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説明 |
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香木は、5種用意します。
要素名は、「一」「二」「三」「四」と「五」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「一」「 二」「三」「四」は各3包、「五」は2包を用意します。(計14包)
「一」「二」「三」「四」の各1包を試香として焚き出します。(計 4包)
手元に残った「一」「二」「三」 「四」各2包と「 五」の2包を打ち交ぜ2包ずつ5組に結び置きします。
本香はこの5包を組ごとに打ち交ぜて、 「二*柱聞き(にちゅうぎき)」とし、順に焚き出します。(2包×5組)
連衆は、1炉ごとに試香と聞きあわせて要素名に対応する「香札(こうふだ)」を1枚打ちます。(委細後述)
執筆は、各自の答えを見て2炉ごとに「聞の名目」を香記に書き記します。
点数は、要素ごとに当否を付け 「五」の「独聞(ひとりぎき)」は3点、当たりは2点、その他の要素名の「独聞」は2点、当たり は1点とします。(片当たり有効)
下附は、全問正解は「皆」、その他は点数を書き付します。
勝負は、正解数の最も多い上席の方の勝ちとなります。
肥後の森は、既に「新緑」を過ぎ「陽樹の盛り」になって参りました。
名古屋では、「満開の桜に迎えられながら熊本入りしよう」と目論んでいましたが、今年は全国的に開花が早まったため、花散らしの雨を見ながら引っ越しを終えて一段落しましたら、花暦はすでに藤や菖蒲に変わっていました。
熊本に結んだ庵は「三学庵」と名付けましたが、これは細川三斎の「三」と居所の地名である学苑の「学」に因んだものです。「三学」とは、仏道を修行する者が必ず修めなければならない「戒・定・慧」(かい・じょう・え)という基本的な修行項目にも通じ、これら不即不離の学を修めるのも、最後の単身赴任地となるであろう肥後の地がふさわしいだろうと思いました。
熊本は、以前から「いいところ」と聞いていましたが、確かに「人が良く、食べ物が美味しく、水も旨い」ところでした。迷っているとあれこれ先回りして世話をやいてくれる人、なにか困ったことがあっても「よかよか」で済ましてくれるおおらかさ、食べ物は、どれひとつとっても、そのものの「濃さ」が違うような気がします。特に水は「比重」からして違うような「まろやかな甘露」で白米を焚いた時や蕎麦を水で締めた時の出来上がりが全く違いました。聞けば、熊本市内の水道水は、いまでも阿蘇山の伏流水で賄われており、ミネラル豊富な自然水に近いもののため、浄水器はかえって風味を損なうので要らないそうです。市内は、水前寺公園をはじめ、たくさんの湧水があり、小川や水路も多く流れています。そのため湿気と雨が多いのは玉に傷ですが、その湿気や激しい雨の降り方さえもアジアンテイストで愛おしいものに思えます。
一転、晴れれば庵のベランダから東に阿蘇山を望むことができ、近くも多くの森が取り囲んでいて、山路散策好きの我が「お散歩心」をくすぐります。思えば、私は「杜の都」仙台から尾張名古屋を経由して「森の都」熊本に移り住んだのでした。街の風景や規模感から訛りのイントネーションまでがなんとなく似通ったこの街で、故郷に帰ったような安堵感を覚えています。
まだ移り住んで間もないため、現在は生活重視で香道や文化系のリサーチは後回しになっていますが、今月から追々開始したいと思っています。九州でも良き香友や「細川家北岡文庫」(熊本大学附属図書館)のような良き書物にたくさん巡り合いたいと思っています。仙台⇒熊本間は行程にして1,650km・・・「思えば遠くに来たもんだ」ですが、郷に入っては郷の楽しみを味わい尽くすつもりで参りたいと思っています。
今月は、在原業平の東下り「東路香」(あずまじこう)をご紹介いたしましょう。
