一年の茶事をテーマにしたお茶人用の組香です。
茶壺から振り出すお茶の香りの移り変わりを味わって聞きましょう。
※このコラムではフォントがないため「
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説明 |
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香木は6種用意します。
要素名は、「初昔(はつむかし)」「後昔(のちむかし)」「祝白(いわいのしろ)」と「ウ」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節等に因んだものを自由に組んでください。
「初昔」「後昔」「祝白」は各2包、「ウ」は別香で3種3包作ります。(計9包)
「初昔」「後昔」「祝白」のうち1包ずつを試香として焚き出します。(計3包)
手元に残った「初昔」「後昔」「祝白」の各1包と「ウ」3包を打ち交ぜて順に焚き出します。(計6包)
本香は、「二*柱聞(にちゅうぎき)」で6炉廻ります。(2×3=6包)
香元は、2炉ごとに「札筒(ふだづつ)」か「折居 (おりすえ)」を香炉に添えて廻します。
答えは、2炉ごとに試香と聞き合わせて、「聞の名目 (ききのみょうもく)」の書かれた゛「香札(こうふだ)」を1枚打って回答します。
香札は、本香焚き終わりまで「札盤(ふだばん)」に伏せて仮置きし、各自3枚揃ったところで開きます。(後開き)
記録は、各自の回答をすべて書き記し、当たり は「聞の名目」の右肩に「長点」を掛けます。
点数は、聞の名目の当り 1つにつき1点とし、「待合」の当りは2点とします。
下附は、各自の得点を漢数字で書き記します。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとします。
部屋いっぱいに射し込んむ陽光に目をつぶりながらも無上の恵みに感謝する季節です。
香道界を辞した15年前、一時期自分のアイデンティティを失っておりましたので、かねてから盟友だったインターネットの茶人会に身を寄せることになり、そこで長い間横目で垣間見ていた茶道というものに触れる機会が現れました。点前作法も全く分からない「ド素人」を彼らは「茶道なんて流派が違えば皆素人よ。」と暖かく迎えてくれました。何度か「オフミ」(実際に顔を合わせる寄合)を続けている間に興が乗って開催することなったミレニアム茶会は、全国の茶友との縁を結ぶきっかけとなりました。
仙台の「六幽庵」で行われた「茶香寄合1999」の 1席目は香席で「陸奥名所香」を催し、みちのくへの歓迎の気持ちをお香で表現しました。2席目は濃茶席で篠笛の音で席入りを知らせ矢筈屏風に実った稲を立てた風呂先でみちのくの豊かな実りを表しました。 床に飾った紅葉の照葉は、麓の紅葉の時期に先んずるため蔵王山の山奥まで捕りに行き、危ない目にも合ったものですから「命がけの照葉」と呼ばれました。3席目の薄茶席は「21世紀茶会」と銘打って、床の間にプロジェクターで掛け軸を投影し、掛け軸に現れるシナリオ通りに茶席が進むという「花月」に似た席にしました。亭主はパソコンを捧げ持って席入りし、マウスを袱紗で清めて、正客がパソコンの蓋を開けるとと「秋明菊の花畑」が床の間に映し出されました。お軸は当時発見されたばかりの小宇宙群「ハッブルディープフィールド」の映像でした。それから、掛け軸の指示のままにお手前さんが交代して自流の茶を振る舞い、終盤には「私たちもお茶が飲みたいっ!」「それもお正客様の お点前の…」と水屋からの声が掛けられました。これに呼応してネットワーク代表が実行委員全員分の茶を点ててくれ、最後に実行委員長である私が「茶寿器(お菓子でできた茶碗)」で出された茶を飲んで、この器をバリバリと食らうという 終始笑いの絶えない外連味溢れる茶会となりました。また、翌日は、「陸奥名所香」に現れた歌枕を実際に訪ねる小旅行を開催して、みちのくの秋を堪能していただきました。 この茶会が評判を呼び、仲間内の茶会があれば全国どこでも私の香席を催して「茶香寄合」をするようになり、「香匠」を諦めた人間がもう一度「香人」として香的生活を続けられるようになったというわけです。
