父子三代の「駒止めて」の和歌をテーマにした組香です。
それぞれの歌風を香気に込めて味わいながら聞きましょう。
※ このコラムではフォントがないため「」を「*柱」と表記しています。
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説明 |
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香木は、3種用意します。
要素名は、「井出の玉川」「佐野の渡り」「宇治より渡る」です。
香名と木所は、景色のために書きましたので、季節や組香の趣旨に因んだものを自由に組んでください。
「井出の玉川」「佐野の渡り」「宇治より渡る」は各2包作ります。(計6包)
「井出の玉川」「佐野の渡り」「宇治より渡る」のうち、1包ずつを試香として焚き出します。(計3包)
手元に残った「井出の玉川」「佐野の渡り」「宇治より渡る」の各1包を打ち交ぜて、順に焚き出します。(計3包)
本香は、 全部で3炉廻ります。
連衆は試香に聞き合わせて、名乗紙に要素名を出た順に3つ書き記して回答します。
この組香の点数は、「下附」で書き表します。(委細後述)
勝負は、最高得点者のうち、上席の方の勝ちとなります。
秋の景色も深まり名月の似合う季節となりました。
『香筵雅遊』も おかげさまで開設 19周年を迎え「今月の組香」も通算217組目を数えることとなりました。皆様方には日頃のご愛顧に感謝申し上げます。 オリンピックイヤーの今年・・・何をもって「日本新記録=世界新記録」なのかは判かりませんが、とりあえず杉本文太郎著『香道』に掲載された「226組」を超えるまでは、乱文を綴りつつお目汚しを続けたいと思っておりますのて、今後ともよろしくお願いいたします。
久々に実家の縁側で寝ころんで雲の移ろいを眺めていた時、ふと他人様の行動パターンを思い出して「きちんとした人」と「ちゃんとした人」に仕分けしてみました。もともとは書き言葉と話し言葉の違いぐらいしかなかったこの2つ言葉の間には、なんだか語感に含まれる大きな「幅」の違いがあるように感じたのです。「きちんと」は、「律儀に」「整然と」「順序立てて」行うという感じが強く、どこかに真面目な故の欠落を感じてしまいます。一方、「ちゃんと」は、「こなれたやり方で」「完全かつ効率的に」行う老錬なイメージで、これは「知識」と「知恵」、「マニュアル」と「ノウハウ」のような 違いがあるように思います。
「きちんとした人」は、(揶揄的な意味も含めて)礼儀正しく常識的で、まじめで妥協がない人と解釈されています。彼らは、同じことは同じ手間暇をかけて行い、「達成目標」と踏襲すべき「数と項目」は決して見落としません。ただし、完璧にこだわる故の無理・無駄がある場合も多く、商売人が経費をかけてすることなら完璧も良いのですが、一般人の生活としては窮屈でコスト高になってしまいます。一方、「ちゃんとした人」には、問題解決能力があり、社会的に信頼を勝ち得ている人が多いかと思います。彼らは「結果に見合った手段」を重んじるため、繰り返しの中からノウハウを蓄積し、そぎ落とすべきものはそぎ落すという合理性もあるように思われます。例えば、「きちんと食事をとる」ことは、毎日欠かさずに腹を満たして命をつなぐ、繰り返しと回数に重きを置いた「満足感」が目的のような気がしますが、「ちゃんと食事をとる」ことには、栄養バランスやその人の好みといった「内実」とともに、誰かと食事を共にするといった「幸福感」をも含めた広がりが感じられます。身を振り返ってみれば、単身赴任中の私は「きちんと」食事をとっていましたが「ちゃんと」した食事はとっていなかったことになります。
香席に招かれた際も流派の違いやご亭主の性格で、その場の雰囲気が全く異なることはあるものです。規矩を重んじて厳格なご亭主の席では「きちんとした香席」が淀みなく進みますが、心を砕き「これでもかこれでもか」と仕込まれている趣向の数々が、かえって窮屈に感じることもあります。席中に繰り広げられた細かい趣向をいちいち味わっていくと「結局、一番見せたかったものが何だったのか分らない」とか「結局『○○尽し』ってことかな?」で終わることもあります。これは、誰からも「白い」と言われるために、水と洗剤と電気と時間を存分に 使って洗濯し、そのことが生地を傷めてしまっていることに気づかないようなものです。「白さ」のために様々な財貨をかけて生地の寿命を縮めては、本質を守ることはできません。一方、「香的生活者」としてこなれた老師の席は「ちゃんと」しています。最低限押さえなければいけない規矩の数と項目は守り、その中に「自分の再現したかった主景色はこれ!」というものを誰でもが感じ取れるように見せ、脇役の趣向は風の通るように据えて置き、背景やストーリーは連衆が自由に解釈できるように幅を持たせてあります。こういうお席ですと、ご亭主の掌の中であらかじめ用意された「お仕着せの景色」を堪能するのみならず、「各自が結んだ心象風景」を互いに味わいながら一座を建立し、これを心のお土産として持ち帰ることができます。
