十二月の組香

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蝉丸の「これやこの…」の和歌をテーマにした組香です。

上の句と下の句を段組み構成にしたところが特徴です。

※このコラムではフォントがないため「 説明: 説明: 説明: 火篇に主と書く字」を「*柱」と表記しています。

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説明

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  1. 香木は4種用意します。

  2. 要素名は、「一」「二」「三」と「ウ」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。

  4.  「一」「二」「三」は各4包、「ウ」は3包作ります。(計15包)

  5.  「一」「二」のうち1包ずつを試香として焚き出します。(計2包)

  6.  まず、手元に残った「一」と「二」の各3包を打ち交ぜて、2包ずつ3組に結び置きし、これを「上の句」と呼びます(3×=6包)

  7. 次に「三」と「ウ」の各3包を打ち交ぜて、2包ずつ3組に結び置きし、これを「上の句」と呼びますます(3×=6包)

  8. 本香 A段は、「上の句」の3組を順に焚き出します。(計6包)

  9. 続いて、本香B段は、「下の句」の3組を順に焚き出します。(計6包)

  10. 答えは、2炉ごとに試香と聞き合わせて、「聞の名目」を6つ名乗紙に書き記して回答します。

  11. 記録は、各自の回答をすべて書き記し、当たり は「聞の名目」の右肩に「点」を掛けます。

  12. 点数は、要素名の当り 1つにつき1点とし、独聞は2点、「ウ」の独聞は3点とします。

  13. 下附は、全問正解の場合は「皆」、その他の場合は各自の得点を漢数字で書き記します。

  14. 勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとします。

 

薄れ日にも暖かさを感じる季節となりました。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」とは、俳聖松尾芭蕉の『奥の細道』の書き出しの言葉です。地元からあまり動かずに、いわゆる「土着民」として人生の大部分を過ごした私でも「会者定離」は最も卑近に感じることのできる無常観です。五十路に至るまでほとんど地元を動かず、一昨年にやっと「みちのくの地」を離れ「白河の関」どころか、東海道五十三次の四十一番「宮宿」辺りから「諸国漫遊の旅」の振り出しとなった私は、今まで何人の方と「同級生」「ご近所さん」「上司・部下」や「同好の志士」になって来たのでしょうか?そして、これから何人の方々と新たな出会いと別れを繰り返すのでしょうか?

思い起こせば、私にとっての「会者定離」は、香を生涯の友として、自分なりの香的生活をするために閑居を決め込んだ「ネット香人」になったことで大きく流動化し始めたのかもしれません。特に「香筵雅遊」を開設して程なく、ネット上で知り合いになった「茶髪ゆーいち」なる御仁の主催するメーリングリストの会に入ってから、私の交友関係は爆発的に広がりました。その時の私は、未だ 「つつましい香人」でしたから「新しい人との出会いが人生の糧」とモチベーションを上げる一方で、「出会いは、乱雑にしていると大切な思い出を1つ殺すから・・・。」とオフミ等も慎重に参加していたました。それにもかかわらず、「香道」の特異性を数寄者のお茶人が見逃す訳もなく、我がパソコンのアドレス帳に貯まった「同好の志士」は数百オーダーと膨れあがり、「香筵雅遊」に寄せられる質問への回答を最優先にして「返事は1日10通まで」と自主規制をしながら睡眠時間を確保していたものです。そんなアドレス帳も2度に渡るパソコンのディスククラッシュが強制的に「断捨離」してくれました。私自身は、ネットデビュー以来一貫してアドレスを変更していませんから、大きな篩を2度も通過して再接続された 奇特な方との絆だけが「本当のご縁かも」と思って今も大事にしています。

さて、師走になると、「除夜の鐘」が鳴り、1年間の月日を反芻するとともに自分の魂に降りかかった汚辱について思いを馳せることがあります。特に今年は、風呂場から毎日発生してくるおびただしい「小蝿」を抹殺していますので、相当に魂の位が下がっているものと 危惧しています。蛹から羽化したばかりであろうその日に消えていく虫の命を「こんにちは!」を免罪符にスポンジで押しつぶしていくのですが、「魂」と「生活空間」の汚辱を天秤にかけると、やはり現世利益で生理的に許せないのは、哀れなるかな「小蝿」の方なのです。 魂の罪穢れは「夏越し」で半分落として、後の半年も「能除汚穢(よくけがれをのぞく)」香を聞いていたので、それほど貯まってもいないと思うのですが、年末には、その年に犯した「罪」、「穢れ」 の数と「煩悩」ごとに108列で書かれた棒グラフの「通知表」が欲しいとすら思うことがあります。