その後、出会った第2期メンバーは上級者が多く、達観した「ゆるい」感じがとても心地よい仲間でした。「初釜」「ひな祭り」「観桜」のような時宜の茶香寄合に加えて、勝手に釜を掛けて知らせだけが来る「待ってるよ茶会」や縁側で千鳥付きの「浴衣茶会」など、通りがかったお客でも気構えなく、お茶がある限り振る舞うという「喫茶去」精神に富むものもありました。こういう席を見るにつけ 「貴重な天然資源の発する香気」という素材故に「いつ何時に炭団に火を入れ、部屋を閉めたら出入り禁止」のように細々とした制約に則らなければ席の精神性を保てない香道との違いを痛感したものです。
彼らに送別会までやってもらい、尾張の地に「千種庵」を結んだ当時は、「名古屋はお茶の盛んな土地、ここではどんな茶友に恵まれるか」と意気込んでいたのですが、「盛ん」なだけに皆さん本業が忙しいらしく、なかなかネット茶人との出会いには恵まれないまま、時宜の呈茶のお客に甘んじて2年間が過ぎました。一方、志野流の本拠地 では、公開の香席の機会が多く、期せずして香友にも恵まれて、今般久々に「茶香寄合」 で香席を催行することができることとなりました。師走の席ですので、 「香筵雅遊」が最初に年を越した際の組香である「除夜香」を催そうかと思っています。そろそろ、引っ越し荷物の総量が気になり始めた時期でもあり、日当たりのよい名古屋で暮らした「年」「月」「日」をゆっくりと反芻したいと思っています。
今月は、茶人が1年の来し方を振り返る「初後香」(しょごこう)をご紹介いたしましょう。
「初後香」は、『御家流組香集(義)』に掲載されている「志野系」の組香です。と申しますのもこの組香の小引きの最後に「此の組香老文宗吟八十賀の祝いの時組たるを載せる。父も長寿にて八十九際を保つ。祖、室町家に仕えて参雨斎宗音、志野家伝の男なり。」とあり、志野系の宗匠の作であることが明らかだからです。文中の「宗吟」とは、おそらく享保年間(1716〜1735)の香人、上野宗吟(即吟斎)のことと思われ、かの有名な大枝流芳と同時期を過ごした人です。御家流系の宗匠とされる大枝流芳も茶人でしたので、当時、香道の宗匠が茶道を題材とした組香を創作することは全く自然なことだったのです。なぜ、御家流組香集全6巻の2巻目に早々と志野系の組香が掲載されたのかはわかりませんが、伊与田勝由と杉田克誠がこの書を書き写した文化9年(1812)は、香道の爛熟期が一旦終息を迎えていたこともあり、当時流布していた伝本の集大成を目指した彼らが手にした底本がすでに流派を超えたものになっていた からだろうと思います。 この組香には、同名異組も無く、前述のとおりオリジナルの写しであることが明らかなため、今回は『御家流組香集』を出典として書き進めたいと思います。
まず、この組香に証歌はありません。景色には四季の季節感が盛り込まれているため、一年中催行できる組香となっていますが、今回は一年を振り返るという意味でご紹介しています。題号の「初後香」については、何の「あとさき」を表すのか を一瞥のもとに理解される方は少ないでしょう。これについては、要素名の解釈をすることで作意を伺うことができます。
この組香の要素名は、「初昔」「後昔」「祝白」と「ウ」となっています。「初昔」は茶摘みの最初の日に摘んだ葉茶で製した濃茶の銘で小堀遠州が従来の白みを帯びた「白製抹茶」を名付けたものです。「後昔」は茶摘みの2日目に摘んだ茶葉で製した濃茶の銘で織部好みだった青みを帯びた「青製抹茶」を小堀遠州が名付けたものです。どちらも茶道界で最も由緒ある茶銘で「昔」は、最上級の茶の初摘みを行う日といわれる旧暦3月21日の「廿一日」を 縦に書いて表したものとされます。因みに、八十八夜(旧暦3月23日)前後の21日間の前半・後半に葉を摘んだものを「初昔」・「後昔」と分けるという説もあります。
