七月の組香
日本の伝統芸道「蹴鞠」を盤上に写した組香です。
序破急を表す「三*柱開」が特徴です。
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説明 |
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香木は、4種用意します。
要素名は、「一」「二」「三」と「客」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「一」「二」「三」は各4包、「客」は1包作ります。(計13包)
「一」「二」「三」のうち各1包を試香として焚き出します。(計3包)
手元に残った「一」「二」「三」の各3包 と「客」1包を打ち交ぜます。(計10包)
本香A段は、最初の9包を「三*柱開(さんちゅうびらき)」とし、3包ずつ3回に分けて焚き出します。(3×3=9)
※ 「三*柱開」とは、1炉ごとに連衆が回答し、香元が3炉まとめて正解を宣言するやり方です。
−以降8番から14番までを3回繰り返します。−
香元は、香炉に続いて「札筒(ふだづつ)」または「折居(おりすえ)」を廻します。
連衆は、1炉ごとに試香に聞き合わせて、要素名の 書かれた「香札(こうふだ)」を1枚投票します。
盤者は、札を開いて、「札盤(ふだばん)」の 各自の名乗の下に並べます。
香元は、3炉ごとに香包を開いて、正解を宣言します。
盤者は、正解した札をそのままにし、外れた札は伏せるか取り除きます。
執筆は、香記の回答欄に正解者の要素名に対応する名目を書き記します。(委細後述)
盤者は、正解者の立物(たてもの⇒人形)を所定の数だけ進めます。(委細後述)
本香B段は、最後の1炉のみ「一*柱開(いっちゅうびらき)」で焚き出します。
連衆は、要素名の書かれた札を1枚投票します。
香元は、正解を宣言し、盤者は当否によって盤上の人形を進めます。
執筆は、香記の回答欄に正解者の要素名に対応する名目を書き記します。(委細後述)
点数は、「客」の当たりは人形が2間(2点)進み、その他は1間(1点)進みます。
盤上の勝負は、人形を進め早く向かい側に達した方の勝ちとなります。
下附は、点数を漢数字で書き記します。
記録上の勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
商店街の吹き流しが涼しげな音を立てる季節となりました。
巷では、「FIFAワールドカップ2014 ブラジル大会」の開催で賑わい、連日の観戦で寝不足の方もいらっしゃるのではないでしょうか?私は、昭和の「巨人、大鵬、卵焼き」の全盛時代を「卵焼き」だけで育って来たため、元来、スポーツ観戦が得意ではないのですが、対戦時間が決まっていてロスタイムも少ないサッカーは、ゲームが絶えずアグレッシブに動いている こともあり、時折に目を奪われることがあります。特に「ベガルタ仙台」が創立されてからは、否応無しに観戦の機会も増え、選手の顔と名前が一致し、いつしか名古屋に移ってからは「郷愁」ともつなかい懐かしさでテレビ観戦をするようになりました。ただし、心底、私をテレビに釘付けにするのは、選手の姿やプレーではなく、サポーターの「応援の音」にあります。
東北地域は、長い間プロスポーツのホームチーム設立を切望していましたから、1993年の5月にJリーグが開幕し、翌年に「ブランメル仙台」という 地元チームがJリーグ昇格を目指して創立された時は、地元の銀行が「ブランメル勝ったら金利が上がる♪」という定期預金まで出すほど 、応援気運が盛り上がりました。ホームスタジアムの「仙台スタジアム(現:ユアテックスタジアム)」は、 2万人弱の収容人数ですが、ここが毎回満員になり、アウェイのチームはこれだけで圧倒されたほどです。まず、仙台の試合はサポーターの応援で有名になり、総員ユニゾンの中から生まれた応援歌はCDとして発売されました。この音が私の耳に残り、今でもスタンドで変わらずに繰り広げられている「ベガルタッセンダイ!(ドドッコドッドッ♪)」の応援の色と音が「郷愁」めいた感慨を思い起こさせるのだと思います。
