六月の組香

朝夕に鳴くホトトギスの聲をテーマにした組香です。

聞の名目の景色をよく味わって聞きましょう。

※ このコラムではフォントがないため「 ちゅう。火へんに主と書く字」を「*柱」と表記しています。

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説明

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  1. 木は3種用意します。

  2. 要素名は、「朝(あさ)」「夕(ゆう)」と「郭公(ほととぎす)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「朝」は2包、「夕」は1包、「郭公」は2包作ります。(計 5包)

  5. このうち「朝」の1包を試香として焚き出します。(計 1包)

  6. 手元に残った「朝」1包に「夕」1包と「郭公」2包を加えて打ち交ぜ、香包を2包ずつ2組に分け置きます。(2×=4包)

  7. 本香は「初・後」「初・後」と2包ずつ4炉廻ります。

  8. 香元は、「初・後」「初・後」と 区切りを意識して香炉を廻します。

  9. 連衆は、試香と聞き合せて炉ごとに 聞の名目と見合わせて、答えを2つ名乗紙に書き記します。

  10. 本香が焚き終わったところで、執筆は連衆の答えをすべて書き写します。

  11. 香元は正解を宣言し、執筆は当った名目に「長点」を打ちます。(委細後述)

  12.  この組香には点数や下附はなく、各自の成績は答えの右肩に付された「長点」で示されます。

  13. 勝負は、「長点」 の数が多い方のうち、上席の方の勝ちとなります。

 

ホトトギスが鳴くと、暖かな宵闇の景色が心に沁みわたります。

水無月には「父の日」という「日本一有名無実な記念日?」がありますが、世のオヤジ殿はいかがお過ごしでしょうか?思えば、「921の日」を勝手に作ってしまうほどイベント好きな我が家でも、不思議と「父の日」は何事も無く過ぎ去っていたような気がします。独りになりまして「今年はしようか?すまいか?」という妙な空気や「今年はされるか?されないか?」のような妙な期待を感じることも無くなったため、この記念日を落ち着いて反芻してみることにしました。

そもそも、「父の日」は、アメリカのワシントン州に住むジョン・ブルース・ドットという人が「母の日」の存在を知り、翌年の1909年から「父の日も作って欲しい。」と活動を始めたことが発生の起源のようです。ドット夫人の父親は、南北戦争の軍人でしたが、復員後ほどなくして奧さんが6人もの子供を残して無くなったため、戦後の動乱期に一生懸命働いて、男手ひとつで全員を立派に成人させたそうです。その末娘だった彼女は、父親を偲ぶパーティーを彼の「誕生月」にあたる6月に開き、故人の好きだった「白いバラ」を墓前に供えて「父親を尊敬し、称え祝う日」の提唱を始めました。つまりは、この時点で「母の日あっての父の日」という因果関係のようなものは出来上がっていたといえましょう。「父の日」は、このパーティーから実に63年の歳月を経た1972年に 、ようやくアメリカ国民の休日となりましたが、母の日が最初の会合から僅か6年後の1914年には、アメリカ国民の祝日となり、異例のスピードで「白いカーネーション」が花開いたのに比べて、「白いバラ」はとても遅咲きだったわけです。

この2つの記念日を対比しますと、「母の日」を提唱したアンナ・ジャービスの母は生前から「社会活動家」として外向きに評価され、現在「家庭内での貢献に目を向ける母の日」という主旨とは異なったかたちで普及したものであることは意外でした。一方、ドット夫人の父は黙々と働いた「家庭人」として内向き評価されているため、男女で「陰陽」が逆になっていることも実に興味深いことです。また、どちらも「故人を偲ぶ」気持ちから生まれたものですが、父の日は彼の「誕生日」に因んでおり、母の日は彼女の「命日」に因んで、その月内に設定されているということも大きな違いとなっています。

