二月の組香
春の若奈摘みをモチーフにした組香です。
ひとつの組香からふたつの香記を生み出すところが特徴です。
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説明 |
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香木は4種用意します。
要素名は、「霞」「雪」「原」と「若菜」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「霞」「雪」「原」は各 2包、「若菜」は1包作ります。(計7包)
この組香には試香はありません。
「霞」「雪」「原」の各2包、「若菜」の1包を打ち交ぜて順に焚き出します。(計7包)
本香は、7炉廻ります。
香元は、香炉に添えて「札筒(ふだづつ)」か「折居(おりすえ)」を廻します。
連衆は、「無試十*柱香(むしじっちゅうこう)」の要領で 「香札(こうふだ)」を1枚ずつ投票します。
執筆は、廻された折居を開き「札盤(ふだばん)」の上に伏せて仮置きします。
本香が焚き終わり、香元が正解を宣言し たら、執筆は札を開いて当否を定めます。
点数は、「無試十*柱香」の要領で 同香を聞き当てている場合は当たりとし、各要素につき1点とします。
下附は、全問正解の場合は「皆」、その他は点数で記載します。
以上を仮記録「七種香之記」として書き記し、これをもとに本記録「若菜香之記」を書き記します。(委細後述)
勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。
暖かな風が日陰の氷を解かす季節となりました。
NHKの朝のドラマ『マッサン』のお陰で、仙台に居るときから飲んでいたニッカウ井スキーの「竹鶴」が手に入らなくなりました。その煽りを受けてシングルモルトの「余市」や「宮城峡」も品薄状態のようです。仙台市の西部に位置する作並地区には「新川(にっかわ)」という川が流れ、ここに 「ニッカ宮城峡蒸留所」があるものですから、 ニッカウィスキーは、地元の歓楽街である「国分町」界隈を中心に「地酒」として飲まれています。私も「竹鶴」や「宮城峡」を日本酒の「浦霞」や「一の蔵」と同じように 「故郷の水は力水…」と思って尾張名古屋の地で嗜んでいたのですが、今年の夏に「竹鶴政孝ウィスキー製造80周年」のキャンペーンを見た頃から次第に店頭から姿を消しはじめ、11月にはメディアも「品薄」を報じたため ネットオークションに姿を見せるようになりました。このことは 「さぞかし業績拡大に寄与ししているのだろう」と調べてみますと、ニッカウ井スキー(株)の属するアサヒグループホールディングスの決算短信の「酒類事業」の記述では、夏以降のこのブームについてなんら言及していません。内部的には、再三、販売目標の上方修正をしているにもかかわらず「どうしてこのことに何も触れないのか?」と調べて見ましたら、香道界に通じる深い意味があり、少し感動しました。
それは、ウィスキーが「熟成」という課程を経て生産される商品だからです。例えば「竹鶴12年」は、 最低でも12年前に蒸留され樽詰めされ「天使の取り分」を支払いながら熟成された複数のモルトが調合され、瓶詰めされて世に出てきます。これをブームだからと言って安易に増産出荷してしまうと 、将来「17年物」「21年物」・・・となるためのモルトが枯渇してしまうのです。通常の消費量ならば十分対応できる潤沢な貯蔵量は確保しているため、欲しい人がいれば売ることはできるけれども、熟成庫には将来のために一定量を残しておかなければ なりません。ブームに浮かされて、「今」の販売成績を上げるために在庫を減らしてしまえば、10年後、20年後にモルトという「資産」を引き継ぐことができなくなるのです。それ故、このブームの中にあっても「増産は1割上限」「増産しても設備投資はしない」という体制で、 世のウィスキーファンを適度に我慢させつつ「一見さん」の熱が冷めるのを待ち、時間軸で品薄を乗り切っていくというわけです。また、国際的なコンテストでの授賞が相次ぐ日本ウィスキーは 、海外市場でも飛躍的に売れ行きを伸ばしていますが、 「ウィスキーファン」という限られた客層には 、この「時間軸」の考え方が理解されているので、パニック買いは起こっていないのだそうです。 現在の仕事も先輩たちのお陰でできているのだから、短距離や力技はビールに任せて、ウィスキーは駅伝ランナーのように「できるだけ良い状態とペースで次の人に襷を渡し、堅実に歴史を繋いでいく」という考え方は、香道と香木の関係にも通じるような気がしました。
