六月の組香

夜の蓮池から邸内に漂う香りをテーマにした組香です。

全問正解の解答欄に詩句を書き記すところが特徴です。

※ このコラムではフォントがないため「 ちゅう。火へんに主と書く字」を「*柱」と表記しています。

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説明

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  1. 木は4種用意します。

  2. 要素名は、「荷葉(かよう)」「開花(かいか)」「月影(つきかげ)と「香風(こうふう)」です。

  3. 香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。

  4. 「荷葉」と「開花」は各4包、「月影」と「香風」は各2包作ります。(計 12包)

  5. このうち「荷葉」「開花」の各1包を試香として焚き出します。(計 2包)

  6. 手元に残った「荷葉」3包に「月影」2包を加えて打ち交ぜて焚き出します。(計5包)

  7. 本香A段は5炉廻ります。

  8. 続いて、手元に残った「開花」3包に「香風」2包を加えて打ち交ぜて焚き出します。(計5包)

  9. 本香B段も5炉廻ります。

  10. 連衆は、試香と聞き合せて名乗紙に要素名を出た順に10個書き記します。

  11. 本香が焚き終わったところで、執筆はまず本香の出(正解)を香元に請います。

  12. 香元は正解を宣言し、執筆は 各自の答えが「全問正解か否か」を見極めます。

  13. 全問正解でない場合は、各自の回答をそのまま書き写します。

  14. 全問正解の場合は「詩二句」を答えの代わりに書き記します。(委細後述)

  15. 下附は、全問正解の場合は「全」、その他の場合は点数を漢数字で書き記します。

  16. 勝負は、点数が多い方のうち、上席の方の勝ちとなります。

 

百舌鳥が鳴き、梅が色付く季節となりました。

初夏の日差しと風を感じると秋田市「千秋公園」の蓮を思い出します。駅から官庁街に向かうアーケード街から見える「久保田城跡」の大手門堀は、一面蓮の葉で覆われており、大小の花とのコントラスに加え大きな噴水の水しぶきがマッチして、私はその美しくも涼味のある景色をしばし佇んでは堪能していたものです。佇む際の必須アイテムは、夏の秋田名物である「ババヘラアイス」でした。頬被りに帽子姿のお婆ちゃんがピーチパラソルの下の保冷缶から、ヘラを使ってバナナ味とイチゴ味のアイスを掬い、コーンにバラの花びらのように盛った「バラ盛り」は、見事な造形でした。アイスの花の色が辺りの蓮の花の色合いと似ており、懐かしい「アイスクリン」の味わいと も相まって、秋田市の出張では欠かせない私の「買い食い」タイムとなっていたものです。

元来「小さいもの好き」の私は、花暦を愛でる時も小ぶりな花を撰んでしまうのですが、蓮だけは大ぶりな植物にもかかわらず、好きな夏の花の代表として「蓮座?」しています。それはなぜかと考えてみますと、まず第1は色合いです。 蓮の色は、葉の緑と花の桃色の対比が秀逸です。葉の緑については、ベルベットのような「濃き緑」の葉表も日に透かすと葉脈が浮き出る「薄き緑」の葉裏もどちらも美しい夏の色を見せています。花の桃色は、クリーム色の芯からピンクの先端へとグラデーションのかかったデリケートな色合いがまさに「桃の色」で、これが、葉の緑と好対照を演じています。 日差しがきつく、陽炎のかかるような天気の時は、これが全体にパステル調に霞んで、この世のものとは思えないような安らぎの色を呈してくれます。第2は花の形です。 まず、シャープな先端を持ち、縦にストライプの入ったすっきりした花弁の感じが好きです。その上、花房全体としては掌を合わせて作った花のように「ほんわか」と丸い形に収まっているところが「極楽浄土は蓮の花の形をしていると言われるのも宜なるかな 」と思うほど良い形をしています。そして、第3に植生している水辺の雰囲気です。蓮は、水生植物ですから「水の宮の住人」である私としては元々親和性があり、水面の涼しげな景色や渡り来る風、立ち葉の上に結ぶ白玉、浮き葉の下に息づくミズスマシや水生昆虫までが愛おしい景色に感じられます。

蓮といえば、昭和26年に古代の種子から復活した「大賀ハス」が有名で、千秋公園の蓮も従来は観光パンフレット等で「大賀蓮」と紹介されていました。これが、純系の「大賀ハス」では ないことがわかったのが10年ほど前で、どうも千葉市から譲り受けた「大賀ハス」と分けて栽培していた在来種との間に雑種が生まれたとか、時を経て「大賀ハス」自体が陶太されたという経緯があるようですが、「2000年以上前の古代蓮の姿」と信じて見ていた私はこれを聞かされていささかショックを受けたものです。以来「大賀ハス」は私の中では「幻の花」となってい たのですが、 昨年、岐阜県の羽島市が「大賀ハス」で有名なことを知り、まだ見たことになっていない「幻の花」を拝みに行って来ました。「大賀ハスまつり」の会場は約5,100平方メートルの広大な 蓮園で 、周囲を埋め尽くす緑のベルベットの上に伸びやかに咲く大輪の花や蕾は、悠久の時代を思い起こさせるに十分な雰囲気を醸し出していました。また、会場で食べた「蓮の実クッキー」や葉の上に注いだ酒を蓮の茎を通して飲む「象鼻杯 (ぞうびはい)」は、蓮の香りが感じられて、香人としても貴重な体験となりました。

