組香の中に涼風が吹きすぎるようなシンプルな組香です。
簡潔で優しく可憐なところが最大の魅力です。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、2種用意します。
要素名は、「まがき」と「花」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「まがき」は2包、「花」は1包作ります。(計3包)
この組香には、試香はありません。
「まがき2包、「花」1包を打ち交ぜて、順に焚き出します。
本香は、3炉廻ります。
連衆は本香を聞き終わってから、2つ出た香を「まがき」、1つしか出なかった香を「花」として、当てはまる「聞の名目」を名乗紙に書き記します。
執筆は、香記の回答欄に各自の回答を全て書き記します。
この組香に下附や点数はなく、聞の名目に合点を付して正解を示します。
香記は、正解者のうち、上席の方に授与されます。
早朝からクマゼミが啼き競い、目覚ましの要らない季節となりました。
千種庵の周辺は、たくさんの学校と大きな公園に恵まれていることから風通しがよく、緑も多い文教地区といった風情を呈しています。そのような閑静な土地柄にあって、唯一喧騒を極める季節と言えば「夏」…私には「しねしねしね…」と聞こえるクマゼミの大合唱で、ほぼ午前中は執筆、読書、聞香、諸事手習い等に勤しむことはできません。そこで、騒音が気にならないのをいいことに炊事、掃除、洗濯を早目に済ませ、日陰を伝って散歩に興じることが多くなります。
住宅地の露地を当てずっぽうに曲がりながら進んで行くと、名古屋でもまだまだ昭和の雰囲気を残す景色に出会えます。打ち水の残る道には、必ずと言っていいほど家人の丹精した季節の植え込みが並び、通りを行く人の目を楽しませています。最近は「緑のカーテン」も一般化しましたので、葉を茂らせた蔓性植物が緑鮮やかに夏の光を反射しており、定番のアサガオをはじめフウセンカズラやトケイソウ、収穫の楽しみもあるゴーヤ、オモチャカボチャ、ブドウ ・・・珍しいものではパッションフルーツなども見られます。
「緑のカーテン」は、10年以上前に夏の省エネやヒートアイランド現象の対策としてはじめられたエコ活動でした。植栽される方の目的は、遮光、目隠し、蒸散作用による温度低減、断熱効果による建物の蓄熱防止、二酸化炭素の低減等いろいろですが、そのすべてが実効性のあるものとして認められ、今では都市設計からビル、一軒家まで様々なかたちで目に留まるようになってきました。また、東日本大震災の仮設住宅で、狭隘な居住環境とプレハブ住宅の粗悪な性能を補え るばかりか、暮らしにうるおいが生まれるなど、その効能が如何なく発揮されたことも記憶に新しいところです。
緑のカーテンは、窓ごしに外を見る家人にとっては「裏葉」以外のなにものでもありませんので、その根底には「表から見る人を和ませ、涼感を誘う」という「おもてなし」の心があり、その集合体が露地の景観として外向きに現れているとい えましょう。家人は、純粋に「花を育て、愛でるため」にしているだけであっても、打ち水がされ花が咲き乱れる露地には、その心根以上の「徳」が満ち渡っているような気がします。昨今では、私の好きな「露を湛えたアサガオの花」を見ることは少なくなり、実の成る植物が多くなってきたような気がしますが、蔓から花が咲き、実が成り、収穫され、蔓が枯れるまで、まるで夏休みの「ヘチマ」の観察で味わった「一粒百万倍」の体験を反芻するように植物の一生を見守ることもできます。ブドウは、果樹栽培さながらに摘果や袋掛けの様子も見られますし、オモチャカボチャは収穫後、籠に入れられて「ご自由にお持ちください」と戸口に置かれるようになります。「当てずっぽうに」散策していた露地は、夏の深まりと植物の生長とともに次第にルートがまとまっていき、晩秋になれば再び「当てずっぽうに」戻っていくところが、まさに「一年草」のようでもある我が散歩道です。
今月は、香筵に朝顔・昼顔・夕顔の咲く「籬香」(まがきこう)をご紹介いたしましょう。
「籬香」は、近代の御家流系の刊行本にたくさん紹介されている「初秋の組香」です。これらを初版順に並べますと、北小路功光・成子共著の『香道への招待』(S53)、香りと文化の会編の『香道の栞(一)』(S57)、日本香道協会機関誌の『香越理(第十九号)』(S58)、香道文化研究会編の『香と香道』(H1)などに取り上げられています。このような伝書の豊富さに加えて、この組香は、香数が少なく構造が簡潔で景色も可憐なため、現在の御家流系香道では「七夕香」同様にポピュラーな「秋の定番」として、公開席のような初心者向けの香席でも大変重宝される組香となっています。
