仲間内で香木を持ち寄って聞き合う組香です。
日頃の感謝も含めてお互いに香気の贈答を致しましよう。
※このコラムではフォントがないため「
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説明 |
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この組香は、香種香数は不定で、連衆の数に比例します。
[以下、連客5名が各自1種(2片)を持参した場合を想定して書き進めます。]
亭主が香席の招待状に主題となる香木を添えて送り、客はこれに因んだ香木を当日持参します。
要素名は、持参した客の席順に「一」「二」「三」「四」「五」とします。
香名と木所は、連客が持ち込んだものをそのまま用います。
亭主は、連衆の持参した香木(2片)を集め、勝手で試香5包、本香5包に包み替えます。(計10包)
「一」「二」「三」「四」「五」のうち1包ずつを試香として焚き出します。(計5包)
手元に残った「一」「二」「三」「四」「五」各1包を打ち交ぜて順に焚き出します。(計5包)
本香は、5炉廻ります。
答えは、試香と聞き合わせて、香の出た順に名乗紙に5つ書き記して提出します。
記録は、各自の回答をすべて書き記し、当たり は要素名の右肩に「点」を掛けます。
点数は、聞の名目の当り 1つにつき1点とします。
下附は、全問正解の場合は「全」、その他は各自の 得点を漢数字で書き記します。
勝負は、最高得点者のうち上席の方の勝ちとします。
蝋燭のほの灯りと香りに心和む季節となりました。
年賀状の図案に頭を悩ませる時期になりますと同時に「喪中欠礼」のハガキが舞い込むようになります。そのほとんどは、「人口構成グラフ」の中上層を占めるに至った我が同輩たちの ご両親で、「若い頃に贅沢をしなかったから長生き」と言われていた昭和一桁からの世代交代が今急速に進んでいることを感じます。その中には少年期から就職までの長きにわたり、「たまり場」として使わせていただいた上にご飯を食べさせてもらったような友だちの親御さんもあり、その友だちから「喪中欠礼」が届いた時には、知らぬこととは言え 、こちらが不義理をしたような気持ちに苛まれたこともありました。そのような折、「喪中ハガキが届いたらちょっと良いお線香を贈りましょう!」というテレビコマーシャルに共感しました。思わぬ「喪中」の知らせに、今さらお香典を送るのもためらわれる時 「喪中見舞い」として贈答用のお線香を贈ることが「ちょっと上品な人」の中で密かなブームとなっているようです。
私が、初めて香木を持参して焼香するようになったのは約20年前のことで、職場の先輩の奥さんの葬儀でした。その時は、気負って伽羅を持っていったため、廻された焼香炉の炭団の端に 香木をくべるやいなや「ぼわっー」と煙が立ちのぼり、樹脂の焦げる異臭が辺りに漂って、堂内の参席者に驚きと奇異の目で見られてしまいました。それが教訓となってからは、木所を樹脂の軽い物に変えたり、熱灰の上に刺したりするようになり、今でも自分が参席する葬儀、通夜には香木を持参しています。
そもそも、香人らしい追善供養とは、「あらかじめ所持の香木を49の小割にし、1つ目は霊前で自ら焚き、残りを喪主に託して、中陰(ちゅういん=四十九日)の間は、遺族がこれを毎日焚く」という話を 書物で読んだことがあります。四十九日は、死者が生と死、陰と陽の狭間に居る期間であり、残された者は故人に対する追慕や人間の生死について考え、謹慎して求法の生活をするためのものですが、現在では「49の小割」を持って来られても 、ご家族の方がご迷惑でしょうから、私は、香典に伽羅や沈香の「線香」を添えることとしています。
こういった「仏事」にかかわらず、香木の贈答品としての歴史は、「新しい渡来品」=「宝」として、日本への伝来以降、脈々と行われていたものと思われます。「淡路島に流れ着いた香木が法隆寺に入って聖徳太子が鑑定した」などという伝説も「献上・奉納」という名の贈呈の歴史の始まりではないでしょうか?以降、奈良時代には主に仏教界の結束とヒエラルキーを守るため、平安時代では貴族が自らの教養の発露とアイデンティティを示す練香も加わり、戦国時代の 論功行賞に至るまで、香木は長い間 、日本人の「最高位の贈答品」でした。また、現在、茶香席の床柱にかかっている「訶梨勒(かりろく)」は古来、その実が諸病を治す薬として重宝されたことから、魔除けとして飾ったのがはじまりでした。これもおそらくは室内を清浄にし。邪気を払う道具として祝儀や寄合の際に贈られていたに違いありません。