そもそも「煩悩」とは、人間の迷いの元となる欲望のすべてのことですが、この「煩悩」自体が私にはわかりません。一説によれば、人間の身体の働きからなる眼・耳・鼻・舌・身・意の「六根」が、それぞれ好(+)・悪(−)・平(±)の「三種」に分かれて18煩悩 。人間の身体に入って清心を穢す色・声・香・味・触・法の「六塵」が、それぞれ苦(−)・楽(+)・捨(±)の「三受」に分かれて18煩悩。これらがそれぞれ過去・現在・未来の「三世」に分かれると合計108煩悩となります。これは、数式としてとてもわかりやすく、鐘をつく時に「過去の好の眼」「過去の好の耳」・・・順繰りに唱えていけば良いわけですが、「過去の好の眼」とはいったい何なのか?個々の煩悩のイメージが掴みづらいところが難点です。

一方、貪(とん:貪る)、瞋(じん:怒る)、慢(まん:我を張る)、痴(ち:愚か)、悪見(あくけん:見誤る)、疑(ぎ:疑う)を根本煩悩とする「六隋眠」を様々に細分化して98煩悩とし、無慚(むざん:自分と真理に恥じない)、無愧(むき:世間に恥じない)、嫉(しつ:妬む)、慳(けん:物惜しみ)、悪作(おさ:後悔)、睡眠(すいみん:眠たい)、掉擧(じょうこ:昂ぶる)、昏沈(こんじん:沈む)、忿(ふん:激怒)、覆(ふく:隠蔽)の「十纏」(じってん)を加えて108煩悩とする説は、イメージは沸くものの全体構成がわかりづらいので全てを暗唱しなければ唱えることができません。まぁ、こんなことを理解しようとすること自体が「こだわり」であり、即ち「煩悩」ですから、要するに、私たちの身や心を煩わせ、悩ませ、かき乱し、惑わせ、汚す精神作用は、この世に枚挙の暇が無いほど存在しているということなのでしょう。

師走になり、白い息を吐きながら「千種庵」の前を行き交う人も心なしか増えたような気がしますが、団地の住人も私自身もここに住んだ時点で、相対的には観光客に道を教える「土着民」であり、絶対的には皆行方知らずの「時の旅人」でもあるわけです。私が、これから先、転々と結ぶ「庵」には、必ずそこで行き会う人、別れる人がおり、生きる上で背負う様々な罪、穢れや煩悩は、今まで以上に流動化し肥大化するでしょうが、これを甘受することも「過客」としての努めかと思います。「世の中の憂きを身に積む柴舟」となって流れに身を任せ、年老いるごとに荷を下ろし、良く枯れたら、最後には自分自身が燃え尽きることになる人生ですが、「除夜の鐘」 で幾ばくかでも心身を軽くしたいと思います。

今月は、蝉丸の和歌を景色とした「逢坂香」 (おうさかこう)をご紹介いたしましょう。

「逢坂香」は、菊岡周斉伝の『香道蘭之園(五巻)』に掲載のある 「二*柱聞(にちゅうぎき:2炉を1組にして聞く形式)」の組香です。同名の組香は、『御家流組香集(禮)』に も同様の記述があり、『御家流組香集(追加)』には、これを「*柱合せ(たきあわせ :1炉に2つの香木を載せて焚く形式)」にした*柱合逢坂香」も掲載されています。また、聞香秘録の『勅撰新十與香』には、「逢坂香 」(一名:対句香とも云う)という香5種の組香があり、こちらも証歌の句を分割した景色で成り立っているところは共通しています。 この組香は、数々の伝書群から見て御家流の系譜に属するものと思われますが、今回はその中でも記述に詳しい『香道蘭之園』を出典として書き進めたいと思います。

まず、この組香には証歌があり、出典には『小倉百人一首』10番で有名な「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関(蝉丸:後撰和歌集1089)」が記載されています。この歌は、「逢坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに、行き交ふ人を見て」との詞書に続いており、意味は「これがそうか、東国へ旅立つ人やその人を見送って引き返す人が別れる一方で、知っている人も、知ら ない人も、出逢いを繰り返すという『逢坂の関』なのだなあ。」というところでしょうか。逢坂の関は、畿内の東の入口とされ、東海道と東山道の2本が通過するため古くから交通の要衝で、不破関(岐阜県)、鈴鹿関(三重県)とともに畿内を守る「三関」と言われていました。現在は、滋賀県大津市の京阪電車京津線「大谷駅」から東に歩いて2分ほどのところに「逢坂山関址」が残されています。『小倉百人一首』62番には、「夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関は許さじ(清少納言:後拾遺集940)」とも読まれており、清少納言の貞節のように出入りの厳しい関であったことが伺われます。