一方、私の蔵書の中では叢谷舎維篤撰の『軒のしのぶ(四)』に掲載のあるものが最も古く、元々、米川系(叢谷舎は米川新流)の流れもあったことを示していますが、現代の志野流では行われていない組香 のようです。
これらの伝書群の記載内容について、要素名、構造等については、ほぼ同様の記載がなされていますが、大別すると「証歌のないもの」と「証歌のあるもの」に分けられます。
区分 | 書名 | ||
証歌なし | 『軒のしのぶ』 | 『香道の栞』 | |
証歌あり | 『香道への招待』 | 『香越理』 | 『香と香道』 |
また、厳密には『香道への招待』のように掲載された和歌を「証歌」とは呼んでいないものもあり、元々は「証歌なし」だった組香に雅趣を加えるべく和歌を奥書する趣向が、いつしか定着して「証歌」という扱いで現在の習いに至ったものと思われます。
このようなことから、今回は過渡的な内容の記載のある『香道への招待』を出典として、他書の異同にも言及しつつ書き進めたいと思います。
まず、この組香の題号となっている「籬」とは、竹や柴などを粗く編んで作った垣のことで、『万葉集』の頃から「我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも(大伴家持:777)」のように「色恋の隔て」や「垣間見」の小道具として使われて来ました。この粗い垣根には、「朝顔」をはじめ「菊」「梅」「薔薇」のような他の植物が寄り添って季節感を演出するため、和歌の世界では「まがきの○○」という慣用語がたくさん見られます。この組香では、「漏斗形の花を咲かせる蔓植物 」が朝・昼・晩と開花の盛りを迎え、粗末な垣根に色を添える景色を組香の舞台としてます。
次に、この組香の要素名は「まがき」と「花」です。これは前述のとおり、粗い竹垣などに蔓が這い、ぽつぽつと花が咲く景色を表しています。たった2種の要素で構成された景色は、茶道の二畳台目のような簡潔の美を見せており、解釈の自由度が高いためいろいろな景色を心に呼び起こします。私は、このように風が吹き通るようなゆったりした香記のできあがる組香がとても好きです。因みに要素名を「籬」と漢字で表記しているのは『香と香道』のみであり、題号は「籬」、要素名は「まがき」と表記しているものが多く見られます。
さて、この組香の構造は、香種2種、香数3香、試香なしと至って簡潔です。まず、「まがき」を2包、「花」を1包作ります。分量として「まがき」が「花」よりも多いのは背景・前景の違いとして納得できるかと思います。本香は、この3包を打ち交ぜて順に焚き出します。この組香には試香がないため、連衆は、本香3炉を聞き終わってから、2つ出たものは「まがき」、1つしか出なかったものは「花」と推量します。そして、香の出に当てはまる「聞の名目」を1つ名乗紙に書き記して回答します。
また、この組香は、初心者にとっては香の異同を判別するだけなので説明を弄することなく行えますし、上級者の寄合では性質の似た香木を組んで判別しにくくすることもできますので、連衆の巧拙を問わない二面性があるところも魅力です。因みに『香と香道』には「香組には過去、伽羅と真那蛮が使われることが、多かったようです。」と判別のしづらい香木を使用することも一興であることが記載されています。
連衆が回答に使用する「聞の名目」は下記の通り配置されています。
香の出 | 聞の名目 |
花・まがき・まがき | 朝顔 |
まがき・花・まがき | ひる顔(昼顔) |
まがき・まがき・花 | 夕顔 |
このように、「花」の出る順番を「時刻の経過」と捉えて「朝、昼、晩」にそれぞれ開花の盛りを迎える花の名前を割り当てています。
ここで、聞の名目に配された花について若干の説明を加えます。
朝顔
アジア原産のヒルガオ科サツマイモ属の一年草です。日本への伝来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされ、平安時代の『延喜式』には漢名を「牽牛子(けんごし)」と言い、下剤に使われる薬用植物として扱われていたと書かれています。その名から「七夕の花」とされており、江戸時代には七夕の頃に「朝顔市」が開かれて様々な品種が作られ、日本で最も発達した園芸植物となりました。
そもそも「あさがほ」とは「木槿、桔梗、朝顔、昼顔、芙容」などのように「朝に咲き、夕べには凋んで、同じ花が翌日また咲くことはない一日花の総称」であり、大陸では「木槿」を指すものであったと言われます。これが時を経て『和漢三才図会(巻37)』の「毒草類・蔓草類」に「朝顔、昼顔、夕顔の三種類があって、朝顔は牽牛花(けんぎゅうか)、昼顔は旋花(せんか)、夕顔は瓠(ひさご)の花で、それぞれの花が一番よく咲く時間帯でこの名がついている。」と書かれているように細分化され、開花時間が朝から昼までと限定されている「牽牛子」だけが「あさがお」と呼ばれるようになったようです。