さて、日本で公式に「母の日」が制定されたのは1947年のことですが、1936年には森永製菓が「森永母を讃える会」を設立して母の日の普及活動を全国展開しています。それ以来 、「母の日」は一時期「学校行事」にまでなり、私も紙で作った「おかあさんありがとう」のカーネーションを毎年買わされました。思うに「母の日」普及活動の背景には、未亡人支援や家事労働の再認識等「そこはかとなく」当時の女権拡張意識もあったものと思われますが、おそらく最も決定的な 原動力は、「買い回り商品のキャンペーン」という商業主義との迎合にあったのではないかと思います。一方、日本での「父の日」は、そのような社会活動的な側面はなく、1970年代にやっと人々の知るところとなり、1981年にやっと商業主義に取り入れられることとなります。現在も社団法人日本メンズファッション協会を母体とした「FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会」から毎年発表される「ベストファーザー賞」がニュースになりますが、流通業界の店頭広告を見ても「母の日」に比べれば、相当「乙」な扱いになっていることは否めません。

さて、父親に贈るものについてランキングを取ると、1位は「ネクタイ」で、2位が「お酒」のようです。日本では、南北戦争の頃の「無事を祈る黄色いリボン」のイメージで、黄色い花(ひまわり等)を贈るのが一般的なようです。ネクタイは、元々クロアチアの兵士が無事な帰還を祈って妻や恋人から贈られたスカーフを首に巻いたことが起源となっているわけですから、その主旨に沿っている気がします。 一方、お酒は、種類も多く好き好きでしょうが、日頃の「ねぎらい」の気持ちを表せる気軽なプレゼントとして、近年ではネクタイを追い越す勢いとなっています。

「父の日」も「母の日」程ではないにしろ、今では「クリスマス」「バレンタイン」同様、流通業界のイベントの1つとして定着しています。存続も普及も、全ては商業主義によるところ大なのですが、プレゼント云々ではなく、記念日の「本来の主旨」や「感謝の心」を思い起こす日になれば良いなと思います。現代日本の家庭では、標準世帯の母子化が進み「私たちにかかるお金は母親が父親から稼いできた もの」と思っている子供もいるそうです。「日頃、お母さんは、子供の口に食べ物を運び、必要なものを買ってくれるけれど、そういった諸々の恵みの後ろには、いつも黙々と働いて帰るお父さんがいる。」と誰も教えてくれないからでしょう。せめて父の日だけでも、母親から「お父さんのお陰…」という言葉が聞ける日であって欲しいと思います。そうしないとお父さんは「不如帰」(帰るに如かず)になってしまいますよ。

 今月は、明けの一聲、宵の一聲が心に沁みる「新郭公香」(しんほととぎすこう)です。

 「新郭公香」は、『軒のしのぶ(五)』に掲載のある夏の組香です。6月の「ほととぎす」といえば、「行きやらで山路くらしつほととぎす今一声の聞かまほしさに」(拾遺和歌集 源公忠朝臣)の「山路香」が、まず思い出されるところですが、所謂「ほととぎす」そのものを題号に冠した組香も多数あります。所謂「ほととぎす香」の仲間は、平成17年6月にご紹介した「古十組」に分類される「郭公香」(連衆が各自香木を持ち寄って、自分の持参した香のみ聞き当てるもの)をはじめ、同名異組の「郭公香」、「時鳥香」、「替郭公香」、「新時鳥香」等が見られ、その趣向も様々で夏の組香としては大変ポピュラーなものとなっています。今回は、その中で最も新参者ですが、シンプルで情趣にも富んでいる『軒のしのぶ』を出典として書き進めたいと思います。

 「郭公」は、中古代には「ほととぎす」と訓読みされ、「テッペンカケタカ」とか「特許許可局♪」と鳴く鳥です。所謂「カッコー」と鳴く「カッコウ(閑古鳥)」と似てはいますが、体長は幾分小ぶりで、「己が名を名乗る」といわれる扇情的な鳴き声から、 古来、「卯の花」「橘」とともに多くの和歌にも詠まれています。その中でも、先ほどの「山路香」の証歌や一木四銘の「初音」の証歌「きくたびにめづらしければほととぎすいつも初音の心地こそすれ」(金葉和歌集 権僧正永縁)などは、香人ならば誰でも知っているという風に、香道の「花鳥風月」にとって「ほととぎす」の存在は不可欠と言っていいでしょう。また、ホトトギスの初音は「忍び音」と呼ばれ、夏の音信として、いにしへの雅人に珍重されましたし、「一声」は、儚さや刹那感、潔さなどをイメージされ、日本文学の中では、あやなしどり・くつてどり・うづきどり・しでのたおさ・たまむかえどり・夕影鳥・夜直鳥(よただどり)など、数々の異名を持つ「夏鳥の代表格」となっています。

