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説明 |
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香木は、3種用意します。
要素名は、「春雨(はるさめ)」「夕立(ゆうだち)」と「時雨(しぐれ)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「春雨」「夕立」「時雨」は、各2包を用意します。(計6包)
そのうち「春雨」「夕立」「時雨」の各1包を試香として焚き出します。(計3包)
手元に残った「春雨」「夕立」「時雨」の各1包を打ち交ぜて焚き出します。
本香は、3炉廻ります 。
回答は、香の出の順に要素名で3つ名乗紙に書き記して提出します。
点数は、要素名の当たりにつき1点とします。(3点満点)
下附は、点数を記載せず所定の言葉で書き記します。(委細後述)
勝負は、正解数の最も多い上席の方の勝ちとなります。
五月晴れの空に「藤」芳しい紫の雨を降らしています。
暖かくなり、知多半島あたりの海藻が旬になったので、三陸でも盛んだった「メカブのしゃぶしゃぶ」と洒落込みました。これは、「メカブを茎ごと鍋の出汁につけて茎を握ったままポン酢で食らいつくだけ」という大変野趣豊かな料理で、鮮やかな緑色に変わったメカブはコリコリとした歯ごたえとネバネバした感触が絶妙です。これを食した後に残った硬い茎がもったいないので「佃煮にでもしよう」とスライサーで小口に削いでいたところ、突然茎がヌルッと滑って親指爪先の左端をスライスしてしまいました。その時、およそ45年前に同じ怪我をした思い出がフラッシュバックしました。
私は、小学校5年の時、町に新設された「ボーイスカウト宮城205団」に創設メンバーとして入団しました。当時貧乏の極みだった我が母は「息子に男の世界というもの」を教えるために、無理をしてライオンズクラブの子弟の集まりのような集団に私を放り込んだようですが、私は「野外活動大好き人間」でしたので、2つ返事で母の落とした「千尋の谷」に落ちて行きました。入団に当たり、制服・制帽等は団から貸与されたのですが、ロープやナイフ等の装備品は自分で買い揃える必要がありました。そのおおかたを指定店である仙台のデパートで購入したのですが、ナイフは無かったため地元のスポーツ店で品定めして買うことにしました。当時、刀剣規制はそれほどうるさくなかったので、「登山ナイフ」であれば小学生でも買えたのです。買い求めたナイフは刃渡り14センチで当時2,200円だったでしょうか?我が家にしてみればとても高価なものでした。買い求めたナイフは、「取扱いのミスで深手を負うことの無いように」という団の決まりで、切先(きっさき)を砥石で丸めました。そうして、勇んで出かけた最初のキャンプで、薪割りの際に割り損ねた薪が倒れて、自分の親指爪先の左端1/4ほどを落としてしまったのです。溢れる血にショックを覚えましたが、これまた当時はおおらかだったので病院に連れて行かれることはなく、止血法と応急手当の良い題材となり、「飛んで行った指先の夢を見ながら」そのまま一夜を過ごした覚えがあります。それから中学卒業まで、居心地の良い「千尋の谷」に君臨し続けましたが、武士の家系というDNAもあったのでしょうか、このナイフは私にとって「魂」のような存在でした。
その後、「危険物厳禁」の子育て時代があり、野外活動からも遠ざかっていたため、このナイフが次に使われたのは私が40歳から始めた「竹細工」でした。茶人との交流から「茶杓」に目覚め、「ド素人の茶杓」として人気を博していた頃、素性の良い竹は切るよりも割った方が思い通りに細工ができるので、とても重宝したものです。最終的には「一重切」や「棗」も作るようになりましたが、この時期にナイフは金鎚で叩かれたため、棟(むね)の部分にたくさんの鎚痕を持つようになりました。
それから干支が一回りした頃、久々にサバイバルで使われたのが「東日本大震災」の時、七輪で煮焚きをする際の炭割りでした。この時は、アーバンキャンプのような生活でしたのでとても重宝するとともに、炭の微粒子のお蔭でで使うほどにピカピカになっていくナイフを見るのもうれしいものでした。こんなところでボーイスカウトの経験が役に立つとは思っていませんでしたが、風向きを読み、湿った薪からでも火が起こせる技術は、寒い朝に焚きつけの無い炭に火をつけるのにも役立ちました。
料理の際に久々に怪我をして、道具箱に入っているナイフ思い出し、取り出して見ましたら、鎬(しのぎ)の部分には錆が出ており、とても「武士の魂」とは言えない風体になっていました。当世のアウトドア生活はナイフを携行すること自体「野蛮」とされ、出番は少なくなっていますが、おそらく「生涯一振」となるであろうこのナイフをしっとりと心の落ち着く五月雨の夜に「シャキーン!」と研ぎ澄ましてみたいと思いました。
今月は五月の雨音に四季の姿を観る「五月雨香」(さみだれこう)をご紹介いたしましょう。
