故人の冥福を祈る追善供養の組香です。
宗門による解釈の違いにこだわらず故人を思い出しながら聞きましょう。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、4種用意します。
要素名は、「煩(ぼん)」「悩(のう)」「即(そく)」と「菩提(ぼだい)」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「煩」「悩」「即」は各4包、「菩提」は2包作ります。(計 14包)
「煩」「悩」「即」のうち各1包を試香として焚き出します。(計3包)
残った「煩」「悩」「即」各3包に「菩提」の2包を加え、打ち交ぜて、順に焚き出します。(計11包)
本香は、 「札打ち(ふだうち)」の「後開き(のちびらき)」で11炉廻ります。
「札打ち」とは回答の際に答えの書かれた「香札(こうふだ)」を投票するやり方です。
「後開き」とは、本香が焚き終わってから、正解を宣言して当否を付けるやり方です。
−以降8番から11番までを11回繰り返します。−
香元は、香炉に添えて「札筒(ふだづつ)」か「折居 (おりすえ)」を添えて廻します。
連衆は、本香を聞き、答えとなる要素名の書かれた札を1枚投票します。
香札は、本香焚き終わりまで「札盤(ふだばん)」の上に伏せて並べておきます。
執筆は、香札を開き、香記の回答欄に各自の回答を全て書き記し ます。
その際、客香である「菩提」の香は「手向(たむけ)」と書き換えます。
香元は、正解を宣言し、執筆は当った要素に合点を付します。
この組香の下附は、当り方によって解答欄の「中段」や「下段」に名目や点数が付きます。(委細後述)
香記は、正解者のうち、上席の方に授与されます。
長い竹竿の上につるした迎火が盂蘭盆の夕空に映えています。
水無月の十八日に我が母が享年八十八歳でみまかりました。娘の誕生日から始まり、母の月命日も「香」にまつわる「○○ノ十八日」となったのは香の神様の思し召しというところでしょうか。本来、香人としては、「四十九日間香木を焚いて献香」すべきなのでしょうが、伽羅を焚いたのは通夜・葬儀の 「喪主の焼香」の時だけで、「三学庵」では雑事に追われていますため、「越南沈香のお線香(春香堂)」を毎日遺影に手向けています。
遺影は、亡くなった日に親戚とアルバムを繰りつつ選びましたが、叔母の「笑顔が一番」という意見が通り、なんと「30年前」に従妹の結婚式で撮った留袖の写真を使うことになりました。写真の背景には私の好みから白藤を添え、「誇大広告」と言われそうですが、満面の笑みと爽やかな風が吹き通るような遺影が出来上がりました。「実は30年前のものなんですよ(^_^;)」と注釈を入れつつも、お寺の御住職をはじめこんなに遺影を褒められたのは珍しいと思います。
遺影というものは凄いもので、子孫はもとより、人をして「まるで故人のひととなりや最期の姿が本当にそうだったか」のように思わしめます。この遺影に映る母は、 孫からの弔辞で「その壮絶な生き様に敬意を表します。」と言われた「波乱万丈の苦労人」の片鱗も見せず、貧困や戦争、離婚、子育て、大病、長い介護の日々等、 同じ体験を共有している筈の私達にもそのような苦労をしたことをすっかり忘れさせてくれました。今、目の前にいる母は、退職後に近所の友達とカレンダーが真っ赤になるぐらい予定を組んで「あっはっはっはー」と笑いながら趣味人として遊びまわっていた頃のものです。 従妹の結婚式も久しぶりに会った兄弟姉妹は皆元気で家勢繁栄の頂点にあり、その中で撮られた屈託のないポートレートだったのでしょう。今ではそんな母が全てだったように思え、生きていた頃以上に「おかあちゃん」と話し掛けやすい遺影となったのは幸いなことでした。
当地では「友引に通夜・葬儀を忌む」のが習わしなので、母が亡くなって施設から懐かしい自宅に帰り、通夜出棺までの丸2日間は、母と姉と私で48年前にこの地に住みついた頃のような家族水入らずの時を過ごせました。その間、母は「この日」のために70歳で建てた家の和室の続き間から、好きだった庭の花を愛で、我が子との語らいを十分堪能でき、無事本懐を遂げたのであろうと思います。姉は、我が家の庭の花暦を先読みして 、最後は「百合の花が咲きそうだから、それまでは頑張ってね。」と言っていたそうですが、母が帰っても百合は白い蕾のままでした。しかし、自宅には母の大好きだったサツキが不思議なほどに咲き残っており、艶やかな景色で4年ぶりに戻ってきた母を迎えてくれました。そして、サツキたちも頑張ってくれていたのでしょう、葬儀を終えて帰った時には、すべてがすっかり枯れていたのも不思議でした。
初七日を迎える頃、花気の薄れた庭に百合の花が咲きました。 今年の2月に亡くなった父は百合の花が好きだでしたので、48年ぶりに「恐る恐る」迎えに来たのかもしれません。
今月は、盂蘭盆に故人の想い出を偲ぶ「追善香」(ついぜんこう)をご紹介いたしましょう。