訶梨勒を帯香のために携帯化した「匂い袋」は「香水線香」とともに「お香の店」の主力商品となっていますが、この「匂い袋」の発展系として調合香を仕込んだ和小物や置物 もあります。昨今では、これらを結婚、出産、入学等の祝儀の時に贈ろうという動きもあり、「香りの贈答」も少しずつ復活の兆しを見せ始めています。景気浮揚に伴い、消費行動が 「軽い物や消える物」に変移していくというのは「バブル時代」にも経験したことですが、原材料が枯渇・高騰している現代日本で、「香文化」が以前のような本格的な復興を見ることができるのか興味深いところです。
今月は、香友のお歳暮交換会「贈答香」(ぞうとうこう)をご紹介いたしましょう。
「贈答香」は『外組八十七組之内(第五)』に掲載のある「雑組」に分類される組香です。同名の組香は、杉本文太郎著の『香道』にも掲載があります。こちらは、対戦相手とされた人の持参した香木を聞き当てて勝負を競う 個人対戦型の組香で 、もともと「相撲香」という組香が「盤物」に展化した際に、盤物を「相撲香」とし、組香は「贈答香」と改名したと本文に明記されています。 どちらの組香も「連衆が、それぞれ持参した香木を香席で焚いて聞き合う」というところは同じですが、 『外組八十七組之内』の組香は「座中で香気を贈り合う」という雰囲気があるのに比べて、『香道』の組香は、要素名や聞き方も異なり 「相手の香を聞き負かす」という勝負性が強く 、勝負の戦利品として香木をやりとりする「贈答」であるため、この2組は同名異組と捉えて良いでしょう。そこで、今回は甲午年の締めくくりとして仲間内で相寄り、自慢の香木の香気を贈答する『外組八十七組之内』を出典とし、『香道』を別書として、その記述も織り交ぜつつ書き進めて行きたいと思います。
まず、この組香に証歌はありません。題号にある「贈答」の文字から、和歌の「贈答歌」をイメージされる方もおられるかと思います。『源氏物語』などにみられる当意即妙な返歌の数々は、本当にすばらしい教養の発露が文章のそこかしこに見られます。返歌の3要素は「すぐ返す」「織り込む」「切り返す」らしいですが、月に1首の和歌にも苦労する私には到底達せない境地かと思います。 この組香も亭主から贈られた香木にふさわしい香木を「返歌」して持参するという点が贈答歌なのだという解釈もあるかと思います。また、連歌の「発句(ほっく)」を基に連衆がそれぞれ「脇(わき)」を付け合うようなイメージもありますが、この場合は、単純に雅友が集まって「自慢の香木の香気を香筵で贈答しあうこと」を表していると解釈したほうが「香道的」だと思います。自分の持香を披露する香席の代表格 には「*柱継香(たきつぎこう)」 があり、これは連歌形式を踏襲して、亭主の焚いた香木を「発句」として、その香銘や香気に因んだ香を連衆が各自の持香の中からふさわしいものを選んで順次焚いていくものです。これに対して、「贈答香」は、亭主の示したテーマに因んだ香木を各自が1種ずつ持ち寄り、互いの香気を愛で合うことが趣旨となっています。
次に、この組香の小引の冒頭には「香数不定」と記載されており、香種香数は香席の参加人数により決まることが明記されています。このことについて、出典には「先、兼日の木の手本を出し、各香一種宛持参すべし。香数人数次第なり。」とあり、まず、あらかじめ亭主側が招待状に香木1片を添えて、香筵のテーマを示し、客はその香木を聞き、香銘と香気から連想してふさわしいと思う自分の持香を持参することとなっています。また、出典には「少人数の時には二種にても三種にても時宜によるべし。」ともあり、招待客が少ない場合は「1人2種、または3種ご持参ください」と指定することもできることが記載されています。このようにして基本的には参加する客が持参した香木を使って香筵を催すというところが、この組香の最大の特徴となっています。