「祝白」は、「祝儀に用いる茶」という意味ではないかと思います。「白」の文字は 「昔」よりも後の時代に茶銘として分化したもので、現在の茶舗では主に薄茶の銘として使われており、「祝の白」という茶銘が複数の茶舗から販売されています。「白」の語源については、初摘みの新芽を用いたお茶には、紅茶のファーストフラッシュのように茶葉に白い産毛が混じることからそう呼ばれたというのが通説で、「将軍家の御茶吟味役であった小堀遠州も『白製抹茶』を極上とした。」との逸話もあります。このことから「特別な茶を用いる祝儀」を意味するものとして、「昔」とは区別して「祝白」が用いられているのではないかと思います。
「ウ」については、匿名化された要素ですが、出典に「三種別香にて」と指定されていることから、組香の難度を高める趣向意外にも特別な意味を持たせる作意があったように感じます。私自身は、聞の名目の解釈から、「祝儀」と対峙するニュートラルな「雰囲気」として使われているように感じており、連衆の顔ぶれや当日の設えなど、茶の味以外に思い出すことすべてを「ウ」に担わせているような気がします。個人的には「ウ」を「客(guest)」と表記した方が 顔ぶれや情景がイメージしやすい気もします。
次に、この組香は、香組が複雑な割に構造は簡単です。まず、「初昔」「後昔」「祝白」を各2包作り、客香の「ウ」は前述のとおり別香を用いて3包作ります。私は前述の「雰囲気」を醸し出すために真那賀3種で組みましたが、地の香である「初昔」「後昔」「祝白」と紛らわしくならないようにすれば、それぞれ木所を変えて組むことも可能かと思います。香種は6種となりますが、「ウ」はどれが出ても「ウ」と 回答すれば良いため実質4種となり、連衆にとってはそれほど苦にならない筈です。次に「初昔」「後昔」「祝白」のうち各1包を試香として焚き出します。そうして、手元に残った「初昔」「後昔」「祝白」の各1包と「ウ」の3包(3種)を打ち交ぜて、都合6包を順に焚き出します。
ここで、この組香は、2炉ごとに聞の名目の書かれた香札を用いて回答する「二*柱聞」で行われます(以下、「聞」と「開」の違いに注意)。出典には「二*柱づつにて札打つべし」としか記載されていないので、2*柱ごとに香札を打って、その都度正解を宣言する「二*柱開」を意味するものなのかもしれませんが、私は@本香数が少ないため逐次正解を開くと最後の組の正解が判ってしまうこと。A盤物のように逐次当否を確かめて戦況を香記に表す必要はないこと。B「初後香之記」の記載例によれば、答えは全部香記に書き写され、不正解を空白とすることを常とする「二*柱開」方式になっていないこと等から、この組香は「聞の名目」の有る通常の組香のとおり「後開き」の「二*柱聞」で行うことが順当と判断しました。現在では、専用の香札など望むべくもないですから、「後開き」の「二*柱聞」であれば、名乗紙に聞の名目を3つ書き記すことでも全く雅趣を失わずに開催できるのも利点です。
さて、香元は、本香が2包×3組の組香であることを意識して焚き出し、2炉ごとに「札筒」か「折居」を香炉に添えて廻します。連衆は、焚き出された香を試香と聞きあわせて「初香」の要素名を判断し、「後香」を聞き終えたところで、2つの要素名で構成される聞の名目の書かれた札を1枚投票して回答します。このように6包が「初 ・後、初・後、初・後」と連綿して流れるのも「初後香」の1つの景色かもしれません。
投票に使用する香札について、出典では「札の紋 武野、千家、織田、古田、船越、金森、小堀、片桐、薮内、藤村」と列挙されています。これについて、若干の説明を加えておきます。
武野…武野 紹鴎(たけの じょうおう)『茶禅一味』を掲げ、十四屋(もずや)宗陳、宗悟から学んだ茶を茶道として確立した人です。三条西実隆に和歌を習う際に茶の精神も学んだといわれ、香道の創始にも関わりがある人です。【堺流茶道の開祖】。
