五穀豊穣を願って早乙女が苗を植える御田植祭をテーマにした組香です。
複雑な点法と下附が特徴です。
※ このコラムではフォントがないため「
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説明 |
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香木は5種用意します。
要素名は、「五月雨(さみだれ)」「時鳥(ほととぎす)」「早乙女(さおとめ)」「苗(なえ)」と「神田(しんでん)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「五月雨」「時鳥」「早乙女」は各3包、「苗」は3包、「神田」は1包作ります。(計
13包)
このうち「五月雨」「時鳥」「早乙女」の各1包を試香として焚き出します。(計
3包)
手元に残った「五月雨」「時鳥」「早乙女」の各2包に「苗」3包と「神田」1包を加えて打ち交ぜて焚き出します。(計10包)
本香は10炉廻ります。
連衆は、試香と聞き合せて、要素名に対応した香札を1枚投票します。 (委細後述)
本香が焚き終わったところで、執筆は連衆の答えを全て香記に書き記します
香元は、香包を開き正解を宣言します。
執筆は、「神田」の独聞(ひとりぎき)に3点、「苗」の独聞に2点を答えの右肩に掛けます。
次に「神田」と「苗」の初炉の当たりに2点を掛け、その他の当たりに は1点を答えの右肩に掛けます。
下附は、全問正解の場合は 歌1首、全問不正解の場合は「旱(かん)」、その他の場合は正傍(しょうぼう)の点数を漢数字で書き記します。(委細後述)
勝負は、点数が多い方のうち、上席の方の勝ちとなります。
五月雨が稲の葉を鮮やかに艶めかせる季節となりました。
「美田」が、則ち「旨い米を産出する」とは一概に言えませんが、耕作にかける農民の思い入れや手間は、ある程度見た目で推し量ることができるものです。尾張・美濃の地域を歩いていると、春にレンゲの花が咲いているのは、とても懐かしくて好感が持てますが、実りの時期に稲の穂波の丈が揃わず、そこに雑草がく顔を出しているのを見ますと、「全量一等米主義」の東北人としては、なんとなく東海産の米を敬遠してしまうところもありました。しかし、先日三重県玉城町に行きましたところ、田植えをしたばかりの田圃には東北を思わせる整然とした美しさがあり、伊勢神宮の神領民が作る「伊勢米」は、長年「神田」や「領田」で御料米作りを担ってきた先祖の意志を受け継ぐ立派なものだということが分かりました。
玉城町は、三重県の南勢地域に位置し、伊勢平野の平坦な地形と温暖な気候、肥沃な土壌に恵まれ、コシヒカリを使用した「伊勢ごころ」をブランド米として販売しています。元来「米の味を決めるのは水」ですが、伊勢神宮の神領三郡を横断するように流れている「宮川」は、奈良県の県境「大台ヶ原山」から伊勢湾に向かって注ぐ清流です。昔は、訪れた人々がここで禊をして穢れを祓って神域に入ったため、「豊受大神宮(外宮)の禊川」が縮まって「宮川」と呼ばれるようになったともいわれています。
しかし、この川は河床が低く、急流であるために農業用水には利用することができず、流域は度重なる干ばつと氾濫の両方に悩まされるという耕作には厳しい土地柄だったようです。そのような事情もあって 、治水工事は伊勢神宮に帰依していた豊臣秀吉の頃から行われていたようですが、今では国の水利事業のモデルとして、用水路はパイプライン化され、清流をそのまま稲作に利用することができるようになり、一層食味の良い米がとれるようになったとのことです。
一方、いわゆる伊勢神宮の「神田」は、伊勢市楠部町の伊雑宮(いざわのみや)近くにあり、神宮の年間行事に使われる「御料米」が、皇大神宮(内宮)の禊川で有名な「五十鈴川」の水を使って清浄に育てられています。神宮神田は、不思議と歴史の節目に突然変異の新種米が現れるのだそうですが、平成元年にもコシヒカリの突然変異種と言われている「イセヒカリ」が発見されています。この年、伊勢地方を2度台風が襲った後、ほぼ倒伏してしまった稲の中に直立していた2株が発見され、これを 特別栽培した新種米が、今では神宮神田の神秘的なエピソードとともに「奇跡の米」として好評を得ています。