 蓮は植物のなかでも、もっとも古い歴史を持ち、およそ1億4000万年前に、すでに地球上に存在していたといわれています。一方、その命を繋いできた「花」の命は短くて、朝方にたった4日間咲いただけで散ってしまいます。その少ない交配のチャンスを有効に使うためでしょうか、花の香りは本当に魅力的で、雄蕊の香りを茶葉にうつした「蓮茶」も私の夏の定番となっています。 蓮の花が「ポン」と咲くのは朝限定の上、水辺では容易に近づけないため、香りはお茶で楽しむのがお手頃と思っていましたが、今年の夏は早起きをして、何処ぞの蓮池で「咲きたての香り」を聞いてみたいと思います。

今月は、夏の夜風に蓮の香が薫る「蓮香 」(はすこう)ご紹介いたしましょう。

「蓮香」は、早稲田大学蔵の『外組八十七組(第二)』に掲載されている夏の組香です。この組香は題号の前に「東福門院樣御作」との記載があり、「五月雨香」同様、東福門院(徳川和子)が自ら創作したオリジナルの組香であることが判ります。夏の組香では 平成15年の7月にこのコラムでもご紹介した「蓮葉香(はちすはこう)」が有名で、そちらは要素名を「は」「ち」「す」とした和歌の折句をテーマにした組香でした。一方、「蓮香」は中国の漢詩を主題しつつも和歌的な景色で仕上げられた、大変 「たおやかな」作品となっています。今回は、オリジナルの組香ですので『外組八十七組』を出典として書き進めたいと思います。

まず、この組香には証歌はありませんが、出典には記録の際の趣向として「葉展影飜當砌月 花開香散入簾風」という「漢詩」 を用いるることが記載されています。

まこの詩の出典を辿りましたところ、『白氏文集(巻十六)』「階(きざはし)の下(もと)の蓮(はちす)」の詞書のある白居易の詩に尋ね当りました。

葉展影飜當砌月  葉展(の)びては飜影(ひるがへ)る 砌(みぎり)に当れる月

花開香散入簾風  花開(ひら)けては香(か)散ず簾(すだれ)に入(い)る風

不如種在天池上  如(し)かず 天池(てんち)の上に種(う)ゑて在らんには

猶勝生於野水中  猶(な)ほ勝(まさ)れり 野水(やすい)の中(うち)に生(しやう)ずるには

意味は「蓮の葉がひろがると、汀の石を照らす月の光に葉の影もひるがえり、蓮の花が咲くと、簾の中に吹き入る風とともに、花の香がまき散らされる。天上の池に植えておくに如くはないが、そうかと言って野中の泥水に生えるのよりはましだ。」ということで、白居易が江州司馬に左遷されていた頃に自身を階下の蓮に擬え、「天池」に長安の都を、「野水」に江州を喩えて詠んだということです。前半の二句が非常に抒情的であるのに加え、後半の二句は蓮に対しても愛情なく「吐き捨てられた」感じの作品であり、 読む人の心象にとても格差の生じる詩となっています。

そのためか、この詩は『和漢朗詠集(巻上夏176) 』の「蓮」の部には初二句のみが掲載されており、後世の「簾に吹き込む蓮の香り」という美意識は「明け方は池の蓮もひらくれば玉のすだれに風かをるなり(長秋詠藻:藤原俊成)」のよう に和歌の題材として頻繁に取り上げられるようになりました。そのようなことから、おそらく作者は『和漢朗詠集』の二句を見て組香の抒情的な景色を膨らませたのではないかと思います。

次に、この組香の要素名は「荷葉」「開花」「月影」と「香風」となっており、それぞれ詩句に配された情景なのですが、そのものではなく詩句のイメージを「和訳して据えた」という感じでしょうか?「荷葉」は 「蓮の葉」のことで、ここでは詩句の「葉展」に通じるほか、六種の薫物の「荷葉」から香りの連想も加えて用いたものとか思われます。「開花」は「花開く」ことですから詩句の「花開」に通じ、蓮の香が風に混じる発端となります。「月影」は、国文学的には「月の光」のことで詩句の飜當砌に通じます。厳密には飜」は「葉の影」 のことですので、「葉の影がひるがえることによって石に映された月の光」が組香の景色として採用されていると解釈した方がいいでしょう。「香風」は「薫る風」のことで詩句の散入簾に通じます。これについては、国語辞典にはない感性表現となっていますが、「蓮の花から散じた香りが風にのって御簾に入るまでの流れ」を景色としていると解釈していいでしょう。

ここで、小記録の要素名の序列について、詩句の登場順となっていないという違和感を持たれた方もいらっしゃるかと思います。これについては、香組の習いから「香数の多寡」や「試香の有無」で配列されているためで、本香焚き出しのところで 入れ替えられて辻妻が合うようになっています。