因みに、別書では、「本香を催さんとせば、亭主方より廻文に添香即ち試と出香を二包、常の如く切って、香は何なりとも小包紙に包み、其の角折込に銘を書き、且つ鳥子紙を人数に応じて一枚二枚と付けて出す。・・・名々は持参すべき我香銘を回文の名の下に記す。」とあり、亭主側から「自慢の香木を2片切って、この包みの隠しに香銘を書き、当日ご持参ください。」と書状が正客に発出され、正客はこれを読んで「私はこの香木を持っていきます」と香銘を記載して次客に回覧して 、同じ香木が重複しないようにいくことが記載されています。この組香では書状に次々に書き記される香銘が連歌に近い雰囲気を醸し出しているものの、亭主側が「木の手本」(主題)をあらかじめ示さず、実質的に正客が発句しているところが大きく異なります。
ここで、連衆が持参する香木は、招待状の指示にもよりますが「姿木」で持参する場合と「1種2片」を持参する場合があるでしょう。「姿木」での持参を指定された場合は、前座に「香拵え(こうこしらえ)」があり、その場で式法に基づいて香木を2片切り出して、客の目の前で香包を作ることになります。この後に中立→点心席→後座での組香となれば、とても格調高い香筵となるでしょう。 一方、通常は、各自「1種2片」を持ち寄って、これを亭主が集め、勝手に下がって、連衆が持参した香包から自分が用意した香包に 香木を移し、試香と本香を1包ずつ作ります。また、その際に香銘を記載した小記録(=香銘短冊)も書き付けます。御家流の小記録は手前の前に連衆に廻され 、焚き出される香木の香銘と木所をあらかじめ鑑賞することができます。一方、志野流の香銘短冊は筆者が香記を書き付けた後に廻され 、出された香木の香銘を後から鑑賞し、本座での香気を思い出します。この組香の場合は、どちらの場合も持参人の名前を香銘の上に記載しておくと良いでしょう。
続いて、この組香の要素名は「一」「二」「三」「四」「五」というように番号となっていますので、連衆の人数が5人ならば「五」までというように「人数と要素は同数」となります。一方、少人数で1人2、3種の香を持参して行う場合は「要素数は人数の倍数」となります。 また、要素名の付け方については、出典の末尾に「一、二、三の順は着座の順とす。」とあり、正客の持参した香を「一」とし、次席のものは「二」というように席次に応じて要素名を付けることとなっていますので「要素名は席次と同じ数」となります。一方、「二三種ずつ出したる時は、上席を一二三、二席を四五六とする。」ともあり、1人が複数持参した場合は上席優位で要素名を 順次付することになっています。
組香の席次は、各自の巧拙を勘案して互選する場合や平等に抽選で決める方式がありますが、この組香は、招待されて参席する香筵ですので、昔ながら廻文の招待状の場合は記名の順番どおり、郵送やメール等であれば「名香席」と同様に先達の方から着座すべきかと思われます。
[以降は、連衆が5名で1種ずつ持参の場合を想定して筆を進めます。]
さて、亭主は、本香包と試香包のそれぞれ5包(計10包)を総包に収め、香炉を仕立てて乱箱に据え、勝手から出て手前を開始します。中立の無い香席の場合は、乱箱は棚に飾り付けとせず、勝手から直接持ち出す形式の所作がふさわしいかと思います。これについて、志野流では略式の乱箱手前か盆略手前で催行可能ですし、御家流でも古式は乱箱を勝手から持ち出していましたので、これに準ずればよろしいかと思います。
組香の構造は至って簡単であり、試香を1包ずつ焚き出し、連衆はこれを聞いて「あぁ、これがあの方がお持ち下さったお香か」とそれぞれが持参した香気を味わい覚えます。続いて本香は5種5包を打ち交ぜて順に焚き出します。連衆はこれを試香と聞き合わせ、名乗紙に出た順に5つの要素名を書き記して提出します。このようにして、各自が持ち寄った香木の香気を互いに聞き合って、贈り贈られするところが「贈答香」の趣旨となっています。