伊勢地域は、古来「美し国」と言われてきました。それは、『日本書紀』第六 垂仁天皇二十五年三月の段に天照大神の祭祀を倭姫命(やまとひめみこ⇒斎宮の起源)に託した際に「この神風の伊勢国は、常世の波がしきりに打ち寄せる国である。大和の傍らにある美しい良い国である。この国に居りたい。」とおっしゃったとの記述があるためです。「美し国(可怜国)」とは、元来「素晴らしい」「美しい」という意味ですが、現在では、「美味し(旨し)」に力を入れてデスティネーションキャンペーンなどを繰り広げています。思えば、伊勢には松阪牛や伊勢海老、参宮鮑など、ナショナルブランドとなっている山海の幸が多く、私は今までこれらを「酒」と一緒に食していたわけですが、もっとベーシックに「御飯」と合わすべきだと気付きました。今年は、玉城町に「ふるさと納税」でもして、早苗として見ていた「伊勢ごころ」の新米が届くのを楽しみに待ちたいと思います。
今月は、早乙女が苗を植える姿が初夏の到来を告げる「早苗香」(さなえこう)をご紹介いたしましょう。
「早苗香」は、米川流香道『奥の橘(月)』に掲載のある夏の組香です。同名の組香は『香道蘭之園』にも掲載がありますが、こちらは早乙女の人形を使った盤物の組香で、香盤の溝を田圃の畝に喩えて、「早く苗を植え終わった方が勝ち」という楽しい組香です。この組香には「さなへとる御田のうゑめも色色に袖をつらねていはふけふかな(壬二集1964 藤原家隆)」という証歌もあって、『奥の橘』の証歌と出典も詠み人も同じという類似点もありますが、歌自体が違いますので同名異組と言って良いでしょう。今回は、魅力的な構造と趣向に富む『奥の橘』を出典として書き進めることといたしましょう。
まず、この組香の証歌についてですが、出典には「皆は歌を書くなり」ということで、全問正解の場合の下附として「植えみつる田面の早苗の水すみてにごりなき代の影ぞ見へける(壬二集1928 藤原家隆)」が記載されています。意味は「植えられて田圃に満ちてくる苗の周りの水が澄んでいるので、わが君の御代も濁り無い吉相が現れておりますよ」というところでしょうか。これは、家隆が「早苗」という詠題を得て、伊勢の神田等で五穀豊穣を祈って催される「御田植祭」の景色でも思い浮かべつつ、御代の安らかなことを寿ぐ歌を詠じたのではないかと思われます。
「田植え」と言いますと、現在ではゴールデンウィークあたりの風物詩となっていますが、昭和時代の初期までは1か月遅かったそうです。それが、伊勢湾台風や冷害対策、兼業農家の休日作業をきっかけに収穫を早める必要が出て全国的に5月初旬に定着したようです。一方、現在では地球温暖化で酷暑時の出穂を抑えるために「遅植え」をする地域も増えて来ています。俗習としての田植えは、時々の必要に応じて流転しますが、神事である「御田植祭」は依然6月に行われるところが多いようです。例えば「日本三大御田植祭」である伊勢神宮の伊雑宮御田植祭は、毎年6月24日、大阪の住吉大社も6月開催で、千葉の香取神社のみ4月開催となっています。農繁期が終わった地域の人にあわせて神事が開催されている例もありますが、俗習と神事とを切り分ければ、 苗も生い茂り始めた今月に「早苗香」を催行するのも、あながち的外れではありません。
次に、この組香の要素名は、「五月雨」「時鳥」「早乙女」「苗」と「神田」です。いわずもがなの言葉ばかりですが、少し解釈を加えておきましょう。
五月雨…旧暦5月頃に降りつづく長雨のことで夏の季語です。
時鳥…春の鶯、秋の雁、冬の千鳥とともに、夏の鳥として親しまれ、夏の季語として文学上も重要です。鳴き声は「テッペンカケタカ」と聞こえます。
早乙女…田植をする少女のことで夏の季語となっています。ここでは、各地の神社の田植神事で奉仕する聖なる女性を意味します。