千家…千 利休(せんの りきゅう)を表すものと思われます。侘び茶の完成者として知られ、「茶聖」と呼ばれています。【表・裏・武者小路等千家流茶道の開祖】
織田…織田 長益(おだ ながます⇒有楽斎)は、安土桃山時代から江戸時代初期の大名茶人です。利休十哲の1人で武家茶道や大名茶を極めました。有楽斎の茶室である国宝「如庵」は現在、犬山城の北にある「有楽苑」に保存されています。【有楽流茶道の開祖】
古田…古田 重然(ふるた しげなり⇒織部)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名茶人、利休七哲の1人です。茶の湯を通じて朝廷・貴族・寺社・経済界と様々な繋がりを持ち、名実ともに「天下の茶人」として全国の大名に多大な影響を与えた人です。
船越…船越 宗舟(ふなこし そうしゅう)徳川家康の小姓から作事奉行となった人で、茶道を古田織部や小堀遠州から学び、片桐石州とならび称された茶人です。
金森…金森 長近(かなもり ながちか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての大名茶人で利休十哲(七哲とも)の1人。千利休の嫡男である「千道安」を秀吉から匿った(かくまった)という逸話もあります。
小堀…小堀 政一(こぼり まさかず⇒遠州)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名茶人で古田織部の門人として茶を極め建築や作庭でも有名です。【遠州流、小堀遠州流、玉川遠州流茶道の開祖】
片桐…片桐 貞昌(かたぎり さだまさ⇒石州)は、江戸時代前期の大名茶人で徳川家のために『茶道規範』を著し、茶道指南役として仕えました。【石州流茶道の開祖】
藪内…藪内 剣仲(やぶのうち けんちゅう⇒藪中斎)室町時代の茶人。武野紹鴎の弟子となり紹鴎没後に利休から皆伝を与えられています。また、古田織部の妹と結婚しています。【藪内流茶道の開祖】
藤村…藤村 庸軒(ふじむら ようけん)は、日本の茶匠です。千宗旦の直弟子で宗旦四天王の一人とされ、表千家の流れを汲んだ茶を極めました。【庸軒流茶道の開祖】
以上のように、茶道界のビッグネームを名乗り(席中の仮名)として使用することが定められ「但し、中古茶道宗匠の 昔字を用うなり。」と注書きされています。個人的には、今井宗久・津田宗及あたりも列挙されていいかなと思っていますが、享保当時の茶道界でどう扱われていたかにもよるでしょう。名乗紙で催す場合は、ご亭主の趣味で名乗りを決めればよろしいかと思います。茶香寄合で連衆が各流派に分かれる場合は、その流派の始祖を名乗っていただくもの一興かと思います。
続いて、出典には「札裏の紋並び組合せ」として、連衆が回答として使用する「聞の名目」が記載されています。 また、「右、前後差別なく打つべし」とあり、2つの要素名の出現順に関わりなく組合せで聞の名目を決めるようになっています。
香の出(順不同) | 聞の名目 |
初昔とウ | 口切(くちきり) |
後昔とウ | 風炉(ふろ) |
祝白とウ | 名残(なごり) |
初昔と後昔 | 跡見(あとみ) |
初昔と祝白 | 大福(おおぶく) |
後昔と祝白 | 夜咄(よばなし) |
ウとウ | 待合(まちあい) |
それでは、各々の名目について解釈を加えましょう。
口切…11月になると宇治の茶園からその年の初夏に摘んだ新茶を詰めた茶壺が届けられ、口封を切って葉茶を取り出し、茶臼で碾(ひ)いて抹茶を喫する「茶の正月」と言われる 極めて重要な茶事です。
風炉…茶釜を火に掛けて湯をわかすための炉のことですが、 5月には「初風炉」と言って、茶席の設えを夏用に替えて茶事を行います。茶の湯では炉(11〜4月)と風炉(5〜10月)の2つの時期があり、これが「初昔」と「後昔」の基本的な区切りとなっているものと思われます。この時、香合のお香も練香から香木に変わります。