「追善香」は、『外組八十七組(八)』に掲載のある弔いの組香です。同名の組香は聞香秘録の『香道後撰集(中)』や長ゆき編の『香道の作法と組香』にも掲載があり、これらの記述は、ほぼ同様となっており 、今でも志野流系の「追善香」として伝承されています。
一方、確固とした典拠は見つからないものの、御家流系でも「追善香」が行われています。今から18年前に御家流堯仙会で行われた故三條西堯雲宗匠の追善香は、要素名が「亡き人」「面影」「祈」という3種香で本香は4炉、香が満ちてから点前の際に引き去った1包を故人の遺影に献香するという趣向の組香でした。また、昨年の10月に御家流桂雪会で行われた故神保博行先生の「偲ぶ香」では、「亡」「き」「師」を要素にした本香3炉の3種香が催され、連衆の涙を誘う非常にしめやかで心温まる香席となりました。亡き人や先師を偲ぶ「追善香」は、このほかにも時宜に行われており、冥福を祈る亭主の気持ちを表すために様々な形で催されています。 そのような中から今回は、典拠の流れのはっきりしている志野流系の伝書『外組八十七組(八)』を出典として『香道後撰集』や『香道の作法と組香』の記述も踏まえつつ書き進めたいと思います。
まず、この組香に証歌はありませんが、その題号から「亡き人を偲ぶ」という主旨・目的がはっきりと汲み取ることができます。また、小記録に散りばめられた言葉からは「在りし日の姿そのものを認め、すべての成仏と冥福を祈る」という宗教的概念も見て取れ ることから、仏道への帰依をも介在させた「次元の高い弔いの香」のように感じます。追善とは、故人の冥福を祈って行う法要のことで、一般的には「追善供養」と言われており、「追善香」も中陰や年忌等に因んで催される仏事的な組香となっています。
因みに、御家流の「追善香」では、「亡きあとの面影をのみ身にそいてさこそは人の恋しかるらめ(新古今集 西行法師)」、「偲ぶ香」にも「きのうまであいみし人の今日なきは山の雲とぞたなびきにける(新勅撰集1227 紀貫之)」が証歌とされています。どちらの組香にも故人と参列者の一対一の関係がそれぞれに思い起こせるような一首が添えられており、香席での様々な連衆の想いを「故人」を象徴にして、1つにまとめてしまうような求心力を発揮しています。そこには宗教的な高級概念を敢て排して、連衆ひとりひとりが故人との思い出に浸りつつ香を聞く「卑近で心温まる弔いの香」の雰囲気が醸し出されています。
次に、この組香の要素名は「煩」「悩」「即」「菩提」となっています。これは、仏教上の法理である「煩悩即菩提」を分割したものです。「煩」はわずらうこと。「悩」は悩むこと。恨むこと。この2つが熟語となって「肉体や心の欲望」「他者への怒り」「在りもしないものへの執着」など人間の心身の苦しみを生みだす精神のはたらきを表す「煩悩」となります。「即」は「即ち」の意味で2つのものが融合して離れないこと。表裏一体であること。「菩提」とは悟りの末に得た知恵のこと。「煩悩=菩提」を意味する「煩悩即菩提」の5文字は「煩悩があるからこそ苦を招き、その苦を脱するため菩提を求める心も生じる。菩提があるからこそ煩悩を見つめることもできる」ということを意味しており、「生死即涅槃」の法理と同様に、あらゆる苦悩を自身の成長と幸福の因に転じていく積極的な生き方を勧めるものです。
さて、この組香の構造は、香種が4種、全体香数が14香、本香数が11香となっています。まず、「煩」「悩」「即」を各4包作り、「菩提」は2包作ります。次に「煩」「悩」「即」の各1包を試香として焚き出します。そうして手元に残った「煩」「悩」「即」の各3包に「菩提」の2包を加えて打ち交ぜ、 都合11香を本香として順に焚き出します。
ここで、出典には「試香に合わせて札打つべし」との記載があり、回答に香札を使用することが書かれています。他の伝書には記載がありませんので、時宜に応ずるものと理解していますが、札打ちで行う場合は「十種香札」 を読み替えすれば流用が可能です。私は、略儀にして、名乗紙を使用して本香が焚き終わった段階で回答を記載する「後開き」でも全く支障無いと思います。ただし、出典には「客の聞きには、手向とかくべし」とありますので、連衆は、名乗紙に回答を書く段階で、試香の無い「菩提」の香と思ったものは、「手向 (たむけ)」と書き換えてください。この「手向」とは、故人に対する連客からの捧げものや功徳を意味するものであり、 それぞれが故人の「菩提を弔う」ことに通じます。
一方、「札打ち」の方式ですと、香元は、香炉に添えて札筒か折居を添えて廻します。連衆は香炉を聞き 、試香に聞きあわせて、これと思う札を1枚投票します。ここでは「一*柱開 (いっちゅうびらき)」が指定されていないため、途中経過が連衆に知られないように、回収された香札は名乗の順に「札盤」の上に伏せて並べておきましょう。