苗…種子から発芽させた幼い草や木のことで、ここでは稲の苗を意味します。
神田…神社の田地のことで、昔は、その収穫を神社の祭典や造営、または神職の給料などの諸費に充てていました。
このように、試香のある3つの要素名はすべて夏の季語で、「苗」も初夏の風物詩を表す言葉となっています。ここに「神田」が加わることで組香の舞台が「神田」であり、行われている田植えは「神事」であることがわかります。
さて、この組香の構造は、香種が5種、全体香数が13 香、本香数が10包となっています。まず、「五月雨」「時鳥」「早乙女」を各3包、「苗」を3包、「神田」は1包の計13包作り、このうち「五月雨」「時鳥」「早乙女」の各1包を試香として焚き出します。本香は、手元に残った「五月雨(2包)」「時鳥(2包)」「早乙女(2包)」に客香の「苗(3包)」と「神田(1包)」を加えて打ち交ぜて10炉焚き出します。
連衆は、試香と聞き合せて回答することになりますが、この組香は香札を使用することが指定されていますので、香元は、香炉を廻す際に「札筒」か「折居」を添えて廻します。札の紋について、出典では「五月雨に花一・花二、杜鵑に月一・月二、早乙女に唯一・唯二、苗は三、神田はウ」と記載があり、「十種香札」を利用して、8通りの回答ができるように指定されています。文中「唯一」「唯二」とは、「ただの…」という意味で、何も書いていない「一」と「二」の札を使うということです。御家流の組香であれば、「香札 札表…、札裏の紋…」と専用の香札を作成して用いることが指定されるところですが、さすが香道中興の流派と言われる米川流は、最初から「十種香札を読み替えて使う」という庶民的発想が規矩の中に取り入れられています。また、札裏の紋について、出典の「早苗香之記」では、連衆の名乗として「杜若、新樹、撫子、若竹、老松」が用いられ、「十種香札」の札紋を夏らしくアレンジして掲載されています。
ところで何故、「5種組なのに8通りの回答が必要」なのでしょうか?このことについては、出典に「五月雨、花一を朝雨、花二を夕雨、時鳥も同じ朝鳥、夕鳥、早乙女も前女、後女と書く。」とあり、試香のあった「地の香」は、同香でも出た順番によって異なる「聞の名目」で答えることが記載されています。
要素名 | 初炉の名目(札紋) | 後炉の名目(札紋) |
五月雨 | 朝雨(花一) | 夕雨(花二) |
時鳥 | 朝鳥(月一) | 夕鳥(月二) |
早乙女 | 前女(一) | 後女(二) |
苗 | 苗(三) | |
神田 | 神田(ウ=客) |
このように、炉の初後により異なる名目は時間的経過を景色に加えており、客香2種は要素名をそのまま答えるようになっています。これに加えて先ほどの要素名と札の紋との読み替えがありますので、連衆は札を打ち間違えないように注意することが必要です。
続いて、連衆は香を聞いて要素名に対応した香札を1枚投票します。執筆は、香炉とともに札筒や折居が戻って来ましたらこれを開き、香札は「札盤」の上に伏せて並べておきます。
本香が焚き終わったところで、執筆は札盤の上の香札を開き、連衆の答えを全て香記に書き記します。執筆が正解を請うたら、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆は、これを聞いて香の出の欄に正解の要素名を左右段違い(千鳥)に書き記します。各自の答えは聞の名目で記載されていますので、最初に出た五月雨は「朝雨」が正解で、次に出た五月雨は「夕雨」が正解となります。このような読み替えを間違わないように合点を掛けていきましょう。また、「朝雨」を早々に使ってしまっていて、正解は「朝雨」なのに「夕雨」と答えたような場合も要素名は聞き当てていれば合点を 掛けておくこととします。
こうして、答えの当否を示し終えましたら採点に移りますが、この組香は点法が少し複雑です。出典では、「苗総て聞かば初炉二点、外一点、独聞は二点。神田二点、独は三点なり。」とあり、下記のとおり客香の正解について様々な加点要素があります。