  まず、この組香に証歌はありません。「ほととぎす」に関する和歌が『国家大観』に約9200首以上も掲載されている にも関わらず、「ほととぎす香」の仲間には証歌のついたものが少ないという特徴があります。これは、オリジナルの「郭公香」が「自分の持参した香のみを聞き当て、あとは聞き捨てる」という「おのが一声」を題材にした非常に端的な組香であるため、そこから派生した組香も要素名や聞の名目でいろいろと脚色はするものの、単純に「ほととぎすの声」を味わって景色を結ぶことが趣旨となり、予見となるような証歌をつけていないのではないかと思います。もっとも、『聞香秘録』の「郭公香」には、「郭公香と云う事は、左の歌を持って名とす。」とあり、「槙の戸を夜の水鶏にたたかせて家名案ずるほととぎすかな」(詠み人しらず)という歌がついていますが、これも参考程度で証歌とは明言されてはいません。私が今回の組香に敢て証歌をつけるとするならば、「ほととぎすおのがさつきのそらとてや朝な夕なに声もをしまぬ」(為村集 冷泉為村)というところでしょうか?「朝夕ともに鳴いている姿」が一場面に読み込まれている歌は意外に少ないものです。

 次に、この組香の要素は「朝」「夕」と「郭公」の3種となっています。出典では「朝の香」「夕の香」「郭公の香と列挙されていますが、の香は記録の時点で省かれていますので「要素」としては割愛してよろしいかと思います。「朝」「夕」の要素は、即ち「時」の要素で、主役である「郭公」が鳴く時間を規定するものと考えていいでしょう。この組香は、端的に「郭公がいつ ・どこで鳴いたか」を香によって聞き分け、聞の名目によって景色を結んでいくことが趣旨となっています。

 さて、この組香の構造は、香種が3種、香数が5香、本香数が4香となっています。まず、「朝」を2包、「夕」を1包、「郭公」を2包作り、このうち、「朝」の香のみ1包を試香として焚き出します。次に、試香が終わった段階で手元に残った「朝(1包)」「夕(1包)」「郭公(2包)」を打ち交ぜます。この組香では、試香がない「客香」が「夕」と「郭公」の2種にとなりますが、「夕(1包)」と「郭公(2包)」は、出た香の数で判別することとなります。「郭公」は主役ですので「客香」となるのは当然ですが、「夕」に試香が無いことについては少し解釈が必要かと思います。私が思うに、この組香は「香席」が設けられる「昼」を標準時として作られており、「朝」の雰囲気は既知のものとして捉え、まだ到来していない「夕」と何時鳴くとも知れない「郭公」は未知のものとして捉えているのではないかと思います。本香で「朝」と「郭公」のように出たとしても、それは「今朝」ではなく「翌朝(初音・有明)」であると解釈し、この香席に「朝、郭公の鳴き声を聞いて来た人はいない」前提で催すように作られているような気がします。面白いのは、「一声」が美学の「郭公」が2包焚かれるため、「朝一声」、「夕一声」の組み合わせならぱ順当ともいえますが、時にかかわらず「二声」鳴くこともあるというところです。これについては「聞の名目」がフォローしており、夏の情趣よりは「にぎやかさ」が勝る景色を結ぶこととなります。

 また、本香について、出典では「本香四包二*柱づつ二度に聞く」とあり、本香は焚き出しの前に2包ずつ2組に分けることが指定されています。これについて、最初は2炉ごとに答えを宣言して書き記す「二*柱開」 (にちゅうびらき)の指定かと思いましたが、出典に「手記録紙を用ゆ」と記載のあるほか、前段にあるように「夕」と「郭公」は本香での出現数で判別しなければならないため、回答は「後開き」で行うのが順当かと思います。流派によっては「本香何炉」と申し送りをしないで香炉を廻すこともありますので、2包ずつ2組に分けた本香は、香元が「一の組の初香」「一の組後香」 、「二の組の初香」「二の組の後香」といった区切りを意識して焚き出し、連衆が間違えないようにすることが大切だと思います。