この形式について、出典では敢て「郭公香と似たりといえども…人の香をもっぱら聞くなり。一座の香を残らず聞くなり。」などとその違いを書き連ねています。「郭公香」は各自1種ずつ持ち寄った香を試香なしで打ち交ぜて聞き「自分が持参した香を聞き当てて、その他は聞き捨てにする」という組香です。 (平成17年6月掲載)
因みに、別書では「出席者十人…にならんには、五人宛立別れて座組を決め、相手の香を聞く」とあり、連衆は「正客と三客」「次客と四客」というように対戦相手を決められ、その相手が持参した香木のみを聞き当て、その他の香は聞き捨てにすることになっています。
続いて、この組香の香記については「常の如し」です。題号の下には、要素名の下に各自の持参した香銘を記載します。要素名は席次と同じですから、 香記の上では要素名に持参人の名を肩書しなくとも、名乗の欄を見れば香木の持参人が誰なのか容易に分かります。香組欄を記載した時点で現れる景色にうまく統一性がとれていれば、テーマに対する連衆の心象風景が事前に整っていたということになりますので、第1の「一座建立」は成ったと考えて良いでしょう。そして、席中に回された香気が再び連衆の心象風景を結び、これが皆の描いた景色と一致したとすれば本当の「一座建立」となり、席中全員が香席の醍醐味を味わうことになるでしょう。そのために、連衆は持参すべき香木の香銘と香気について、香組者と同様の腐心をしなければなりません。香気から、その香銘が連想できるものでない限り、間違っても「仮銘」をつけて当座を繕うようなことがあってはなりません。
そうして、本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、執筆はこれを開き各自の答えを回答欄に全て書き写します。執筆が香元に正解を請う仕草をしましたら、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆はこれを受け、香の出の欄に要素名を縦一列に5つ書き記し、当たった要素名の右肩に合点を打ちます。点数や下附については、出典本文には記載がありませんが、「贈答香之記」の記載例から、各要素に付き1点であることや全問正解は「全」 (5点)、その他は点数で記載することが分かります。
このような雅友の集まる香席に「勝負」も無粋ですが、香記は最高得点者のうち上席の方に授与されます。
因みに、別書では「霊元法皇、この組香御興業の時、別に香一種づつ持参せしめられ、勝ちし相手へその香を与え、又、持ちとなれるには互いに取替えることとせられた。」とあり、当日、香木は各自3片持参し、1つは試香、1つは本香、最後の一つは勝負の結果でやり取りする「懸物」とする遊び方もあったことが示されています。このように香気ばかりでなく、香木そのものを「贈答」する点も出典の組香とは大きく異なります。
また、亭主が出香していない内輪の香席であることから、香記は「宿の記念に…」と亭主が頂戴するということもあってよろしいかと思います。ここからは私見ですが、香気のどこかに亭主があらかじめ贈った「木の手本」の香銘も掲載すべきではないかと思います。そうすることによって初めて、この香筵が「何をテーマに集められ、連衆がどのように連想して、その香木を持ち寄ったか」 ・・・言い換えれば「何を核としてどんな結晶が昇華したか」が、鮮明に記録できると思います。
「香人たるもの時季に応じた香は常に懐中あるべし」ということは、現在でも上級者の嗜みとなっていますが、懐中はするものの、なかなか「所望」される機会が少ないため、「せっかく作った香畳が泣いている」という方もいらっしゃるのではないでしょうか? そんな皆様も師走の総ざらいに香友相寄って「香畳」を開き、香気の「お歳暮」を贈り合ってみてはいかがでしょうか?
来年の六十干支は乙未(きのとひつじ)です。
小事に軽挙妄動することなく、状況や形勢を観察しながら落ち着いて突き進むと・・・
その先に繁栄への道が開けているようです。
ともしびの遠音に明る心地して冬より春の夜は過ぐるなり(921詠)
今年も1年ご愛読ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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