サッカーが、世界で1番行われているスポーツだということは、FIFAワールドカップが衛星中継されるようになってから知りました。その起源は世界中にあり、「石を蹴るように玉を蹴る」ことは、人間の根源的な欲求に根ざした ゲームであったことは間違いないでしょう。また、普及の理由は、宗主国のルールブックがそのまま植民地に根付き、貧困からの脱出のために、ボール1個で始められるこのゲームを多くの子供達が一般化させていったということ にもあるらしいです。明治6年(1873)にイギリスから東京の日本人の海軍軍人に伝えられたサッカーは、私の子供時代にも体育教科としては確かにあったものの、野球のリトルリーグのようなジュニアクラブは少なく、それほどメジャーなスポーツではなかったような気がします。この「一番点が入りにくいスポーツ」が、Jリーグ創設を契機に 「陽気、攻撃的、お洒落」を武器に本格的に普及し始め、今では日本の消費経済を左右するまでに成長を遂げたことはすばらしいことだと思います。
ワールドカップの観戦を機会に「サッカーの魅力」について、コアなサポーターに聞いてみましたところ、まずは「予想外の動きを駆使して戦うスポーツだから」だそうです。ゲームの中では、スピード、方向、リズム、高さ、距離、強さ、作戦などを状況に合わせて 絶えず変化させるため、観戦上級者の持っている「定石」のようなものが容易く覆されるところがたまらないらしいです。これに加えて、素人に最も解りづらい「オフサイド」のルールが乙だそうで、前線のせめぎ合いやゾーンの囲い込みが、まさに囲碁をするがごとき「陣取りゲーム」の醍醐味がある そうです。素人が見るとボールが自陣と敵陣の間を行ったり来たりしているだけに見えるのですが、本当はボールを相手の予想外のスペースに運んでゴールに結び付け「点が入るまでの過程が面白い」ということらしいです。
ブラジル大会は、現地の泥縄状態の中開催され、既に日本人が等しく燃えたグループリーグは終わりましたが、スポーツの国際大会は、私たちが日頃忘れかけている「国」を思い起こさせてくれる好機でもあります。 今回は、 応援に使った青いゴミ袋で試合後にスタンドを掃除して帰る日本人サポーターの姿がメディアに取り上げられ、震災以来3年ぶりに「日本人の徳」が世界の賞賛の的となりました。「利他の心」とは、「武士道」という古い個人規範が、「平和国民」という比較的新しい社会規範に溶け込み昇華した天賦の美学だと思います。「サムライ・ジャパン」の健闘を讃えつつ、他国の「決勝までの課程」も楽しみたいと思います。
今月は、七夕の奉納神技ともなっている「蹴鞠香」(しゅうきくこう)をご紹介いたしましょう。
「蹴鞠香」は、大枝流芳編の『香道秋農光(中)』に掲載のある「盤物(ばんもの)」の組香です。この組香に使用する盤立物は『香道秋農光(上)』に掲載されています。同名の組香は『御家流組香三十索引』 、『御家流組香集(仁)』や藤野家志野流の流れを汲む水原翠香の『茶道と香道』にも掲載があり ます。組香の聞き方は流派を問わずほぼ同様で発生年代が古い基礎的な組香であるということとゲーム性の強い盤物というであることからルールがしっかり守られ、後世の伝承経路で解釈の「揺れ」を生ずることが少なかったようです。しかし、 「盤」については大きく分けて2種類あり、「志野流組香」と明記してある『茶道と香道』は、ケームに使用する「盤」の形が異なります。これが流派の違いによるものなのか、専用盤が汎用盤に簡略化されたのか、逆に汎用性のある盤から進化してより具象性を持った盤が作られたのかは定かではありませんので、後に両方を紹介いたします。
また、各伝書における「蹴鞠香」の取扱いもまちまちで、『香道秋農光(中)』では書物の筆頭に「中古組十品」として花軍香、古今香、呉越香、三夕香、蹴鞠香、鶯香、六儀香、星合香、闘鶏香、焼合(たきあわせ)花月香が掲載されており、これを書写したと見られる『御家流組香集(仁)』も同じ序列で掲載されています。 一方、最も網羅的な伝書群のインデックス本である『御家流組香三十索引』では、これらは「新十組」として掲載されており、名所香、源氏香、競馬香、三*柱香、矢数香、草木香、舞楽香、源氏四町香、住吉香、煙争香が「中古十組」として掲載されています。さらに、志野流のインデックス本である『志野流香道目録』では、基本的な「十組」「三十組」ではなく、「外盤物十組」として花軍香、闘鶏香、芳野香、六儀香、源氏舞楽香、蹴鞠香、相撲香、龍田香、呉越香、鷹狩香とともに掲載されています。