名残…風炉から炉に移る10月中旬より下旬にかけて残り少なくなった前年の古茶の名残を惜しんで催す茶事です。この時、香合には、風炉の時節の使い残しの香や香木の切り端を練り合わせて、白檀に付ける「寄せ香」や「付け干し」などが用いられます。 「名残月」には炉開(ろびらき)というイベントもあり、香合も香木から練香に変わります。
跡見…茶事七式(正午・飯後・不時・夜咄・暁・朝茶・跡見)の1つで、茶事に来られなかった客や招かれなかった客の方から所望されて、その時の道具類をそのまま使って催す茶事です。『茶道筌蹄』には「跡見は朝茶正午の後に限る、夜咄には跡見なし」とあり、すべての茶事で所望できるものでもないようです 。
大福…正月に梅干や結び昆布などの入った祝い茶を飲む茶事です。天暦5年(951)、空也上人が疫病の流行に際して梅干しの入ったお茶を病に苦しむ人々に振る舞うと疫病は下火となったとの逸話があり、その後村上天皇も正月にこのお茶を飲んだことにより、「皇服茶」「王服茶」から「福」を連想し「大福茶」(おおぶくちゃ)の文字が当てられるようになったそうです。流派によっては、大きな茶碗を担ぎ上げて回し飲みをする茶会も開かれています。
夜咄…12月から2月の厳寒の時期に暖をとりながら茶話を楽しむ茶事で、茶事七式の1つです。必須アイテムは、手燭(てしょく)、短檠(たんけい)、燭台(しょくだい)、行灯(あんどん)といった昔ながらの照明器具で、灯りに照らされた露地や茶室で夜の茶事を行い幽玄の世界に心遊ばせるものです。
待合…茶事の席入りの前に客が待ち合わせ、身支度を整えて亭主の迎えを待つための場所で、寄付(よりつき)、袴付(はかまつけ)などとも言います。
このように、聞の名目は季節ごとの茶事連想させる言葉を配置して、連衆が1年の茶事を思い起こさせるように配置されています。
こうして本香が焚き終わり、最後の香札が帰って参りましたら、執筆は全ての香札を開いて、連衆の答えを全て香記に書き写します。執筆が正解を請う仕草をしたら香元はこれを受け、香包を開いて正解を宣言します。執筆は香の出の欄に正解を要素名で6つ書き記しますが、この際、組ごとに「右(上)・左(下)」と段差をつけ、3組分を2列3行に千鳥書きします。その後、執筆は2つの要素が構成する聞の名目を定め、 当った名目に複数の要素が当たったことを示す「長点」を打ちます。聞の名目は、要素の前後に関わらない組合せで決まるため、この組香には構成要素の1つだけ 聞き当てた場合を得点とする「片当たり」はありません。
さらに、この組香の点数は、聞の名目の当り1つにつき1点となります。ただし、客香の組合せである「待合」については2点と換算する加点要素があります。
最後に勝負は、点数の多い方のうち上席の方の勝ちとなります。通常の最高得点は3点、「待合」が出ても最高4点の組香ですので、上席が優位かもしれません。同点が多い場合は、「ウ」の聞き当たり等、当座のルールで勝者を決めてください。
『建部隆勝香之筆記』には、「茶の湯会の時も茶過ぎて香を出だすべきと存じ候。日は前々申すごとく、空焼、風炉、いろりなどへくべ候事無用に候。餘所にても茶の湯会に空焼なくば、必ず香出ずると存じ候て、兼ねてたくべき香を覚悟有るべきなり。」「茶の湯の時、香興行これ在らば無上。薄茶己後、香爐出だすべき事あり。」とあり、もともと茶香は密接な関係にありました。 師走の声を聞きますと、仕事の手仕舞いやら年賀状やら大掃除やら…雑事が増えて参ります。どうぞ余裕のある時にお友達と茶香寄合を開き、一服茶を喫した後にでも「初後香」を催して「1年 の三昧生活」を共に振り返るのもいいかもしれませんね。
来年の六十干支は甲午(きのえうま)です。
60年の中では最もニュートラルな年廻りのようです。
かりそめと結びし庵の三年苔いさやかへらぬ旅にもあるらむ(921詠)
今年も1年ご愛読ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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