「五月雨香」は、聞香秘録の『香道春曙抄』に掲載のある夏の組香で、「 香十 香りと文化の会」が発行した『香道の栞(二)』にも同様の記載を見ることができます。「五月雨香」は季節感を明確に表せる題号であることから、同名の組香は数多くみられ、私の蔵書の中だけでも9冊に掲載がありました。
その一つは、平成12年5月にこのコラムでご紹介した『御家流香道要略集』を出典とした「五月雨香」で 、香3種で要素名が「一」「二」「三」、本香5炉(4+1)で段組があり、下附が2つ付くという技巧的な組香でした。この組香は出典の証歌の後に「此の御製を以て、東福門院御作意ありしとぞ」とあることから、少なくとも御家流系「五月雨香」のオリジナルだろうということでご紹介したのですが、同様の組香は、聞香秘録の『香道萩のしほり(下)』をはじめ、三條西堯山著の『香筵雅友』や北小路功光・成子共著の『香道への招待』等、昭和の香書にも掲載されています。また、『御家流組香集(智)』では、香4種で要素名が「一ほか三種別香」(「一」「二」「三」「四」)で本香7炉のものも掲載されています。
さらに、米川流香道『奥の橘(鳥)』には、香4種で要素名が「五月雨」「時雨」「村雨 」「夕立」、本香9炉の「五月雨香」が掲載されています。こちらは、志野・米川流系ということになろうかと思いますが、組香の景色もすっきりしていて好感が持てます。米川常伯自身が東福門院と交流があったため、こちらも源流に近い組香だと考えられ 、ここまでは、証歌も同じで景色も似通っているため、「東福門院御作意」によるものの派生組として考えられることができます。
一方、日本香道協会機関誌の『香越理』(第十二・十三号)には、北川隆子さんが「星一つ見つけたる夜のうれしさは月にもまさる五月雨の空」を証歌とし、要素名を「月」「星」「夜」、本香5炉(3+2) で段組み有りの新作も見られます。
このように数多ある「五月雨香」の中から、今回は最もシンプルで一般向けである『香道春曙抄』を出典、『香道の栞(二)』を別書として書き進めたいと思います。
まず、この組香には証歌があり、出典には「中和門院御詠歌に」に続いて「五月雨は時雨むらさめ夕立のけしきを空にまじえてぞふる」と記載されています。意味は「五月雨は、時雨、村雨、夕立など、いろいろの季節を彷彿とさせる様々な景色で降るものよなぁ」というところでしょう。梅雨という夏の一時期に降る雨の姿や音から、四季の雨を連想して詠い上げる感性や心の豊かさは 「流石は宮人」と感嘆すべきものがあります。
詠人の「中和門院」(1575〜1630年)は、近衛前子(このえさきこ)といい、豊臣秀吉の養女として入内し て後陽成天皇の女御となり、後に香道史に名を残すこととなる後水尾天皇、近衛信尋のほかたくさんの皇子女を儲けました。彼女は、これら皇子女の教育や、徳川秀忠の娘和子(東福門院)の入内、後水尾天皇の譲位など江戸初期の幕府と宮廷の間にあった様々な問題の対応に心を砕いた人と言われています。つまり、『御家流香道要略集』等にあるオリジナルの「五月雨香」は、義理のお母さんの歌から発想して、嫁である「東福門院」がを創作したということになります。
一方、「東福門院」(1607〜1678年)は、徳川和子(とくがわまさこ)といい、2代将軍徳川秀忠と正室「お江」の間に生まれた7番目の子(5女)で、幼名は松姫(まつひめ)といいました。誕生 後まもなくから公武間で入内が画策されていたようで、諸々の障害から繰り延べとなりつつも元和6年(1620年)に入内し、この 時、既に香道具が嫁入道具の中に備わっていたと言います。夫の後水尾天皇は後に「寛永文化」といわれる様々な芸術の振興に尽くし、妻の和子もかなりの教養人として名を馳せていました。特に、香道には執心し、女院御所内でも生涯、香を嗜んだといいます。当時、御所に出入りしていたと言われる米川流の米川常伯との交流から「奥向け」の香道が継承・発展し、しだいに大名の姫から武家の娘にいたるまで「女性礼式の必須科目」として浸透することになったのも、彼女の存在(ブランド力)があったからこそではないかと思います。彼女の墓所は京都泉涌寺山内の月輪陵(つきのわのみささぎ)にあり、私は平成19年(2007年)にお参りをしてきました。因みに、「中和門院」の墓所も泉涌寺山内にあります。
次に、この組香の要素名は「春雨」「夕立」「時雨」となっており、それぞれ「春、夏、秋」の雨の景色を表す季語となっています。証歌には、「時雨、村雨、夕立の…」と詠まれた句がありますので、おおよそはこの句から引用されたものと見当がつきますが、「村雨」だけは「春雨」と書き換えられています。「村雨」とは、強く降ってすぐ止む「にわか雨」のことで、どちらかというと「夕立」「時雨」と似た季節感の雨となります。すると五月雨前の音も無く静かに降る「春雨」の景色も必要だったのでしょう。そこで、組香の作者は、季節感が曖昧で、他の要素と降り様の景色も似ている「村雨」を「春雨」と入れ替えて配置したものと思われます。