今回は、最も古く盤立物の図に加え、構造記述にも詳しい『香道秋農光』を出典として書き進め、『茶道と香道』の記述を別書として織り交ぜながら書き進めたいと思います。
まず、この組香は、盤物ですので証歌はなく、組香の表す景色は個人の成績とともに盤上に具象的に現れます。スポーツを題材にした盤物の組香は、「相撲香」や「綱引香」等があり、これらと同様、香の聞き当てによって動く「戦況」を見て楽しむ娯楽性の強い組香となっています。
組香の題材となっている「蹴鞠」は、四隅を元木(もとき)で囲まれた懸(かかり)と呼ばれる三間(約5.5m)四方程(29.7u)の砂場の中で行われます (正式は七間四方とも)。1チームは4〜8名の偶数で構成され、その中で、直径約7寸(17〜18cm、重さ約150g)の鹿皮製の鞠を落とさずに長く蹴り続ける団体戦やバレーボールのように鞠を落とした人が負けという個人戦が繰り広げられます。掛の四隅を囲む本木は鞠を蹴り上げる為の基準となっており、高さは一丈五尺(約4.5m)ほどで、松(乾⇒西北)、柳(巽⇒東南)、桜(艮⇒東北)、栬(坤⇒西南)などが用いられます。
「蹴鞠」は、世界各地に起源を持ちますが、日本には中国から仏教の伝来とともに訪れたと言われています。最も古くは1400年前、中大兄皇子が藤原鎌足と蹴鞠が縁で親密になり「大化の改新」(645年)に繋がったという逸話が有名です。 その後、蹴鞠は宮廷競技として盛んになり、当時の「鞠足」(まりあし)と呼ばれた選手の中には、平安後期の公卿である藤原成通(なりみち)のような「名足」を生み出し、彼はその卓越した技が伝説となり「蹴聖」と呼ばれました。また、藤原頼輔(よりすけ)は、「蹴鞠道」の祖と呼ばれ、彼の孫が飛鳥井流・難波流を起こしています。蹴鞠に関する諸制度は鎌倉時代には完成し、織田信長が「相撲」を奨励したことで一時下火になったものの、明治維新まで綿々と天皇、公家、将軍、武士、神官から庶民に至るまで老若男女の差別無く親しまれていたようです。現在では、京都市上京区の飛鳥井家の屋敷の跡地にある「白峯神宮」が球技やサッカーの守護神とされ、7月7日には奉納蹴鞠が行われています。
このことに関して、水原翠香は「蹴鞠香」の解説の中で明治維新で香と共に廃れてしまった蹴鞠の来歴をこのように書き残しています。
『茶道と香道』−香道之部−蹴鞠香 蹴鞠の事は、上古より行はれて物に見えたるは、人皇三十六代皇極天皇の御宇に中大兄王(天智天皇の太子の時)鎌足と南都の法隆寺にて蹴鞠したまひし事国史にあり 。降って代々に絶 へず、鎌倉室町に及びて此伎を嗜む者多く、終に飛鳥井・難波の両家斯道の師家となりて上は公卿より下萬民に至る迄、此の両家の門に入らざれば学ぶ能わざる事、和歌の二條・冷泉に於けるが如く、ともに種々の秘事・免許を称へて、和歌・蹴鞠と並べて是を両道と称したり。天保の末頃迄は盛んに行はれて今の玉突(ビリヤード)の如く、苟(いやしく)も庭園を有する大家には鞠掛りの設置なきは非ず。記者(翠香)の昔の生家にも後園鞠掛りありて度々蹴鞠の催しありしかば、見聞して今に忘れず。維新の際、香と共に廃れて又興らず。偶々(たまたま)、岩倉(具視)、難波(数忠)両公の先年再興を計りられしも、賛成者少なくして振るわず。今は蹴鞠の何たるをだに知る人稀になりぬ。今、此香を記するに及びて、鞠の事を知らぬ人には、その趣向の在所を解されず、興味も薄かるべきを思ひて概略を述るのみ。贅言とな笑ひ賜ひそ。 |
次に、この組香の要素名は「一」「二」「三」と「客」と匿名化され、お香は聞き当ての素材としてのみ使われます。これは、お香を双六のサイコロ替わりに使って、聞き当てた目数だけ進むという盤物の組香に共通した特徴です。そうは言っても、この組香には試香がありますので、本席で宣言される香銘で景色づけをし、それらしい雰囲気を盛り上げて置くことも大切でしょう。