詠み人の蝉丸(せみまる:生没年不詳)は、平安時代前期の歌人ですが詳しいことは判らず、この歌の詞書から逢坂の関のあたりに庵室を営んでいた隠者とされています。このため、「坊主めくり」の札でも後姿が多いので印象深い人かと思います。また、盲目の琵琶の名手で、源博雅(918980)に秘伝の曲を伝授した人物との説話が『今昔物語(第24巻23話)』に掲載されており、この蝉丸伝説が彼のイメージの基となって、後世「琵琶法師の元祖」「音曲・芸能の神」として祀られることもありました。歌人としては、勅撰集への採用は4首のみで、後撰和歌集に採用された初出の歌が「小倉百人一首」にも採用されることとなりました。

この証歌のテーマは「会者定離」で、仏教的には「生者必滅会者定離」で1つの意味をなし「命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れることになる」という世の無常を詠んだ歌とされています。古くは『遺教経』にも「世皆無常、会必有離」などもあり、盲目の蝉丸は、庵の前を行き過ぎる人々の様々な出会いと別れの気配から世の無常を感じ取っていたものと考えられます。

次に、この組香の香種は4種、全体香数は15包で、本香数は12炉です。要素名は「一」「二」「三」と「ウ」となっています。このように要素名が匿名化されているのは、後に「聞の名目」によって景色が配されるため、各香は 景色を結ぶための単なる素材として取り扱われているからであり、要素名はその番号と言っていいでしょう。

この組香の構造は、まず「一」「二」「三」を4包ずつ作り、「ウ」は3包作ります。次に「一」「二」「三」のうち1包ずつを試香として焚き出しますので、 試香が終わった時点では各要素とも3包ずつ手元に残ります。出典には「右、一、二の香六包打合、二包づつむすび置きて、これを『上の句』と名付。三、ウの香六包打合、二包づつむすび置きて、これを『下の句』と名付。」とあり、「一」「二」の各3包を打ち交ぜて「上の句」の2包3組を作り、「三」「ウ」の各3包を打ち交ぜて「下の句」の2包3組を作ることが記載されています。これは、所謂「段組 (だんぐみ)」という構成で、組香の景色の大きな区切りを表す手法ですが、この組香は、要素名を2つずつに分けて証歌の景色を上下と区切っているところが構造上の特徴となっています。また、「結び置き」とは、香包がそれぞれ混じり合うことの無いようにあらかじめ紙緒等で結んで置く手法 のことで、この組香の所作の特徴であると言えます。

さて、本香は先ほど結び置きされた「上の句」の3組を打ち交ぜて、結びを解き、一の組から三の組まで順に6炉焚き出します。ランダムに打ち交ぜられた「一」「二」の香包は、「一・一」「一・二」「二・一」「二・二」の4パターンの出現可能性が考えられることとなりますが、香は各々3包ずつしかないので、香の出(正解)は、このうち「一」「二」の総数がそれぞれ3包となるパターンの組合せに限られます。(例:「一・一」「一・二」「二・一」は「一」が4包必要なので出現しない。その代り「一・ 一」「二・一」「二・二」は有り得る。)同じく、「下の句」も3組を打ち交ぜて、結びを解き、一の組から三組まで順に6炉焚き出します。こちらも出現パターンは「三・三」「三・ウ」「ウ・三」「ウ・ウ」のいずれかの組合せとなります。

香炉の廻し方について、出典では「二*柱聞にして」とのみ書かれていますので、連衆は試香と聞き合わせて、2炉ごとに「聞の名目」を見合わせ、上の句で3つ、下の句で3つの合計6つの名目を名乗紙に記載して回答します。

回答に使用される聞の名目は下記の通りです。

香の出と聞の名目の一覧

香の出 聞の名目
 一・一  これやこの
 一・二  ゆくも
 二・一  帰るも
 二・二  別れては
 三・三  しるも
 ウ・ウ  しらぬも
 ウ・三  あふ坂の
 三・ウ  関

このように、聞の名目は、蝉丸の歌を分解して「行く」「帰る」「知る」「知らぬ」を対比させた景色を配しています。

ここで、上の句は香の出の組合せと名目が順序よく配置されていますが、下の句は同香の組合せが先行しているのがお分かりでしょうか?おそらく、これは 試香で聞いたことのある「三」同士の組み合わせを既知の香として「知る」とし、客香である「ウ」同士を未知として「知らぬ」を配置したものと思われます。また、そう考えると「行く」が「一・二」と進み、「帰る」が「二・一」と後退するという組合せも「むべなるかな」と思えます。聞の名目の配置については、各伝書とも同じ記述ですので、最初から作者の創意がここに含まれているものと思われます。