ひる顔
ヒルガオ科ヒルガオ属の多年草で、アサガオと同様、朝開花しますが昼になっても花が凋まないことからこの名があります。ヒルガオは「容花(かおばな)」として古くから親しまれ、『万葉集』にも「高円の野辺の容花面影に見えつつ妹は忘れかねつも(大友家持: 巻八1630)」と詠われています。
夕顔
ウリ科ユウガオ属の一年草で、夕方開いて翌朝凋むことからこの名前があります。標準和名の「ユウガオ」は、野菜の分類であり花よりも実が重視されていることがわかります。この実を細長い帯状に剥いて加工したものが、お馴染みの干瓢(かんぴょう)で、蔓は、陰干にして炭取り・花器・置物などに加工されています。
続いて、本香が焚き終わり名乗紙が帰って参りましたら、執筆はこれを開き各自の回答を書き写します。執筆が答えを請う仕草をしましたら、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆は、香の出の欄には要素名をそのまま書き記し、正解の名目を定めて、当たりの名目に朱で合点を付します。出典の「籬香記」の記載例には合点がないのですが、本文には「傍点は朱書きする。」とありますので記載漏れかと思います。合点は、複数の要素名の当たりを示しますので、「長点」を用いるのがよろしいかと思います。また、この組香に下附はなく、各自の成績は合点で示されるのみとなっています。
さらに、この組香の記録について、出典では「中 (あたり)にちなんで和歌を添え書きする。」とあり、香の出(正解)によって、これに因んだ和歌を一首、記録の奥に書き添えることが示されています。この和歌については、「引用歌でもよいし、改めて作歌しても良い。例をあげる。」とあり、以下の3首が掲載されています。
朝顔の中の時 あさがほは朝なあさなに咲きかへて盛り久しき花にぞありける 昼顔の中の時 日ざかりのあつさをよそに咲きにけりまがきにたよるひる顔のはな 夕顔の中の時 蚊遣火の煙の上に咲きにけりしづがふせやの夕顔の花 |
これらの和歌について、出典を辿りましたが『国歌大観』では尋ね当たりませんでした。ただし、「朝顔」の歌については、前述の『和漢三才図会』の中に「牽牛子(朝顔)」の図解があり、漢文の中に敢て「朝がほは朝な朝なにさき替へて盛り久しきものにぞありける」という和歌がかな書きで添えられており、これ を調べたところ後水尾上皇の御製であることもわかりました。「昼顔」と「夕顔」の歌の原典につきましては、原典に尋ね当たりませんでしたので、情報がありましたらお願いいたします。
出典では香の出に花を添えるために「例をあげる。」と記載されていた和歌は、当時、「証歌」を基に「御家流らしい組香」を創作・再編する流れの中で、「証歌」として取り込まれて行ったものと思われます。これについては、昭和57年8月1日初版の『香道の栞(一)』には証歌の記載がなく、『香越理(第十九号)』には、昭和58年7月3日に旧前田侯爵和館で開催された「桃李会」(実践女子大香道研究会)の会記に「証歌」と明記されていますので、このあたりが分岐点なのかもしれません。また、さらに時を経た『香と香道』でも『新選御家流組香抄』が出典とされる「籬香」に「証歌」が明記されていますが、「昼顔」に対応する歌だけが、「浦松にはひねたのみてさきにけりいさごにまじる昼顔の花」とされており、この歌については、井上文雄の家集である『調鶴集(211)』に「海辺夏草」を歌題として詠んだものであると判明しました。
このようにして、和歌は鮮やかな朱で記録の奥に書き記され、香記に花を添えることとなります。この組香は、楚々として、ゆったりと空間を取った香記の景色がとても美しく、私は、和歌の世界を重んじた香道の美意識の極致ではないかと思っています。
最後に勝負は、正解者のうち上席の方の勝ちとなります。回答が1つですので、当否が勝敗の鍵となりますが、こういった綺麗な組香に「勝負」という言葉すら無粋な気がしますので、「香記を授与される方を決める」と考えて、皆さんで籬に花が咲く景色を楽しんでいただければと思います。
この頃は、実利主義や健康志向か、すっかりゴーヤに押され気味の朝顔たちですが、秋風が吹くまでのしばしの間、「打ち水」と「籬香」で涼をとってみてはいかがでしょうか。
朝顔・昼顔と同じヒルガオ科の植物に「夜顔」という植物もあります。
江戸時代には存在しない渡来種なので・・・
「夕顔」の地位を揺るがすことはできませんね。
君来ずば誰に見せまし我が庵の籬に涼し夕顔の露(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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