 続いて、本香が焚き出されましたら、連衆は答えを名乗紙(手記録紙)に書き記します。答えについては、2炉ごとに1つの名目で回答することとなっており、本香4炉で2つの名目を書き記して提出します。

出典では、下記のとおり「聞の名目」が配置されています。

聞の名目

香の出 聞の名目 意味
 朝・夕  旅路(たびじ)  旅をして行く道中
 夕・朝  殿居(とのい)  宿直、不寝番
 朝・郭公  初音(はつね)  その年、その季節の最初の鳴き声
 夕・郭公  山辺(やまべ)  山の麓の辺り
 郭公・朝  有明(ありあけ)  月がまだ空に残る夜明け
 郭公・夕  ねぐら  鳥の寝る所、巣
 郭公・郭公  諸声(もろごえ)  いっしょに鳴くこと

  出典では聞の名目の構成要素である「郭公」を「鵑」の一文字で表し、香記も「鵑」と記載してあります。

 このように、なんとなく郭公と聞き手の位置関係や時の風景を思い浮かべることのできる言葉が配置されていますが、各々 に解釈を加えてみましょう。まず、「郭公」を含まない「朝」と「夕」の組み合わせは、「郭公」の一声を待つ時の過ごし方を、「朝から夕まで」は「旅路」、「夕から朝まで」は「殿居」で表現しており、「このようにして待っていたけれども郭公は鳴かなかった 」という未遂の景色が 表されています。「朝」と「郭公」の組み合わせは、郭公の鳴いた時の経過を表し、「朝になって鳴いた」ものは「初音」となり、「鳴いてから朝になった」ものは「有明」となります。「夕」と「郭公」の組み合わせは、郭公の鳴いた場所と聞き手との距離感を表し、「夕べに鳴き声が聞こえる」のは「山辺」から、「鳴いてから夕べに帰る」のは「ねぐら」ということになります。そして、「郭公」と「郭公」の組み合わせでは、時の概念はなく、方々から鳴き声が聞こえてくる景色「諸声」で表しています。「一声名乗る」という美意識には則っていませんが、朝な夕なに鳥同士の挨拶や会話もあり得ないことではないですし、「諸声」が出る場合は、必ず他の組では鳴いていない景色となる筈ですので、「さっきは鳴かなかったのに、今度はたくさん鳴いたわね。」と喜ぶべきかと思います。さらに、2組の聞の名目のうちには、必ず「郭公」が鳴くことになりますので、「有明」と「山辺」、「山辺」と「初音」、「殿居」と「諸声」等、聞の名目同士の組み合わせからも新しい景色を結ぶことができます。この組香は、大変シンプルに作り上げられていますが、聞の名目を2段構えで解釈することによって、連衆がそれぞれ深みを持った景色を鑑賞できるようにしてあるところが秀逸だと思います。

 続いて、名乗紙が戻ってまいりましたら、執筆は各自の答えを香記の解答欄に全て書き写します。香元が正解を宣言しましたら、執筆は「香の出」の欄に正解の要素名を4つ「右・左、右・左」と段違い(千鳥)に2段に書き分けて記します。その後、組ごとに要素名と見合わせて正解の聞の名目を(2組分で2つ)定め、その名目と同じ答えに合点を掛けます。

 この組香の点法については、出典に「二*柱当り一点、一*柱当り点なし。」とあり、聞の名目ごとに1つ当れば1点と換算することとなっています。この組香の聞の名目は、香の出の順番 によって違ったものが配置されているため、片方だけでも当否の点は付けられますが、2つ要素の内1つだけ当った「片当たり」は点数に反映しない決まりになっています。そのため、当たりを示す「点」には、「複数の要素を含むものを聞き当てた」という意味で「長点」を付します。各自答えは2つしかありませんので、全問正解は2点となります。点数がそれほど多彩ではないためか、この組香には下附は無く、各自の成績は「点」の数のみで表されることとなります。

 最後に勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。

 

当地では「三英傑」のホトトギスの川柳も臨場感をもって捉えられますが・・・

「鳴け聞こう我領分のほととぎす」(加藤清正)

世のオヤジ殿もご家庭では、こんな心境かもしれませんね。

ほととぎす啼きて朝露一滴水面に己が名を認めつ(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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