香道は、生産不可能な天然資源を素材として消費する芸道ですので、もともと「爛熟」は好みません。言い換えれば「量が増えれば質の落ちるのが宿命の芸道」とも言えましょう。これまでも「バブル」や「篤姫」など一過性のブームがあり、稽古場が一杯になったことはありましたが、このことに浮かれること なく稽古を続けていると、程なくして 「体験本位」の生徒は去り、また元の安定集団に戻りました。香人という人種もウィスキーファンと同じように普通の趣味趣向の持ち主ではないので、自ずと「消費される香木に見合った心根のある方」の数に落ち着くようです。
しかるに、香木だけは世界の商品市況に大きく左右され、近年、香気に対する畏敬の念を感じない国民が「財テク資産」として値をつり上げる一方で、「ルームフレグランス(空薫物) 」として消費する国民との分捕り合いが急速に進んでいます。確かに香木は、お金を出せば買える物であり、所有者がそれをどのように使っても文句は言えないのですが、後世に受け継ぐべき「資産」が徒や疎かに失われ、これを唯一の素材とする香道そのものの存亡に関わってくる事態があることも現実味を帯びて来ています。特に致命的なのが価格の高騰で、香道を志す若い方にとって香木は既に手に届かない存在となっており、 現在手に入るような香木では品質も落ちるため、最も核心的な師匠となる「香気」を悟ること、則ち「香気スケール(正しい聞き味)」を後世に伝えることができなくなっています。私はこのことに大きな憂いを感じています。
こんな御時勢ですので、是非、お師匠さんは御初会や研修会などで「観賞香」を奮発していただき、香木を「大切に・・・大切に・・・」思って、僅か数ミリグラムの小片をうやうやしく焚き廻して受け継いだ香道文化を「照る日も曇る日も大切に守って行こう」という決意を新たにする契機としていただければと思います。
今月は、春野辺の若菜摘み「七種香」(ななくさこう)をご紹介いたしましょう。
「七種香」は、叢谷舎維篤撰の組香書である『軒のしのぶ(六)』に掲載のある「春」の組香です。この組香は、見た目が本香7包で行う「十*柱香」のような構造なので、題号を「ななしゅ」と読んでしまう方もいらっしゃると思います。私も当初はそう読みましたので「何故、これが春の組香なのだろう?」と思い 、題号に「ふりがな」を付けるところから悩みました。しかし、この疑問を解決する鍵は、他書から同名異組を探している時点で見つけました。『御家流組香集(禮)』に掲載された「七種香」は、7種ずつ2組作った香を1つだけ入れ替えて、同香が出た香の要素に従って「芹(せり)、薺(なずな)、菁(すずな)、荵(しのぶ)、御形(ごぎょう)、田平子(たびらご)、仏の座(ほとけのざ)」と香記に認めるというもので、こういう形式ですと間違いなく「ななくさこう」と読まないわけには行かないと思いました。
注:荵は蘿蔔(すずしろ)なのか不明、さらに田平子とは仏の座のこと なので重複があり、そのため、この名目には繁縷(はこべ)が無いことになります。
そこで、この組香を「ななくさ」と読んでみますと要素名や香札の紋は確かに春の摘み草の景色が散りばめられています。その上 、この組香には「七種香之記」という仮の香記を認めつつ、最終的には「若菜香之記」という香記を残すという非常に珍しい特徴が ありました。「若菜香」と言えば、このコラムでも平成10年2月に「ふみわけて野沢の若菜今日摘まん雪間を待たば日数経ぬべし(新千載集:後村上天皇)」がテーマとなっている5種11香の「若菜香」を紹介しており、これは、下附の「摘み草」「若菜」「雪間」「深雪」が冬から春の訪れを告げる景色を味わうものでした。また、『軒のしのぶ(二)』にも同様の組香が掲載されており、こちらは下附が点数となっているところのみが異なっています。さらに、志野流の『香道の作法と組香』に掲載された「若菜香」は、香6種で「美津野」「烽火野」「交野」「朝沢小野」「武蔵野」の各地の野原から「若菜」を摘む景色を表す組香です。
このように「若菜香」に通ずる景色を7つのお香で表現するのであれば、やはり「七種香」は「ななくさこう」と呼ぶべきであろうと結論づけたわけです。今月は、1つの組香から全く異なる景色を2つ描き出すという、他に類例を見ない特徴のある『軒のしのぶ(六)』を出典として書き進めたいと思います。