本香が焚き終わりましたら、執筆は札を開け香記に各自の回答を書き写します。札打ちの場合は、連衆による「菩提→手向」の書き換えが行われていないため、執筆が各自の「ウ」の札を記録する際に「手向」と書き記します。答えが書き終わりましたら 、執筆は香元に正解を請い、香元は正解を宣言します。執筆は、香の出の欄に正解(この場合は「菩提」のまま)を書き記し、当った答えに合点を掛けていきます。
続いて、執筆は採点と下附を行いますが、 この組香は、客香の当りや点数によって複雑な下附が用意されています。これについて、出典には「客香聞き当る人には 、但一種の時は、聞きの中段に菩提と書き、二*柱とも当りの人には同所に涅槃と書くべし。又、客独り聞は花臺と書き、全の人は安楽と書く。無聞の人は迷と書くべし。」とあり、解答欄で客香の「手向」が1つ当っていれば「菩提」、2つ当れば「涅槃(ねはん)」、連衆でただ一人聞き当てていれば「花臺(はなのうてな)」という言葉が各自の回答 欄の下(中段)に書き附されます。「涅槃」とは、煩悩の火を吹き消し、滅却して一切の悩みや束縛から脱した境地のことです。「花臺」とは、極楽浄土に往生した者が座る「蓮の臺」のことです。
また、全問不正解の場合は「迷(まよう)」が付されます。「迷」とは、まだ煩悩の中で心乱れていること で、魂が成仏できていないことにも通じます。この場合は、当然「涅槃」や「花臺」は付きませんので中段に「迷」と書き記してお終いです。一方、全問正解の場合は「安楽 (あんらく)」が書き附されます。「安楽」とは、心が安らぎ楽々としていることを表し、極楽浄土に至って何の苦悩もなく、安穏快楽な毎日があるのみだということです。この場合は「涅槃」か「花臺」が付き物ですので、その下(下段)に書き附します。
さらに、全問正解と全問不正解を除いた各自の得点は、「涅槃」や「花臺」の有無にかかわらず下段に漢数字で書き附します。このように下附が2段に書き記されるところが、この組香の特徴となっています。
当り方 | 全中 | 客一中 | 客二中 | 客不中 | 全不中 |
中段 | 涅槃 | 菩薩 | 涅槃 | 迷 | |
下段 | 安楽 | 四 | 八 | 七 |
以上で通常の香記は記載できるのですが、出典には下附の記載方法「無聞の人は迷と書くべし。」の後に「又、題号を本来無一物とも書くなり。時宜によるなり。」とあり、この記述の処理については伝書による書きぶりの違いがあります。これについて『香道後撰集(1753年書写)』では「無を迷と書く」の横に「又、無を本来無一物と書く」とあり、「本来無一物(ほんらいむいちぶつ)は『迷』の代わりに書いても良い。」という記述になっています。一方、出典及び『香道の作法と組香』では「題号を本来無一物とも書く」となっています。「題号」といえば一般的には組香名のことですので、「本来無一物」は『追善香』の代わりに書いても良い。」と書いてあるようにも見えるところがあります。ですが、本当に組香名を挿げ替える必要があるのか疑問に思っています。
実際に、志野流の香席でこの記述がどのように取り扱われているのかは存じませんが、私は「題号…」は書写上の用語の取り違えで「名目…」のことではないかと推測しています。香道、特に御家流系では、全問不正解の人には「カタルシス」や「ドンマイ!」という意識で下附が付けられることが多いものです。この場合も「仏道に迷う」と直接的に貶めるよりも「本来無一物」として、「世は全て空であるから煩悩も菩提にすらも何も執着することない」と言ってあげた方が香道的かなと思っています。また、そこには「無一物中無尽蔵(むいちぶつちゅうむじんぞう)」という教えもありますので、かえって「何物にもとらわれないものこそ無限で自在の境地が開ける」とポジティブに考えられる香記になると思います。そうすれば、仮に全員が「迷」であったにしても、故人の霊は「迷う」ことなく成仏できるのではないでしょうか。
最後に、追善香に勝負というのもふさわしくないのですが、香記は各自の得点を1要素1点と換算して、最高得点者のうち上席の方に授与します。
私も先年「偲ぶ香」の香記をいただきました。神保先生とは終ぞ御目文字叶うことがないままでしたが、追善の席で正客をさせていただき、香記を見るたびに観世流宗家の謡や連衆のすすり泣く声や連座の中から飛び出した証歌の披講など、師の面影を偲ぶにふさわしい席となった一座建立の景色が蘇って参ります。(合掌)
30年前の写真と言えば、私の年齢の時に撮ったものだということです。
「うかうか自撮りもしていられないな」と思いました。
たらちねの残せし赤き梅食みて皆新しき盆飾りかな(921詠)
組香の解釈は、香席の景色を見渡すための一助に過ぎません。
最も尊重されるものは、皆さん自身が自由に思い浮かべる「心の風景」です。
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