因みに別書『香道の栞(二)』では、証歌の「村雨」が「はるさめ」となって句と要素名は完全一致するように書いてあり、その上で「出典によりまし ては『はるさめ』が村雨になっております」と解説しています。私も証歌自体が「はるさめ」となっていた方が、「五月雨」を見つつ「四季の雨の景色が混じって降るたようだ。」詠んだ中和門院の趣旨にも合いますし、要素名との符合も明確になる気がしています。私が調べた範囲内で証歌が「はるさめ」となっている「五月雨香」は『奥の橘(鳥)』『香道萩のしほり(下)』『御家流組香集(智)』でした。これらを典拠とすれば、香席などで説明する亭主側が、かなり楽になりますので参考としてください。
さて、この組香の構造は至って簡単です。まず、「春雨」「夕立」「時雨」の香を各2包作り 、そのうち1包ずつを試香として焚き出します。この組香は単純明快な構造をしているため、香組をする際には「春雨」「夕立」「時雨」の景色が際立って、心に素直に入ってくるような香木を選ぶべきかと思います。すると初心者・上級者の席を問わず「出香者があらかじめ描いた景色のままに連衆が心象風景を結んでくれた」という、香席における「一座建立」の醍醐味を知ることができると思います。
そして、本香は手元に残った「春雨(1包)」「夕立(1包)」「時雨(1包)」の計3包を打ち交ぜて焚き出します。連衆も決して難しい構造ではないので、試香で結んだ「雨のイメージ」と聞き合わせながら、ゆっくりと香の醸し出す景色を楽しみましょう。本香3炉が焚き終わりましたら、連衆は名乗紙に要素名を出た順に書き記して提出します。
名乗紙が帰ってまいりましたら、執筆は連衆の答えを全て書き写します。執筆が正解を請うたら、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆は香の出の欄に正解の要素名を書付け、当たった答えに合点を「ヽ」と掛けます。この組香の点数は、1つの要素の当たりにつき1点と換算しますので、満点は3点となります。
続いて、出典では「聞き香の下に名目有り」と記載があり、下附は各自の成績を表す言葉のみを書き記し、点数を漢数字で書き記すことはしません。下附の名目は下記の通りです。
香の聞き | 下附 |
春雨の一種聞きたるは | 花の香(はなのか) |
夕立の一種聞きたるは | 涼風(すずかぜ) |
時雨の一種聞きたるは | 梢を染(こずえをそむ) |
三種とも聞き当るは | 五月雨(さみだれ) |
三種とも聞き当らずは | 有明月(ありあけづき) |
このように、雨が周囲にもたらす状況の変化を表す言葉が用いられています。「春雨」は桜をはじめとした花の香を立たせて、より深く感じることができるようにしてくれますし、「夕立」は、必ず涼やかな風を運んできてくれます。「時雨」が降れば、乾いた紅葉が濡れることで色鮮やかに発色します。この情景は古くから歌にも詠まれており「薄く濃く梢を染むる山姫の心の色は時雨なりけり(嘉元百首2646)」や「水鳥の青葉の山やいかならむ梢を染むる今朝の時雨に(内大臣家歌合7)」などの歌も見られます。また、全問正解は「五月雨」となります。これは、「すべての季節の雨を彷彿とさせる様々な景色で降った」ということでしょうから、証歌の作意と景色を具現化した言葉が下附されます。そして、全問不正解は「有明月」となります。これは単に「雨が降らなかった」ととらえるのが一般的かと思われますが、「一晩中雨を待って、ついに夜が明けてしまった。」と時間軸を加えて解釈するのも情緒が深まってよろしいかと思います。
因みに、一部当りの下附について「一種聞きたる場合」だけが想定されているのは、この組香の構造上「2つ当って1つだけ間違い」ということが無いからです。例えば「春雨」が1つ当たっていれば、必ず残りの「夕立」と「時雨」が入れ替られて間違いとなる筈です。初心者向けの香席ですと、出るはずの無い同じ要素が2つ名乗紙に書かれている場合がありますが、そのようなことの無いように「必ず答えは1つずつ」と念を押すとよいでしょう。
最後に勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。下附は各自の得点を表さないので、各自の解答欄の合点の数を数えて優劣を決しますが、点数は「3点」「1点」「0点」の3通りとなります。複数の同点者が乱立する勝負になろうかと思いますので、なるべく上座に座られた方が香記を獲得できる確率は上がりますね。
5月は、爽やかな新緑の空に誘われて活動的となる季節ですが、時折「お湿り」がないと疲れを起こしてしまいます。梅雨にはまだ間がありますが、五月雨が見せる様々な雨の降り様を「五月雨香」でしっとりと感じてみてはいかがでしょうか?
私は、不如帰の鳴き声を聞きながら夜なべ仕事をするのが好きなのですが・・・
壁の薄い夜の庵から刃物を研ぐ音が聞こえるのは
隣家にとって、あまり気持ちの良いものではありませんかね。
村雨や乱に映る雲間より藤の夜風の香りこそすれ(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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