まず、この組香には証歌があります。出典には「俊成卿 霞たつ雪も消えばやみよし野のみかさが原に若菜摘むらん 此の古歌の心なり」とあり、この歌をテーマに香を組んだことが示されています。この歌には、親切に「俊成卿」と詠み人が示してありますが『国歌大観』のレベルでは出典に尋ね当たりませんでした。いずれ、この歌は、前述の「若菜香」の証歌と同様、旧暦の正月行事の若菜摘みを景色として詠まれたものと思われますので、組香の表そうとしている景色も「若菜香」に近いものを想定していると思われます。
次に、この組香の要素名は証歌に読み込まれた「霞」「雪」「原」「若菜」の言葉が盛り込まれていますので、これらの要素の醸し出す景色も「初春の若菜摘み」を端的に表しています。また、この組香の香種は4種、香数は7香であり、その構造は「十*柱香」から派生しています。このことは、出典に「右いずれも試無し、本香七包なり。試無十*柱のごとく札を打つなり。」のように記載されています。まず、香包は「霞」「雪」「原」を2包、「若菜」を1包作ります。この組香には試香がありませんので、合計7包を打ち交ぜて順に本香を焚き出します。連衆は、香炉を聞いて1炉ごとに香札を打って回答しますが、連衆の回答方法については「十*柱香」と全く同じとなっています。つまり、小記録の要素名にかかわらず、最初に出た香を「一」とし、2炉目がこれと同香なら「一」 、異香なら「二」とし、3炉目も同様に以前に出た香と同香ならばその番号である「一」か「二」を書き、異香ならば新しく「三」を付けます。4炉目以降もそのように進め、4番目に出た異香は「ウ」とします。
例:@ 「一、二、三、ウ、二、一、ウ」 A「一、二、三、三、一、二 、ウ」 ➂「一、二、三、ウ、一、二、ウ」
さらに、この組香は、回答に専用の「香札」を使用することとなっており、これについては、出典に「仮記録札紋」として「春曙、春朝、春霞、春宮、春水、春風、春月、春雨、春山、春暮」が列挙されています。この札紋は春の景色を表すもので、『軒のしのぶ(二)』に掲載された「若菜香」もこの札紋を使用しています。
この間、執筆は「七草香之記」を常の如く書き始めていますが、各自の名乗の欄は、ここで割り当てられた札紋の右肩に名前を 併記する形で書き記します。本香が焚き終わり回答が帰ったところで、執筆は各自の答えを書き写し、香元に正解を請います。香元が香包を開いて正解を宣言しましたら、執筆は香の出 の欄に要素名で書き記します。そして、番号で書かれた各自答えと見合わせて、当たった答えの右肩に合点を 掛けていきます。当否は「十*柱香」と同じく、同香を同じ番号で聞いていれば当たりとなります。また「若菜」に対応している香を「1つ」として聞いていれば当たりとなります。
例: 正解が「雪、原、若菜、霞、雪、原、霞」の時
@「一、二、三、ウ、二、一、ウ」⇒3点
A「一、二、三、三、一、二、ウ」⇒4点
➂「一、二、三、ウ、一、二、ウ」 ⇒7点(満点)
続いて、この組香の下附について全問正解は「皆」と書き記し、その他は当たった要素の数を得点とし漢数字で書き付します。出典の「七種香之記」の記載例では、主役である「若菜」の当たりには合点が2本掛けられていますが下附は1点と換算してあり、「若菜」の当たりについて「功は認めるが加点要素とはしない」というルールとなっています。また、他の組香がするように証歌を記録の奥に証歌を認めることはしてありません。せっかく証歌があるのにもったいない気もするのですが、後述する「若菜香之記」が和歌満載の景色となるため、ここでは聞き当てゲーム の結果を主体として奥書を遠慮したのかもしれません。こうして「仮の記録」である「七種香之記」を書き終えます。
さて、 ここまでで組香一席が終わったような気がしますが、出典には「初め仮記録に点を掛け終わりて後、又別に『若菜香』と記録したためて本記録とす。」とあり、この組香の「香の出」と「各自の聞き」を基に 、もう1枚「正式な香記を書く」ことになっています。このように1つの 組香で2つの景色の異なる香記を認めるところが、この組香の最大の特徴といえましょう。
記録の認め方については、まず、執筆は記録紙をもう1枚出し、題号を「若菜香之記」と認めます。題号の下の香組は「七種香」と同様に要素名と香銘を書き記します。次に 、連衆の名乗については、先ほどの「札紋」を使わず名前のみをいつもの下附を書く辺りに書き記します。そして、各自の答えはいつもの位置に書き記します。答えと名乗が上下逆転しているのも、この組香の第2の特徴といえましょう。
「本記録」については、全て「若菜が何炉目に出たか」を基本として、執筆が1人で行う書き換え作業で゜す。
まず、各自が「若菜が何炉目に出たと答えたか?」によって、下記の通り配置された和歌の下の句と見られる「聞の名目」に書き換えます。(本歌については、全て出典不明)