「神田」の独聞 3点
「神田」の当たり 2点
「苗」の独聞 2点
「苗」の初炉の当たり 2点
「苗」の中炉と後炉、その他の当たり 1点(平点)
「苗」の独聞については2点となっており「苗の初炉の独聞に加点はないの?」と疑問に感じられる方も有ろうかと思います。「苗」は、客香であっても初炉以外は平点 (1点)ですので、まず「初炉と中炉、後炉に格差を設ける」ことが点法の趣旨であろうかと思います。そのため、加点要素の解釈は2通りに分け、「苗は、初炉の聞き当ては (独聞でも)2点のみ。中炉、後炉の聞き当ては1点で独聞の場合には2点に加算」としておきましょう。
この組香の下附について、出典では「聞の下、正点幾つ、傍点幾つと書く。皆は歌を書くなり。…無は旱と書くなり」とあり、全問正解には先ほどの証歌一首が書き記され、おめでたい御田植神事が完遂したことを示します。一方、全問不正解の場合は「旱」と記載されます。この字は「旱魃⇒干ばつ⇒日照り」を意味し、苗が成長しないことを表しています。また、その他の要素の当たりは1点と換算されますが、この組香には「正傍の点」があることも特徴となっています。「正点」とは、答えの聞の名目自体が当たっていることを示しています。例えば「朝顔」を「朝顔」、「朝鳥」を「朝鳥」と正しく答えた場合に与えられる点数で、名目の区別の無い「苗」「神田」の当たりは、そのまま正点となります。一方、「傍点」とは答えを構成する要素名が当たっていることを示しています。例えば、早々に札を使ってしまい「朝 雨」を「夕雨」、「朝鳥」を「夕鳥」、「前女」を「後女」と答えざるを得なかった場合などに、名目は符合していなくとも香は聞き当ったということで傍点が与えられます。
この点法による採点方法の例は次の通りです。
香の出が 「早乙女、時鳥、五月雨、早乙女、苗、五月雨、苗、神田、時鳥、苗」の場合 |
名乗 | 答えの例 | 下附 |
杜若 | 前女、朝鳥、朝雨、後女、苗、夕雨、苗、神田、夕鳥、苗 | 植えみつる田面の早苗の水すみてにごりなき代の影ぞ見へける |
新樹 | 前女、朝鳥、朝雨、後女、神田、夕雨、苗、苗、夕鳥、苗 | 正八点 |
撫子 | 朝鳥、朝雨、夕雨、前女、苗、後女、苗、夕鳥、神田、苗 | 正四点 |
傍二点 | ||
若竹 | 苗、前女、苗、朝鳥、朝雨、後女、夕鳥、苗、神田、夕雨 | 旱 |
※ 下線部は加点あり
このように採点して、下附は各自の解答欄の下に「正○点」「傍○点」と右左に頭を揃えて並べて書き記します。また、歌は小さく2行に書き記し、正点のみ、傍点のみ、「旱」は1行で常のごとく書き記します。
因みに、他の伝書等には「正点は強き当たり、傍点は弱き当たり」と記載があり、複数の要素によって香図を書く「系図香」や「源氏香」にも用いられます。聞の名目を構成する複数の要素のうち、1つだけ当った場合を得点と認める「片当り」も傍点の1種です。
最後に勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。「正点が5点」の方と、「正4点、傍2点」の方がいた場合、この組香では正解を構成する香の数が1つですので、要素の聞き当て(合点)の数を優位として「正4点、傍2点」の勝ちでよろしいかと思います。
晴れ渡った空に稲の葉擦れの音が聞こえる風景は涼しいものですが、雨に打たれる稲葉や田面の音もまた涼しい初夏の原風景です。皆様もお香の立ちの良い梅雨のひと時に「早苗香」で清々しい田園風景を思い起こしてみてはいかがでしょうか。
神宮式年遷宮の「お白石持行事」に使用する白石は宮川の河原から採られています。
「白い石の川が育む白い米」は、いかにも神領米らしく清浄でおいしい感じがします。
早乙女の赤き襷に湯気たちて梅雨の匂いの立ちかほりけり(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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