席作りでは、ご同輩の批判を恐れてあれこれ細かいところまでお化粧してしまいますが、薄っぺらなお化粧は誰にでもわかります。それよりも、まず「香組」に腐心し、内実の伴った趣向を組香に隠し置いて、設えには決して浅薄ではない「隙間」を作っておくことが大事だと思います。満足感のある席は、亭主が主役でも正客が上手でも実現できますが、幸福感のある席は、皆が主役を演じられる舞台と雰囲気があってはじめて実現できるものではないでしょうか。
今月は、「駒止めて・・・」の和歌を連ねた「駒止香」(こまどめこう)をご紹介いたしましょう。
「駒止香」は、『外組八十七組(第七)』に掲載された「雑の組」に属する組香です。同名の組香は聞香秘録『香道真葛原(下)』にも掲載があり、証歌の句、要素名と下附が1つずつ異なっています。また、近年の刊行本では志野流のバイブルともいえる『香道の作法と組香』にも掲載があり、こちらは要素名や下附の字配りが異なる以外は、構造や景色は同様のものとなっています。この組香は証歌が春・冬・恋の歌であるため、四季を通じて問わずに楽しむことのできる「雑組」となっていますが、「駒止」という語感から「休憩」「小休止」を連想するためでしょうか、近年の香席では秋冬に用いられることが多くなっています。このように出典候補は複数ありますが、その内容はほぼ同じであるため、今回は要素名の多数決で『外組八十七組(第七)』を出典、「明和二年(1765)弥生」と書写年代が一番古い『香道真葛原』を別書として書き進めたいと思います。
まず、この組香には「駒止香」という題号の由来である「駒止めて…」から始まる和歌が3首、証歌として配置されています。
「駒とめてなほ水飼はん山吹の花の露そふ井出の玉川(新古今和歌集159 皇太后宮太夫俊成) 」
「駒止めて袖打ち拂う影もなし佐野の渡りの雪の夕暮(新古今和歌集671 藤原定家朝臣) 」
「駒止めて宇治より渡る木幡川思ひならずと浮名流すな(藤原為家)」
このように、この組香の証歌は、中世歌壇を牽引した「御子左家(みこひだりけ)」の親子三代の歌がラインアップされています。
一つ目は、歌人として有名で『千載和歌集』の撰者でもある藤原俊成(1114-1204)が詠んだ春の歌です。意味は「馬を止めて、さらに水を飲ませよう。山吹の花の露が落ち加わった井手の玉川を見るために。」ということでしょう。
二つ目は、俊成の二男で『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の撰者、『小倉百人一首』の原典となった「小倉色紙」を書いた藤原定家(1162〜1241)が詠んだ冬の歌です。意味は「馬を止めて、雪の付いた袖を振り払えそうな木陰や古家の軒下すらない。佐野の渡し場の雪の夕暮れよ。」ということでしょう。
三つ目は、定家の二男で『続後撰和歌集』の撰者でもある藤原為家(1198-1275) が詠んだ恋歌です。意味は「馬を止めて宇治から渡っていく木幡川よ。思いが成就しないと浮気などして噂になるなよ。」 ということでしょう。これは、旅立つ身の心細さから思う人に「浮気するなよぅ」と馬の背によせて念を飛ばした歌です。この歌の出典については、『香道の作法と組香』の中に「宇治より渡『名寄』」と記載がありますが、『角川国家大鑑』の範疇では、原典に尋ね当たりませんでした。唯一ヒットしたのが「駒止めてかちより渡るこはた川思ひあまると浮き名ながすな(宝治百歌2965 為家)」で、作意は同じですが、男は「徒歩で渡る」、女は「思い余って浮気する」というニュアンスが違っています。また、別書の証歌は「駒止めてかちより渡る木幡川思ひならずと浮き名ながすな」と掲載されており、「徒歩で渡る」ところが『宝治百歌』の歌と共通しています。いずれ、俊成、定家と比べるとそれほどの秀歌とも思われない出来と言えましょう。親子三代で「駒とめて」の歌を詠むことで、為家には何かプレッシャーでもあったのでしょうか?
