七月の組香
連句による漢詩の創作をテーマにした組香です。
各自の答えが五言の詩句になるところが特徴です。
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説明 |
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香木は、5種用意します。
要素名は、「窓(まど)」「清(きよし)」「晩(ばん)」「涼(りょう)」と「風(かぜ)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「窓」「清」「晩」「涼」「風」は各2包作ります。(計10包)
「窓」「清」「晩」「涼」「風」のうち各1包を試香として焚き出します。(計5包)
手元にに残った
「窓」「清」「晩」「涼」「風」の各1包を打ち交ぜて、順に焚き出します。(計5包)
本香は、5炉焚き出します。
答えは、香の出の順に要素名を名乗紙に書き記します。
点数は、「独聞(ひとりぎき)」が2点、その他の当りは1点とし、答えの右肩に「点」を打ちます。
下附は、各自の得点を「○点」と書き記します。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
連日熱帯夜が続きますが、風は庵の窓を始終吹きすぎていきます。
名古屋に来てから1年が過ぎました。「自由と解放の日々!」と豪語して憚らない諸国漫遊の振り出しは、関東とも関西ともつかぬ「異文化」との軋轢もなく、孤独感に苛まれることもなく、平穏に過ぎています。昨年の今頃は、引越屋を呼んで条件や価格を見積り合せしたり、ネットで車の買取業者を呼んでは入札で車を売ったり、家電製品12品目を仕事帰りの30分で決めたりと、まぁ、めまぐるしく人に会 って交渉し、辞令をもらって即日名古屋に赴任するまで、荷造りも含めて独りで良く働いたものだと思います。職場では、もともと「働き者」との定評はありましたが、震災があって幾分地力もアップしたのでしょうか、身体と頭がトップギアに入ったまま居所を移しただけの感じがしました。
名古屋に来てからは、実社会のコミュニティは大きく狭まり職場が基本となりましたが、幸い人に恵まれ、仕事上でもプライベートでも「イラっとする程のストレス」すら全く感じずにここまで 過ごさせていただきました。最初は、双方とも「お客さん」としての緊張感があったのかも知れませんが、それが解けた今でも、地元で働いているような心地良さであることに感謝の念を禁じ得ません。お陰様で「転勤鬱」にもならず、若干「平和ボケ」したのか、時折襲う「つまんない症候群(=ε=)」の退屈感を埋めるようにして、皆が進めてくれる東海各地の名所や季節の自然を堪能する小旅行を週末の日課としています。最近「ネタ消費」といって、ブログに掲載するネタのために、おいしいものを食べたり、面白いことをしたりする人が増えており、この ような体験型消費がなかなかの経済効果を上げていると聞きました。私は、誰憚ることない「貧乏香人」ですので、交通費と昼食代ぐらいしか貢献できないのですが、ある意味「週末の小旅行」は、我が掲示板の「ネタ消費」に繰り入れられているのかも知れません。
「香道」や「香りの講座」も、その特異性から女性ブロガーを中心に注目を集めているようです。形がなく、お腹も膨れないものを素材に使う芸道は、ものに溢れた時代の人々には「高尚 なもの」と映るようで、体験講座はかなりの賑わいを見せています。もともと香道は「芸道の執着駅」的なところがあり、「お茶もお花もお習字も・・・」ある程度の域に達して「他に何か面白いものは無いかなぁ。」という教養人が集まって継承して来た芸道ですので、「マイナーで高尚で座るだけならば、これは面白そう!」と新ネタを探すブロガーが殺到しても不思議はありません。これら体験講座のお客様は、最低限「ブログ用の写真」を撮れば、ある程度の取材目的は達成されますので、講師は「香席法度」 を曲げてでも、席中の「撮影許可」を出す羽目に陥るようです。せめてデジカメであれば音は気にならないのですが、携帯電話やスマートフォンのシャッター音は♪千差万別♪で耳障りなものです。組香は、「香気によって表現されている景色を心に結ぶこと」ができなければ、香木だけ聞いても香道を体験したことにはならないので、私ならば、席の前後に床や道具の撮影タイムを設け、要望があれば聞香のモデルや記念撮影のシャッター押しを承ってでも、席中の「静寂」は守りたいと思います。