「東路香」は、『香道蘭之園(四巻)』に掲載のある組香です。「東路」とは、都から東国へ行く道のことで、いにしへの人は「東の蓬莱山」として憧れていた「みちのく」を目指して東海道・東山道を辿 って東国に旅したようです。それは、西行や芭蕉のような紀行であったり、源融のような左遷めいた赴任であったりしましたが、おしなべて「うら悲しい」雰囲気を漂わせ、それを 「侘び寂び」として楽しむか、うら悲しく思うかで残された書物のイメージは違っいるのでしょう。そのような「都人」は、現在も彼の地に訪れていますが、みちのくの香人であった私は 彼らに「東路」という伽羅をお聞かせして、「みちのくにもこんなところはありますよ」とおもてなししていたことを思い出します。期せずして今回、「今業平」を豪語していた私自身が都を通り過ぎて西国に赴任することとなりましたので、 今更ながらに彼にシンパシーを感じ、この組香が妙に琴線に触れました。このようなことから、今回は『香道蘭之園』を出典として、「今業平の西下り」にも掛けまして筆を進めたいと思います。
まず、組香に証歌はありませんが、題号の「東路」と小記録に認められた「聞の名目 」をご覧になったところで『伊勢物語』を思い出す上級者もいらっしゃるかと思います。さらに注意深く見ますと、この組香は、『伊勢物語』の中でも有名な第9段「東下り」を中心に、第 7段「かへる浪」から第15段「しのぶ山」までの情景を題材に据えられて作られていることがわかります。『伊勢物語』は平安時代初期に書かれた作者未詳の歌物語で、全125段からなり、必ず一段に一首以上の和歌が掲載されています。基本的には「男」の元服から死の直前までを描く「一代記」の様相を呈していますが、小説のように一本の筋がある訳ではなく、恋愛、友情、政治、旅情など様々な切り口の逸話がオムニバス形式で散りばめられています。
「東下り」とは第9段の書き出しで「身を益なきものに思ひなして、東の方に住むべき国求めむとして、惑ひ行きけり」とあるように、都からの出奔を意味しています。その理由として、「男」は第6段「芥川」で東宮妃候補だった藤原高子を強奪した上に 彼女を鬼に食われ、道ならぬ恋の責任を負いました。また、モデルとされる在原業平も政治的に藤原氏から完全に目をつけられ、都には住み辛くなっていました。このように 、個人的にも政治的にも新天地を求めるには十分過ぎる状況があり「都を出ざるを得なかった」というのが本当のところだったのかもしれません。
「男」が都を出た時期は判明しませんが、「東下り」の場面で、八橋の杜若を見ていますし、中盤には駿河で「五月のつごもり」に雪の残る富士山を見ていますので、「東路香」は今の時季にふさわしい組香といえるでしょう。
次に、この組香の要素名は「一」「二」「三」「四」「五」と匿名化されています。これは、後に述べますように、この組香が「二*柱聞き」と言って「2つの要素を合わせて1つの答えを導く形式」のため、 各要素は聞の名目を導き出す素材として扱われ、特段の景色を付が付くのをさせてイいるからです。そのかわり2つの要素から結ばれる「聞の名目」に存分な景色を設け られているというわけです。
さて、この組香の香種は5種、全体香数は14包、本香数は10炉となっています。まず、「一」「二」「三」「四」は各3包、「五」は2包作ります。次に 、このうち「一」「二」「三」「四」の各1包を試香として焚き出します。そして、手元に残った「一」「二」「三」「四」「五」の各2包、合計10包を打ち交ぜて、2包ずつ5組に結び置きします。この「結び置き」の所作がこの組香の特徴となっています。
本香は、この5組を再度打ち交ぜて、1組目の結びを解いて「前後を間違えないようにして」1炉ずつ焚き出します。初炉を焚き終えたところで、香元は香炉に添えて「香筒」か「折居」を連衆に廻します。連衆は香を聞 き、これと思った要素名の書かれた札を1枚投票し、後炉も同じようにして1組の区切りとします。これを5回繰り返します。
ここで、回答に使用する「香札」について、出典では「十*柱香の札にて打つ也。四にウ、五に一とウ、一と三、二枚づつ打」とあり、「一」「二」「三」はそのままの札を 使い、「四」は「ウ」と読み替えて使い、それでも足りない「五」の2つ分は「一とウ」、「一と三」と組合せて使うと書かれています、しかし、現在「十*柱香札」は1つの要素について3枚しか入っていないので、それぞれ2つずつ出てくる「一」と「五」に対応するためには「一」の札が4枚必要となります。そこで、出典の組合せで香札の不足が生じる場合は、「五」には「一とウ」「二と三」の2枚を組み合わせて打つこととすればよろしいかと思います。
一方、 読み替えや組合せ投票等、香札を使うこと自体が難解であれば、「要素名を10個」出た順に書いて回答する方法や連衆のところで2つの要素を結び「聞の名目を5個」書いて回答するという2種類の「後開き」方式をとってもよろしいかと思います。
