見れば、これを「焚合十*柱香」や「連理香」のような「秘伝」や「伝授」の組香と解すべきかどうかは甚だ疑問と言わざるを得ません。この組香の「口伝」が、どういう主旨で行われたものかは、小引の本文がたった5行と僅少なため全く推測が尽きませんが、敢えて解釈すれば、秘伝の共通項である「陰陽和合」の前段とも言える男女の「恋」に関する組香なので、どこかに文書には残せない「秘事」が隠されていたのかもしれません。

一方、同名の組香は『外組八十七組(第七)』に掲載されていますが、こちらは要素名が「忍草」「忘草」「軒端」「袖の露」の8*柱焚きで、証歌は香の出によって「おのづから忘るる草の種もかな忍ぶばかりの草の名も失し(亀山院七百首「恋」541)」「忘草誰種まきて茂るらむ人を忍ぶの同じ軒端に(新千載和歌集「恋五」1564)」を使い分けるという組香です。本香8包を焚くところと「忍草」と「忘草」の対比の仕方等に共通点があり、最初は「もともとあった口伝の組香を平時に催せるように派生させたものか?」とも考えましたが、やはり 基本的な構造が異なりますので、派生組とせず同名異組と考えた方がよろしいかと思います。

従来、このコラムでは「恋の組」は秋にご紹介することとしていたので、「風薫るさわやかな五月」に「夏草」だけで恋が語れるかと悩んだのですが、「恋草」とは、恋の思いが激しく燃え上がる様子を、草の生い茂るのにたとえた言葉ですし、生物学的に も五月は恋の季節ですので、敢てこの時節に「恋」を取り扱って、爽やかな皐月の空に少々「憂い」の湿り気を加えてみようかと思いました。そうなりますと、2つある「恋草香」のうちどちらを採用するか迷いましたが、後者には「袖の露」という秋の季語が含まれ、この時期にはそぐわないということから『香道秋乃最中』を出典として書き進めることといたしました。

まず、この組香には証歌があり、出典には「忘草お(生)ふる野辺とは見るらめどこ(此)は忍ぶなり後もたのまん(伊勢物語:在原業平)」と記載されています。これは、「伊勢物語(100段)−忘れ草−」「むかし、男、後涼殿のはさまを渡りければ、あるやんごとなき人の、御局より、忘草を『忍草とやいふ』とて、出ださせ給へりければ、たまはりて・・・」に続いて、「私を忘れ草の生える野辺と、ご覧になっているようですが、この草は忍ぶ草です。(決して気持ちは切れておりませんので)今後ともよろしく、お頼み申し上げます。」と 業平が詠んだ歌です。御局様が「忘れてはいないのよ、忍んでいるのよ 。」といった思いを「忍草」に託して渡したところ、「私も忘れてはいません。忍んでいるだけですから、これからもよろしく。」縁を繫ぐ意思を伝えるために詠んだものと思われます。このため、この組香の主題は「忍草」と「忘草」の聞き分けを主体に、そこに加わる「初草」「思草」の流れを「恋の経緯として味わう」ところにあるのだと思います。

次に、この組香の要素名は、「初草」「忍草」「忘草」「思草」となっています。簡単に解説を加えますと以下のとおりとなります。

「初草」・・・辞書的には、春の初めに萌え出る若草のことですが、季節に関わらず「萌え出た草」ととらえ、「恋そめし・・・」など、他の要素に掛かって「○○し初める。」という意味で用いられている ものと思われます。なお、この草だけは、具体的な植物の和名としての用例がありません。

「忍草」・・・つらいことをじっと耐える。自分の存在や行いを、人に気付かれないようにする。外から見えないようにして身を置くなど、初めから情緒的な意味合いの強い言葉です。現代は、ウラボシ科の常緑多年生のシダ「軒忍(ノキシノブ)」のことを指しますが、伊勢物語の逸話のように「忘れ草」の異名ともなっています。

「忘草」・・・意識的に思い出さないようにする。覚えていたものの記憶がなくなり吹っ切れるという趣旨の言葉です。古典文学の中で「忘れ草」と詠まれているのは、ユリ科の多年草「萱草(カンゾウ)」「藪萱草(ヤブカンゾウ)」「野萱草(ノカンゾウ)」などが考えられます。この草は、若葉が食用となるほか 、根は生薬「忘憂草」となり、目覚めが良くさわやかな朝を迎え、ストレスに負けない強い身体になる薬効があるため「憂いを忘れさせる草」と言われたとのことです。

「思草」・・・眼前にない物事について、心を働かせる。慕う。愛する。恋する。という趣旨の言葉で、ハマウツボ科の一年草「南蛮煙管(ナンバンギセル)」のことと思われます。この植物は薄の根元に寄生して成長することと、頭を垂れて咲く姿から「思いを寄せる草」と言われたとのことです。