一方、名うてのブロガーにとっても歌道、連歌のような芸道は、いくら「マイナーで高尚」でも、自分の素養が見透かされ、金に飽かしてできる「座るだけ」の体験とは訳が違うため椎木が高いようです。これは、香道を嗜んでいる方が「当座香」や「俳句香」で和歌や俳句を詠むことを非常に忌み嫌うのに似ています。「香道」は、ある程度の素養があって初めて、おおらかに振る舞え、 また振るうことを許される芸道ですので、最低限、古典文学に親しまなければ、組香の「鑑賞」もできず、自分の求めた香木に「香銘」も付けられません。また、香席を設けるまでに他の日本芸道から 「和物」に共通する所作事や美意識を吸収しておかなければ、組香や和歌に自分の美意識を発露することもままならない筈です。もともと「連歌」という寄合芸能の形式や美学を受け継いでいる香道 ですので、これを志す身であれば、「和歌」を当座に詠める程度の素養を身につけられるように生活を律するか、せめて当座に使える「常套句」くらいは勉強しておくべきでしょう。
芸道は、年季を掛けて数多ある門人を篩い落とし、(落とさないまでも「継承要員」と「会費要員」に選別し)それでも精進を続ける人に将来を託して伝承することが本意です。そのため「一見さん」が幾ら増えても膨らむのは財布だけで、芸道そのものの将来は一向に豊かになりません。「ネタ探し」や「自分探し」で訪れたお客さんが、全てを見尽くし、やり尽くし・・・「他に何か面白いものは無いかなぁ。」と思った瞬間に「香道」の持つ「乙な雰囲気」を思い出して、再び門戸を叩いてくれることを祈っています。
今月は、五言の句を繋げて涼しげな詩をつくる「詩句香」(しくこう)をご紹介いたしましょう。
「詩句香」は、大枝流芳編の『香道千代乃秋(下二)』に掲載のある夏の組香です。小引冒頭には、「流芳組」との記載があり、彼がこの書に「新組三十品」として発表したオリジナルの組香であることがわかります。漢詩を素材とした組香は数々ありますが、そのほとんどが組香の景色として「下附」に引用される程度であり、漢詩そのものを「証詩」とした組香は数少ないと言えましょう。例えば、有名なところでは「四季香」(春水満四沢 夏雲多奇峯 秋月陽明輝 冬峯秀孤松)、「重陽香」(燕知社日辞巣去 菊為重陽冒雨開)や「留春香」(留春不用開城固 落花随風鳥入雲)などが見られますが、「四季香」と「重陽香」は和歌も並列で取り扱われていますから、「証詩」が歴然と君臨しているとまでは言えません。このことは、香道という世界が殿上人の和歌を中心とした「たおやめぶり」な美学から発生していたということ に由来するものでしょう。また、後世、香道が地下人(じげびと)の手に渡り、職業香人たちが「女童の導きのために」(現在、こんな言葉を引用すると怒られそうですが)組香 を伝授の大衆化に利用したため、「難しいこと」は忌み嫌われつつ発展してきたことも理由に挙げられるかもしれません。それでも香道の爛熟期を迎え、新しい伝授の素材として「新組」をたくさん作り出していかなければならなかった頃から、学識のある 職業香人が漢文を題材として用いることで、今度は「香道の権威づけ」(高尚化)を図ったのではないかと思います。特に大枝流芳は、「もろこし(唐土)」での故事や慣習に基づく「ますらおぶり」な新組をたくさん作って おり、「盤物」の創作とともに大きな偉業をなしていると言えましょう。今回は、オリジナルの組香ですので、『香道千代乃秋』を出典として、作者の意を汲みつつ書き進めて参りたいと思います。