さて、この組香の香種は4種、全体香数は13香、本香数は10炉で、 構造のイメージは「有試十*柱香」とほぼ同様となっています。まず、「一」「二」「三」は各4包、「客」は1包作ります。そのうち「一」「二」「三」は1包ずつ試香として焚き出し、手元に残った「一(3包)」「二(3包)」「三(3包)」と「客(1包)」の計10包を打ち交ぜて焚き出すのですが、ここで出典では「三*柱ひらきにて三度に開くべし。残一*柱は『沓直し』と名付て一*柱ひらきなり。」とあり、打ち交ぜた香包は、前段として3包 ずつ3組に分けて焚き、後段は残る1包を焚き出すこととなっています。前段の香を何故「三*柱開」にするかについてですが、蹴鞠の団体戦では、「1人3足」が原則で、初めは「受け鞠」、次は「己の鞠」、最後は「渡す鞠」というように蹴り上げられ、かけ声もそれぞれ「アリ」、「ヤ」、「オウ」の「三声」があります。そのため、前段では「自分に毬が回ってきて、これを3足でうまく蹴り上げることを3回繰り返す」と考えるとよろしいかと思います。また、後段の「沓直し」について、 別書では「此伎(このぎ)に付きたる術語なり。」とあり、蹴鞠独自の専門用語のようです。その他、端的な解説 ・用例に尋ねあたりませんでしたが、おそらく、「沓を履きなおす」のは、インターバルの意味ではないかと推察します。蹴鞠では団体戦の最上座である「軒」の人が「休みたくなったらやめる」というルールもあり、「後半戦に向けて一息つく」というイメージなのではないかと思います。
ここで、この組香は「蹴鞠香盤」という専用のゲーム盤を使って行うことになっており、出典の上巻には「竪溝五筋、横罫十二間」の盤が図示されています 。しかし、立物である人形は「十人」と記載があるため 、これでは人形が動く「溝」の数が半分しかありません。この組香は、連衆が双方に対峙して競い合う「一蓮托生対戦型ゲーム」ではなく「個人戦」なので、途中でぶつかって「分捕場」を取り合うこともないため「溝」は10本必要で、出典の規格の盤ですと2枚必要になります。そこで、私は出典の「盤之図」の記載について「これが2枚必要」か「人形は中央で行き違えする形で進む」と書くのを忘れたのではないかと解釈し、既に「十組盤」として流通している「十筋、十二間」の汎用の「蹴鞠香盤」を図示することとしました。
因みに、別書には、人形が対角線上に進む専用の「蹴鞠香盤」の記載があります。 こちらは、8名用で人形が四隅に対角線上に対峙し、一と二、三と四、五と六、七と八が互いに相手となる1対1の対戦型です。この盤では、対角線に進むと升目は7間しかありませんので、人形は盤の中央 付近で行き違って進み、相手の木の下(振出)を目指します。また、相手の木の下をいち早く占拠して盤上の勝ちを収めた後は適宜迂回して進んでいいとも書いてあります。 さらに最後には「一法、名所盤の如く向い合いに進むもあり、分捕場なくてもよきなれば、何盤にても利用して行わる」とあり、流派による違いと自流においても汎用盤を認めている記述が見られます。私は盤の形や遊び方の詳細を読むと明治の組香書である別書の方が、実際の蹴鞠の景色をより具象的に写しているような気 がします。
続いて、立物については、上巻に「桜一本、栬一本、柳一本、松一本」とそれぞれ図示され、人形の図には「人形十人、公家、法師、俗人。法師は燕尾を着す」と書かれ、烏帽子と扇、燕尾、鞠の図が描かれています。また、中巻にも「公家は金の烏帽子、地下は黒の烏帽子、法師は燕尾または頭巾なども一興なり」とも書かれており、人形の身分と冠物が指定されています。さらに、「梶の木」の図に「梶木一本、或いはなし」との記述があり、何に使うものか調べました ところ、神仏の前で蹴鞠を行う際、鞠を木の枝につけた「枝鞠」を捧げ持って祈念した後 、「解き鞠」をしてから蹴鞠をはじめるというキックオフの儀式に使ったものだということがわかりました。
因みに、別書では「真中に梶鞠を差す。即ち七夕の梶鞠(かじまり)とて古實にあるを表するなり」とあり、例えば今月の「白峯神宮」のように、七夕の儀式で蹴鞠を奉納する場合は、初めに梶の枝に鞠をかけ、坪の内に持参して、牽牛・織女の二星に供える儀式を行うことを端的に示しています。また、「春夏は若松の枝に、秋冬は梶の枝とす」ともあり、「梶」に加えて「若松」の枝も立物として用意して置く必要性が記載されています。
こうして、盤上には元木が四隅に立てられ、冠物を被った人形を左右双方から交互に盤の溝に一体ずつ並べて、各自の成績によって一直線に「端向」 ( はしむこう⇒ゴール)に向かって進みます。なお、人形は身分にとらわれず混在可ですが、掛の座の序列は「乾(松)」が軒で第一順位であり、以降「巽(柳)」→「艮(桜)」→「坤(栬)」の順となっておりますので、「松の下に俗人が来ないように」等、参考にされると良いでしょう。