さて、この組香の構造は、香4種、本香数10香となっています。まず、「荷葉」と「開花」は各4包、「月影」と「香風」は各2包用意し、そのうち「荷葉」と「開花」の各1包を試香として焚き出します。 これは、試香によって蓮の葉と花を開かせ、連衆に舞台となる蓮池を思い浮かべさせる趣向となっていると言って良いでしょう。続いて、本香を焚き始めますが、出典では「まず初めに荷葉三包に月の二包を入れ、五包を打ち交ぜて焚き出すべし。次に開花三包に香二包を打ち交ぜて聞くべし。」と の記載あり、試香で残った「荷葉(3包)」「開花(3包)」「月影(2包)」「香風(2包)」の計10包を「荷葉(3包)+月影(2包)」の5包と「開花(3包)+香風(2包)」の5包に組み合わせて、それぞれ焚き出すこととしています。このことにより、詩句の第1句の風景は組香の前段に、第2句の風景は後段に現れることとなります。

本香は、出典の指定の通り「荷葉(3包)」と「月影(2包)」を打ち交ぜて本香A段として5炉焚き出し、続いて、「開花(3包)」と「香風(2包)」を打ち交ぜて本香B段を5炉焚き出します。このように、香2種5香の組香を2回行う「段組形式」をとっているところがこの組香の 第一の特徴となっています。

連衆は、各段に試香で聞いたことのある「地の香」(「荷葉」と「開花」)が3 包出るため、これを頼りに「3つの同香と2つの同香」に聞き分けて、2つの同香の方を「客香」(「月影」と「香風」)と判断して、名乗紙に要素名を出た順に10個書き記して回答します。

続いて、名乗紙が返って参りましたら記録の段となりますが、この組香は香記の記録法に特徴があります。このことについて、出典では「先ず本香包を開きしるし、次に名乗紙を引合せ、全の人は聞の右に詩二句一行に書くべし。」とあり、普段でしたらまず連衆の答えを書き写してから香元に正解を請うのが習いですが、この組香では、まず香元に正解を請い、それを香の出(正解)の欄に書き写してから、連衆の当否を確かめつつ記録する方法がとられています。そのため、執筆は 先ず香の出の欄に正解を書き付け、それと各自の答えをあらかじめ手の上で見合わせ「全問正解でない場合」は、連衆の答えを香記の解答欄に要素名を全て書き写します。もし、「全問正解の場合」は、先にご紹介した「葉展影飜當砌月 花開香散入簾風」の詩句を答えの代わりに書き記します。これは、「組香の主題となっている詩句の景色を全て味わった」ということを意味するものでしょう。このように、「全問正解 」か否かで回答欄の記載方法が大きく異なることが、この組香の最大の特徴となっています。

また、この組香は本香10炉と数も多く、5炉ずつの段組み形式となっていますので、出典の「葉香記」では、香の出の欄は、「1炉を右、2炉をそれの少し左下、3炉は段を変えて右、4炉はそれの少し左下、5炉は段を変えてまた右」というように互い違いに2行で書き記し、B段の香の出も同じく書き付けています。これを「千鳥書き」と言いますが、各自の解答欄もこの方法で「右、左、右、左、右」「スペース」「右、左、右、左、右」と2段に分けて10炉分を書き記します。

さらに、この組香の下附ついて、全問正解は解答欄に書かれた詩句の下に「全」と書き記し、その他は、要素名の当たり1つを1点と換算して点数を漢数字で書き記します。ここで、出典の「 蓮香記」(題号は総計で奇数とする決まりがあるため「之」は付きません。)の記載例では、要素名の当たりに「合点」が 掛けてありません。これは全問正解に詩句が書き記されて合点の必要がないため、 他の当たりもこれに合わせたものと考えられます。しかし、これについては本香数が10炉もあり答えも千鳥に書き記されるため、目印が無いと執筆が集計の際に戸惑う可能性があります。このような場合は略儀となりますが、 当りの要素名に「合点」を掛けた方が各自の得点がすぐにわかり下附もつけ易いかと思います。

最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。解答欄の詩句は「証詩」ではありませんので、連衆の成績によってはメインテーマが香記に全く現れない場合もあります。 すると、作意や組香の意図する景色がぼやけますし、何よりも香記が寂しい景色と なります。そうならないよう、出香者はある程度「判り易い香」で組むことを心がけるとよろしいかと思います。

蓮は、「雨にあっては趣き深く、晴れにあっては清々しい」本当に夏向きの植物です。皆様も「蓮香」で室内に漂ってくる「夜半の香り」を楽しんでみてはいかがでしょうか?

 

の花言葉の「清らかな心」は仏道にも通じています。

「離れゆく愛」も美しく昇華されて行く姿が見えて清々しくさえ感じます。

「泥から生まれ育っても清らかで美しい」・・・そんな御爺に私はなりたい。

翠扇の香り留むる涼風を露に結びし夜半の月影(921詠)

組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。

最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。

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