若菜の聞き |
聞の名目 |
一炉目 | なべてのどけき難波の入江 |
二炉目 | 花の下かぜみなれ棹さす (⇒水馴れ竿) |
三炉目 | 色なつかしきいろなみこゆるに |
四炉目 | のどかなる空はつ花さくるに |
五炉目 | 霞たな引きあそぶまな鶴 |
六炉目 | 春の川なみかすむ影なき |
七炉目 | 梅の初花ゆきは消しな |
これは、各自の回答の中に1つだけ現れた番号を「若菜と聞いた」として判断します。
例:正解が 「雪、原、若菜、霞、雪、原、霞」の時
「一、二、三、ウ、二、一、ウ」⇒色なつかしきいろなみこゆるに
「一、二、三、三、一、二、ウ」⇒梅の初花ゆきは消しな
出典の「若菜香之記」の記載例によれば、名目は全て書かず、「春の川なみ」や「かすむ影なき」のようにどちらか1句のみを自由に書き記していますが、全てを記した方が景色としては広がる感じがします。
次に、本香の出(正解)は「若菜が何炉目に出たか?」によって、下記の通り配置された「和歌」に書き換えます。なお、和歌の出典・詠人は括弧内に付記し、出典表記と原典表記の異なるものを参考に併記しています。
若菜の出 | 和歌(香の出の欄) |
一炉目 | 浪速き入江に立てるみほつくし霞ぞ春のしるしなりける (参考:「浪速き」→「難波がた」 玉葉集23:後嵯峨院御製) |
二炉目 | 花の色はそこともしらず匂来て遠山霞春の夕暮 (参考:「花の色」→「花の香」後拾遺集66:中務卿宗尊親王) |
三炉目 | 若葉摘む我あとばかり消し初めてよそにはみえぬ雪間なりけり(新後拾遺集585:従三位定家) |
四炉目 | 常磐なる松もや春をしりぬらん初音をいはふ人にひかれて(千載集12:侍賢門院堀河) |
五炉目 | 梅の花匂ひを道のしるべにてぬしをしられぬ宿に来にけり(詞花集10:右兵衛督公行) |
六炉目 | 山かぜは猶さむからし三芳野のよしのの里は霞そむれど(嘉元百種2:後宇多院御製) |
七炉目 | 咲きそむる花はさながら埋もれて雪のみにほふ梅の下風(新千載集47:源兼氏朝臣) |
このように、海、山、野辺、里に訪れた初春の風景を詠んだ和歌が配置されています。
例:正解が 「雪、原、若菜、霞、雪、原、霞」の時
⇒若葉摘む我あとばかり消し初めてよそにはみえぬ雪間なりけり
香の出の欄について、出典の「若菜香之記」の記載例では和歌は、「上の句」を答えの欄と同じ並びに、「下の句」を名乗の欄と同じ並びに二段に分けて書き記しています。また、 答えの欄では、当たりの名目に合点を掛けていないところも特徴的です。そして、開香月日、開香筵、出香、香元、執筆等は常の如く認め、「本記録」が完成します。単に当たり外れを比べる聞き当てゲームだった「七種香」 を、そのまま雅趣豊かな「若菜香」に昇華させるという趣向がとてもすばらしい組香だと思いす。⇒名目を全句記載した場合の「若菜香之記」
最後に、勝負については出典に何らの記載もないのですが、せっかく2つの香記を認めたのですから、「七種香之記」は最高得点者のうち上席の方に、「若菜香之記」については、「若菜」を聞き当てた方のうち上席の方にと2段階にしてみてはいかがでしょうか?およその場合は、同一人物になろうかと思いますが、「若菜」を聞き外した高点者もいるかもしれませんし、香記を戴ける可能性が大きいほど席は盛り上がると思います。 ただし、香記が別々の方に授与された場合、「若菜香之記」は若菜の出のみを和歌で示し、正解の名目に合点もないため、「7つの香がどのように出たか?」や「何が正解だったか?」など、香席の様子をつまびらかにする「記録」としての機能は薄らぎます。もっとも、正解者の栄誉として与えられる「賞状」としては、雅でとても美しい香記が戴けますので、それでよしということもあろうかと思います。
旧暦では、今年の元旦は2月19日(丙寅)であり、草木萌動(そうもくめばえいずる)「初子の日」は、3月1日(丙子)になるようです。皆様もスーパーの店頭ではなく、野辺から春の七草が手に入るようになるこの時期に「七種香」で若菜摘みをしてみてはいかがでしょうか?
竹鶴政孝は、宮城郷の川の水でブラックニッカを水割りにして飲み、その風味に惚れ込みました。
醸造所の建設を即決した竹鶴が川の名前を聞くと土地の人は「新川」と答えたのだそうです。
これが「日果」と「新川」の奇遇な出会いの逸話となっています。
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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