このように、どれも情緒的な意味合いを持った「草」なのですが、それぞれの要素名の「草」という文字を「恋」に変えると「恋題香」(初恋、待恋、忍恋、別恋)のような恋愛の過程にも似た情景が思い浮かぶと思います。この「燃ゆる思い」を「草」という言葉に秘めた奥ゆかしさが、伊勢物語における御局様と業平のやりとりとも共通しており、この組香に古典的な美を与えていると思います。

さて、この組香の構造は、まず「初草」を4包、「忍草」と「忘草」を各2包、「思草」を1包の計9包作り、このうち「初草」だけを1包 「試香」として焚き出します。次に 、残った香包を「初草2包、忍草1包、忘草1包」と「初草1包、忍草1包、忘草1包、思草1包」に4包ずつ2組に分けて結び置きします。本香A段は、「初草2包、忍草1包、忘草1包」 (3種4香) の結びを解いて打ち交ぜて焚き出し、続いて、B段も「初草1包、忍草1包、忘草1包、思草1包」 (4種4香)の結びを解いて打ち交ぜて焚き出します。ここで 、気になるのは「忍草」「忘草」「思草」の3種が全て試香のない「客香」として1包ずつ焚き出され、「3種もの客香が同数焚き出されれば、何を便りに聞き当てればいいのかわからない。」ということです。 このことについては「舞楽香」のように「初めに出た客香とどれでも『源氏』」「後に出た客香は『朧月』」と割り振るようなルールがないかと調べましたが、「恋草香之記」には「香の出」と各自の「回答」が 「要素名」で記載され、何らの操作も加えられていません。これが「口伝」の口伝たる由縁なのかもしれませんが、このままでは聞き当てゲームが成立しません。そこで、ここからは推測なのですが、おそらくこの組香は 、三條西系の「御家流」が普段行っているように、あらかじめ「木所」を示した小記録が回されて連衆は木所を頼りに「忍草」「忘草」「思草」の3種を聞き当てていたのではないかと思います。すると「五味六国」そのものが伝授である志野流の場合、その伝授を受けた人しか参加できない組香と言うことになるので、「口伝」の組香であっても不思議は無いと言うわけです。かなり、こじつけに近い推測ですが、とりあえず「木所」 だけでも開示して行わなければ、この組香は成り立たないのは確かです。その上「木所」の持ち味自体が揺れている現代では、相当に難度の高い組香となることは間違いないでしょう。

続いて、この組香は、出典に「口伝の組香故、記録に点を記さず」とあり、「恋草香之記」の記載例には合点が掛けられていません。これについては、同じ口伝の組香である「連理香」や「焚合十*柱香」でも「点」を付して下附しますので、何故「口伝のため点を省略する」のか検討が尽きませんが、出典に従えば 「点法はなし」ということになります。また、この組香の下附は、全問正解者に「可」と書き記されています。これまで「皆」「叶」「全」「完」等、いろいろな下附を見てきましたが、「可」というのは初めて目にしました。「可」が何を示すのか? も謎です。もしかすると、この組香は昇任試験のようなもので「弟子のうち満点の者のみ次の伝授を許す」というようなルールでもあったのでしょうか? 全く興味の尽きないところですが、私の知る限り 各流派の「伝授目録」の中には「恋草香」の記載はありませんでした。

最後に勝負についてですが、この組香はもともと難度が高く、参加者も上級者に限られて催された可能性が高い組香ですので、『伊勢物語』の情景を連衆で共有することが重視され「勝負」という意識は希薄だったのではないかと思います。結果的に優劣はつくにせよ細かい得点は気にせず、連衆がそれぞれ景色を味わって帰り、記録は「宿の記念に・・・」のような形で亭主や師匠が保管する形だったのかもしれません。いずれ、この組香を現在の香席で平易に遊ぶためには、勝負の香として要素名の当たりに付き1点 として合点を掛け、最高得点者のうち、上席の方が香記を持ち帰る形にするのがよろしいかと思います。

「恋草香」は、趣旨に則り「忍草」と「思草」を判別しづらいものとして組むほか、「初草」「思草」は木所のはっきりしたものを組まなければならないため、香組もかなり腐心されると思いますが、五月闇の午後などに好事家が相寄って、ゆったりと深く聞きこむには面白い組香かと思います。是非、上級者のための研鑽の香として試してみてはいかがでしょうか?

 

五月と言えば「半子町の藤」を思い出します。

私が「女を諦めていない尼さんのような香り」と形容した花房の長い藤も

今では「故郷の花」として思い出されます。

忍び音に色の千種はかはれども郷の藤波誰かは忘る(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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