次に、この組香の要素名は「井出玉川」「佐野の渡り」「宇治より渡る」と証歌に詠まれた句を引用して配置しています。「井手玉川」は「玉川香」や「蛙香」でも登場する山城国の歌枕(京都府綴喜郡井手町)です。「佐野の渡り」は、紀伊国の歌枕(和歌山県新宮市三輪崎)です。「佐野のわたり」は、「渡し場」と「辺り(周辺)」の2つの意味を含むと高校の古文で教えられましたが、ここでは「渡」と漢字表記であることと3つの和歌の背景がすべて水の景色ですので「渡し場」と解釈してよろしいかと思います。そして、最後は「宇治より渡る」となり、これも地名を含む要素であること確かですが他の2つのように「名詞」でも「歌枕」でもないものが配置されています。
これについて私見を持ち込みますと、「井手玉川」は第5句から、「佐野の渡り」は第4句から引用…と来れば、最後は第3句の「木幡川」が順当ではないかとも思えます。そうすると、「木幡川」は歌枕ではないもののおそらく京都府宇治市木幡を流れる宇治川の支流「堂ノ川」流域や「木幡池」付近のことなので、他の要素名と同様「水辺の景色」としての統一も取れます。これについて別書の『香道真葛原』では、証歌が「かちより渡る」で「宇治」ではないこともあり、「木幡川」を要素名に据えています。私は、こちらの方が据わりが良いと考えています。
さて、この組香は香3種、全体香数6包、本香3炉となっており、その構造は至って簡単です。まず、「井出玉川」「佐野の渡り」「宇治より渡る」を2包ずつ作り、このうち1包ずつを試香として焚き出します。次に、手元に残った「井出玉川」「佐野の渡り」「宇治より渡る」の各1包を打ち交ぜて、本香は3炉を順に焚き出します。連衆はこれを聞き、試香と聞き合わせて答えを名乗紙に書き記して回答します。この組香には試香で聞いたことのない客香が本香に交じることはないので、初心者も安心して聞き定めることができます。
本香が焚き終わり、名乗紙が返って参りましたら、執筆はこれを開き、連衆の答えを香記に書き写します。連衆の答えについて、現在の香席では『香道の作法と組香』の例に習って、回答欄は縦1列3段に書き記して良いでしょう。
因みに、出典の「駒止香之記」の記載例では、『香道真葛原』『外組八十七組』ともに1炉目、2炉目と縦に書いたところで改行して、3炉目の答えは1炉目の左横に書き記しています。この縦2列2段方式は、料紙を上下二つ折りにして使用するため、縦幅の短かった昔の名残かもしれません。
連衆の答えを全て書き終えましたら、香元に正解を請い、香元は香包を開いて正解を宣言します。執筆は、正解を香の出の欄に縦一列に3つ書き記し、連衆の当否を照合します。当否の判別も簡単で、正解の要素名と同じ答えの右肩に合点を打つだけです。出香が3種3香であるため、点数は3点か1点が0点の3種類になりますが、各自の得点をそのまま下附しないところが、この組香の奥ゆかしいところです。
下附については、出典に「記録の点数の処に名目あり。佐野渡を当りたる人は袖拂と書く。井出の玉川聞きたる人は水飼と書く。宇治より渡る聞き当たる人は木幡川と書く。三種ともに聞きたる人は駒止と書く。三種共に聞き外したる人は落馬と書く。」とあります。3種3香であるこの組香では、1つ聞き違えば必ず入れ違いの間違いがあるため、全問正解と全問不正解以外は1点となります。そのため、下附1つで各自が聞き当てた要素名と点数の両方を表すことができるようになっています。
当り 点数 下附 全問正解 3点 駒止(こまどめ) 井出の玉川 1点 水飼(みずかう) 佐野の渡り 1点 袖拂(そではらう) 宇治より渡る 1点 木幡川(こはたがわ) 全問不正解 0点 落馬(らくば)
このように、下附もおよそ証歌の句から引用されたものとなっています。全問正解は親子三代の「駒止めて…」の歌を聞き当てたことから「駒止」、全問不正解は馬を止めそこなって「落馬」となります。その他2つは証歌の第2句から「水飼う」「袖拂う」を漢字2文字で表記して書き付すこととなっていますが、「木幡川」だけが第3句で動きのない名詞であるところが気になります。ここでまた私見を差し挟むことになりますが、証歌がそのままでも下附が第2句の「宇治より渡る」→「宇治渡」だったら座りが良かったかと思います。証歌の異なる別書では、「木幡川嗅ぎたるは歩わたりと書く」とあり、証歌の第2句が「かちより渡る」ですので、要素名「木幡川」の当りには「歩渡」(かちわたり⇒徒渡)と下附することとなっています。要素名と下附については、現行に近い出典より別書の方が辻褄があっているような気がしてなりません。
因みに、下附の用字について、『香道の作法と組香』では「水飲」と書いて「みずかう」と読む同音異字で取り扱っています。
最後に、勝負は最高得点者のうち上席の方の勝ちとなります。
この組香は、証歌あっての組香です。「俊成の幽玄」「定家の巧緻・難解」「為家の平淡・温雅」という歌風を念頭に香を組まれることをお勧めします。そして、皆様も「駒止香」でそれぞれの歌人の歌風に沿った香記を味わいつつ、秋のひとときをお過ごしいただければと思います。