因みに、別書では「松の下を上客とし軒向 (のきむこう)といふ。斜角なる柳下は師家先生の場にして軒下(のきした)と云ふ。桜、楓(もみじ)も又、高足にあらざれば立つをゆされず」とあり、これが出典に記載された「人形くばりならいあり」の「習い」ではないかと思っています。
さて、盤立物を据え、組香の舞台が出来上がりましたら、本香を焚き始めます。回答には「十種香札」を使用します。香元は、香炉に添えて「札筒」か「折居」を廻します。連衆は試香に聞きあわせて 、これと思う要素名の書かれた札を1枚打ちます。3炉目を焚き終わり、香札が帰ってきたところで、香元は3炉分の香包を順に開いて正解を宣言し、執筆は各自の当たりのみ書き記し(委細後述)、盤者は正解者の立物である人形を進めます。前段は「三*柱開」を3回繰り返し、後段は1包のみを「一*柱開」にします。
立物の進みと点数について、出典では「一*柱聞き当る度に人形一間づつ進む。客は多少の構いなく二間進む。記録も二点なり。若し、終りの沓直しに客出て聞当るとも一間進み一点たるべし。」とあり、前段での客の当たりのみ2間(2点)、その他は1間(1点)と指定されています。
また、「三*柱の内一*柱も当らざるは烏帽子をぬぐべし。この人かさねて当るとも扇を持たせ、烏帽子を着る事なし。」とあり、盤者は、各組ごとに1つも当らなかった場合は冠物を脱がせ、次の組で当たりを続けた場合は、冠物ではなく扇を持たせるという趣向も凝らされています。扇は人形によって付ける位置が違うようで、出典では「右の脇に指すを笛ざしといふ。うしろに指すをやなぐひ(簶)ざしといふ。上の方を右にかたぶけて指す。又、左の手にももたすべし」と事細かに記載してあります。この組香では、競馬香の「落馬」のような景色を「脱冠」で表しますが、どのような外れ方をしても人形が後退することはありません。 このようにして人形を進め、いち早く「端向」に達した人が盤上の勝者となります。
因みに、別書では「三*柱まで当らざれば扇をとり、続きて猶当らねば烏帽子を脱がせ、其の後当るも返さず」と書かれており、扇は最初からさしておき、扇も烏帽子も取られれば戻らないルールになっています。
この組香の記録については、少し特徴があります。執筆は香元が3炉ごとに宣言した正解を香の出の欄に記載し、各自の解答欄には当った要素名を香記に記載しますが、出典では「記録は、一を序とし記し、二を破と記し、三を急と記す。客はウと書くべし。是、ウは空(うつほ)といふ心なり。」とあり、「一」の当たりは「序」、「二」は「破」、「三」は「急」と書き換えることが指定されています。これは、先ほどの「三足」「三声」の趣旨を一般化して表したものかと思います。また、出典の本文には記載がなく「蹴鞠香之記」の記載例から汲み取れるのですが、後段「沓直し」の当たりは要素名に関わらず「沓直」と書き記すようです。
ここで、「客」が「ウ」なのは「客を略したウ冠のウ」というのが通説ですが、こ の組香では「空(うつほ⇒空ろ)」の意味を込めていると特筆されているのが印象的でした。 これが「空振り」のことなのかどうかは見当がつきませんが、この点について別書でも「客の冠ならず、空のウ冠なりとぞ・・・」と同じ伝承がなされています。
最後に下附は各自の点数の合計を漢数字で書き記します。「客」が前段に出れば当たりに加点要素があるので最高点は11点、「沓直し」に出れば平点ですので10点が満点です。勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなます。
サッカー公式試合での最大得点差は「149−0」です。
得点のすべてが前節の不可解な判定に抗議した「オウンゴール」だったそうです。
はたして観客は楽しめたのでしょうか?
玉芝にたぎる命の美酒を汲みて讃えむ青き武士(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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