まず、この組香には「証歌」も「証詩」も存在しません。そのため、小記録を見ただけでは「なぜ詩句香なのか?」直感的には判りかねるかもしれません。この組香の趣旨については、出典本文の中段に「右の句 、いかように聞きても詩となる。五十句に変ず。」とあり、要素名の羅列が五言の詩句となることが明かされています。これにより、組香の求める景色は、各自の回答として香記 に表されることとなるため、香が満ちるまでは、あらかじめ予見となる景色を連衆に与えないように配慮されています。とはいえ、この組香の要素名は「窓」「清」「晩」「涼」「風」と記されていますので、ぼんやりと「夏の夜に涼風に吹かれている様子」を想像できる方はいらっしゃるかもしれません。これをシャッフルして、様々な香の出による情景の変化を各自が楽しみ、最終的には香記に「自分の詠んだ句」として配置して 、皆で作り上げた詩を一遍の作品として楽しむ」ということがこの組香の趣旨となっています。また、何故「五十句に変ず。」と書いてあるかについては、「連歌(れんが)」や「連句(れんく)」の歴史を紐解かなければなりませんので、解説しておきます。
「柏梁体」(はくりょうたい)は、漢の武帝が柏梁台を建て(BC116年)、群臣を招待して宴を催した際、 俸禄2千石以上の官吏26人に「七言一句の詩を詠ませ、これを1首に繋げて柏梁詩とした」という故事から生まれました。この形式は「聯句」(れんく=漢詩の連句)と称され、これが我が国の「付合文芸(つけあいぶんげい)」の起源とされています。
ここから、日本の伝統的な詩形の一種である「連歌」(れんが)が派生し、五言や七言の漢詩と和歌を交互に連ねる「漢和・和漢連句」も行われました。室町時代には、和歌の連歌の表現を滑稽・洒脱にして、より気軽に楽しめるようにした「俳諧連歌」が生まれます。これが、江戸時代に隆盛を極め、いわゆる「連句」といえば「俳諧連歌」ということになり、「三十六句(歌仙)」「五十句(五十韻)」「百句(百韻)」等の形式が整っていきます。大枝流芳自身は、漢文に詳しい好学の人であったため、漢詩による「連句」を実際に行っていたのかもしれません。いずれ、出典で書かれている「五十句」とは、おそらく 当時流行していた50句から成る付合形式「五十句」を「連句」の代名詞として用いているのではないかと思います。
ただし、「五十句」の形式を忠実に組香で具現化するには50人の連衆がいることになり、現実的には催行不可能となります。また、文字列に変化があっても「五言一句」の5文字が皆同じでは面白い詩にはなりません。ですから、「五十句となればよし。」とは、厳密に「答えの五言一句を繋げて五十句にせよ。」と言う意味ではなく、「各自の答えを連ねて連句に見立てよ。」という 程度の意味と捉えてよろしいかと思います。
さて、この組香の構造は至って簡単です。まず、「窓」「清」「晩」「涼」「風」は各2包作り、このうちすべての要素を1包ずつ試香として焚き出します。この組香に「客香」は無く、すべての香が既知の要素となるわけですから、試香をしっかり聞いておけば何も難しいことはありません。余裕があれば「窓清く晩に風涼し…」とか、自分で返り点(レ点)を付けて試香の景色も楽しんでみるといいでしょう。
次に本香は、手元に残った「窓」「清」「晩」「涼」「風」の各1包を打ち交ぜて、5炉を順に焚き出します。連衆は、試香と聞き合わせて要素名を判別して行きます。ここで出典では「文字の通り聞きしだい名乗紙に書きつけを(置)き、五包終りて香元に出だす。」とあり、連衆は本香を聞きながら名乗紙に答えを書いていく方法が認められています。現在でも、武家流、大名流の「後開き」の所作では「答えは本香が焚き終わるまで暗記しておくか、1炉ごとに聞き次第答えを記載する」こととなっており、出典の記述は、このことに根拠をもたらす貴重な記述と言っていいでしょう。