続いて、この組香の要素から導き出される景色は「聞の名目」に網羅されています。要素の組合せと名目は次のとおりです。
香の出 |
聞の名目 | 解説等 |
同香 |
むかし男(昔男) |
【全段】『伊勢物語』は、「むかし、男ありけり」の書き出しで始まる。主人公のモデルは在原業平といわれるが、別人のエピソードが混じり、物語的な飛躍もあるため、主人公像は漠然としている。 |
一・二 | あづまのかた(東の方) | 【七段】「京にありわびてあづまにいきけるに」で東国に下ったことを示す。 |
一・三 | 伊勢尾張の海 | 【七段】「伊勢、尾張のあはひの海づらをゆくに」で白く経った浪を見て「かへる浪」の歌を詠む。 |
一・四 | 浅間の煙 | 【八段】「信濃の国、浅間の嶽に煙の立つを見て」「見やはとがめぬ」と詠っている。(尾張→三河→駿河のルートから大きく外れている。) |
一・五 |
八はし(八橋) |
【九段】「三河の国、八橋といふ所にいたりぬ」で木陰に腰を下ろして乾飯(かれいい)を食べる。(現:愛知県知立市八橋) |
二・一 |
かきつばた(杜若) |
【九段】「その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり」と「から衣」の歌を詠む。 |
二・三 | 宇津の山辺 | 【九段】「ゆきゆきて駿河の国にいたりぬ」で東海道の難所の宇津谷峠の細く暗い道に至る。(現:静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町岡部坂下の境) |
二・四 | 蔦楓の茂り | 【九段】「蔦かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに」で「夢にも人に会わぬなりけり」と詠む。 |
二・五 |
さ月の冨士(五月の冨士) |
【九段】「富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白うふれり」で冨士の残雪を見る。 |
三・一 | かのこまだら(鹿子斑) | 【九段】五月の冨士を見て「鹿子まだらに雪のふるらむ」と詠む。 |
三・二 | しほじりの山(塩尻の山) | 【九段】鹿子斑の冨士を「なりは塩尻のやうになむありける」と塩田で海水を掛けた砂山のようだと思う。 |
三・四 |
すみだ川(隅田川) |
【九段】「武蔵の国と下つ総の国とのなかにいと大きなる河あり」で隅田川に至り、渡守に急かされて舟で渡る。 |
三・五 |
みやこどり(都鳥) |
【九段】舟上から「白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる」都鳥を見て「名にしおはば」の歌を詠み、皆で泣く。 |
四・一 | 三よし野の里(三芳野の里) | 【十段】「男」が土地の女に求婚する。この時の男の住処が「すむ入間の郡、みよしのの里なりける」(現:埼玉県入間郡 ) |
四・二 | たのむの雁 | 【十段】娘を「男」に嫁がせたい母親から歌を贈られ「たのむの雁をいつか忘れむ」と返す。 |
四・三 |
むさし野(武蔵野) |
【十二段】「男」が娘を奪って武蔵野に行く。火を付けようとした追手に対して娘が「武蔵野は今日は焼きなそ」と詠む。 |
四・五 |
わか草(若草) |
【十二段】歌の下の句「若草のつまもこもれりわれもこもれり」「若草」は「つま」の枕詞。この場合の「つま」とは「夫」のこと。 |
五・一 |
むさし鐙(武蔵鐙) |
【十三段】「男」が都の妻に「むさしあぶみ」(武蔵で妻を娶ったという暗示)と上書きした文を送り、互いに「武蔵鐙」を詠み込んだ歌を交わす。 |
五・二 |
桑子(くわこ) |
【十四段】陸奥に入り、土地の娘が「男」に心を寄せて「桑子(蚕)にぞなるべかりける玉の緒ばかり」と詠む。 (現:宮城県栗原市金成姉歯) |
五・三 | きつにはめなで | 【十四段】歌に絆されて「男」が土地の女と一夜を共にし夜が深いうちに帰ったので、女が早く啼いた鶏を恨み「夜も明けばきつにはめなでくたかけ(鶏)の」と詠む。「きつにはめなで」は国文学上の謎で「狐に食わせてやる(藤原清輔『奥義抄』)」、「水槽に投げ入れてやる(平田篤胤『伊勢物語梓弓』)」と2つの解釈に別れている。 |