続いて、本香が焚き終わり、名乗紙が帰って参りましたら、執筆は各自の回答を全て書き写します。執筆が答えを請うたら、香元は香包を開いて正解を宣言します。この際、鶯には12枚の香包が留まっていますので、あらかじめ良く整え、所作の際に入れ違ったり、落としたりしないよう心がけましょう。香元が正解を宣言しましたら、執筆は香の出の欄に要素名を2つずつ千鳥書きし、縦6段に並べて書き記します。

この組香の点数について、出典では「一人ぎき二点、ウの一人ぎき三点、二人より一点」との記載があります。ここでは、通常の得点である「平点」については記載がなく、連衆の中で1人だけ正解した「独聞」について のみ、試香のある「地の香」と試香の無い「客香」を区別した加点要素が 2種類あることが記載されています。これを解読しますと、「一」「二」「三」のような「地の香」は、当たりにつき1点ということをベースに 、「地の香」の独聞は2点、 「客香」の「ウ」は独聞ならば3点ですが、2人以上が当たった場合は「地の香」「客香」を区別せずに1点とすると書いてあることになります。

また、この点法について「逢坂香之記」の記載例を見ますと聞の名目を構成する要素ごとに当否を判定していることがわかります。つまり香の出が「一・二 (ゆくも)」の場合、名目を「ゆくも(一・二)」と書けば正点で2点、「これやこの(・一)」と書いても、最初の1つは当っているので傍点の「1点」 が加えられるという「片当たり」が認められています。 なお、「片当たり」は香の順番が違っているものは正解となりませんので「帰るも(二・一)」と答えた場合は0点です。このようにすると独聞が無い場合の 全問正解は「一」「二」「三」「ウ」が各1点で合計12点が最高得点となります。因みに全問独聞だった場合は、(2点×9つ)+(3点×3つ)で27点 が最高ということになります。

正解を写し終わったところで、執筆は、この点法に則り、まず正解となる「聞の名目」を定め、これと同じ「聞の名目」の右肩に正点の2点を「ヽヽ」と掛けていきます。次に名目を構成している「要素 」を1つずつ分解し、 各組の初後(前後)の香の内どちらかが当たっているものにも傍点を「ヽ」と打ちます。(点の位置は初香の当たりは名目の上部、後香の当たりは下部に記すと次の仕事がしやすいです。)さらに、連衆の答えを横に見て、要素の 「独聞」があった場合は先ほどの点に「ヽ」を加えて2点とし、ウの独聞があった場合は「ヽヽ」を加えて3点と します。例えば「しらぬも(ウ・ウ)」の独聞の場合は合計6点となりますので、名目の両肩に3点ずつとなるように点を振り分けて掛けます。

因みに、私としては、「ウ」の独聞を3点とするならば「ウ」の当りも平点と区別して2点とすべきという思いもあります。また、この点法だけは各書によって区々であり、最も似通っている『御家流組香集(禮)』では「ウ二点、その外一点、両点、片中の点あり。」とあり、独聞は無く、客香のみに加点要素があります。私としては、最高点が15点で動かないこちらの方がシンプルで良いかと思いますが、当座のルールで出典の「独聞のみ加点」でも別書の「客香のみ加点」でも、 射幸心を煽って「両方を加点」でもよろしいかと思います。

【参考】「独聞」と「客香」の両方を加点要素とする場合の点法

要素名 当り 独聞
一、二、三(地の香) 1点 2点
ウ(客香) 2点 3点

この組香の下附は、全問正解の場合は何点であっても「皆」と記され、その他は各自の得点を漢数字で書き記します。

最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。

 『今昔物語の蝉丸伝説は、末尾の部分で 「諸々の道はこのようにひたすら好むべきものである。今の世はそうでない。だからこの末代、諸道に達者が少ないのである。まことに哀れなことである。」 と嘆きます。平安末期に「この末代」と嘆かれた諸芸の「現代」は、いかばかりでしょうか?お香の道をひたすら好むものとして、皆様も是非歳末に「逢坂香」で、「自分」という関に去来する人々に想いを馳せ、「行く年、来る年」を感じてみてはいかがでしょうか?

 

来年は癸巳(みずのとみ)・・・十干十二支の30番目です。

水剋火なので波乱万丈のようですが、新たな再生の兆しに期待しましよう。

さくさくと霜踏む音の懐かしき鄙の山路や子らの面影(921詠)

今年も1年ご愛読ありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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