確かに、紙の貴重だった時代に「メモ用紙」として懐紙等を用いることは稀だったでしょうし、数々の伝書が「仮に書きとめること」については言及しておらず、「名乗紙に認めて出す」と のみ記載されていることから、席中では「メモ無しが常道」だったのではないかと思います。現在、多くの方々がメモ用紙の懐中を許されているのは、稽古上の便宜的な流れから来ているのか、 懐紙を懐中するのが常道の香席で「自分の懐紙をどのように使うかは自由」という経済的に豊かな公家風の考え方から派生しているのかもしれません。いずれ、この組香では「聞き次第に答えを書き記す」方式で、名乗紙に答えとなる要素名を香の出の順に5文字書き記して回答します。
続いて、各自の回答が戻って来ましたら、執筆は、すべての答えを香記に書き写します。これは、各自の回答が、これから作り上げる詩の一句となるのです から当然です。執筆が正解を請う仕草をしましたら、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆は、正解の要素名を香の出の欄に縦一列で書き記し、これと同じ回答に合点を掛けます。点数について、出典では「独聞二点、二人より一点、餘は当たりのみ一点なり。」とあり、連衆の中でその要素を1人だけ聞きあてた「独聞」に2点という加点要素があります。この組香での最高得点は、全部を独聞した場合の10点となります。「点」の掛け方については、「詩句香之記」の記載例に「独聞」には要素名の右肩に「ヽヽ」と2点を掛け、その他の当りは「ヽ」と1点を掛けるように示されています。また、下附は、「○点」と「点」を付けて表示しています。昔の香書では「○点」と書き付けるのは貴人の点のみとされ、地下人は点数のみ を漢数字で記載するのが常道だったようです 。現代でも武家流・大名流では「貴人に謙譲の意味を込めて女性の名乗から『子』を略す。」という規範が残されていますが、公家流では略しません。「貴人席」の心得というものもあるにはありますが、大枝流芳の時代では、貴人との同席も稀となっていたため、この点は、かなり平等に取り扱われていたのでしょう。
ここで、この組香の特筆すべきところは、作者の大枝流芳自身が、この組香のアレンジの仕方を書き記していることです。出典本文の後半に、1つは「五包のうち一包試みなしにて、客となしても聞くべし。好みにしたがふべし。」とあり、時節や連衆の巧拙などにより、当座に応じて「客香」を作り、組香の難度を増しても良いことが記載されています。2つ目は「此の例を以て 、いかようにも新句を作り出だし用い給ふべし。五十句となし、詩となればよし。」とあり、昼の席ならば「樹」「陰」「夏」「日」「長」等と要素名を適宜変えて別の漢詩を作って良いことが明記されています。これらの珍しい記述は、彼自身が基本組を定め、派生組創案のヒントを与えることによって、香道界全体の隆盛を保とうとする気持ちの表れなのではないかと思います
最後に、勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
組香の中には香の出によって和歌や俳句を詠むものがあり、これらは、香人の研究会等の場であっても「深い教養」が試されるので敬遠されがちです。その点、この組香は答えが自動的に「自分の詠んだ句」となるため、初心者でも気楽に参加できる組香となっています。皆様も「詩句香」で、夏の連句会を催してみてはいかがでしょうか?
あれこれ「自分探し」をする前に・・・
今のありのままの自分を認めて進むと「餓鬼道」に陥らなくていいですよ。
「自分というもの」は、生きてるうちに自然に集束されて見えて来ます。
迷走するな!とは言いませんけど・・・
余分に走った経路を無駄にせず、どう人生の根幹に結び付けていくかですね。
雨去りて天に二星地に蛍葉ずれ清けし竹窓の風(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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