五・四 | しのぶ山(信夫山) | 【十五段】「男」がなんということのない平凡な女のもとに通い、心の奥を知るために「しのぶ山しのびたかよふ道もがな」と詠む。(現:福島県福島市) |
このように、『伊勢物語』を出典として第7段「かへる浪」から第15段「しのぶ山」に掲載された事物や歌の文句が配置されています。ただし、ここに見るように第11段「空ゆく月」からは何も採用されていません。それは、この段が歌一首だけ で非常に短いことと、文中に東国の風景が含まれていないからだと思います。こうしてみると「男」の東下りの行程は、伊勢→尾張→信濃→三河→駿河→武蔵→陸奥となり、陸奥の中では、性懲りもなく土地の女と逢瀬を重ねて宮城県の 「姉歯の関」近くで折り返して南下し、「福島県信夫」で終わっています。物語で「男」は最終的に都に帰っていますので、「東下り」の途中で既に約100km ほどの帰り旅をしているのは興味深い発見でした。
このようにして、1組目の初炉・後炉を焚くと同様に、香元は2組目から5組目まで都合10包の香炉を焚き出します。この間、連衆から投票された札は、執筆が札盤の上に伏せて並べて置くといいでしょう。本香が焚き終わり、香札が戻って参りましたら、執筆は札を裏返し、組ごとに2つの要素が結んだ名目を香記の解答欄に各自5つ書き記します。答えを書き終えましたら、執筆は香元に正解を請います。香元は香包を開いて正解を宣言します。それを聞いて執筆は、香の出の欄に要素名を出た順序に書き記します。出典の「東路香之記」の記載例によれば、香の出の欄は1列に10個、組ごとに少し間を開けて記載されています。そして、執筆は、また正解の要素の組合せで導き出された正解の名目を定めておきます。
この組香の点法については、出典に若干の矛盾があります。出典には「一人ぎき二点、二人より一点、ウの一人ぎき三点、二人より一点」とあり、連衆の中で1人だけ正解した「独聞」に加点要素があります。因みに文中の「ウ」とは、試香のな「五」のことを示します。さて、このまま採点を始めたいところですが、出典の「東路香之記」の記載例では、独聞でない「五」の正解 を2点と換算して合計点を下附しており「客香にはすべて加点要素がある」ように書かれています。 そこで、出典の下線部を「一」と「二」の誤記と判断して点法を記録法に合せました。さらに、正解が「あづまのかた(一・二)」の場合、「八はし(一・五)」や「たのむの雁(四・二)」も1点が加えられており、初後2つの要素のうちどちらかが正解した「片当たり」も採用されていることがわかりました ので、これも点法に加えました。そのようなわけで、ここでは、出典の点法を書き換え、「五」の独聞は3点、「五」の当たりは2点、「五」以外の独聞は2点、その他の当たり1点として採点することにしています。
この組香の記録法では、執筆は名目の構成要素を意識して、正解と同じ名目には「ヽヽ」と2点を右肩に掛け、片当たりには「ヽ」と1点を掛けるようになっています。「五」を含む要素や独聞には、4点や3点など得点数に応じた「ヽ」を掛けたいところですが、出典の記載例では名目の当たりは「ヽヽ」と二点掛けのみ、要素の当たりも「ヽ」と一点掛けのみとなっており、得点は下附の段で別途計算するようになっています。つまり、「ヽ」の数が6つでも「五」を含む要素が1つ当っていれば「七点」と下附することになります。
こうして、この組香の下附は、全問正解の場合は「皆」、その他は漢数字で点数を書き付すこととなっています。独聞がなければ全問正解は12点、全要素を独聞すると30点の「皆」もあるということになります。
最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
古典の世界では、いろいろな文化人が「東下り」をしています。ゴールデンウィークの人混みを避けたいと思っていらっしゃる皆さんは、「東路香」で東国の景色を味わってみてはいかがでしょうか?
九州の歌枕を調べましたら最も近いのは「白川」でした。
「年ふれば我黒髪もしら川の水はぐむまで成りにけるかな(後撰集1219 檜垣嫗)」
黒髪地区は庵の対岸で、期せずして最初に訪れた場所でした。
水汲めば天地和合の心地して肥後ぞ我身に沁み渡るかな(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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